32番法性寺「奥の院」の大日如来像

第三十一番 鷲窟山観音院

しゅうくつさん・かんのんいん
2014年5月02日 秩父郡小鹿野町飯田

岩殿沢に沿ったゆるやかな坂道の途中の山の斜面を水子地蔵が埋め尽くし赤い小さな風車が回る水子地蔵寺の異様な風景の先の観音山トンネルを越えた所にあります。札所の中で最西端にある観音院の仁王門には高さ4mほどの日本一大きいとされる石の仁王像が鎮座しています。仁王門から296段の石段を登る観音堂への参道脇には石仏、句碑、石造物が多く並んでいます。観音堂は、落差30mの聖浄の滝が落ちる石崖の下にあり、その石壁には弘法大師が一夜で彫ったといわれる「爪彫り千体仏」があり、風化した部分もありますが十分見てとれます。納経所脇から東奥の院への約15分ほどの周回コースをたどると、香塚と呼ばれる「清く聞かん 耳に香たいて ほととぎす」の芭蕉句碑や岩の庇の中の石仏群などを巡ることができます。

第三十番 瑞龍山法雲寺 

ずいりゅうざん・ほううんじ
2014年5月02日 秩父市荒川白久

札所も30番ともなると市街地から離れた山里になってきます。三十番入口の石標脇の参道を進むと、手入れの行き届いた風雅な庭園、そして40段ほどの石段を登った所に樹齢390年のヒバの大木や石仏に囲まれた江戸初期建立の宝形造りの観音堂があります。また観音堂の回廊を裏手に巡ると竜の頭に似た松の枯れ枝「飛龍の松」が展示されています。

途中の道筋にある「巡礼道」の案内とお地蔵さん

第ニ十九番 笹戸山長泉院 

ささとさん・ちょうせんいん
2014年4月16日 秩父市荒川上田野

長泉院の入口には、”よみがえりの一本桜”と呼ばれる大きなしだれ桜があり、その下には「笹戸山長泉禅院」とかかれた石碑と延命地蔵があります。参道を進んでいくと右手に江戸末期の建立の本堂があり、黒漆の納札天井や葛飾北斎の桜花の図が描かれた奉納和歌の板額などを見ることが出来ます。境内は手入れされた形の良い植木が並び季節がら桜花爛漫の花と風雅を感じられる札所です。

第ニ十八番 石龍山橋立堂 

せきりゅうさん・はしだてどう
2014年4月16日 秩父市上影森

橋立堂の観音堂は江戸中期の建立で、高さ70mもある迫り出した石灰岩の岩壁の下に押しつぶされそうな感じで建っています。馬頭観音を本尊とするのは、日本百観音の中では西国29番の松尾寺とここだけです。馬頭観音は強力な力をもつと言われ、お堂に掛けられた奉納絵馬も馬にちなんだものです。境内には左甚五郎作と伝えられる白馬が2頭祀られている馬像の小堂や馬の銅像まであります。本堂手前にはかつて修行の場として使われていたという鍾乳洞があり、現在は観光施設としても利用されています。

第ニ十六番 萬松山円融寺 

ばんしょうざん・えんゆうじ
2014年4月16日 秩父市下影森
26番札所は円融寺なのですが、本来の観音堂は離れたところにある奥の院である「岩井堂」ですので納経を済ませて岩井堂への巡礼道をたどると、昭和電工の守衛所の前に出ます。構内の通り抜け方の案内看板に従うと、岩井堂は円融寺から30分ほど歩いた先で昭和電工の工場内を突き抜けるように進んで琴平神社の入口をさらに奥へと進んだところにあります。岩井堂へは300段くらいある急な石段を登っていきます。石段を登りきると右は札所27番への道ですが、左上の木々の間に、やぐらで組まれた岩井堂が見えてきます。観音堂の直下には文政八年奉献の銘のある灯篭が建ち、風雪にさらされ色も落ちた朱塗りの舞台のような岩井堂が岩山に抱かれるように建つ姿は幽玄な雰囲気があります。

