ケチャダンス観賞、
バリ島古来の太陽崇拝と海から魔物が陸に上がってこないように祈る儀式の踊り「サンヒャン」を起源にもつダンスを、外国人芸術家の助言により発展させ、創作されたバリ舞踊。さらにラーマヤナの物語も取り入れらた舞踊劇となっています。数十名の半裸の男性が円陣を作り、「チャ、チャ、チャ」と声を発します。その独特のリズムに合わせて、円陣の中央で物語が進行していきます。一般的にケチャダンスは夕方から夜にかけて行われます。

遺跡入口を抜けると、最初に見えてくるのが約100段の東側階段です。
回廊のお釈迦様や仏教の物語が綴られているレリーフを鑑賞しながら上って行きます。
南東にある隠れた基壇
東北側からの全景
獅子を挟んで左右に天樹と半人半鳥のキンナリー・キンナラ
ホテルの入口
ホテルの部屋から見た中庭
移動途中に見た結婚式の準備をしている集落の人々と披露宴会場入口
ジャワ風建築デザインのホテル外観
美しいローカパーラ。左には天女アプサラス達。
ホテルの中庭
ナンディ堂の中にあったナンディは、シヴァの乗り物である聖牛
インドネシア5日間
ケチャダンスの動画
プランバナン(Prambanan)寺院遺跡
プランバナン寺院遺跡は、インドネシア最大のヒンドゥー教寺院遺跡で、周辺のいくつかの寺院遺跡とともにプランバナン寺院遺跡群として、世界遺産に登録されています。のどかな田園風景の中、約5km四方にわたっていくつもの遺跡が点在する巨大な世界遺産「プランナバン寺院群」は、9世紀頃にマタラム王朝によって建てられた壮麗なヒンドゥー教寺院です。遺跡群の中心部”ロロ・ジョグラン寺院”の中には、高さ47mのシヴァ聖堂を中心に左右に高さ23mのヴィシュヌ聖堂、ブラフマー聖堂が並び、更に、3つの聖堂の前には、それぞれの神の乗り物であるナンディ、ガルーダ、ハンサを祀る堂が置かれています。そして、この6つの堂をとりまくように、かっては224の祠堂が建っていたそうですが・・・・・・。今でもその崩落跡をみることができます。回廊にはインド二大叙情詩「ラーマヤナ」と「マハーバーラタ」の物語をモチーフに彫られたレリーフを見ることができます。天を突き刺すようにそびえ建ついくつもの寺院は、ヒンドゥー教美術文化の象徴ともいわれ、繊細で華麗なその姿はとても美しい外観を作り出しています。2006年5月27日に起きたジャワ島中部地震で甚大な被害を受けたが、一部の修復がようやく完了したのみで、全体の修復については目処すら立っていない状況です。

今日は、宿泊したシェラトン・ムスティカ・ジョグジャカルタ ホテルからボロブトゥールやブランバナン寺院群を観光した後、夜の便でバリ島のデンパサールに向います。

聖堂内に入ります。シヴァ聖堂では中心のシヴァ神を祀る部屋だけでなく、その右にドゥルガー(シヴァ神の妻)、後ろにガネーシャ(シヴァの息子)、左にアガスティヤ(聖仙の長)を祀る小部屋もあり、それぞれの部屋には回廊を通り階段を登って入ります。まずはシヴァ聖堂の中央の部屋に安置されるシヴァ像。高さ約3mの巨大な石像です。ここロロ・ジョングランではシヴァの妻であるドゥルガー像の方が有名になっています。この地の王の娘でしたロロ・ジョングラン姫が、父が戦いに破れたため、敵王の妻にされることになったのを嫌い石像に変えられた姿とも言われています。
中央の大ストゥーパ

