ベリーズ、
ベリーズは、スペインによるアメリカ大陸の植民地化により、グアテマラ総督領の一部となるが、密林地帯の彼方にあったベリーズ一帯には統治が及ばず、17世紀以降イギリス人の入植地が形成されていきました。第二次世界大戦以降は独立に向けた動きが進んだものの、ベリーズの領有権を主張するグアテマラとの対立により難航、1981年になりようやく独立が実現ました。ユカタン半島の付け根の部分に位置する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家です。ベリーズは他の中米諸国と異なってイギリスの植民地だったことからイギリスの影響の方が強く、またアフリカ系の黒人系が多いこともあって同じ英語圏のジャマイカなどカリブ海諸国との結び付きや影響も強い国です。湿地帯の深い森が残り、国土の13%しか利用されていないそうです。

左から1,2,3号神殿
第5号神殿(図10)
ジャングルを歩き見えてくるのがティカル遺跡で2番目に高いとされる7層の第5号神殿です。飾り屋根には雨の神の像が6体彫刻されていて、神殿本体の壁は、飾り屋根を支えるために4.57mと厚く内部の空間はわずか90cmほどの幅しかありません
第1号神殿(図6)
高さ約47mの神殿は、700年頃にハサウ・チャン・カウィル王を埋葬する為に以前にあった建造物を覆って建てられました。上部の神殿はティカルに特徴的な建築様式の大きな飾り屋根を持ち、9層からなる基台に支えられています。上部の神殿入口に巨大なジャガーの彫刻が発見されたため「大ジャガーの神殿」と呼ばれます。
添乗員の杉林裕子さん
茅葺屋根で石柱は守られています
ステラC
ステラEは高さ約11.7m
雨乞いの為の石碑獣形神O
球戯場では儀式の一環として蹴鞠の様な競技が行われた
ジャカランダの花道
捕らえた捕虜を尋問する王
ヒスイを使った仮面
ヒスイの死葬品
金のネックレスや工芸品
国境近くの山中にあるガジョ・ビールの看板
ポポル・ヴフ博物館
フランシスコ・マロキン大学内にある、質の高いマヤ文明全般の収集物がある博物館です。マヤ古典期(前2000年~)、スペイン時代(1500年~)を時系列に展示しています。
中央公園
旧市街の中心部は中央公園の周辺でカテドラルと国立文化宮殿が建っています。文化宮殿は青銅を染み込ませた石で出来ているので青く見え、独立宣言書とケツァールを描いた紋章が刻まれています。カテドラルは、グアテマラ・シティに首都が移った際に100年かけて建られました。
カテドラル
街の中心部はカテドラルの建つ中央公園で、公園の真ん中にある噴水は、上半身裸の女性の乳房から水が噴き出るユニークな物です。このバロック様式の大聖堂は、アンティグアの守護聖人サンティアゴを祀っています。1543年から1680年にかけて建設されましたが、その後の地震で何度か崩壊し、修復が繰り返されてきました。カテドラルの裏側には地震で崩壊した教会の廃墟があり、かっての威容をしのばせます。
メルセー教会
黄色い外観の正面入口のバロック様式の装飾は、メキシコのプエブラ市から来た漆喰職人によって造られた米大陸の宗教美術史の中でもしばしば取り上げられるほど有名な教会です。壁面には、珍しくヨゼフがイエスを抱く像がありました。内部の天井には3つの火山と白馬の騎士を描いたアンティグアの紋章があります。中には地震で崩壊したかっての教会跡があり、その広い中庭には、米大陸建築100選に選ばれた中米最大の噴水が残っています。
十字架の丘からみたメルセー教会
壁面のヨゼフがイエスを抱く像
左にはフエゴ火山(3763m)、右は二峰のアカテナンゴ火山(3976m)
時計台エル・アルコは街の名所、後ろはメルセー教会
時計台の先にはアグア火山
公園のジャカランダの花が満開です。
市庁舎
中央公園の北側に面して建っているアーチが続くアンティグア市庁舎。建物内部にはサンティアゴ博物館が併設されています。
旧グアテマラ総督府
スペイン統治時代はアンティグアにグアテマラ総督府が置かれ、自治権を持ち、200年以上の間、スペイン植民地グアテマラ総督領(現在の中央アメリカのほとんどとメキシコ南部のチアパス州を治める)を統治していました。
宿泊したホテル・ソレイユの中庭
今日は、宿泊したグアテマラ・シティのグランド・ティカル・フトゥーラ・ホテルからチチカステナンゴ、アンティグアへと、くねくねとカーブが続く山道を進み先住民が多く住む地域へ向かいます。
宿泊したホテルのアトリューム
国境を越えてエルサルバドルから4ヵ国目のグアテマラに入国します。
トウモロコシ
ネズミ
木の根
家の壁材
実際に発掘された土台の部分が残る住居跡
噴石
炭化したヤシの葉
住居跡の頭上には尾羽が特徴的なモットモットと呼ばれる鳥

