羽田発8:00のJAL573便で、とかち帯広空港9:30到着後、観光を開始です。今日は、旧国鉄士幌線幌加駅跡、タウシュベツ川橋梁を巡ります。
新湊大橋と立山連峰
みんなの地球
生命の樹
銀河鉄道 レインボーマジック
2023年12月07日
あしかがフラワーパーク 栃木県足利市
フェリーから西郷港を望む
今治港に着岸
旅日記2023年
今年で22回目の開催となり、100,000m2の園内を500万球以上のイルミネーションで彩る「光の花の庭」は、日本でも屈指の規模を誇り夜景観光士が選ぶイルミネーションランキングでは2017年~2022年の間、7年連続でなんと全国1位を受賞しました。日本三大イルミネーションとして北海道「さっぽろホワイトイルミネーション」、長崎県「ハウステンボス光の王国」と共に選ばれていますので行って来ました。
2023年7月11日~13日
奥越後・奥信州 新潟県越後湯沢町・妙高市、長野県白馬村
2023年2月7日~9日
富山・白川郷・高山・魚津・金沢 富山県・岐阜県・石川県
西院伽藍の正門に当たる中門
法隆寺
聖徳太子は、斑鳩の里に亡き父用明天皇のため寺の造立を発願され、推古15年(607)ごろに完成したのが法隆寺です。「日本書紀」によると天智9年(670)、一屋余す事無く焼失したと記されています。しかし間もなく再建が進められ、遅くとも奈良時代の初頭までには飛鳥時代の様式で中心伽藍が復興され、やがて旧にも増した寺観が整えられたのが、世界最古の木造建築群として知られる現在の西院伽藍です。 一方、斑鳩宮は、荒廃にまかせるままになっているのを嘆かれた奈良時代の高僧行信僧都が、天平11年(739)ごろ、太子の菩提を願って宮跡に建立されたのが夢殿で、これを中心とした建築群が東院伽藍です。
本町通り
白エビ釜飯と蛍イカしゃぶしゃぶ
フェリーから中ノ島を望む
中ノ島・菱浦港

2日目(3月06日)

南大門は、参道に建つ高さ25m正門で鎌倉時代に金剛力士像と共に再建されたものです。
今日の観光を終えて奈良市内に進みJR奈良駅前のダイワロイヤルホテルに2泊します。
眼下に見える駿河湾
慶安3年(1650)建立の舞台造の本堂
2023年01月24日~26日
奈良 奈良市・宇陀市・桜井市・斑鳩町・橿原市

1日目(7月11日)