タナロット寺院、
タナロット寺院はバリ島の南西部のタバナン地区いにあり、クタ地区から約1時間の距離にあるヒンドゥー教寺院です。16世紀にジャワの高僧が村人に海の守護神を祀る寺院を建てるよう勧めたのがはじまりといわれています。海岸沿いの大きな岩の上に建てられた寺院は、満潮時には渡れなくなり、海に浮かんでいるように見えます。 寺院は海の中に船のように浮かぶ大きな岩の上に立ち、インド洋に沈む夕日をバックにシルエットで浮かぶ寺院の姿は、多くのガイドブックや雑誌などで取り上げられている、定番の観光スポットです。バリ島6大寺院の1つに数えられる格式の高い寺院で、多くのバリの人々がお祈りに訪れますが、異教徒は干潮時に島に渡れても寺院内には入ることができません。

全ての観光を終えて、夜の20:40デンパサール発のガルーダインドネシア航空便でジャカルタ経由で羽田空港に向けて帰国です。

今日は、ホテルの部屋から見える屋敷神様を祀る立派な伝統的な民家をのぞかせていただいた後、クタ・ビーチの散策したついでに、ビーチ沿いにあるクタビーチ・ウォークという大型ショッピングモールを歩いて見てきました。タナロット寺院とタマンアユン寺院を観光してから、夜の便でジャカルタ経由で帰国です。

タマンアユン寺院
デンパサール北西のメングウィにある、バリで最も美しいといわれるヒンズー教寺院です。境内は堀に囲まれ、メルといわれる複数層の塔などが多く建てられています。ヒンドゥー教の総本山ブサキ寺院(Pura Besakih)に次いで大きな寺であり、タマンアユン寺院は1634年、当時バリで最大勢力を誇っていたメングウィ王国の鎮護寺として建立されました。その後19世紀後半にメングウィ王国は隣国であるタバナンとバドゥンの連合軍との戦いに敗れ、消滅してしまいました。タマンアユン寺院も同じ時期に荒廃していきましたが、1937年に改修され、今でもバリの人たちの大切な祈りの場所となっています。本殿は正装をしたヒンドゥー教徒でなければ入ることができません。観光客や異教徒など、本殿に入れない人たちは塀の外側の遊歩道を歩くことになりますが、塀の高さは1mほどと低く、外からでも本殿の様子を十分眺めることができます。タマンアユン寺院の一番の見どころは、本殿の一番奥にメルと呼ばれる多重塔が10基ならんでいる荘厳な姿。多重塔は霊峰アグン山を模しているとも言われています。寺院を囲む掘割の水はスバックという水利システムに基づいて周囲の村々へと供給され、「バリ州の文化的景観」の一つとして文化遺産に登録されています。

4日目(1月16日)

伝統的な民家の門

テガララン・ライステラス(棚田)
テガララン村は山間の小さな村ですが、この村を南北に走る川沿いに広がるライステラス(棚田)の美しさはバリ島でも有数のもの。稲作が農業の中心のバリ島では島内には至る所に田んぼがあり、平らな土地が少ない山間部では、多くの棚田が作られていますが、このテガラランの棚田は、観光するのに手ごろなスケール、ウブド中心部からすぐと言うアクセスの良さ、そしてバリ島でも随一の美しさで、毎日多くの観光客が訪れています。バリ島では年に2-3回稲作が行われますので、時期によっては稲刈り後の茶色いライステラスになることもあります。

聖地なので腰布を巻いています
ティルタ・ウンプル寺院、
ティルタウンプル寺院ばインドネシアのバリ島中部にあるバリ・ヒンドゥー教のお寺で、「聖水の寺院」として知られています。バリのワルマデワ王朝(10~14世紀)に建設された寺院で、バリ島内に数ある寺院の中でも由緒ある寺院です。泉から聖水が豊富に湧き出て、ここは沐浴場として有名で、ティルタは水の意味で、ウンプル(またはエンプル)は聖なるの意味です。寺院内にはこの聖なる泉と、そこから聖水を引き込んだ沐浴場で全身を水に沈めて沐浴(マンディ Mandi)をします。この奥にさらに建物があり、僧侶の前の地面にグループで座り、祈りをしてもらい、最後に聖水をハケで頭からかけてもらって、額に米粒を付けてもらう儀式をするそうです。聖地なので男女共に腰布を巻いて境内に入ります。
バトゥール山
アバン山
バトゥール湖
民族衣装のカップルの結婚記念写真の撮影
山肌に黒々とした溶岩流の痕跡