4日目(2月25日)

昼食後に、中央公園前から観光馬車に乗り市内観光です。
国立文化宮殿
1931年の地震で崩壊した国立宮殿跡に、1935年以降再建されたアールデコ様式の4層構造の建物で政府官庁として使用され、1978年のクーデターの舞台にもなったことでも知られています。1996年に日本と国連の援助で歴史的建造物として保存修復され、現在は、国立博物館などの複合文化施設として公開されています。
遊覧飛行を終えて、海を見ながら帰国準備にホテルに戻ります。
宿泊したラマダ・プリンセス・ホテル

12日目(3月05日)

ブルー・ホール遊覧飛行
ベリーズではカリブ海に浮かぶキーと呼ばれる砂とサンゴ礁の小島が見所の一つです。北半球最大のサンゴ礁がベリーズの沖合約20Kmni広がり、豪州のそれに次ぐ世界第2位のきぼを誇っています。世界自然遺産のベリーズ・バリア・リーフ保護区があり、「カリブの宝石」と呼ばれ特に、海中に深さ約125m、直径約300mの円形状の大きな窪みがポッカリ開いたブルー・ホールは神秘的です。遊覧飛行では、この周辺のライトハウス・リーフの全体像も見ました。

第3号神殿(図8)
810年建造の高さ約55m、落雷にあたった部分の修復中の神殿です。神殿を支える部材にジャガーの毛皮に身を包んだ王が刻まれていることから「ジャガー神官の神殿」とも呼ばれます。
ベリーズシティから飛び立つと、すぐにサンゴ礁の海です。透明度が高く水深約50mの海底にも陽光が届くので船影が底に映り船が浮いて見えます。
ハート形の島
部屋から見たカリブ海の日の出
スコールの後の光明
宿泊したラマダ・プリンセス・ホテル
メキシコ大使館
政府合同庁舎
マヤの神殿をイメージした国会議事堂
国防省
ベリーズの入国管理事務所
国境を通過
第4号神殿の上からみた第3号神殿

10日目(3月03日)

今日は、フローレス島から国境を越えて5ヵ国目のベリーズへ向かいます。べリーズは中米の協定に入っていないので入国に時間がかかりました。入国後、最初に途中のカハル・ペッチ遺跡に立ち寄ります。
失われた世界(図2)
ティカルで最も古い建築群が集まる先古典期の儀礼用の区画です。他の建築物と明らかに異なる時代の建築物が集まっていることから「失われた世界」を意味するムンド・ペルディードと名付けられました。大神殿は高さ30mの正四角錐形で西面の階段の両脇に大きな仮面の彫刻が施されています。
ティカル国立公園文化遺産保存研究センター博物館
日本の文化庁の協力で建てられた施設で、土器や装飾品などの出土遺物の他、出土した資料が復元展示されています。
「失われた世界」の大神殿
第4号神殿(図9)
ティカル最大の見所で、741年建造の高さ約64.6m、アメリカ大陸の先スペイン期建造物の中では有数の高層建築物で、現存するものでは最大規模です。神殿を支える部材に双頭の蛇が刻まれていることから「双頭の蛇の神殿」とも呼ばれます。この景色こそ、映画「スターウォーズ 新たなる希望(エピソードIV)」の中古代遺跡を再利用した同盟軍の秘密基地があるという設定で見る事ができる風景で、頂上まで登ると上から1,2,3号神殿が見える絶景ポイントです。
第2号神殿(図7)
第1号神殿と対座していることからハサウ・チャン・カウィル王の王后の神殿と考えられています。高さは約38m、飾り屋根に壮麗な仮面の浮き彫りがあることから「仮面の神殿」として知られています。この神殿は上まで登ることが出来、眺望が素晴らしかったです。
アクロポリス(図18)
人工的な高台の上に建物が建設されている形式のことで、数多くの宮殿、貴族の住居など、随所に階段や建物間をつなぐ広間があり、迷路の様になっていて、木製の屋根は残っていませんが保存状態が良く建築構造から当時の生活が想像できます。石灰で固められたため、気温は45℃位になったそうです。
サクベと呼ばれるマヤの道をたどりながら最大規模の双子のビラミッドがある広場(図15、16)へ、次に1号神殿の裏を通ってアクロポリスへ
入園ゲートを進み遺跡に向かう途中のジャングルには、巨大なセイバの木の枝にはエア・プランツが寄生して怪しげな雰囲気を醸し出していました。

9日目(3月02日)

