第三十三番 谷汲山華厳寺 

けごんじ
2016年7月29日 岐阜県揖斐郡揖斐川町

花山法皇が巡幸の際に西国札所の満願所と定め三首の御詠歌を奉納した事から、華厳寺では本堂(現在)・満願堂(過去)・笈摺堂(未来)を指す三つの朱印が授けられます。総門をくぐって風情ある門前町を歩き仁王門をくぐると「南無十一面観世音菩薩」と書かれた奉納旗が参詣者を迎えています。108基の石灯籠が並ぶ参道を上がると本堂です。本堂内の回廊をめぐると本尊と結縁が出来て極楽往生が約束される100円の回廊巡りもあります。笈摺堂(おいずるどう)には先人たちが奉納した笈摺、菅笠、杖が積み上げられています。拝観無料

 
 
満願堂 
笈摺堂(おいずるどう) 

第二十八番 成相山成相寺 

なりあいじ
2016年7月28日 京都府宮津市

西国札所最北端に位置し、眼下には名勝天橋立が望める山腹のお寺です。開祖・真応上人が修行僧の頃、深い雪に食糧も底をつき飢えに苦しむ僧の前に、傷つき倒れた鹿(猪)が現れ、僧は不本意ながらも食し命をつなぎました。しかし、その肉は観音像の腿でしたので僧は自らの罪を悔いお経を唱えると腿の欠けた本尊は元の姿に戻ったと言う。仏像が元通りに成り合ったので成相(合)寺と寺号をつけ、以来願いが必ず「成り合う」寺として庶民の信仰を集めることとなったそうです。拝観500円

 
 

第十七番 補陀洛山六波羅蜜寺 

ろくはらみつじ
2015年7月23日 京都府京都市東山区

清水寺より西側、北は建仁寺近くから五条通に至る地域はかつて、六波羅と呼ばれていました。六波羅といえば、かつて平家一門の邸宅が立ち並んだ地。まさに平安時代後期の権力の中心地だったのですが、今となっては平家が住んでいた面影は殆どありませんが平清盛の塚と白拍子・阿古屋の塚が境内にあります。寺は天歴5年(951)、醍醐天皇第二皇子 光勝空也上人によって開創されました。「六波羅」という地名も、このお寺にちなんでつけられたといわれています。上人は都に伝染病が流行った時に病魔退散を祈って十一面観音像を彫り、念仏を唱え歩き、ひたすら民のために仏の道を説き、庶民の尊敬を集め「市の聖」と呼ばれました。寺に安置されている日本史等で学んだ念仏を唱えると口から六体の阿弥陀仏が現れる空也上人像は珍しい姿で有名です。拝観無料。

 

第十八番 紫雲山頂法寺(六角堂) 

ろっかくどう
2015年7月23日 京都府京都市中京区
本堂が六角の建物なので六角堂と呼ばれ、「六角さん」の名称で親しまれています。聖徳太子が開基。四天王寺建立の用材を求めて聖徳太子がこの地を訪れたとき、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと言われています。太子が沐浴されたと伝えられる池跡がありますが、この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。池坊の祖先は、朝夕本尊に花を供えてきましたが、ついには代々いけばなの名手として知られるようになり、華道家元池坊として、いけばながひろがりました。、本堂前の六角形の石は「へそ石」、あるいは「本堂古跡の石」といい、もとは門前の六角通りにあったのを、明治のはじめに、ここに移したものですが、かつてここが京都の中心地だったので「へそ石」と呼ばれています。拝観料300円。
 
 

第十九番 霊龍山行願寺(革堂) 

こうどう
2015年7月23日 京都府京都市中京区

開基した行円上人は、仏門に入る前は狩猟を業としていましたが、ある日のこと、身ごもっていた雌鹿を射てしまい、そのお腹から子鹿が誕生する様を見たことから殺生をやめ、仏門に入ったという言い伝えがあります。そのことから、行円上人は常にその母鹿の皮の衣を着て仏道を説くようになり人々から革聖(かわひじり)と称されるようになったそうです。寛弘元年(1004)に、一条北辺堂を復興して行願寺としましたが、革聖が建てたお堂ということから寺は革堂の名で呼び親しまれるようになり、今でも山門脇には「一条かうだう」の旧石碑が建っています。ここは西国三十三札所で唯一の尼寺でもあります。拝観無料