第ニ十五番 岩谷山久昌寺 

いわやさん・きゅうしょうじ
2014年4月16日 秩父市久那
久昌寺の入口には「御手判寺」と書かれた大きな石柱が建っています。御手判とは、札所開設の時に性空上人が冥土から閻魔大王から授かった石造りの手形(印鑑)だと言われた寺宝だそうです。山門を入り道を進むと観音堂が山の岩壁沿いにあり、三間四面、宝形屋根の端正なお堂です。観音堂の後ろには弁天池がありその向こうに久昌寺の本堂と弁天堂が建っています。この景色は弁天池に季節の彩を映し出す鏡となり、あまりの素晴らしさに思わず立ち止まってみたくなるほどでした。

第ニ十四番 光智山法泉寺 

こうちさん・ほうせんじ
2014年4月16日 秩父市別所
県道72号線に面した石段の手前の、おみやげ物や甘味を売る売店の横を進むと本堂への参道となる166段の急な石段が現れます。石段を登りきった境内は山の斜面を切り開いて作った狭い場所に、正面に瓦葺き三間四面の観音堂が建っています。かっては加賀の白山を勧請して観音像を安置したのが寺の創始で、室町中期には白山修験者の拠点となりましたが、明治5年の修験道禁止令で廃止された歴史を持つそうです。

第ニ十番 法王山岩之上堂 

ほうおうざん・いわのうえどう
2014年4月16日 秩父市寺尾
新秩父橋から坂を登り、崖上の道を少し歩くと札所の石碑が現れ、左手すぐ下に観音堂を見下ろす入口があります。荒川をはさんで向うに、秩父の町並みが見渡せる参道の両側には様々な草木が植えられていて見事です。適度の大きさの樹木が茂り、”お庭”の感じがする境内に秩父札所の中では最古(江戸初期)のお堂が良く似合います。昔は、願上寺と呼ばれる大伽藍のお寺でしたが応仁の乱の頃から廃れ、天文、永禄の武田軍侵攻で焼失しましたかれ荒廃してしまいましたが、土地の名士「内田氏」が観音堂を造営し、今でも代々個人で管理しているというちょっと変わった札所です。

第十九番 飛淵山龍石寺 

ひえんざん・りゅうせきじ
2014年4月16日 秩父市大畑町
塀もない開け放れた空間に観音堂の屋根が伸びやかな反りを見せている反面、寺が巨大な岩盤上にあるため草木も少なく境内はデコボコしています。仏教の暗い面を強調したお寺と言われています。本堂となりの小さな三途婆(さんずば)堂には、三途の川の川辺で死者の服をはぎとる奪衣婆(だつえば)の座像がまつられています。奪衣婆は、亡者たちを三途の川の衣領樹の下で待ち受け、その着衣をはぎとり樹上の懸衣翁にわたし、懸衣翁が枝のたわみ具合で罪の軽重をはかるのだそうです。おどろおどろしい雰囲気が漂いますが、すぐ隣には近代的な明るいマンションがありました。昔は舟で渡った荒川を秩父橋で渡ります。左前方に見える新秩父橋(昭60年に完成した吊橋)の橋詰で国道299号線を横切り、崖上にある二十番札所への坂を登ります。
三途婆(さんずば)堂

第十六番 無量山西光寺 

むりょうざん・さいこうじ
2014年4月16日 秩父市中村町
荒川にかかる秩父公園橋へ向うと橋が見え隠れしてくる所に、民家に包まれて西光寺があります。山門はお寺の西側にあり、境内は白壁に囲まれています。正面の本堂は宝永7年(1710)建立、本堂の前面欄間には、釈迦涅槃像が彫刻され極彩色に彩られています。本堂脇には釈迦の足跡を線刻した仏足石が置かれ、その近くから山門近くまでコの字型に回廊堂が造られていて四国八十八ヶ所全ての本尊摸像を並べています。境内の左側には人目を引く茅葺屋根を乗せた樽姿のお堂には大黒天が祀られていて商売繁盛を願ってお参りする人の多いこと・・・。この樽は30石樽と言い、一日三合、三十年分が入るそうです。
釈迦の足跡を線刻した仏足石