湯沢町
湯沢町は日本アルプスのリゾートタウンで、多数の温泉とスキー場があることで知られています。越後湯沢駅にある越後のお酒ミュージアムぽんしゅ館は、利き酒や酒風呂が体験できる日本酒の博物館です。
3年かけて育てた岩ガキやサザエの昼食
2023年3月23日~25日
隠岐諸島
島根県隠岐郡隠岐の島町・西ノ島町
瀬戸内海には島が全部で727島ありますが、のどかな島々を結ぶ海の道の「安芸灘とびしま海道」と「しまなみ海道」を利用して瀬戸内海の14島を巡って来ました。
拝殿
NHK大河ドラマ「どうする家康」にちなんで静岡県にある久能山東照宮に行きながら途中の清水エスパルスドリームプラザ、三保の松原に立ち寄って来ました。
五重塔と中門、護摩堂
全ての観光を終えて岡山空港発16:10のANA658便で羽田空港に向かい、その後帰宅です。
南大門
大原美術館・新渓園の雛飾り
昭和56年(1981)再建された西塔
薬師寺創建当初から唯一現存する・東塔
南門
倉敷美観地区
江戸時代初期の寛永19年(1642)、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区に設けられ、以来備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持ち、倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並みをよく残しています。また、1930年(昭和5年)に建てられた日本最初の西洋美術館大原美術館や1888年(明治21年)に代官所跡地に建てられた旧倉敷紡績工場の建物を改修・再利用した観光施設倉敷アイビースクエア等も当地区を代表する建築物です。重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。山陽・山陰旅の2010年3月以来の再訪です。
国営平城宮跡歴史公園は、「古都奈良の歴史的・文化的景観の中で、平城宮跡の保存と活用を通じて、“奈良時代を今に感じる”空間を目指して、2008年(平成20年)から公園整備を進めています。多岐にわたる復原整備事業の中でも、ひときわ目を引くのが朱雀門、第一次大極殿、大極門などの復原建造物です。復原にあたっては、古代建築の伝統技能を継承する様々な分野の多数の工匠の技・経験・知識が活かされています。130haの敷地のほとんどは草原の野外歴史博物館として楽しめます。
郵便ポストもオリーブ色
開山御廟への道
約300年ぶりに再建された中金堂
清浄門
直会殿と幣殿南門の間にある柏槙と大杉
高瀬ダム湖
オジロワシ
五重塔と僧宝蔵
多宝塔
車窓から雨晴海岸で見えなかった3000メートル級の立山連峰が旅の終わりに見えました
直会殿と幣殿
南門は12mある春日大社だで最大の門
上から見た高瀬ダム
センダイハギ
クロユリ
島後の西郷港
日光東照宮・陽明門を模して造られた孝養門
本堂
直会殿と幣殿
キタキツネ
モーモードーム(牛突き)
承久の乱(1221年)で隠岐に配流となった後鳥羽上皇をお慰めするために行われたと伝えられ、800年近くの伝統と誇り、日本最古の歴史を持ちます。西郷港から車で10分ほど離れたところにある牛突き場。2歳から7歳の和牛は横綱クラスになると体重1000Kgを超える貫禄で、角と角を突き合わせてぶつかり合う姿は迫力満点です。本場所大会は年に5回。闘争心を失って逃げ出した方が負けだが、勝敗をつけない「観光牛突き」が不定期に開催されています。
のどぐろ釜飯茶漬
若宮本殿
高瀬ダム
下から見た高瀬ダム
エゾカンゾウ
僧宝蔵
法宝蔵
本朱の社と鉛丹の鳥居
ワタスゲ
二の鳥居を入って直ぐにある伏鹿手水所から若宮本殿に向かいます。
二月堂
長野県の白馬村にある白馬岩岳は、四季を通じた雄大な景色の中で、様々なアクティビティが楽しめるマウンテンリゾートです。2018年、長野県白馬村の白馬岩岳の山頂(1289m)に、最高の眺望を誇る「HAKUBA MOUNTAIN HARBOR(白馬マウンテンハーバー)」がオープンしました。白馬岩岳ゴンドラリフト「ノア」山麓駅から約6分、白馬三山(白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳)を正面に見据え、南北に広がる北アルプスを一望できるテラスです。白馬岩岳は、知る人ぞ知る眺望スポットで、山頂から見渡せる360度のパノラマビューはどの季節に訪れても素晴らしいものです。また、晴れた日に見られる美しい白馬の山々こそが最大の魅力ですが、曇りの日だからこそ体験できる「雲の海の中にたたずむHARBOR(港)でのひと時」もなかなか趣き深いものです。

3日目(6月14日)