 

第二十一番 菩提山穴太寺 

あなおじう
2015年7月22日 京都府亀山市

穴太寺は、奈良時代末期、慶雲二年(705)、文武天皇の勅願により大伴古磨によって建立されたと伝えられる古刹です。その約250年後の今昔物語に取り上げられている「身代わり観音」の伝説では、丹波国桑田郡の郡司が都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師にお礼として自分の大切にしていた名馬を与えたそうです。しかし、与えた名馬が惜しくなった郡司は、家来に命じて仏師を弓で殺してしまったそうです。ところが仏師は何事もなく健在で、なんと観音像の胸に矢が刺さっていたそうで、改心した郡司は仏門に入り、この聖観音を本尊として祀ったのが穴太寺であるとされています。 拝観無料。

 

第二十二番 補陀落山総持寺 

そうじじ
2015年7月24日 京都府京都市中京区

開祖は中納言藤原山蔭という平安時代の役人で、そのエピソードは「亀の恩返し」として「今昔物語集」にも収められているほど有名です。藤原山陰の父・高房は、太宰府への任地へ赴く途中、大亀が漁師に捕まっているのを見て「今日は信心している観音様の縁日」と買取って逃がしてやりました。その翌朝、継母の策略で息子の山陰が川に落されたと聞き、その無事を観音様に祈ったところ、山陰が昨日助けた大亀に乗って現れたのだそうです。それを感謝した高房は、観音像の造立を決意しましたが叶わず亡くなってしまいましたが、息子の山陰が遺志を継ぎ、仏師を探すため、長谷寺へ籠もり祈願。ある朝、観音様のお告げで童子姿の仏師に仏像の作成を依頼すると、「仏様を彫刻する千日の間は誰もこの仏舎に入らぬ事。また、山蔭、自身で私の食事を作ること」を申し付けられました。そして千日目の朝、童子(長谷観音の化身)は空に飛び立っていきました。驚いて中に入ってみると、亀の背に千手観音像が立っており、その前には千日間の食事をお供えしてあったそうです。この亀に乗った観音様は、1571年に織田信長の軍勢の兵火のため堂宇が焼け落ちてしまった際にも、猛火の中で立ち続けていたことから、「火伏せ観音」とも呼ばれるようになりました。また、この「千日料理」のエピソードから、藤原山陰は「包丁道の祖」と崇められるようになり、お寺は庖丁の寺としても著名になり、また本尊は子供の頃の山蔭を救ったことや、兵火から逃れたことから「子育て観音」「火除け観音」としても信仰を集めています。拝観料無料

 
 

第二十番 西山善峯寺 

よしみねでら
2016年7月27日 京都府京都市西京区

春は桜、初夏はアジサイ、秋は紅葉の名所として関西随一の景勝地である山寺です。多宝塔から経堂あたりにかけて推定樹齢600年とも言われる天然記念物の五葉松「遊龍」と名付けられた松が、低空ではうようにうねうねと枝を伸ばしているのは特に代表的です。開山は、平安中期の長元2年(1029年)。長元7年には後一条天皇より国家鎮護の勅願所と定められて善峯寺の寺号となりました。拝観料500円

 
 

第二十三番 応頂山勝尾寺 

かつおうじ
2016年7月27日 大阪府箕面市

古くから「勝運の寺」として信仰され、勝運や武功を祈り、源氏や足利氏ら時代の覇者達が参拝し、現在も商売、病気、スポーツ、芸事、試験などあらゆる勝負の勝ち運を願う多くの人たちが参拝し、勝運成就した勝ちダルマが所狭しと奉納されています。創建は奈良時代、神亀4年(727年)、清和天皇の病気を治した事から「勝王寺」の名を賜ったが「王」を「尾」に控えて、寺号を「勝尾寺」としたそうです。拝観料400円

 
 

第二十四番 紫雲山中山寺 

なかやまでら
2016年7月27日 兵庫県宝塚市

安産祈願の寺として名高く、豊臣秀吉が世継ぎ誕生祈願をして秀頼を授かったことからさらに名声を高めました。そして幕末、中山一位の局が明治天皇の御安産の勅願所になってからは、代々の皇族が安産を祈念しています。訪れたこの日も多くの安産祈願をする若いカップルや親子が「よだれ掛け」を奉納していました。拝観無料