第十五番 母巣山少林寺 

ははそざん・しょうりんじ
2014年4月16日 秩父市番場町
西武鉄道の無人踏切を越え線路際を上がった所に少林寺があります。明治11年(1878)の秩父大火で焼失した教訓を生かして、珍しい事に観音堂は、札所唯一の全体に漆喰が塗られた蔵造りの建物です。境内には明治17年の秩父事件(生活に困窮した農民達の武装蜂起)の碑と殉職した二巡査の墓や、草木の陰に多くの石仏やお地蔵さんも立っていますが、季節がら目を引くのは満開の桜です。

第十四番 長岳山今宮坊 

ちょうがくさん・いまみやぼう
2014年4月16日 秩父市中町
秩父札所でも古い格式のあるお寺で、往時は長岳山正覚院金剛寺といわれた京都聖護院の直末の寺。もとは、今宮神社内に観音堂があったが現在は住宅に囲まれた所にある本当に狭い敷地の中央に観音堂が建ち、左手に勢至菩薩堂や延命地蔵尊などが集められています。江戸中期に再建された観音堂は宝珠をのせた屋根に素朴な造りの小規模ながらも、町会の管理のもとで、長い歴史を守り抜いています。極楽往生を願って後生車を回す人などで賑わっていました。

第十三番 旗下山慈眼寺 

きかざん・じげんじ
2014年4月16日 秩父市東町
西武秩父駅、秩父鉄道御花畑駅から徒歩圏の繁華街にあり薬医門と呼ばれる切妻造りの黒塗りの山門をくぐると右手に一切経堂と薬師堂が並んでいます。一切経堂には六角灯篭型の輪蔵に1630巻の経典が納められていて礼拝しながら3回転すると一切経を読誦した功徳があると言われています。薬師堂には「目の神様」として信仰の厚い薬師瑠璃光如来が祀られて、境内には、古来より眼病に効能があるといわれるメグスリノキが育てられています。そして、この樹皮のエキスを煎じたお茶が納経所でふるまわれましたので飲んできましたが、薬効いかに、、、そう言えば、お寺さんの名前は慈眼ですネ。

第十一番 南石山常楽寺 

なんせきざん・じょうらくじ
2014年4月16日 秩父市熊木町
国道299号線から桜並木の坂道を上がると本堂と納経所があります。本当にこじんまりした境内ですが車の騒音も木立に守られ届かず静かな所で、西に秩父市街を一望できます。常楽寺は江戸時代には市街地に仁王門、観音堂、庫裏をかまえた大伽藍でしたが明治11年(1878)の秩父大火で焼失して、その2年後に再建されたのがこの場所です。

第十七番 実正山定林寺 

じっしょうざん・じょうりんじ
2014年4月16日 秩父市桜木町
ここが札所一番の寺であった昔は相当な規模でしたが、現在は檀家の人々で守られているお堂です。日本百観音の本尊を浮き彫りにした宝暦8年(1758)に鋳造された梵鐘があり、精巧に作られた梵鐘がその当時の繁栄を物語っています。鐘は参拝後につくと出鐘といって参拝の功徳が消えるそうなので参拝前に撞きました。非常に良い音色の響きでした。ほとんどの秩父札所には秩父観音霊験記を描いた大絵馬が掲げられていますが、梵鐘の由来や霊験記の物語から、ここは子育て観音として知られているそうです。