今日は、宿泊先の釧路プリンスホテルの近くにある和商市場で朝から本場の勝手丼を頂いた後に根室本線(花咲線)に乗車して、浜中駅と厚岸駅間にある別寒辺牛湿原の絶景を車窓から観光します。その後、霧多布湿原を巡り帰宅の途に就きます。
和商市場
由良比女(ゆらひめ)神社
隠岐郡西ノ島町浦郷にある平安時代に「隠岐国一宮」に定められた古社で、隠岐四大社のひとつです。由良比女命が海を渡っていた際、海にひたした手にイカが噛み付き、そのお詫びとして毎年イカの大群が神社の前の浜に打ち寄せたという「イカ寄せ伝説」の舞台ともなっています。現在はそうした現象はあまり見られなくなったが、かつては実際にイカの群れが大量に浜に打ち寄せたといい、浜の番小屋などにその名残が見受けられます。
大三島は、しまなみ海道沿いの6島で最大の島です。大山祇(おおやまづみ)神社は、愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社。伊予国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある山祇神社の総本社です。また、主祭神の大山祇神は「三島大明神」とも称され、ここから勧請したとする三島神社は四国を中心に新潟県や北海道まで分布しています。境内には樹齢約2600年と伝わる御神木が立っています。
若者で賑わう「飛騨牛のにぎり寿司」店
全国で唯一現存する高山陣屋
国宝の金銅八角灯籠
大仏殿(金堂)高さ約50m
ナイタイ高原牧場
「ナイタイ川」をアイヌ語で“ナイ・エタィエ・ペッ”と言い、「奥の深い沢」という意味と言われています。高原牧場は国営事業によって昭和47年に完成した日本一広い、総面積約1,700ha(東京ドーム358個分)の公共牧場です。ナイタイ高原牧場は、乳牛の6ヶ月以上の低月齢牛を飼い主より預かり育成し、授精させ妊娠牛として分娩間近くなってから飼い主に戻すという、育成牛預託専門の牧場です。夏場は広大な草地で放牧し、冬は7棟ある畜舎で飼育します。ナイタイテラスi展望台は牧場の最上部、標高約800mの高さにあり、牧場全体や十勝平野、遠くは阿寒の山並みが一望でき、四季折々の牧場の緑のじゅうたんと、十勝平野に広がる畑のパッチワークのカラフルさが楽しめますが、今日は、あいにくの霧雨でダメでした。
大仏殿から眺めた中門
拝殿手前側の下の敷石には平成24年の龍(辰)年に、龍の姿が浮かび上がってきたと紹介されています。乾いていると見えづらいですが、敷石に赤い目の龍が浮かび上がっています。
鯨波駅前の海岸
中ノ島・菱浦港
西ノ島・別府港
今日は、宿泊した今治国際ホテルから「瀬戸内しまなみ海道」を通って観光しながら広島県尾道に出て、山陽自動車道で新岡山港からフェリーで小豆島に向かいます。今治市は、今治市と尾道市を結ぶしまなみ海道があり四国側の入口で、、愛媛県・四国地方を代表する工業都市のひとつでもあり、特に造船・タオルの地場生産が盛んです。
本通り沿いの家
中門と鏡池
今朝は、昨夜の降雪で市内は薄っすら銀世界です。奈良公園周辺を観光しますが、一般的に理解されている奈良公園は660万m2の広大な地域にまたがり、貴重な歴史的文化遺産を包蔵する春日大社、興福寺、東大寺、国立博物館、正倉院等々と、これらをとりまく雄大で豊かな緑の自然美が調和して、他に類例のない歴史公園とも称される奈良のシンボル的な公園です。
越後ゆきくら館(玉川酒造)
越後須原駅の近くにある、1673年から酒造りが続いている歴史の古さは新潟でも三本の指に入ると言われている玉川酒蔵は、豪雪地ならではの雪を特殊なシートで覆い利用した天然の冷蔵庫「ゆきくら」で、年間を通して大吟醸を低温貯蔵しているそうです。酒蔵、酒造りが見学でき、館内には試飲コーナーもありましたので御馳走になってきました。上越線浦佐駅前には田中角栄・元首相の銅像がありました。
西郷港の「水木しげる」の妖怪モニュメント
法印墓
JR只見線
新潟県魚沼市の小出駅から福島県会津若松市の会津若松駅を結ぶ路線全長約135Kmの路線。絶景の秘境路線であり、車窓からは魚沼の特産コシヒカリの田園風景や、民話「弥三郎ばさ」で知られる権現堂山、破間川の渓谷を楽しむことができます。只見線は車窓からの景色だけでなく、その絶景と只見線を一緒に望むことが出来ます。絶景を撮影しようと全国各地から多くのカメラマンが訪れます。越後須原駅から乗車して入広瀬駅を出て、柿ノ木駅跡を過ぎると左手には真っ赤なスノーシェッドと渓谷の絶景が現れるのを見て大白川駅で下車しました。
湖底線路
訪れた人の多くは、「ジブリ映画の千と千尋の神隠しのワンシーンに似ている」と言葉を添えてフォトジェニックな湖に消える線路の幻想的な写真をSNSに投稿していますが、この線路は、湖底の神殿や湖に沈んだ都には通じておらず、その正体は、船の引き上げ用のレールです。然別湖は、冬になると凍結してしまうので、遊覧船を陸にあげるための台車のレールなのだそうです。

2日目(6月13日)

今日は、然別湖、十勝白樺並木、ナイタイ高原牧場、釧路湿原を巡ります。

2日目(3月05日)