フローレス(Flores)@グアテマラ
フローレスはティカル遺跡への拠点となる町です。一般的にフローレスは、フローレス島とサンタ・エレーナ地区を示しますが観光の拠点となるのがペテン・イツァ湖に浮かぶ小さなフローレス島です。ホテルやレストランが集中している観光の島で、キレイに整備され、こじんまりしていて雰囲気のよい街並みです。観光警察のゲートが、全長500mほどのレジェノ橋の入り口にあるので治安が良く、夜の一人歩きも安全だそうです。橋を渡り対岸のサンタ・エレーナ地区には、バスターミナルや市場がある庶民的な街並みが広がり地元客で賑わっていますが、米国やメキシコに入国出来なかった中南米からの不法移住希望者が滞留している為か治安は良くないそうです。

宿泊したホテル・ペテン
ホテルの窓から対岸を望む
昼食後、今夜の宿泊地フローレスまで一路約288Kmを進みます。14:40出発、途中ベリーズとの国境近くを走行。山の上にはベリ-ズの旗がたった建物がありました。18:20ペテン・イツァ湖に浮かぶフローレス島に到着。本土と500mの橋でつながっています。
スペイン語での I Love Petenです
今日の昼食は、ドゥルセ川を通じてカリブ海とつながっているイサバル湖畔にある海鮮レストランで地元名物のタパードスと呼ばれる魚介類のスープと魚のフライです。タパードスはカリブ系の人々のガリフナ(Garifuna)料理と呼ばれる物で、ココナツミルクを使い濃厚な味で美味しいです。おやつには、もちろん地元産のネットリした甘さのモンキーバナナです。
アクロポリス神殿
丸い形の獣形神B
ステラD
ステラH
コパン遺跡の観光を終えてから、ホンジュラス国境を越えて再びグアテマラのリオ・オンドへ向かいます。

リオ・オンド(Rio Hondo)@グアテマラ
リオ・オンドは、東のカリブ海沿いの都市へ向かう街道沿いにある小さな町で、特に、ここに見どころがあるわけではありません。しかし、グアテマラのキリグア遺跡とホンジュラスのコパン遺跡という、2つの世界遺産観光の基点となる宿泊地です。周囲は一面バナナナナ農園が広がっている農村です。

8日目(3月01日)

石彫博物館
ヘビの口から入り奥に進むとコパン遺跡から発掘された赤のロサリラ神殿のレプリカが登場します。16号神殿にあったものでトウモロコシ、雨の神が彫られ豊作を願い建てられました。祭壇Qは、1代目から歴代16代目の王の名前とその姿が彫刻されています。16代目が自らの王権の正統性を表す目的だとも言われています。二階には珍しい老人の彫刻などが展示されています。
宿泊したリオ・オンドのホテル・ロンガローネ
東広場
西広場の祭壇Qのある神殿16
アクロポリス
神聖文字の階段のある神殿の南側の区画で、東広場と西広場からなっています。王や貴族が儀礼や政務をおこなうための特別な空間で神殿群が建ち並んでいます東広場の北に面する神殿22の壁面には方形の石彫を組み合わせたモザイク彫刻がが組み込まれています。西広場の神殿16の前には博物館にある有名な祭壇Qのレプリカが置かれています。遺跡の入口で飼われているコンゴウインコは神格を持っていると信じられ神殿の随所でそのモチーフが使われています
63段の神聖文字の階段
巨大なロサリラ神殿のレプリカ
「高浮き彫」彫刻
コパン遺跡
コパン遺跡は、グアテマラとの国境近くモタグア川支流のコパン川岸にあります。紀元前10世紀頃から人が居住し始めて暮らしてきましたが、今日コパン遺跡と呼ばれているのはマヤ古典期に繁栄したコパン王朝期の建造物群が展開する�一帯です。紀元426年、メキシコ中央高原テオティワカンと深いつながりを持つ初代の王キニチ・ヤシュ・ウック・モ王がコパンへ来て以来、16代に渡りコパンはマヤ文化圏の南東端にあってマヤの重要な一都市として栄華を誇り人口2万5千人程の大きな町となりました。コパン遺跡の特徴は、最盛期の18ウサギ王の時代に「高浮き彫」彫刻と呼ばれる石碑様式を創り出して神聖文字の階段や林立する石碑などに施されたマヤ遺跡の中でも際立った芸術性をみせています。

ホンジュラス国境に近いコパン・ルイナスと言う、こじんまりとした町から約1.5Km東にコパン遺跡があります。

同行した観光警察官
国境を越えて再びホンジュラスに入国します。

ホンジュラス
ホンジュラスは歴史的にニカラグアと並んで中央アメリカで最も貧しい国で、国民の半数以上が貧困線以下の生活を強いられていると言われています。この国の経済は、米国資本がカリブ海岸熱帯低地で始めたバナナプランテーション産業に依存してため、バナナ共和国と世界で最初に呼ばれた国家であり、現在もそう呼ばれています。拳銃が自由に買える事と貧困からスリ・強盗も多く殺人発生率が高く、都市部は特に治安が良くない国です。そんな訳で観光警察がコパン遺跡までの間、往復同行しました。