第十八番 白道山神門寺 

はくどうさん・ごうどじ
2014年4月16日 秩父市下宮地町
もとは神戸山長生院という修験寺で第14番札所の今宮坊(正覚院金剛寺)に属した寺ですが寛政年間に焼失し天保年間(1830〜1843)に再建されました。観音堂は小さいながらも唐波風のある重厚な建物で回廊が設置されていて、裏手に廻ると仏像を安置する堂内に入る事が出来ます。狭い敷地ですが観音堂、不動尊堂、蓮華堂、納経所、休憩所が並んでいます。この休憩所にも梅干と給茶機が置かれ自由にいただけました。

第ニ十一番 要光山観音寺 

ようこうさん・かんのんじ
2014年4月16日 秩父市寺尾
崖上の道を、正面に武甲山を見ながらさらに進むと観音寺は、木立も生け垣もない県道沿いにいきなり建っている寄棟瓦葺きのお寺です。とても質素な造りで正面勾拝の「秩父廿一番」という大額がなければ、ちょっと豪華な民家くらいにみえます。大正12年にお堂は焼失しましたが、本尊は難を逃れたので火除けの観音様と呼ばれています。現在のお堂は他村の廃寺の材料で再建されたものです。扁額に書かれているように観音寺の通称は矢之堂です。宝暦14年(1764)建立の宝篋印塔や百万遍念仏塔などが道に面したお寺の入口にあります。

第ニ十ニ番 華台山童子堂 

かだいさん・どうじどう
2014年4月16日 秩父市寺尾
県道に武甲山を背景に江戸時代から参道入口にある地蔵尊の道標は何度も交通事故で壊され再建されて今も建ち続けています。県道から脇道に入り、野道をしばらく進むと畑の中に茅葺きの仁王門が見えてきます。質素ながらも大きな茅葺き屋根が印象的なもので、稚拙だがその場に似つかわしい仁王様が迎えてくれます。門をくぐりお堂までは、お堂を支える人の畑のようで、いかにも山村のお寺という雰囲気をかもしだしています。観音堂は古びているが、正面は彫刻で埋め尽くされた華やかで、秩父山村の信仰の深さが偲ばれます。
秩父三十四観音札所の開基が文暦元年(1234年)。この年の干支が甲午(きのえ うま)。開基から13回目の甲午歳となり、60年に一度の甲午歳総開帳の記念の年が今年、2014年に当たります。3月1日より11月18日まで普段、扉が閉じられている本尊の観音様が拝む事ができますので、暫く一時休止していました札所巡りを、桜の咲くこの機会にあわせて再開しました。

総開帳とは、通常、観音様を安置している厨子の扉を閉めたままの状態で拝観するのを、開けて観音様の手に紐をつなぎ、その紐を五色の布に結びます。本尊前に、祈願塔を立て、観音様の手とつながったお手綱を結びます。そして手をつなぐことで、観音様との縁がつながるとされています。総開帳にあわせて特別の朱印と散華のシールが頂けました。

第三番 岩本山常泉寺 

いわもとさん・じょうせんじ
2010年11月13日 秩父市山田
光明寺から途中の横瀬川に架かる山田橋の上から深まり行ゆく渓流美を愛でながら道を進むと、やがて両側に田んぼと畑が広がる一本道の正面に三番札所の常泉寺の本堂が見えてます。観音堂は本堂より一段上にあり、正面軒下の龍のすかし彫りで「かご彫」と呼ばれ正面の鳳凰と共にその素晴らしさに目を奪われます。境内には長命水が湧いています。

龍のすかし彫り「かご彫」

長命水
2014年05月02日 牛歳総開帳

第一番 誦経山四萬部寺 

ずきょうざん・しまぶじ
2010年11月13日 秩父市栃谷
秋晴れに映える紅葉の美しい、ゆるやかな坂の上を登った高台の上に朱塗りの観音堂、あずまや風の施食殿、納経所と庫裏がコンパクトに立ち並んでいます。施食殿(せじきでん)の中には八角形の輪蔵があり、その輪蔵の周囲は数多くの戒名が書かれた位牌板になっています。納経所の売店には、一番札所の為か、沢山の種類の巡礼用品が売られていましたので、私もここで、朱印帖を求めて札所巡りを開始しました。