今日は、島後の西郷港からフェリーで西ノ島・別府港に渡り、西ノ島を観光します。

大崎下島と平羅島の間には、ひとびしま海道では唯一の斜張橋で長さは最短の98mの平羅橋が、中の島(広島県)と岡村島(愛媛県)の県境にはアーチ橋の岡村大橋が架かっています。
眼下に見える清水港、伊豆半島、富士山
7000株ある牡丹
せせらぎ公園
であい橋
金のなる木
奥の院・御影堂
御社殿
日本武尊社
宝玉稲荷神社
条件が合った時の景観(参考)
蒲刈島御番所跡
高岡市の鋳物メーカー『能作(のうさく)』の本社工場・産業観光施設です壁に展示されているのは、鋳物の木型
地元の銅器製造技術の粋を集め、1907年より26年の歳月をかけて完成したものです。高さ15m。奈良の大仏と鎌倉の大仏に次ぐ日本三大仏のひとつ
高岡市の大佛寺にある青銅製阿弥陀如来坐像「高岡大仏」
国宝の五重塔
久能山は推古天皇の時代に久能忠仁より開山され補陀落山久能寺として栄えました。戦国時代には武田信玄により城砦が築かれ、後に久能山城は徳川の所有となりました。
三代目の「羽衣の松」
二代目の「羽衣の松」の残幹
秩父神社
知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が祖神(神として祭る祖先)である八意志兼命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったことに始まり、鎮座2100年以上のとても歴史ある秩父地方の総鎮守です。日本三大曳山祭り(京都祇園祭、飛騨高山祭)のひとつとして有名な、秩父夜祭りは秩父神社の12月の例大祭ですが、たまたま訪れた今日は、夏まつりの川瀬祭でした。社殿は天正20年(1592)に徳川家康が寄進した権現造(ごんげんづくり)と言われる建築様式で、鮮やかな色の彫刻が施された豪華な作りが特徴です。社殿の周りには日光東照宮の三猿の作者として有名な左甚五郎(ひだりじんごろう)によって様々な彫刻が施されています。神が降り立つといわれている「神降石」や、日光東照宮の猿と対照的な「見て、聞いて、話す」元気者として親しまれる「お元気三猿」など見どころたくさんあります。
下蒲刈島・三之瀬地区と蒲刈大橋
万葉集に「渋谿(しぶたに)」と詠まれた雨晴海岸(あまはらしかいがん)は、岩礁多く白砂青松の景勝の地で日本の渚百選の一つにも選ばれており、天候に恵まれれば富山湾越しに3000メートル級の立山連峰を望むことができますが、今日の午後はダメでした。「義経岩(よしつねいわ)」は、文治3年(1187)源義経が奥州へ落ち延びる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという岩で、地名「雨晴(あまはらし)」の由来となっています。また、この景色は、松尾芭蕉が『おくのほそ道』に詠んだ由緒地であり、女岩と義経岩は「おくのほそ道の風景地」ー有磯海ーとして名勝に指定されています。
岩畳

1日目(3月05日)

幸福駅は旧国鉄広尾線に、1956年(昭和31年)に開設し、1987年(昭和62年)に広尾線廃線とともに廃止となった駅です。1973年(昭和48年)3月、NHKのテレビ番組『新日本紀行』で『幸福への旅〜帯広〜』として紹介されたのをきっかけに、愛国駅から幸福駅行きの切符が「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズとともに一大ブームになりました。再建された駅舎、板張りのプラットホーム、ディーゼルカー2両が当時の面影を残しながら展示されています。
羽田発10:30のJAL113便で、隠岐諸島最大の島・島後へ大阪(伊丹空港)から飛行機の直行便が出ていますので伊丹空港乗り継ぎで13:40発JAL2331便で隠岐空港へ向かいますが濃霧で地上視認が出来ない為、上空待機と2度目の着陸で、ようやく到着。先ずは島後(隠岐の島町)の観光です。
呉市南部の瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の一部である下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島、平羅島、中の島、岡村島の七島が橋で結ばれており、庭園をわたる飛石(とびいし)にたとえて名付けられた「安芸灘とびしま海道」。快適なドライブコースとして人気があります。現在は漁業やミカン、レモンなどのかんきつ類の生産が盛んなのどかな島々ですが、かつては瀬戸内海交易の中継地となったところ。朝鮮通信使や参勤交代大名の寄港地として栄えた下蒲刈島「三之瀬地区」、大崎下島にある「御手洗地区」は江戸時代、北前船や幕府の交易船の寄港地として栄えた港町。広島藩公認の花街もあったほどで、重要伝統的建造物群保存地区に指定された格子戸が並ぶ古い街並みが残っています。
新湊フィッシャーマンズワーフ「新湊きっときと市場」は“富山湾の宝石”と称される白エビをはじめ、「高志の紅ガニ」のブランドを付けられた富山湾のベニズワイガニ、ほたるいか、ブリ、ズワイガニ、バイガイなど新湊漁港で獲れたての海の幸が豊富に提供できる 海鮮市場です。新湊漁港で水揚げされたばかりの高志の紅ガニ(ベニズワイガニ)を巨窯で茹で上げたのを頂きました。
鉢巻石に合格祈願を書いて羽車神社に奉納
湯沢高原ロープウェイ
越後湯沢の温泉街から徒歩圏内にあるのが、アルプの里までを約7分でつなぐ「湯沢高原ロープウェイ」です。全長1300m、世界最大級166人乗りのキャパシティーを誇り、山頂までは、眼下に越後湯沢の町並みを一望し、雄大な山々の景観を大パノラマを楽しめます。山頂パノラマステーション前には湯沢の雄大な山脈を見渡す雲の上のカフェやコキアの群生が楽しめます。高山植物園アルプの里では、大小様々の岩で作り挙げられた岩のお花畑には2500m級の高山でしか見ることが出来ない希少な高山植物がシーズンを通して200種以上咲き乱れます。花を観賞したり、自然を満喫できます。
かぶら杉
樹齢は約600年といわれ、樹高約38.5m、根本付近から6本の幹に分岐している杉の巨木。
生口島の向上寺は瀬戸田港北側,瀬戸田水道を一望できる小高い丘の上にある室町時代に始まる禅宗寺院で,生口氏も水軍を擁し、戦乱期には村上水軍と共に戦った間柄である。向上寺は、その生口氏が1403年に創建。永享4年(1432)建立の三重塔は国宝です
金太郎温泉は北陸自動車に沿った魚津市の市街地にあるスーパー温泉旅館。自慢は全国各地から集めた奇石や銘石を積み上げて立山連峰をイメージした「立山連峰パノラマ大浴殿」。内湯にいながら、まるで雄大な自然を目の前にしているような光景が魅力です。また四国を中心に集めた銘石を庭園のように配置した「庭園大露天風呂」も特徴的で、季節の移ろいと共に四季それぞれの風景を楽しみながらリラックスすることができる温泉です。