 
   

第二十五番 御嶽山清水寺 

ばんしゅうきよみずでら
2016年7月27日 兵庫県加東市

標高552mの御嶽山頂にあり、京都の清水寺と区別するため播州清水寺とも呼ばれる古刹です。約1800年前にインドから渡来したとされる法道上人が水の乏しいこの地のために水神に祈願して霊泉が湧き出るようになったことから清水寺の寺号が生まれたと伝えられています。この清水は根本中堂左裏にある「おかげの井戸」で、今なお涸れる事がないそうです。7〜8世紀にかけて根本中堂や大講堂が建立されましたが幾度かの火災で焼失し大正時代に再建された物です。拝観料500円

 
   

第二十六番 法華山一乗寺 

いちじょうじ
2016年7月28日 兵庫県加西市

平安時代作の聖徳太子および天台宗高僧像や平安末期の三重塔など貴重な寺宝を数多く持つ山間の古刹です。開基は数々の伝説を残すインドの法道上人です。布施を受ける際に自らは動かず相手の所に鉢を飛ばした事から空鉢仙人とも呼ばれました。その噂は都にも聞こえ、大化5年(649年)孝徳天皇の病気平癒祈願のため宮中に招かれた仙人は加持祈祷を行い、見事に期待に応えたので、そこで勅願によって建立されたのが一乗寺だそうです。拝観500円

 

第二十七番 書写山圓教寺 

えんぎょうじ
2016年7月28日 兵庫県姫路市

西国三十三か所の最西端、山岳信仰を持つ書写山の標高371mにある大寺院です。豪壮な舞台造りの摩尼殿を構え、昔より「西の比叡山」として高い寺格を持っています。康保3年(966年)、京の貴族出身の性空上人が眼・耳・鼻・舌・身・意(こころ)のすべてが清められる六根清浄のお告げを授かり入山、開基しました。上人の教えを受けた花山法皇が観音霊場再興を発願する契機となった寺でもあるそうです。かっては、難所と言われた山ですが、今ではロープウェイが山上付近まで通じていますが、下から約1.8Kmのつづら折りの坂道を一丁ごとに置かれた丁石に励まさられながら1時間40分程で登りました。舞台造りの摩尼殿の裏手を回り込み杉林の参道を抜けると、急に開けた空間に3つの御堂がコの字型に立ち並ぶ「三之堂」と呼ばれる配置に、長さ40mの巨大な食堂を中心に右に大講堂大講堂、左に常行堂が両翼のように立っています。再び来た道を文殊堂の横を通り30分で下りました。拝観500円

 
 
   食堂と右に大講堂
大講堂

番外 東光山花山院菩提寺 

かざんいん
2016年7月27日 兵庫県三田市
在位2年で、政争に巻き込まれて謀略にかかり元慶寺で髪を落し19歳で出家した花山法皇は、観音霊場再興の旅の後に、目の前に有馬富士の秀麗な姿を望み、西南に播州平野から明石海峡を一望するこの場所に惹かれ、ここで仏堂修行につくことを決意し余生を過ごした場所がここです。拝観無料。
 

番外 華頂山元慶寺 

がんけいじ
2015年7月23日 京都府京都市山科区
住宅街の中のわかりにくい場所にあるせいか京都市営地下鉄の御陵駅の改札出口には元慶寺までの案内地図が置いてありましたので一部いただいて地図をたよりに約20分ほど歩くと突如として竜宮城の様な唐風の山門が現れます。かつては寺域も広く栄えていたそうですが、応仁の乱による焼失以降、規模が縮小されたようです。本堂には西国霊場の御詠歌の額と百人一首で有名な「天津風 雲の通い路吹きとじよ 乙女の姿 しばしとどめむ」の歌も掲げられていました。これは開基の遍昭僧正の作で、六歌仙の一人として知られています。また、花山天皇即位後まもなく寵愛していた女御が、亡くなり嘆き悲しむ若い天皇をこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられ、兼家の外孫である懐仁親王(一条天皇)が帝位についた(寛和の変)ことから花山寺とも呼ばれ、大鏡では花山寺と記述されています。西国霊場中興の祖である花山帝が出家した寺院としても知られていて、本堂右手にはそれを示す「人皇六拾五代花山院法皇御落飾道場」と彫られた石柱がありました。この事から番外として巡拝に組まれています。拝観無料。
 