施食殿(せじきでん)

一番と刻まれた鬼瓦
2014年05月02日 牛歳総開帳
和風旅館

第三十四番 日沢山水潜寺

にったくさん・すいせんじ
2014年5月02日 秩父郡皆野町下日野沢

札所最後の水潜寺は、西国、坂東、秩父をあわせた日本百観音霊場の結願所です。観音堂の前には百観音礼所御宝前の砂を納めた「お砂踏み」があり、この上で西国阿弥陀如来、坂東薬師如来、秩父千手観音の三体の本尊を拝むことで百観音巡礼の功徳が得られると信じられていますので私も拝んできました。観音堂右奥の崖下には寺名の起こりである「水潜りの岩屋岩屋」があり昔から巡礼を終えてから、ここを潜り身を浄めて俗世の生活に戻るとされていましたが、東日本大震災の影響で立入禁止となりました。代わりに水潜りの岩屋から湧出する長命水を頂いて無事結願をむかえました。

第三十三番 延命山菊水寺

えんめいさん・きくすいじ
2014年5月02日 秩父市下吉田

やや葉桜ぎみになった八重桜の並木が続く参道から千鳥破風のある堂々とした観音堂に入ると堂内は土間になり、右側には納経所、正面には聖観音の立像があります。外気温が高い日でしたが土間のせいか、ひんやりとした空気の中に心地よい静寂感を感じました。境内の一隅には県内最古と言われる「寒菊や粉糠のかかる臼の端」の芭蕉句碑が立っています。

第三十ニ番 般若山法性寺

はんにゃさん・ほうしょうじ
2014年5月02日 秩父郡小鹿野町般若

札所の中で唯一の鐘楼門に入ると山号にちなんだ大きな般若の面が掲げられています。ここも巨岩の連なる山間にありますので平場から上がった崖の中腹に観音堂が、観音堂の裏の岩窟には子授け地蔵尊などが祀られています。観音堂横の洞門をくぐり奥の院に向います。荒れた山道、鎖の付いた岩場を登りながら途中の龍と虎が向かい合う様な龍虎岩や十三仏の岩屋を過ぎると約30分位で船の舳先の様な岩屋根の奥の院に着きます。この”岩船”には大日如来が舳先の右端には岩船観音が立っています。ここにたどり着くには傾斜のきつい鎖場を登り、狭い場所に立つスリルが味わえます。

第ニ十七番 龍河山大渕寺 

りゅうがさん・だいえんじ
2014年4月16日 秩父市上影森
まだ蒸気機関車が走っていた大正八年(1919)に汽車の煤煙から火事になり焼失してしまいましたが、風景の美しさから月影堂と呼ばれていた観音堂は70年以上たった平成8年にやっと再建されました。山門を入ってすぐの所に自然の湧水で、この水を飲むと33ヶ月長生きするといわれている延命水が湧き出ています。境内の木々の植え込みが良く配置され山の自然と調和されています。

第十番 萬松山大慈寺 

ばんしょうざん・だいじじ
2014年4月16日 秩父郡横瀬町横瀬
南に武甲山を仰ぎ、東に田園地帯を望む小高い丘の上にあり、眼下に横瀬川とのびやかな風景のなかにあります。バス道に近いが、素朴な、落着いた雰囲気があります。石段の上に楼門が建ち仁王像が納まっています。本堂は唐風の向拝を付けた建物です。大半の秩父札所には六地蔵があり、六地蔵は六道(輪廻の6つの世界)の守護神とされています。