屋根のシビ・高さ3m
ヒメカイウ
カキツバタ
通天橋はアーチ状の架け橋
亀老山展望公園
大島の南端に位置する亀老山の頂上(標高307.8m)にある展望公園。眺望はしまなみ海道随一と言われ、世界初三連吊橋「来島海峡大橋」と日本三大急潮のひとつ「来島海峡」の潮流、天気が良ければ西日本最高峰の石鎚山まで見渡すことができます。また、海に沈む夕日や指定の日にはライトアップされた来島海峡大橋を望むこともでき、時間を問わず景観を楽しめ場所です。建築家の隈研吾氏設計として知られるパノラマ展望台ブリッジは建物自体を地中に配し、その上に樹木を植えるなど自然景観を守るために外からは見えない造りになっていて、展望できる景色だけでなく、その複雑なデザインも建築界から高い評価を得ています。また「亀老山山頂から望む来島海峡」は四国八十八景に選定されています。
高山市政記念館
大仏殿のくぐり穴
大仏の背後の光背
帰りは交通渋滞を避けるために滝沢ダムの横の国道140号線(彩甲斐街道)で雁坂トンネルを越えて山梨県甲州市勝沼から中央道に出て帰宅しました。
高浪の池
新潟県糸魚川市、標高約540mの白馬山麓国民休養地内にある「高浪の池」。深さ約13m、1年中満々と水を湛える美しい高原の池です。この池は、過去の大きな地滑りによってできたと言われている天然の池です。春は新緑、秋は紅葉と季節によって違う表情が楽しめ、背後にそびえる明星山の大岩壁は、何度見ても心を奪われます。明星山の大岩壁は約3億年前のサンゴ礁が変化したもので、多くの化石を含んでいます。大岩壁の下では、小滝川の清流に洗われたヒスイが観察できることでも有名です。豊かな自然が残るこの池では、巨大魚の目撃が相次いでおり「浪太郎(なみたろう)」、「翠(みどり)」の愛称で親しまれています。

3日目(7月13日)

