7日目(12月14日)
3日目(12月10日)
カテドラル,
古典ロマネスク様式の大聖堂は南アメリカ独立運動の指導者シモン・ボリバルを記念するボリバル広場に面して建っています。
国名は直接的にはアメリカ大陸の発見者クリストーバル・コロン(コロンブス)に由来し、コロンビアは「コロンの土地」を意味します。南アメリカ北西部に位置する共和制国家で、東にベネズエラ、南東にブラジル、南にペルー、南西にエクアドル、北西にパナマと国境を接しており、北はカリブ海、西は太平洋に面しています。北緯12度30分から南緯4度13分、西経76度50分から79度1分にわたり、その面積は日本のやく3倍の広さです。国の南部を赤道が横切るコロンビアは熱帯に属しますが、気候は標高に大きく左右されます。山岳地帯と言うイメージがありますが、実は国土の3分の2が熱帯雨林のジャングルに覆われています。首都はボゴタ。コロンビアの人口は、ブラジル、メキシコに続きラテンアメリカで第3位です。5000m級の高山からアマゾンのジャングルまで変化に富んだ自然と、黄金郷(エル・ドラード)伝説を生んだ優れたインディヘナ文化、植民地時代ののコロニアル様式の建造物群など、多彩な魅力がある国です。コロンビアと言うと「ものすごく危険」と言うイメージが有りますが、かっては麻薬や犯罪、マフィアなど関連で、たびたび世界を騒がせてきました。2016年のノーベル平和賞を、コロンビアのフアン・マヌエル・サントス大統領に授与されたように、左翼ゲリラ・コロンビア革命軍(FARC)との50年余りの内戦を終わらせたこと始め、犯罪を抑え込み国内各地の治安は改善してきています。今回は、2014年11月のパナマ運河横断クルーズ船でカルタヘナに上陸して以来2度目の訪問です。
カテドラル,
ボリーバル広場の東側には、カトリック寺院が並んでいます。広場から見て左からカテドラル、サグラリオ礼拝堂、大司教邸です。ボゴタはスペイン人侵略が始まってすぐに、最初の教会が建てられた場所だと言われています。カテドラルは1823年、バロック様式のサグラリオ礼拝堂は1660年、大司教邸も植民地時代に造られました。カテドラル内部は、銀の装飾を施した祭壇など宗教美術の粋が凝らされています。
黄金博物館,
コロンビアは、スペイン人が到達した16世紀まで各地で多くの先住民文化が栄えていました。その代表例がボゴタ郊外のムイスカ文化。ムイスカ族の湖への黄金の奉納儀式は、この国が黄金郷と呼ばれる由縁となりました。ここには、3万4千もの黄金の品々に加えて、石や陶器などの材質からなるスペイン征服以前の様々な文化の2万点もの品々を見る事ができます。出土品の中には、儀式そのものを表す装飾品もあり、黄金郷「エル・ドラード」伝説の地で世界最大の黄金細工などを所蔵するコロンビアで発掘された黄金製品を一堂に会したコロンビア中央銀行の黄金博物館です。
8日目(12月15日)
サン・フランシスコ教会,
16世紀半ばに着工して1640年に完成した、現存する教会の中では、ボゴタ最古です。
アシエンダ・コロマ・コヒー農園,
世界的に有名なコーヒーの産地であるコロンビア は、2011年「コロンビアのコーヒー産地の文化的景 観」として、4県にまたがる広大なエリアが世界遺産
に登録されました。ボゴタの南西約60Km,フサガスガ(Fusagasuga)にある、この農園は、収穫や製造過程を学び、国際 的に認められたコーヒー文化の体験ができるコロマコーヒー農園を訪れ、見学や試飲をしました。
ボゴタ(Bogota)
南米諸国の中でも指折りの大都会で(ブエノスアイレス、サンパウロに次ぐ第3位)、南アメリカ大陸でもラパスとキトに次いで3番目に標高の高い首都であるアンデス山脈の東部、標高約2、640mの高地に広がる盆地に築かれた首都ボゴタは、富士山の五合目よりも高い所にあります。赤道からさほど離れていない場所ですが年間を通して1日の平均気温が14℃前後と春のような気温です。黄金郷伝説エル・ドラードにまつわる土地でもあります。遺跡から出土した、34,000点にのぼる黄金細工などを所蔵する黄金博物館や、コロンビアのメデジン出身の有名な画家・ボテロが自らの作品等を国に寄贈したもの
を展示している博物館などコロンビアの多様な文化を知ることができます。
今日は、慢性的な交通渋滞を避けるために早朝から近郊のコロマコーヒー農園を訪れ、見学や試飲をしてから再びボゴタに戻り、遺跡から出土した黄金細工などを所蔵する黄金博物館や、コロンビア出身の画家ボテロの博物館入場を含む市内観光をします。
5日目(12月12日)
4日目(12月11日)