第九番 明星山明智寺 

めいせいざん・あけちじ
2014年4月16日 秩父郡横瀬町横瀬
札所案内の道しるべどうり横瀬駅の方向へもどると住宅地の中にある開けっぴろげの境内にお堂があります。平成2年(前々回の午歳開帳)に再建された秩父札所の中では一番新しい六角堂です。近隣の人々がお堂のお世話をしているそうです。堂内まで明るく、如意輪観音の表情をじっくり拝観できました。境内の一角には女性が書いた願文を納めた宝永元年(1704)建立の文塚があり、その横には青銅の子育て観音も建っている安産・子育て、眼病治癒の観音様です。

第七番 青苔山法長寺 

せいたいさん・ほうちょうじ
2014年4月16日 秩父郡横瀬町横瀬
境内に入ると、間口24.4m奥行き18mの大本堂に圧倒されますが、比較的小規模のお堂が多い秩父札所の中では一番大きい建物と聞き、納得です。尾張小牧ナンバーの観光バスで来たツアー巡礼の団体さんが、すでに入口で先達の説明を聴いていましたので欄間にある四国八十八ヶ所・志度寺にゆかりの海女の「珠取り図」の極彩色の彫刻を見損ねてしまいました。本堂脇には、牛伏堂の通称に似つかわしく、寺の縁起にまつわる牛の像が置かれています。境内からは武甲山が見えます。

第六番 向陽山ト雲寺 

こうようさん・ぼくうんじ
2014年4月16日 秩父郡横瀬町横瀬
観光農園の先の日当たりの良い高台にあるこじんまりとしたお寺さんです。桜の花は散りかかっていましたが代わりに桃の花が咲き誇る、のどかな情景です。まだ早朝でしたので参詣者もいなく静寂とした雰囲気でした。納経所の方の話では、昨日は団体のバスが2台も連なり大変忙しかったと、今日も良い天気なので込む前に早めに巡ることを勧められましたので道をいそぎます。

第八番 青泰山西善寺 

せいたいさん・さいぜんじ
2014年4月16日 秩父郡横瀬町横瀬
山門をくぐると、珍しい事にお寺の境内は盆地状になって足元に広がり、樹木が茂っていますが、推定樹齢600年のコミネカエデの一本の巨木が境内を覆っています。高さ10m程の木陰の足元には如意輪観音の石像が建ち、夏は心地よい日陰を、秋は燃える様な紅葉を楽しませてくれます。前回2010年秋に訪れた時の紅葉写真も掲載しておきます。お堂の前には「なで仏」と言われる青銅製の「びんづるさま」があり患部と同じ場所をなでると効能があるそうで、多くの人々になでられ何故か特に頭部は、つるつるになっていました
2010年秋に訪れた時の「こみねモミジ」の紅葉

第五番 小川山語歌堂 

おがわさん・ごかどう
2014年4月16日 秩父郡横瀬町横瀬
砂利が敷かれただけの簡素な境内に朱塗りの仁王門と観音堂だけで無人の札所で、納経所は200m程離れた長興寺さんです。秩父札所巡礼の道の大半は武甲山を望む里や山にありますので、ここから長興寺への道筋からも緑の麦畑の上に武高山が望めました。武甲山は石灰岩の採掘の跡で山の姿を変え白っぽくなりましたが、秩父をセメント工業の地として発展させた立役者ですが、、、ここの本尊は、准邸観音ですが日本百観音霊場の中には西国11番の神醍醐寺の2ヶ所だけだそうです。

第四番 高谷山金昌寺 

こうこくさん・きんしょうじ
2010年11月13日 秩父市山田
大きな草鞋のかかる朱塗りの山門、境内には約1300体の石仏がある金昌寺には江戸時代に住職が千体仏安置の寄進を呼びかけたことから、さまざまな石仏で埋め尽くされています。酒樽に座り杯を頭にふせたユニークな酒飲み地蔵や、乳を飲ませる母親の慈しみあふれる表情の子育て観音等が有名で、秩父三十四観音札所の中でも人気が高いお寺さんです。