国立文化宮殿の前にあるグアテマラの道路原標

7日目(2月28日)

グアテマラシティ(Guatemala City)@グアテマラ
地震の多いこの国で慎重に選考されて1775年に現在のアンティグアから遷都して以来、首都になった都市です。標高1500m程の高原地帯で規模を拡大していき、その後、見舞われた地震にも大きな被害を受けることなく大都市として発展しています。政治と経済の中心地である首都機能の発展ぶりと、貧困や犯罪などの社会問題も持ち合わせたラテンアメリカ特有のわい雑さを漂わせるこの街は独特な匂いを醸し出しています。
アンティグアでの観光を終えて1時間程再びグアテマラシティに戻ります。
中央アメリカ北部に位置する共和制国家で北海道と四国を合わせた位の面積で、北東はカリブ海に、南は太平洋に面しています。首都はグアテマラ・シティ市。国民の過半数はマヤ系のインディヘナで、メキシコを除いた中央アメリカで最も人口の多い国です。経済的にはエルサルバドルと共に中央アメリカの中位グループに属します。スペイン統治時代はグアテマラ総督府が置かれ、自治権を持ち、現在の中米五国を統治範囲にしました。スペイン人征服者の政策により、先コロンビス・マヤ文化の古文書(Pre-Columbian Maya codex)はほとんどがこの植民地時代に焼却されたが、辛うじてマヤ神話の『ポポル・ヴフ』と呼ばれるキチェ族の創世神話が現在に伝わっている。1880年代にはコーヒー農園の労働力として移民が導入され、1893年には日本初のラテンアメリカ移民が行われた。
サンタ・クララ修道院
ここも地震で崩壊後、宗教施設としての役割を終え、廃墟公園の一つになっています。当時はほとんど外部世界と触れ合わずに過ごした修道女の安らぎの場となっていました。結婚式やキンセアニョ(15歳のお祝い)の写真スポットととして人気があります。前の広場には公共洗濯場があります。
広場の公共洗濯場
排水口が付いた洗濯漕
個別の洗濯場
併設の教会の2Fは修道所
今は隔壁が崩れて教会の祭壇が見えるようになっている
カプチナス修道院跡
1734年に建立されたが1778年の地震で崩壊後、今日では廃墟公園の一つで、中庭には噴水もあり花々が咲き乱れ美しく、この廃墟で印象深いのは、かって修道尼僧が使用した寝室と、わずかな空間の小部屋がある円形の建物が残っていることでしょうか。尼僧は併設の教会2Fの修道所で聖歌を歌いますが、そこからは教会内は見えず、世界から隔絶された空間に身を置きました。
下の町から見上げた十字架の丘
十字架の丘
街の北側こは、大きな十字架が立つ小高い丘があります。この丘からはアンティグアの町全体が一望でき、町の背後にアグア火山が、右側にはフエゴ火山(3763m)やアカテナンゴ火山(3976m)などの3000m級の山々が連なります。
アンティグア(Antigua)@グアテマラ
周りを富士山に似たアグア火山(3760m)をはじめ、3つの火山に囲まれた標高1520m程の高原にたたずむコロニアル様式の街並みの古都です。この街は植民地政府の2番目の首都シウダー・ビエハが1527年の大地震で壊滅したため、3番目の首都として1543年に創設されました。中米で最も華やかな都市として栄えましたが1773年の地震により大被害を受け、首都は現在のグアテマラシティに移されました。この時の地震で崩壊した教会やコロニアル様式の建物が今でも町のあちこちに残り、ときに忘れられたような静かな街並みが独自の雰囲気を残しています。その後も1917年と1978年の地震でも被害を受けています。この街は常春のさわやかな気候で治安も良いためここに住む外国人も多いそうです。

6日目(2月27日)