第十五番 新那智山今熊野観音寺 

いまくまのかんのんじ
2015年7月23日 京都府京都市東山区
今熊野観音寺は、現在、泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院で泉涌寺の塔頭の一つですが応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺だったといわれています。観音寺は825年頃(平安時代)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創しました。御本尊は、大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を胎内仏として自ら彫刻されたという十一面観音菩薩です。頭痛封じの観音様として有名で後白河上皇が深く信仰され、霊験により持病の頭痛が平癒したので、本寺に「新那智山・今熊野」の名称を与えたそうです。本堂への石段の手前には子護弘法大師像が、お参りの前に大切な子供たちの安寧を祈願出来るように立てられています。拝観無料。
 

第十番 明星山三室戸寺 

みむろとじ
2015年5月12日 京都府宇治市
光仁天皇の勅願で本尊を宇治の離宮(御室)に祀り御室戸寺と号したが、その後、花山、白川と三帝の離宮となったため今の三室戸寺の名になったと言われています。約180年前に建てられた現在の本堂は、重層入母屋造りの重厚な建築。5千坪の庭園は四季折々に彩られツツジ、アジサイ、蓮が咲き誇ります。宇治は古来「菟道」と記され、兎との縁から狛兎ができて兎が抱える玉の中の卵型の石を立てられる願いが叶うと言われています。源氏物語の宇治十帖の舞台としても知られ、主人公・浮舟の石碑が境内の浮舟社という社の跡に立てられています。芭蕉も「山吹や宇治の焙炉(はいろ)のにほふ時」と詠んでいます。拝観500円、駐車場500円。
 
浮舟社
第十四番 長等山園城寺(三井寺)  みいでら
2016年7月26日 滋賀県大津市
近江の名勝、近江八景の一つである「三井の晩鐘」で知られる三井寺に、芭蕉も「三井寺の門たたかばや今日の月」と詠んでします。宇治平等院、神護寺の鐘とともに、その音色から日本三大名鐘と言われ称えられています。かっては東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、僧兵が巨大な力を持ち戦乱期の歴史にも登場する古い歴史と文化、多くの文化財や伝説の残る三井寺です。拝観500円。
仁王門 三井の晩鐘の鐘楼
観音堂 霊泉の闇伽井屋の正面にある伝左甚五郎作の龍
唐院の三重塔

第十三番 石光山石山寺 

いしやまでら
2016年7月27日 滋賀県大津市
聖武天皇の勅願により天平勝宝元年に開基された近江八景「石山の秋月」として有名な寺院で、国内でも類を見ない、いわゆる石山の名の出た巨大な硅灰石(天然記念物)の上に建てられています。国宝の本堂には、紫式部が七日間参篭して湖面に映える十五夜の月を見て「源氏物語」の構想を得たと言う伝承に基づき「源氏の間」が設けられています。拝観600円。
多宝塔(国宝)と硅灰石(天根記念物)
 

第十二番 岩間山正法寺(岩間寺) 

いわまでら
2016年7月27日 滋賀県大津市
養老6年(727年)に元正天皇の大厄の病を法力で治した褒美に建立された「元正天皇勅願」寺院です。往昔は、後白河・後宇多・正親町天皇などの尊崇厚く熊野、吉野に並ぶ日本三大霊場の一つとして隆盛していたそうです。境内にある芭蕉池は、芭蕉が元禄年間に4か月暮らした国分山の草庵で「幻住庵記」を執筆していた頃、岩間寺で詠んだ「古池や蛙飛び込む水の音」に因んだものだそうです。この周辺には芭蕉ゆかりの幻住庵や義仲寺もありますので芭蕉ファンには、たまらない場所です。拝観500円。
元正天皇勅願道場の札が掛かっています。

第十一番 深雪山上醍醐准胝堂(醍醐寺) 

かみだいごじゅんていどう
2015年7月23日 京都府京都市伏見区
貞観16年(874)開山の平安時代から桜の名所として知られ豊臣秀吉が「醍醐の花見」を開いたことでも有名な醍醐寺の一角にあります。醍醐山の山上にある准胝堂は創建してから焼失・再建を繰り返しましたが、平成20年8月お落雷で再び焼失し現在再建中のため山麓の下伽藍にある観音堂に准胝観音菩薩が祀られ第十一番納経所になっています。西大門から入り金堂、不動堂、真如三昧耶堂、鐘楼を経て観音堂に至ります。境内にある国宝の五重塔は、京都府内最古の木造建築物として天歴盛時の姿を今にとどめています。拝観600円。
 国宝の五重塔