青海川駅
宿泊した「ロッテアライリゾート・ホテル」
今日は,、糸魚川から国道148号線沿いに進んで小滝川ヒスイ峡近くにある高浪の池を散策してから白馬岩岳ゴンドラリフトで山頂テラスに登ります。その後再び148号線を南下して大町にある高瀬渓谷を観光をした後、JR中央本線・松本駅から帰宅します。
釧路湿原・温根内ビジターセンターを起点とする約1時間で1周できる温根内木道には、湿原の動植物などを紹介する解説板が設置され、ヨシ・スゲ湿原やミズゴケ湿原、ハンノキ林など様々な表情を持つ湿原を見ることができます。季節ごとにヒメカイウ、カキツバタ、ハマナスなど多くの花々を見ることができるほか、1年を通して様々な野鳥が訪れます。バリアフリー木道を利用すると約40分で1周できます。
ヨシ・スゲ湿原
瀬戸内海に浮かぶ島々を7つの橋で結んだ「瀬戸内しまなみ海道」は、広島県尾道市の尾道福山自動車道西瀬戸尾道ICを起点として、向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島などの島々を橋で結んで愛媛県今治市の今治ICに至る、延長59.4Kmの幹線道路である西瀬戸自動車道の愛称です。本州四国連絡道路の3ルートのうち、西に位置する尾道・今治ルートを成す高速道路です。四国周遊の2010年2月以来2度目の利用です。
今治国際ホテル
亀老山展望公園からの今治市街
岐阜県北部に位置する高山市は、飛騨地方の中心地であることから飛騨高山と呼ばれる人気の観光地です。三町筋一帯は「古い町並」とも呼ばれ、江戸時代の城下町の雰囲気を残す人気エリアです。建物は江戸後期から明治初期のものが数多く残っています。 古い出格子や小庇はこの地方独特のもので、統一感のある美しい街並みです。黒くがっしりとした造りの町屋が立ち並び、まるでタイムスリップをした気分に。杉の葉を丸くまとめた「酒ばやし」を軒下に吊るした酒造や味噌店、町屋を利用した土産物屋や雑貨店、カフェ、レストランが立ち並ぶ通りは散策にもぴったりです、飛騨牛のにぎり寿司といった、高山名物も見つけられます。
大正13年(1911)に再建された本坊
愛媛県の岡村島の港は潮待ち港として知られ、弘法大師や菅原道真が中国に渡る際に立ち寄ったとされています。岡村港からはフェリー「せきぜん二号」で約22Km離れた愛媛県今治港へ瀬戸内しまなみ海道の来島海峡大橋の下を通って向かいます。
岡村港からのフェリー「せきぜん二号」
荻町城跡展望台からの荻町合掌造り集落全景
2023年の国内の旅の中から、印象深いお気に入りの景観などを紹介していきます。
フラワーキャッスル
今回は,、東京駅から北陸新幹線で越後湯沢に進んで六日町周辺の奥越後を観光をしながら奥只見湖を経てJR只見線、信越本線の一部を乗車して妙高高原、高浪の池、奥信州の白馬マウンテン・ハーバー、高瀬渓谷を観光をして松本駅から中央本線で戻る旅です。
2023年3月5日~7日
瀬戸内、とびしま海道・しまなみ海道巡り
広島県呉市、愛媛県今治市
今回は、北陸新幹線を利用して北陸のグルメ旅です。
2023年2月3日
三保の松原・日本平・久能山東照宮 静岡県静岡市清水区・駿河区
薬師寺
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、 その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。

ギネス認定の世界一狭い土渕海峡、最小幅9.93m
映画「二十四の瞳」記念碑

3日目(1月26日)

興福寺
法相宗の大本山である興福寺。その前身である「山階寺(やましなでら)」は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、和銅3年(710)、平城遷都の際、藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。藤原氏と共に大いに栄え最盛期には寺の建物の数が175もあった大寺です。有名な五重塔を始め、東金堂、約300年ぶりに再建された中金堂、阿修羅像などを安置する国宝館があり、薪御能や節分の鬼追いなど、古来の日本文化を伝える行事も多く残ります。
東大寺29(神亀5)年、聖武天皇が早世した皇太子供養のため建立した金鐘寺が始まりという東大寺。743(天平5)年、聖武天皇の大仏建立の詔により造られた「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とする東大寺ですが、その大仏を安置するのが大仏殿(金堂)です。奈良時代に創建されてから治承と永禄の二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代に公慶(こうけい)上人によって再建された。ただ天平・鎌倉の大仏殿は桁行11間(約88m)で今の1.5倍あったが、財政困難の理由で7間に規模が縮小された。それでも高さや奥行は創建時のままで、世界最大級の木造建造物で大仏とともに国宝に指定されています。
田中角栄・元首相の銅像
十勝牧場の白樺並木
道道133号から場内に通じる1.3Kmも続く並木道は美しい風景で訪れる人の目を楽しませてくれます。、朝のNHK連続ドラマ小説「マッサン」のロケや映画などでも使われた絶景で、音更町の「美林」にも指定されているほどです。多くのテレビドラマや映画のロケなどにも使われたことがあり、牧場内の高台にある展望台からは、周囲に広がる清々しい牧草地や十勝の雄大な山々の景色を望むことができ、北海道ならではの広大な大自然を満喫することができます。