サント・トーマス教会
現在この教会が建つ場所は、元々マヤ系キチェ族の神聖な霊場でしたが、スペイン人によって1540年に建てられたカトリック教会となり、この町の守護聖人・聖トーマスが祀られています。18世紀初頭には、この一角からキチェ族の国家創設をつづった神話「ポポル・ブフ」の原典が発見されました。スペイン征服者は、その霊場を破壊した後、瓦礫の石材を利用して、この教会を建てたのでしたが、キチェ族はラテン文字を利用して自分たちの歴史を書き残しました。表向きはキリスト教に改宗したキチェ族たちはスペイン人に頭を下げ服従を装いながら、その胸中では自分達の独自の神々を信じて遺産を守ろうとしていました。特に市の日には、教会では香がたかれ、松葉、バラの花が床にまかれ異教的な世界が広がります。
ウピィルを買い求める女性
チチカステナンゴ(Chichicastenango)@グアテマラ
標高2030mほどの高原地帯にあり、先住民キチェ族の言葉でチチカステ(ウルシの花)ナンゴ(~場所)を意味しています。周辺の集落を合わせた全体の人口は約11万人ですが、中心街の人口は1万人に満たない数です。この街の一番の見どころは、キチェ族が多く住み、先住民の織物市が沢山の出ます。女性はカラフルな民族衣装ウピィルを着て来ます。このウピィルは6ヶ月以上かけて織りますのでシルクが入っているものだと4~6万円と高額で、その1枚を何年も着るそうです。今日は、毎週日曜日に開催される露天市が出て大変な賑わいです。市が開かれる日は、周辺の村から数万人もの先住民達が集まり、今では観光名所となり、私たちもそうですがシャトルバスで外国人観光客もやって来ます。
アティトラン湖展望台
3つの火山(アグア火山、アカテナンゴ火山、フエゴ火山)が連なり、その谷間のカルデラ湖にグアテマラ第2位の大きさを誇るアティトラン湖があります。少し曇っていましたが湖の水面が見えました。
ここから約210Km先のグアテマラ・シティに向かいますが、途中スコールなども降り出しましたが21:30無事到着。

5日目(2月26日)

グアテマラ
今日は、グアテマラ・シティから宿泊地のリオ・オンドに寄ってからエル・フロリードの国境を越えてホンジュラスに入り、コパン遺跡を見学。再びホンジュラス国境を越えてリオ・オンドに戻る行程です。
国立考古学民族学博物館
20世紀初頭の建物を利用したグアテマラにおける古代マヤ文明の要素が凝縮された博物館です。出土品からマヤの民族衣装まで、特に交通の便が良くなくなかなか行けない北部の遺跡からの出土品が多く展示されています。ピエドラス・ネグラス遺跡から出土した石碑には、戦争で捕らえた捕虜を尋問する王という写実的な図柄の物もありました。ティカル遺跡の王の墓から出土したヒスイを使った仮面やネックレスの工芸品や精巧な土器や装飾品が多数陳列されているのが見所の一つでマヤ人にとっては何よりも高価な物だったそうです。
ガルバリオ教会と露天市
ガルバリオ=ゴルゴダの丘の事です。露天市が開かれる日は、サント・トーマス教会と向かい合って建つガルバリオ教会の間の広場や周囲の道などに、物売りの人達が所狭しと店を広げ、地元の買物客と観光客で非常に賑わっています。近隣の村から持ち込まれる青果や日用雑貨が主な商品ですが、観光客向けの民芸品も広く扱われています。
タスマル遺跡
エルサルバドル第2の都市サンタ・アナの西方15Kmにあるチャルチュアパ遺跡群の一つです。この遺跡は先古典期から後古典期まで存続し、紀元400年頃から、この地域の中心都市となり、発展した。南東部マヤの建築様式である石と土を併用した造りで、大小ふたつの神殿とひとつの球戯場のほか数々の建築物が発見されています。大神殿は高さ32m、古い神殿を覆うように新しい神殿が14層にも重なって建てられています。出土品や建築様式にはメキシコ中央高原のテオティワカン、トルテカの影響が色濃く見られ、またホンジュラスのコパン遺跡との関連性も指摘されています。
ホヤ・デ・セレン遺跡
サン・サルバドルの西約36Km、サポティタン渓谷に立地する集落跡で、「セレンの宝石」と言う意味を持ち、650年に近郊にあるロマ・カルデーラ火山の噴火により火山灰の下に埋没しました。1976年に工事中、偶然発見されるまで1300年以上も眠っていたため、「中米のポンペイ」とも呼ばれています。マヤの遺跡のほとんどは王族の神殿などでしたが、ここではその王族を支えた庶民の住居跡で、当時の日常生活がわかる貴重な遺跡ですので世界遺産にも登録されています。博物館には出土した物が展示され、土器、トウモロコシ、噴石などがありました。昼間の噴火だった為、人の遺体は出ていませんが、ネズミ、アヒルが見つかっています。
街には市が立っています。
チェ・ゲバラ人気は中米の地方都市でも高いようです。
畑の畝と台所跡
シャーマンの家跡
復元されたサウナ
鉄道網がない中米諸国の一般庶民の交通手段は、市内は貨物自動車の荷台に乗り込む乗合タクシー、あるいは米国政府から払い下げらたスクール・バスを改造(高馬力エンジンと再塗装)した、チキン・バスと呼ばれる乗り合いバスです。