キンタマーニ高原(Kintamani)
バリ島の北東部渡る高原地帯で、活火山バトゥール山(1717m)とアバン山(2153m)に囲まれたカルデラ・バトゥール湖のパノラミックな眺めが人気の景勝地です。山岳地帯に入り、バトゥール火山の外輪の縁に達すると突然目の前に広がる大パノラマ。この一帯がキンタマーニ高原と呼ばれるバリ有数の景勝地ですので、民族衣装の若いカップルが結婚式前の記念写真の撮影に来ていました。さわやかな風が吹き抜けるカルデラの斜面の上にあるぺネロカンという村がこの高原の起点で、レストランやホテルなどの観光施設が整っていますので、ここで景色を見ながらの昼食です。道はここから外輪山の尾根上をたどるように伸びており、東へ向かう曲がりくねった道を行けばバトゥール湖へと続いていきます。標高1500m以上ある高地のため昼間でも涼しく、晴れた日には聖峰アグン山がアバン山の向こうに姿を現すこともあり、その景色は息をのむ美しさです。足下には「バリの水がめ」と言われるバトゥール湖が広がっており、湖畔のクディサン村からは遊覧船の乗船も可能。さらに対岸には温泉の村「トヤ・ブンカ」、風葬の風習で知られるバリ・アガの村「トルニャン」など観光スポットも多く点在しています。1917年と1926年にはバトゥール山は大噴火を起こして、今でも山肌に黒々とした溶岩流の痕跡が残っています。

沐浴場には左側に20の水の出口、右側に10の水の出口があり順番待ちして並びます。
聖水が湧き出る泉

3日目(1月15日)

ゴア・ガジャ遺跡
ウブドの中心地から約4Km東にあるブドゥル ( Bedulu )村に、11世紀の古代遺跡「ゴア・ガジャ(Goa Gajah)」があります。「ゴア・ガジャ」とは、インドネシア語で「象(Gajah)の洞窟(Goa)」の意味ですが、命名には諸説があります。(1)14世紀にオランダ人の調査隊が発見した時に、埋もれた遺跡のボマ(Bhoma)像の露出した一部分が象に見えたため。(2)洞窟内にあるガネーシャ神像が象に似ていたから。高さ2m弱×幅1m程の巨大な顔のレリーフが彫られた門をくぐって中に入ると、5m程の回廊の左右に床から約70cmの高さに洞穴が2カ所掘られ僧侶が瞑想をしたり睡眠をとった場所だと言われています。さらに進めば、左右(約18m)に伸びた洞窟に入ると、正面に、破壊と再生を司るヒンドゥー教のシヴァ神の像が、右の突き当たりに、シヴァ・リンガ(男根)が3体。シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマのヒンドゥーの3大神を表しています。下部には、小さな8体のリンガが取り囲んでいます。リンガ崇拝は「子孫繁栄」を願っての事だそうです。洞窟手前の広場には、1954年に発見された6人の女神が彫られた沐浴場が、ほぼ完全な形で残されています。
デンパサール(Denpasar)
「北(デン)の市場(パサール)」という意味の名前をもち、旧名はバドゥン。バリ島の南部に位置し、バリ州の州都であり、街の中心には、様々なイベントや催し物が行われるププタン広場があります。その東側は、オフィスが集まり、行政や経済の中心地でとしての顔を見せます。反面、広場の西側は、デンパサールの名の通り、庶民の活気に満ち、市場や生活用品店、屋台などが並んでいます。タイトスカートのOLが屋台で昼食を買い、携帯電話片手にビジネスの話をするオフィスワーカーの隣には宗教儀式のための民族衣装をオーダーする人がいたりする、バリの人々の生活感覚がそのまま映し出されているようなエリアです。
クタ(Kuta)
デンパサール空港より車で20分。クタはインドネシアのバリ島南部に位置するビーチとリゾートエリアで、バリ島一番の繁華街となる地区です。ここはバリで最初に開発された観光地の一つで、陽気な雰囲気とインド洋でのサーフィンで有名です。各国のサーファーで大賑わいで若者に人気の地区でもあります。また買い物にも大変便利で大型ショッピングモール「ディスカバリーモール」、や「マタハリスーパー」そして、クタスクエアにはサーフショップがたくさん立ち並ぶ買い物天国で、ビーチ沿いにもクタビーチ・ウォークというNEWスポットもあります。宿は、この地区のフォーポインツ・バイ・シェラトンに連泊です。
プランバナンに別れを告げて、夜間便でジョグジャカルタから隣のバリ島・デンパサールに向かいます。
バリ島(Bali)
東京都の約2.5倍程の面積(5,633平方Km)に、島の北部を東西に火山脈が走り、バリ・ヒンドゥーにおいて信仰の山とされるアグン山(標高 3,142m)やキンタマーニ高原で知られるバトゥール山(標高 1,717m)など多くの火山があり、ダイナミックな自然に恵まれた島です。この火山帯の活動により、バリ島の土壌はきわめて肥沃なものとなってきたと同時に、時に人々に災害をもたらしてきました。そして、バリ島の南部では、火山脈に位置するブラタン湖などの湖水からの流れが下流域に向かって分岐し、その分岐と水量は古来より計算通りに案配されてきたものであり、スバックと呼ばれる伝統的な水利組織によって21世紀初頭までその自然環境と共に維持されています。そして、この水系によって島の南側全体が緑にあふれる土地になっています。神々の島と呼ばれる「バリ島」には、島民の90%が信仰するバリ・ヒンドゥー教に基づいた伝統文化、また洗練された舞踊や絵画、素晴らしい音色奏でる伝統楽器のガムラン音楽、そして色とりどりの供物で飾られた荘厳な宗教儀式は、バリの魅力でしょう。
シヴァ神
ドゥルガー
ガネーシャ
シヴァ聖堂を中心に左右にヴィシュヌ、ブラフマー聖堂が並ぶ
カメレオン