2日目(1月25日)

隋身門に背を向けると秩父盆地を一望できる遥拝殿への階段があります。
境内入り口の三ツ鳥居をくぐって200mくらい進んで左に曲がるとあるのが、1691年に建立された隋身門です。
ホテルからの西郷港を望む
本堂から眺める五重塔
明善寺
明善寺鐘楼門
仁王門
神楽殿
越後湯沢駅より徒歩圏にある「湯沢東映ホテル」
隠岐古典相撲の奉納土俵
隠岐造りの本殿
1806年に伊能忠敬が滞在した旧柴屋住宅
お茶屋(遊郭)の若胡子屋跡
町年寄の旧金子家住宅

2日目(2月08日)

今日は、東海北陸自動車道を南下して岐阜県の白川郷と高山市を観光します。
日本の原風景である農村文化・生活・暮らしを深く感じることができる「日本の故郷」のような美しい景観をなすこの合掌造り集落が評価され、1976年に重要伝統的建造物群保存地区として選定され、さらに1995年には五箇山(富山県)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。近年では、世界遺産に登録されたことで知名度が増し、また交通網の整備により国内外から毎年多くの観光客が訪れています。
御社殿(権現造)
御社殿の「司馬温公の甕割り」の彫刻
登廊は仁王門と本堂を結ぶ399段の階段
奥只見湖
新潟県魚沼市にある高さ157m、全長480mの直線重力式コンクリートダムで、貯水量6億tを超える、日本屈指の巨大人造湖です。この貯水量は、東京都の小河内ダムや富山県の黒部ダムの約3倍に相当します。阿賀野川水系只見川に作られた一般水力では、国内最大の56万KWを誇り、発電された電気は約75%が東京電力に、25%が東北電力に売電されます。只見川上流部にある荒沢岳・越後駒ヶ岳・平ヶ岳など2000m級高山に囲まれた盆地で、屈指の景勝地としても知られています。銀山平から外輪船のファンタジア号で遊覧です。
長谷寺
奈良県桜井市にある「長谷寺」。686年創建の、真言宗豊山派の総本山です。西国三十三所観音霊場の第8番札所として古くから観音信仰の聖地であり、約10mもの高さを誇る日本最大の木造・十一面観音像を本尊としています。道明上人が、天武天皇のために銅板法華説相図を、西の岡に安置したことが始まりと伝えられ、平安時代には貴族の初瀬詣で、江戸時代には徳川家の崇敬を集め栄えました。舞台造の本堂は、徳川家光により再建されました。仁王門を抜け、本堂へと続く登廊は399段に渡る石段になっており、天井には楕円形の灯籠が吊られています。境内では四季を通じて、牡丹や桜などさまざまな美しい花々が咲くことから「花の御寺(みでら)」としても知られています。
キバナ藤のトンネル
光のピラミッド
日本の四季
途中のアーチが落ちた橋梁
楼門、第108代後水尾(ごみずのお)天皇の宸筆「東照大権現」の扁額が掲げてある為、「勅額御門(ちょくがくごもん)」とも言われています。 中央の蟇股(かえるまた)に獏(ばく)の彫刻があります。
仁王門
安芸灘大橋
奈良の都は、約1300年前の710年(和銅三年)飛鳥藤原宮から平城京に遷都し、山城国長岡に移るまで74年間国政を司り、華やかな天平文化が育み栄えました。京都遷都まで日本の中心だった奈良・大和には、壮大な都の跡や古墳、古社寺が点在し、奈良の中心には東大寺や興福寺、春日大社、西ノ京とよばれる地には薬師寺や唐招提寺、斑鳩には法隆寺、大和の地には長谷寺、談山神社など、歴代王朝の栄華の軌跡をたどることができます。また、古くから桜の名所として名高い吉野山、全山燃え立つツツジに覆われる葛城山など、美しい自然の景観にも恵まれ、各地に万葉集の歌碑も数多く残されています。1998年に古都奈良の文化財が世界遺産に登録されて今年は25周年記念の年なので2015年以来の再々訪問をしました。
「エスパルスドリームプラザ」はJリーグチーム「清水エスパルス」の誕生した街、清水にあり、エスパルスの応援拠点としても、多くの人に集っていただきたいという思いから命名され清水港(国際貿易港)開港100周年の節目にあたる平成11年1999)10月に、清水港発祥の地である日の出地区に官民共同によるウォーターフロント再開発計画の基にオープンした場所です。