酒飲み地

子育て観音
2014年05月02日 牛歳総開帳
彫刻され極彩色の釈迦涅槃像
秩父三十四ヶ所札所全図   
出典:阪急交通社発行、旅あるこう2014年第2号「秩父三十四観音お参りウォーキング」よりの引用

秩父三十四観音札所巡りは、2010年秋にはじめてから、2014年が60年に一度の甲午歳総開帳の記念の年に当たる事を知り一時中断し、再び2014年に再開し、つれづれにまかせて結願した記録ですが、何かの参考になれば幸いです。

                       
舎主          

札所巡りは、発願2010年11月13日、2014年の牛歳総開帳に再び訪れ結願は2014年5月2日

秩父三十四観音札所は西国三十三観音、坂東三十三観音と共に、日本百番観音に数えられています。札所は埼玉県秩父市、秩父郡(横瀬町、小鹿野町、皆野町)の範囲に点在し、静寂な山村と美しい自然の風光の中を一巡する約100kmの巡礼道です。大学時代の友人家族ぐるみで毎年、宿泊旅行をしていますが今回、奥秩父の宿・浦山山荘で会う事になりましたので、この機会に秩父三十四観音札所巡りを始めました。最初に一番札所の四萬部寺に行き納経帖(\1500)を求めて巡礼旅の開始です。

参考にしたのは山と渓谷社発行の改訂版「秩父三十四ヵ所を歩く」\1400です。

32番法性寺「奥の院」の岩船観音像
32番法性寺の六地蔵
31番観音院「東奥の院」に建つ石仏
水子地蔵寺の、山の斜面を埋めるおびただしい数の水子地蔵

第十ニ番 佛道山野坂寺 

ぶつどうざん・のさかじ
2014年4月16日 秩父市野坂町
西武秩父駅からはすぐの所にある住宅街の中ですが、お寺の参道が適切な長さで続き、参道を歩く中にお寺参拝の気分にしてくれます。近くには芝桜で有名な羊山公園がありますので両方訪れるハイカーで混雑していました。寛保元年(1741)に寺を現在地に移した時に建立された山門は明治時代の秩父大火でも焼失を免れた貴重な物で重層楼門造りで威風堂々としています。羊山公園を背にした本堂は、明治末に再建されたものです。本尊は藤原時代の杉の一木造り立像で高さ1.56mもある秩父札所では大きい物です。ここには、お茶や梅干の接待所もありご馳走になってきました。
左の山門の裏側

第ニ十三番 松風山音楽寺 

しょうふうざん・おんがくじ
2014年4月16日 秩父市寺尾
参道の石の階段を登った所が納経所で、観音堂はさらに奥に進み石段を登ります。「松の梢を吹く風の音」が音楽寺の名の由来といわれています。音楽寺の名前にひかれ、音楽に関する願い事を叶えてくれるということで、新曲ヒット祈願に歌手が多く参拝してポスターを奉納していくそうです。山のかなり高い位置に建っているため回廊から東側を見ると、遠くに三峰山から武甲山、高篠山、眼下には秩父市街が一望できる絶景スポットとなっています。

第二番 大棚山真福寺

おおだなさん・しんぷくじ
2010年11月13日 秩父市山田
二番札所には四萬部寺門前にある旅籠一番の横の旧道を案内板に従い、杉木立の山道を進むと山の中腹の駐車場に着き、そこから石段を登ると苔むした岩盤の上に観音堂がたたずんでいます。観音堂には大棚禅師の絵額が掲げられていました。周囲には地蔵尊や石仏が並んでいますが、ここは無人のお寺さんですので、納経を扱っている、山を下ったふもとの光明寺で御朱印をいただきました。

石仏群

光明寺
観音堂の内部回廊
秩父観音霊験記の大絵馬
後生車
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