今日は、まったくの移動日です。成田空港からインドネシアの首都ジャカルタ経由でジョグジャカルタに向います。

ジャワ島(Jawa)
ジャワ島はスマトラ島とバリ島の間にある火山が点在する島です。地理的にも経済的にもインドネシアの中心地であり、他の島々からも多くの人が移り住みインドネシア全人口の約6割が住んでいるといわれる島です。首都ジャカルタが位置することから政治および経済の中枢として繁栄をつづける一方で、ボロブドゥール遺跡やプランバナン寺院などインドネシアが誇る世界遺産が数多く残されており、民族性に富んだ王宮文化を今なお伝え続けている島でもあります。
洞窟内は線香の煙で霞んでいました
ボロブドゥール(Borobudur)寺院遺跡
19世紀初め、イギリス人福総監ラッフルズによって発見されるまで、ジャワの密林に千年以上も埋もれていたという「ボロブドゥール寺院」は、8世紀に栄えたシャイレンドラ王朝によって建てられた世界最大の石造仏教遺跡です。総面積1.5万㎡にも及ぶこの壮大な石造りの建造物は、仏教的宇宙感を立体の曼荼羅によって表したもので、123m四方の範囲に9層の階層から成り立つ遺跡は高さ34.5m、上部3層にはストゥーパという釣鐘状の塔が多数あり、中に仏像が納められています。階層下部6層目までは、約1500枚の石板レリーフが、回廊に沿って施され、総延長5Km、お釈迦様や仏教の物語が綴られています。インドネシア独立後の1960年代初頭には、遺跡は崩壊寸前の危機にあったが、地盤沈下による壁と床の傾斜、ムラピ火山の噴火後の構造破壊を防ぐ目的で、ユネスコ主導のもと1973年から10年の歳月をかけて修復工事がおこなわれ、1982年に完了しました。その際、水による浸食を防ぐため排水路を設ける必要が生まれたため方形壇部分をいったん全部解体し、石のひとつひとつにナンバリングを施し、コンピュータ管理をおこなっています。なお、この修復事業には日本のJICAはじめIBM社が協力をおこなったそうです。
北側階段と鬼面カーラ
北側階段

2日目(1月14日)