修道院博物館,
サン・フランシスコ修道院は16世紀後半に建てられたが、1856年に破壊され、その後再建された修道院跡は、現在、博物館になっており、ニカラグアの考古学の出土品から地元芸術家の作品まで展示しています。中庭からモンバチョ火山の勇姿が望めました。

レオンの教会巡り
古い歴史を誇るレオンには、見所のある教会が多くあります。市場を通りガルバリオ教会へ、ゴルゴダの丘をイメージして少し小高い丘の上にあります。ガルバリオとはイエスの受難を意味します。次に、1701年に建立された正面のイエスに関する装飾が美しい黄色い外観のレコレクシオン教会。レコレクシオン=収穫で、豊穣の神に捧げられた教会です。最後はメルセー教会です。

途中、2012年9月に噴火したサン・クリストルバル火山(1745m)を見ながらニカラグアの国境を越えて、一度ホンジュラスに入国後、再びホンジュラスの国境を越えてエルサルバドルに入国してサン・ミゲルに21:15やっと到着。長い一日でしたが夕食はエルサルバドル名物マリスカーダと呼ばれる魚介スープ、疲れた身体に染み渡ります。
サン・ミゲル火山
サンビセンテ火山

サン・ミゲル(San Miguel)@エルサルバドル
東部エルサルバドルの交通の要所で、ホンジュラス国境へ向かう際の拠点となっています。元々はマヤ系先住民のレンカ族が多く暮らす地でしたが、スペイン人ペドロ・デ・アルバラードによって1530年に築かれたエルサルバドル第3の都市です。ホテルから見えたのは、2013年に噴火したサン・ミゲル火山(2130m)。中米には沢山の火山が連なり背骨の様に縦断しています。その後サンビセンテ火山などもありました。エルサルバドルでは日本の技術で約20%が地熱発電ですが、我国でも、もっと自然エネルギーの活用をしてもらいたいものです。

ガルバリオ教会
レコレクシオン教会
レコレクシオン教会内部
メルセー教会
木製祭壇
涙目のライオンが守るルベン・ダリオの墓

レオン(Leon)@ニカラグア,
ライオンを意味する国内第2の都市で、グラナダとほぼ同時期に町が出来て1851年まで200年以上の間ニカラグアの首都として、軍事、文化、宗教の中心地として繫栄し、内戦時代は反政府組織の本拠地でした。そして、ニカラグアの天才的詩人ルベン・ダリオ生誕の地でもあります。郊外にはレオン・ビエホ(古いライオンの意)と呼ばれる1610年の火山の噴火によって廃墟となった植民地時代の都市遺跡も残っています。

今日は、車窓からマナグアの共和国広場の旧カテドラルやマナグア湖を見ながらレオンに向かい、レオンの町を観光してから国境を越えて一度ホンジュラスに入国後、そのまま通過して再び国境を越えてエルサルバドルに入国する約420Kmの大移動です。

3日目(2月24日)

中央公園周辺,
この一画にはコロニアル風の美しい建物が集中しており、古都のかっての繫栄が感じられます。公園の東側には黄色とオレンジ色の目立つ外観のカテドラルが、南側の市庁舎の前に建つ高いオベリスクはブラジルから贈られたものでニカラグアの詩人ルベン・ダリオにささげらています。

レオン大聖堂,
1747年に建築が始まり19世紀初頭に完成したカトリック教会で、歴史的な宗教建築物としては中米最大級の規模を誇るバロックから新古典主義へと移行する時期の折衷様式の建物です。堂内には、ニカラグアの芸術家アントニオ・サリアが描いた木製祭壇が目を引きます。また詩の巨匠と呼ばれるレオン出身のルベン・ダリオも埋葬されています。

中央公園,
公園の真ん中には噴水があり、あちらこちらにライオン像が置かれています。そして公園に面してレオン大聖堂があります。

ニカラグア湖
面積8029平方Km(琵琶湖の約13倍)、最長径164Kmで、ラテンアメリカではチチカカ湖に次いで2番目に広い湖であり、世界で10番目に大きい淡水湖です。

メルセー教会,
18~19世紀に建てらてた教会で、黒ずんだ外壁は焼打ちにあったからです。塔の上からはグラナダの街並みが一望できました。

マナグア湖
ニカラグアで2番目に大きい面積1000平方Kmの湖(琵琶湖の1.3倍)。北岸にはモモトンボ火山がそびえ立っています。生活汚水を流していたことから「汚染問題で現在は遊泳禁止だそうです。湖の前の広場には「生命の樹」のカラフルな電飾のデコレーションがあります。これは大統領夫人の希望でマナグア市内に135本建てられました。1本250万円の税金が使われたそうですが、、、、夜はイルミネーションの様に光るマナグアのシンボルだそうです。
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