第九番 興福寺南円堂 

なんえんどう
2015年5月12日 奈良県奈良市
宿泊した奈良ホテルから徒歩でも10分位のところにある藤原氏の氏寺として栄華を極めた興福寺の境内に南円堂はあります。古都に栄えた大寺ですが、平家による南都焼き討ちなど度重なる火災で創建当時の建物は失われましたが寛政元年頃に、極めて古様な手法を用いて再建され八角円堂では国内でも最大級と言われています。現在の建物は平成8年に解体修理されたものです。拝観無料。
 

第七番 東光山岡寺 (龍蓋寺) 

おかでら
2015年5月10日 奈良県高市郡明日香村
天智天皇の岡宮跡に建立された事から「岡寺」と呼ばれる古刹で、天平12年(740年)の正倉院文書の写経記録に名が残っているほどです。江戸時代までは興福寺の、以降は長谷寺の末寺でした。境内には約三千株のシャクナゲが植えられ丁度見ごろになり鮮やかに彩っていました。拝観300円、駐車場500円。
 
札所巡りは、発願2014年10月1日
出典:西国三十三所札所会発行、「西国三十三所巡礼の旅」三十三所MAPよりの引用

西国三十三観音札所巡りは、2014年秋にはじめてから、足掛け3年で、無事2016年7月に終りました。
                       
舎主          

入口に
和風旅館
結願2016年7月29日

第十六番 音羽山清水寺 

きよみずでら
2015年7月23日 京都府京都市東山区
宝亀9年(778)に夢のお告げを受けた延鎮上人(えんちんしょうにん)が東山・音羽山麓に結んだ草庵を起源とし開創以来、1200有余年の間、幾度もの災害戦災にあいながら、その都度、再建・復興を果たし現在の伽藍(がらん)は、徳川三代将軍家光により寛永10年(1633)に再建されたものです。山の中腹に広がる13万平方mの境内に、国宝、重要文化財を含む15の伽藍が建ち並びます。「清水の舞台から飛び降りる」の語源となった本堂の舞台、音羽の滝などが特に知られています。清水寺は、霊験あらたかな観音霊場として「枕草子」「源氏物語」といった古典文学をはじめ、能狂言や歌舞伎、落語などにも数多く登場するなど、貴族や武士のみならず、庶民にも開かれたお寺として親しまれてきました。拝観料300円。
 
 
音羽の滝

番外 豊山法起院 

ほっきいん
2015年5月10日 奈良県桜井市
長谷寺門前通りの名物草餅を試食しながら下った曲がり角にある小ぶりな寺です。長谷寺で修行中に夢の中で「西国三十三観霊場を創り、広めよ」と告げらた霊場巡拝の開祖であると言われる徳道上人廟所があることから、番外として巡拝に組まれています。拝観無料。
 

第一番 那智山青岸渡寺 

なちさんせいがんとじ
2014年10月1日 和歌山県那智勝浦町
那智山は熊野三山の一つ。一千日(3年間)の那智の滝篭りをされた花山法皇が、永延2年(988年)に御幸されて西国三十三ヶ所第一番札所として定めたとされています。熊野信仰の霊場として長い歴史があり、もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場でしたが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離しました。今も寺と神社は隣接しています。滝は観音様が姿を変えた飛瀧(ひろう)権現として崇められてきました。本堂から下った三重の塔入口付近の境内からは、滝との調和が美しい三重塔と落差133mを誇る那智滝の全景や山を覆う原生林が見渡せます。本堂内陣の売店で西国三十三ヶ所の朱印帖を求めて、いよいよここから西国札所巡りを開始しました。拝観無料。
隣接する熊野那智大社