クタ・ビーチと、ビーチ沿いにあるクタビーチ・ウォーク

インドネシアは、上の地図でもわかるように赤道にまたがり東西5,110Km、南北1,900Kmに延びる世界最多の1万数千の島々により構成されている国です。面積は約190万5千平方Km(日本の約5倍)で地域ごとに独自の文化や自然を持つマレー系住民が大多数ですが中国系やパプア系等の多民族で構成されています。赤道直下の熱帯雨林とサバンナ気候のため、乾季と雨季の二つの季節があり、おおむね5~10月が乾季で、11~4月が雨季となります。雨季はスコールがやってきても、あっという間に晴れ間がのぞく天気で、今回の滞在期間中の夜間や車移動中に雨もふりましたが、観光には晴れ間が続き雨具要らずでした。雨季はフルーツが美味しいシーズンですので堪能してきました。

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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

羽田に帰国

ホテルから見える立派な伝統的な民家
バリの伝統的な民家を訪問しました。各家々は、敷地内に屋敷神様を最初に建ててから炊事場、トイレ、各世帯の住居を作り、先祖代々にわたって大家族で住むのが一般的でしたが、経済の発展に伴い、現金収入を得るために子供たちは職場に近い所に居を構え、そのためか土地の価格も上がって段々と狭い住居に住む様になり、伝統的な民家は維持することも大変になり徐々に少なくなっているそうです。
昼食後には、近くにあるコーヒー園へ。ここではジャコウネコが食べたコーヒー豆の糞から作るトラジャ・コットンを製造・販売しているしている所で試飲も出来ました。ジャコウネコは、一見ハクビシンにも似ていますが、鼻の部分が白く無い事で見分けがつくそうです。只今昼寝中でした。

今日の午前中は、宿泊したクタのシェラトン・ホテルから島を北上して、最初に金銀細工で有名なチュルッ(Celuk)村を経てウブド(Ubud)近郊の古代遺跡ゴア・ガジャを観光しながらキンタマーニ高原に向かいます。途中の村々には、流石に神々の島と呼ばれるだけあって神様を祀るお社や屋敷神様を祀る伝統的な民家が多くあります。

アガスティヤ
回廊の階段を登りきると無の世界を表現するストゥーパ(仏塔)が立ち並ぶ円壇です。中央には大ストゥーパがそびえ立ち、その周りを熱心な仏教徒が回っています。眼下には樹海が広がり、遠くにムラビ山(2911m)が望めました。
プランバナンへ向かう途中の街中点描
ムラビ山(2911m)
上から見えるのが東側入口

5日目(1月17日)

島の北側から見たアグン山(左)とバトゥール山(カルデラ)

東南アジアの街らしく道路は、日本車とオートバイで占められています。露店には、日本では高価であったり、珍しいドリアン、マンゴー、マンゴスチン、スネークフルーツ、ドラゴンフルーツ等々美味しそうなフルーツが売られていました。価格はマンゴーでも1Kgで¥500位でした。

ジョグジャカルタ(Yogyakarta)
古くから仏教文化やヒンドゥー教文化が栄えたジャワ島の古都です。周辺にはボロブトゥールやブランバナン寺院群など、世界遺産に登録されている大遺跡が残っているインドネシアを代表する観光地です。市内にはオランダ植民地時代のコロニアル調建築物も多く独特の雰囲気があります。現在、イスラム教徒が90%以上占めますのは、16世紀頃からジャワ島ではイスラム勢力が強大となりヒンドゥー王国は滅亡していき、王族や僧侶などの多くはバリ島に逃れジャワ島で育まれた文化はバリ島で花開くことになりましたが、ヒンドゥーの文化のルーツは、ここにあります。

祈禱受付でも人々が並び、東屋内にいる僧侶の前の地面に座り、祈禱を受けています
シヴァ聖堂の回廊にはラーマーヤナのレリーフが彫られています
ロロ・ジョングラン全景

1日目(1月13日)

かっては224の祠堂が建っていたそうですが・・・・地震で甚大な被害そして、今でもその崩落跡がそのまま残っています。
子供のカメレオン

2018年1月13日~17日

シェラトン・ホテルのロビー
フォーポインツ・バイ・シェラトン
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