13日目(3月06日)

ヒューストンで一泊して、朝10:50発のユナイテッド航空便で帰国です。
大統領官邸と建物前にある19世紀最大のニカラグアの詩人ルベン・ダリオ(左)と革命家アウグスト・サンディーノ(右)
塔の上からニカラグア湖方向の市街を眺める
旧カテドラルの代わり建てられた前衛的な新カテドラル。
旧カテドラル
ベルギーの援助で1928年から10年間で建築されたネオクラシック様式の大聖堂ですが、1972年の大地震により半壊して崩壊する危険があり、今は立入禁止となった廃墟のカテドラルです。時計台も地震のあった7:35で止まっています。
座礁した難破船
実が木の幹に直接つくマラカスの木
マヤ独特アーチ、王族は頭に大きな飾りを付けていたので天井が高い
オオハシとコンゴウインコ
インコ
グラン・プラサ
ジャングルに入ると、まずセイバの木、幼木にはトゲがありまが、マヤの聖木でグアテマラの国木です。コパン遺跡の入口から進んで最初に、いくつもの石碑が建つ広場に着きますが、ここがグラン・プラサです。711~736年にかけて13代目の王が建てた石碑が多く、彼の肖像が刻まれています。広場の南端にある球戯場も13代目の王が建て替えていて古典期マヤで最大級で最も精巧な造りであると言われています。球戯場の南側には全長30mほど、63段の神聖文字の階段があります。2500以上の一つひとつの石に象形文字でコパン王朝の起源にまでさかのぼる王朝史が刻まれておりアメリカ大陸最長の文字記録です。
オオハシ

マナグア(Managua)@ニカラグア
ニカラグア共和国の首都で、現地の言葉で水の多い所を意味するマナグアは、その名の通り広大なマナグア湖に抱き込まれるように湖畔の南に広がり、年間を通して平均気温が約26℃、湿度が60%を超える高温多湿の都市です。

宿泊したカミノレアルはカジノを併設したホテルです。ここは朝から25℃位で、庭には鳥のケージや珍しい木々や(楽器の)マラカスの木などがあり寒い日本から一気に南国リゾートの気分です。
祭壇Q

2日目(2月23日)

今日は、まったくの移動日です。成田空港からユナイテッド航空便でヒューストン経由で中米ニカラグアのマナグアに向かいます。飛行時間と乗り継ぎ時間で合計約20時間で夜、到着です。

キチェの祈祷師たち

1日目(2月22日)

ベリーズシティ(Belize City)@ベリーズ
ベリーズ唯一の都会とも言える町で、ベルモパンに首都が移されるまでベリーズの首都だった都市です。現在も事実上の国際的な窓口で、国の総人口の約五分の一が集中しており経済やビジネスの中心でもあります。住民の大半はクレオールと呼ばれるアフロ・ヨーロピアンでレゲエの軽快なリズムに包まれてカリブ海の町の匂いを感じ取れます。中米では珍しい英国統治時代の名残を残しており、その街並みなどそれなりに見所があります。

ティカル遺跡
約550平方Kmの広大な面積を誇るティカル国立公園は、マヤ遺跡としては最大規模で最も重要な都市遺跡で、ジャングルの中の絶景が拝めるグアテマラ最大の見所です。紀元前800年から人が住み始め紀元1世紀には王朝が成立、都市が成立してから崩壊するまでの約800年間に33人の王が君臨し、最盛期の8世紀には人口約9~11万人だったと言われる一大都市でした。今でこそ樹海に埋もれ�るティカルですが、往時は石灰を使った真白な漆喰を宮殿の壁や床に敷き詰めていたそうです。その石灰をを作るために、そこらじゅうの森林伐採を行ってしまった結果、時期になっても雨が降らない環境の変化を引き起こし作物が、育たなくなってしまったと言う、環境破壊や食糧難など現代人が抱える問題と同種の要因から起きたものと考えられるようになってきていますが、本当のことは未だに謎です。
イサバル湖

グラナダ(Granada)@ニカラグア
マナグアから南東へ約45Kmにある、1524年にスペイン人がニカラグアで最初に創設した古都で、コロニアル様式の建物や教会が建ち並ぶ美しい町です。かって、ほぼ同時期に出来たレオンの町と独立後の首都争いをした結果、中間にあるマナグアが首都となりました。

ライトハウス・リーフ
保存状態の良い神殿跡

今回の中米旅行は、1821年にスペインから独立した、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカから構成され、その後、1823年から1839年まで中央アメリカに存在していたアメリカ合衆国をモデルとして建国された、中央アメリカ連邦共和国の足跡をたどる旅です。以前パナマ運河横断クルーズで寄港し観光したパナマとコスタリカ以外の国々をコスタリカの隣国ニカラグアから北上して、やはり訪れた事のあるメキシコの隣国ベリーズまでを周遊しながら2500年以上中米地域で繫栄を誇ったマヤ文明の遺跡を中心に旅します。