西国三十三観音は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称です。江戸時代に観音巡礼が広まり、関東の坂東三十三観音や秩父三十四観音と共に、日本百番観音に数えられていますが、これらの霊場を札所とした巡礼の中では日本で最も歴史があります。第一番から第三十三番までの巡礼道は約1000kmであり四国八十八箇所の遍路道約1400kmと比較すれば短いが、京都市内をのぞいて札所間の距離が長いため、現在では全行程を歩き巡礼する人はとても少なく、自家用車や公共交通機関を利用する人がほとんどです。私も今回、熊野三山・古道巡りにで来た機会に坂東、秩父を終えていますので百観音の最後の仕上げに西国三十三観音札所巡りを始めました。最初に一番札所の青岸渡寺で納経帖 (\1500)を求めて巡礼旅の開始です。

本堂と縁結びの柳

第三十二番 繖山観音正寺 

かんのんしょうじ
2016年7月29日 滋賀県近江八幡市

歴史の町・安土にある高さ433mの繖山(きぬがさやま)には戦国大名の佐々木六角氏の居城、観音寺城があり、観音正寺は六角氏の庇護を得て栄えましたが、永禄11年(1568)城は織田信長に攻められて落城、その後寺も焼き討ちにあい慶長年間に再興されました。観音正寺は推古天皇13年(605年)、聖徳太子の開山と伝えられる古刹です。寺に至る険しい山道は、西国札所中最大の難所と言われてきたが林道が開通して楽に参拝できるようになりました。拝観500円

白檀で造られた千手千眼観音 
 
 

第三十一番 姨綺耶山長命寺 

ちょうめいじ
2016年7月29日 滋賀県近江八幡市

かっての巡礼者は、竹生島から湖上を船でここに来たと言われていますが、今では808段の長い石段が続く寺への参道をのぼります。景行天皇に仕えた武内宿祢(たけのうちすくね)が、当山に登った時に、柳の大木に「寿命長遠諸願成就」の文字を刻んだ御利益で、300年もの長寿をし、6代の天皇に仕えた伝説がありました。その後ここを訪れた聖徳太子が自ら千手十一面聖観音三尊を彫って伽藍を建立し長命寺と名付けたのが創建の物語だそうです。本堂は単層入母屋造り、桧皮葺屋根に総朱塗の美しい建物です。湖畔に建つ境内からは琵琶湖の風景が望めます。拝観無料

 
   

第三十番 巌金山宝厳寺 

ほうごんじ
2016年7月29日 滋賀県長浜市

琵琶湖の湖岸から約6Kmの沖合に浮かぶ周囲約2Kmの竹生(ちくぶ)島は琵琶湖八景「竹生島の沈影」でも知られ、昔から神の棲む島として、また日本三大弁財天(江ノ島、厳島)の一つに数えられる霊地としても知られている島です。寺の歴史は、聖武天皇が夢枕に天照大神から、ここに寺院を建立せよとお告げを授かったことから。勅命を受けた行基は、島に渡り、まず弁財天像と千手観音像を彫り祀ったのが寺の興りとされています。千手観音が祀られている観音堂と観音堂と、その玄関にあたる国宝の唐門は、豊臣秀吉の遺命で豊国廟から移築された桃山時代を代表する遺構ですが、ちょうど改修工事のために覆われて外観は見ることが出来ませんでしたが、内部の工事が始まる前でしたので細部に施された彫刻の素晴らしさは見ることが出来ました。長浜港から船で30分、船着場を出て土産物屋の通りを過ぎると、167段の急な石段を上ると弁財天堂につきます。修験道場として栄え、最澄や空海をはじめ。多くの名僧が、ここを訪れています。入山料400円、長浜港から琵琶湖汽船乗船料・往復3070円

 
弁財天堂   
観音堂   国宝の唐門破風
唐門内の装飾   都久夫須麻神社
国宝の船廊下   

第二十九番 青葉山松尾寺 

まつのおでら
2016年7月28日 京都府舞鶴市

京都と福井の府県境にそびえ「若狭富士」とも呼ばれる青葉山の中腹にある古寺です。寺伝によると、開基は唐の威光上人で青葉山が中国の霊山、馬耳山に似ていることから入山した上人が松の大木の下で経を唱えると馬頭観音が現れたと言う。そこで和同元年(708年)、ここに庵を営んだ事が寺の始まりとされ、寺号は松の木にちなむと言う。渡来僧による創建のためか本堂は珍しい宝形造りで、向拝には唐破風です。。拝観無料

 