グアタペ(Guatape),
「カラフルな街」として知られるグアタペは、コロンビア第2 の都市メデジンから車で約2時間半のところにあります。 グアタペの町では20世紀前半から、ソケットと呼ばれる家の正面の下の部分がしばしばカラフルにペイントされてきました。町の歴史に関連したデザインや、ひまわり、風景、バスなどの日常生活のオブジェクトが描かれた壁です。個人の家や公共施設が建物ごとに異なった色や装飾が施された色鮮やかな街並みは、思わずシャッターを切りたくなるような可愛らしさで、あたかも絵本の世界のようです。以前はかなり治安の悪い街だったとか。でも、このような装飾をしてメルヘンな街にすることにより、治安が劇的に改善されたそうです。
2日目(12月9日)
メデジン(Medellin),
人口250万人を超えれるメデジンは、ボゴタ、カリと並ぶコロンビアの3大都市。年間を通して気温は18~28℃と過ごしやすいことから「常春の町」と呼ばれています。1980年代は、麻薬犯罪組織メデジン・カルテルの中心として悪名をはせましたが、1993年に麻薬王と呼ばれたパブロ・エスコバルが殺害され、それに続く混乱を乗り越え、現在では市内にメトロやケーブルカーなどの近代的な交通網が張り巡らされて交通の便の良さな
どが社会統合に貢献している事が評価され2013年「最も革新的な都市」に選 ばれました。
ボテロ広場,
メデジンの中心地にあり、別名、彫刻広場と言はれる地元メデジン出身の芸術家フェルナンド・ボテロにちなんで名づけられたこの広場は、野外に展示された彼のユニークな銅像を眺めるには格好の場所です。7,500平方mの敷地面積を持つこの場所には、この芸術家の23の作品が展示され、匠によって建設された2つの噴水があります。
1日目(12月8日)
サン・ペドロ・クラベール寺院,
二つの尖塔とドームの屋根を持つ旧市街を代表する教会で石造りの建物は17世紀にイエズス会によって建てられたものが基になっており1888年に改築、1921年にはドームが加えられました。ペドロ・クラベールはスペイン人神父で、奴隷解放に尽力した人物で教会の前に像が立っています。
旧市街の街並み,
コロニアルの雰囲気が漂う植民地時代の家は、魅力的なファサード、彫刻された木製のかんぬきを持つ窓、メイン バルコニーを持ち、床と天井は木製です。
宗教裁判所跡,
大きなバルコニーとバロック様式の堂々とした玄関が異彩を放つ白亜の建物が宗教裁判所跡です。1770年に完成したこの町のコロニアル建築を代表する建物ですが、異教徒の摘発と処罰を目的にして拷問を伴う異端裁判が、ここで1610~1811年まで約200年間も続きました。
カテドラル
ボリーバル公園に面した大聖堂は1575年から1612年にかけて建造されました。
サンフェリペ要塞,
かってアフリカ人奴隷達の労働力により標高40mの丘に築かれた要塞です。1656年に基礎が築かれ、1763年から19年かけて完成した南米中のスペイン植民地に造られた要塞の中でも最も堅固であると言われています。城内には周到に設計された複雑な通路や、トンネルを通って、相手に気付かれずに戦略上の地点に兵士を移動されるルートもあるそうです。今では展望台として、カルタヘナ市内の古い町並みや、青い海と澄んだ空が広がる美しい眺めが望めます。
ポパの丘,
標高187m、カルタヘナへでの最高所です。ここからはいくつもの島がつながっているカルタヘナが一望できる場所で、港には大型クルーズ船が4隻も入港しているのが遠望できました。1606年に建てられたカルタヘナ最初の修道院があり美しい中庭や祭壇などを見学できました。
今日は、まったくの移動日です。成田空港からアエロメヒコ航空便でメキシコシティ経由でコロンビアのメデジンに向う長旅です。搭乗時間と乗換時間を合わせて18時間後にメデジンに到着、南米は遠いです。
6日目(12月13日)
2018年12月8日~15日
ポテロ博物館,
メデジン出身の世界的に有名な画家フェルナンド・ボテロが自らの作品等を国に寄贈したもの を展示している博物館です。ポテロと言えば何もかも膨張したような作風が特徴で、太った人、太った馬、膨張したようなフルーツなど、一度見たら忘れられないインパクトがあります。他にもピカソ、モネ、シャガール等の貴重な作品も収蔵されています。
税関広場,
カルタヘナで最も大きい広場である税関広場は、元々は、周りに植民地時代の行政官庁が並ぶ練兵場でした。 カルタヘナの創設者であるPedro de
Herediaが住んでいたマンションと、クリストファー コロンブスに敬意を示す像も、広場で見る事ができます。