スコールの後、羽を乾かすカッショク・ペリカン

11日目(3月04日)

怪物の口から王が出ている獣形祭壇P
赤のロサリラ神殿が発掘された場所
神格化されたコンゴウインコ
アグーチ、ヤマアラシ科の動物
共和国広場
この広場には、カテドラルの廃墟と国立文化宮殿、大統領官邸があります。

ベルモパン(Belmopan)@ベリーズ
ベルモパンは人口が16、000人ほどの小さな首都で、相次ぐハリケーンで壊滅的な被害を受けた旧首都ベリーズシティから1970年に遷都された町です。遷都当時は、行政機関を中心に人工的に造られた町でしたので、世界一牧歌的な首都とも呼ばれました。現在でも、一国の首都にみられるようなはなやかさや喧騒は見られないものの、近年では町の規模も徐々に大きくなりつつあり行政機関をはじめ各国の大使館なども集まってきています。国会議事堂はマヤの神殿をイメージして建てられたそうです。

ヒスイを使った仮面
中米5ヵ国周遊13日間
政府関係の建物が広場の周辺に集まっています
カハル・ペッチ遺跡
カハル・ペッチは「ダニのいる場所」という意味があります。サン・イグナシオ郊外の丘陵地帯にあるマヤ系のモパン族とユカタン半島から流れてきた先住民族とが共同して紀元前10世紀から紀元後9世紀頃に建設した古代都市だと言われています。この遺跡の特徴は、持ち上がり式のマヤ独特の美しいマヤ・アーチです。小型ですが複数あって創建当時の形をとどめており、さらに錯綜した階段を配して一見迷路の様な一角がありますが、その迷路は戦争において敵が攻め難く、守りやすくしたものであると言われています。最初にビジターセンターで出土品や当時の様子などを見学します。
道中長いので、途中の先住民が営む土産物店兼レストランでのコーヒー・ブレィク
カテドラルの屋根まで上がると、沢山の天井アーチがお椀を伏せたような形で連なっています。あたかも真っ白で綺麗な宮殿にいるような光景でしたので、思わずツーショット写真を撮ってしまいました。
最古の人類の足跡
夕刻16:50発のユナイテッド航空便で米国のヒューストンに向かいます。
ニカラグア
ニカラグアは狭義の中央アメリカで最も面積が広い国(北海道と九州を合わせた位の面積)です。1936年から1979年まで続いたソモサ一家の独裁政治と、ソモサ独裁に対するニカラグア革命後の内戦のために開発は極めて歪な形でなされ、そのために国民所得や識字率などが中央アメリカでも未だに低い水準にある国です。
船が浮いて見える

2017年2月22日~3月6日

風が抜ける様造られた部屋
キリグア遺跡
モタグア川の近くにある遺跡で、グアテマラの熱帯低地のマヤ遺跡の中では交通の便がよくアクセスしやすい遺跡です。3世紀よりコパンの衛星都市として栄えたキリグアは、カリブ海にも近く貿易が盛んで、その収入により栄えました。キリグアは8人の王によって支配され一番有名なのはカクティソウ王。6代目でコパンの支配下から独立させました。そして、その威厳を示すために石柱(ステラ)を沢山建てました。ステラCはカクティソウ王が775年12月29日に建てた物。マヤのカレンダーにより精密な日時が分かります。そして2012年世界の終焉説の発端となった石柱です。ステラDと丸い形の獣形神B、ワニとカエルの模様が彫られ王位継承に関する石碑とも言われています。ステラEは、771年に建てられたコロンブス到達以前のアメリカ大陸における最も背の高い約11.7mの石柱としても有名です。一番最初に建てられたと言われるステラH。遺跡の奥にはアクロポリス神殿が、その前には雨乞いの為の石碑獣形神Oもあります。石碑の他にも巨大な岩に直接、異様な動物の形を彫り付けた「獣形祭壇」の群れこそキリグア遺跡の特徴です。
カテドラル
ホテルの窓から望むアグア火山
エルサルバドルは、九州の半分位の面積に613万人が暮らす、マヤ文化圏の東南の端であると同時に、太平洋沿岸国境を伝わってメキシコ湾岸やメキシコ中央高原の文化が直接伝搬し、色濃く反映している地域です。以前は自国通貨コロンがありましたが、アメリカへの出稼ぎ労働者からの送金が多い経済なので、2001年から通貨を全面的に米ドルに変更し、現在は米ドルが流通しています。
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