第八番 豊山長谷寺 

はせでら
2015年5月10日 奈良県桜井市
訪問時には、牡丹祭りと本尊大観音尊像特別拝観がちょうど行われていました。仁王門から本堂まで長さ200m、399段の登楼が続き、その両脇には約7000株の牡丹が咲き誇り、花の寺として有名です。木造建築建築物としては東大寺大仏殿、吉野山蔵王堂に次ぐ規模と言われる本堂は国宝に指定され、舞台からは境内に建ち並ぶ堂舎や、万葉にも詠われた初瀬の地を見渡す事が出来ます。本尊の十一面観音菩薩像は像高10mで室町時代に立てられたものです。拝観500円、駐車場500円。
 

第六番 壺阪山南法華寺 (壺阪寺

つぼさかでら
2015年5月10日 奈良県高市郡高取町
「続日本紀」や「枕草子」に登場する古刹ですが、盲目の夫とその妻の沢市・お里の夫婦愛を描いた人形浄瑠璃「壺阪霊験記」で眼病平癒の霊験あらたかな観音様として広く知られるようになった。この寺がインドで続けるハンセン病患者救済活動の縁でインドから招来された高さ20mの大観音像や多くの巨石仏が境内に安置されています。拝観600円、駐車場500円。

第五番 紫雲山葛井寺 

ふじいでら
2015年5月12日 大阪府藤井寺市
七世紀の中頃に百済から渡来した葛井氏の氏寺として創建され、聖武天皇の勅願により大伽藍が建立されたと伝えられています。庶民の寺らしく、厄除け、眼病平癒の願掛け、安産祈願と信仰は人様々です。豊臣秀頼建立の四脚門は国の重要文化財に指定されています。拝観無料、駐車場500円。
 
国指定重要文化の四脚門

第四番 槇尾山施福寺 (槇尾寺)

せふくじ
2015年5月11日 大阪府和泉市
仁王門から長い石段を進むと弘法大師・空海が20歳の時に剃髪得度したと伝えられる愛染堂にやっとたどり着きます。更に148段登るとやっと本堂が見えてきます。槇尾山の山腹485mにありますので、西国札所の中でも屈指の難所ですが、境内から金剛・葛城連峰の眺望が楽しめることで一息つけます。もちろん下りは楽チンです。拝観無料、駐車場無料。
 
金剛・葛城連峰の眺望

第三番 風猛山粉河寺 

こかわでら
2015年5月11日 和歌山県紀の川市
大門から中門に続く石畳の右手に寺号の由来になった粉河が流れ、「風猛山」の扁額のかかる中門をくぐると桃山時代作の豪壮な石組とサツキが美しい蓬莱庭園が目に入ります。重層八棟造の本堂は西国札所の中でも最大で重厚な屋根の造が威容を誇っています。拝観無料、駐車場500円。
 
石出現池と伝説の童男行者の像

第二番 紀三井山金剛宝寺護国院 

きみいでら
2015年5月11日 和歌山県和歌山市
今年(2015年)は高野山開創1200年にあたり特別行事があり訪問した機会に、近くにある紀三井寺から。西国札所巡りを再開しました。安土桃山期に建立された楼門を入ると江戸時代の豪商・紀伊国屋文左衛門と妻が出会い結ばれた坂であるいわれから結縁坂とよばれる231段の石段を登りきると本堂を始めとして多宝塔、鐘楼、六角堂、仏殿が配置されています。仏殿には総漆金箔の寄木立像としては日本最大の高さ12mの観音様が光々しく後光に包まれて安置されています。ここからは、風光明媚な和歌の浦の眺望が楽しめます。早咲きの桜の名所としても知られており近畿の春は「紀三井寺」の名を聞かないと始まらないそうです。山内にある約600本の桜が春を告げるそうで、境内の随所には桜を詠んだ句碑が多くあります。芭蕉も「見上ぐれば桜しもうで紀三井寺」と詠んでいます。拝観200円、駐車場300円。
 
参考にしたのは山と渓谷社発行の改訂版「西国三十三ヵ所を歩く旅」\1728です。ページの最後にも2017年10月29日付朝日新聞記事 文化の扉「西国三十三所 慈悲の旅」も掲載しました。

出典:2017年10月29日 朝日新聞記事 文化の扉「西国三十三所 慈悲の旅」

唐門内の装飾
本堂
和歌の浦の眺望
舞台造りの摩尼殿
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