東院伽藍の夢殿
倉敷民藝館(左端)と倉敷館
朱雀門
朱雀大路と朱雀門
オリーブ記念館
ふれあい広場
復元遣唐使船
ハーブクラフト館
搾油所ミロス
南大門
高瀬渓谷
高瀬川に沿って連なる大町ダム・七倉ダム・高瀬ダムと葛温泉を含む周辺一帯を指す「高瀬渓谷」。雄大な自然と巨大なダムがつくりだす景色は圧巻です。槍ヶ岳を源流とする水俣川が合流する高瀬川は、上流から高瀬ダム、七倉ダム、大町ダムと続き、上流の2つのダムは自然の石積みのロックフィルダムとなっています。高瀬ダムは中部山岳国立公園内にあり、自然環境保護のため指定タクシー以外のバスや一般車は入ることのできない、まさに秘境の地です。黒部ダムに比べると小さくみえますが、実は日本で2番目に高い176mを誇る巨大なダムです。四季を通して様々な色に変わる高瀬渓谷は、1年を通して楽しむことができますが、今回は、大雨にによる土砂崩れの影響で渓谷に大量の土砂が溜まり浚渫工事が行われていました。
霧多布湿原は、北海道厚岸郡浜中町にある湿原。厚岸道立自然公園に含まれる。面積は3,168ha(東京ドーム600個以上の面積)で、釧路湿原、別寒辺牛川流域湿原、根釧原野湿原群、サロベツ原野に次いで国内5番目の広さです。春から秋まで約300種の花が咲くことから“花の湿原”と呼ばれる道東・霧多布湿原。湿原のミネラルが太平洋に注ぎ出すため、海と湿原の両方に面した浜中町は海産物に恵まれています。霧多布の水は人にとっても豊かな恵みのサイクルを生み出す、重要な存在です。また、ここ浜中町産の牛乳はミネラルや乳脂肪分が多いことからハーゲンダッツのアイスクリームに使われているそうです。
行基堂と鐘楼
5線サウスリフト
ヒトトキノ森エリア
隠岐シーサイドホテル鶴丸に宿泊
生口島の耕三寺は、広島県尾道市に所在する浄土真宗本願寺派の仏教寺院。大阪の元実業家・耕三寺耕三が慈母への報恩感謝の思いを込めて建立された寺院で「母の寺」と呼ばれています。1936年から30年余りの歳月をかけて伽藍の建立が始められた新しい寺院で、日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び、「西の日光」「母の寺」とも呼ばれています。 堂塔伽藍も西方極楽浄土を思い、奈良・平安時代の浄土教の寺院をオマージュし繧繝模様や丹色を取り入れ建立されました。このうち、山門・本堂をはじめ、15棟もの堂塔が平成15年に国の登録有形文化財に指定されました。
大湯屋
柿葺きの弥勒堂
安芸灘大橋を渡った下蒲刈島の見どころは島の東部に位置する三之瀬地区に集まっています。ここは鞆の浦(福山市)とともに瀬戸内海で2ヶ所あった海の関所の一つ。大名や公家などが宿泊する本陣があった場所です。今でも当時を偲ばせる「松濤園」は、瀬戸内海を借景とした回遊式庭園の中に全国各地から移築した古民家や、復元した建物を利用して朝鮮通信使資料館・陶磁器館・あかりの館・蒲刈島御番所として公開する博物館です。

1日目(1月24日)

1日目(6月12日)

隠岐諸島は、約600万年前の火山活動により形成された島根半島の北方約50Kmに位置する約180の島々と4つの有人島からなり、4つの島は「島前(どうぜん)」と「島後」の2つのエリアに、さらに「島前」は西ノ島(西ノ島町)・中ノ島(海士町)・知夫里島(知夫村)に分けられます。島後は隠岐諸島最大の島でもある隠岐の島町を指しますが「隠岐の島」という単独の島はありません。かつて隠岐は、ユーラシア大陸の一部でしたが「大陸からの分離」⇒「海の底から火山島」⇒「半島から島へ」など、 長い年月をかけて地形が変化し、今日の隠岐が成り立っています。氷河期などによる海面低下時には陸続きになり、約1万年前に海面上昇で本州と離れ、現在に至ります。その海面低下の際に、本州の植物が移り、通常複数の気候や標高によって棲み分ける植物が同じ場所で共存して生育しているという、隠岐でしか見られない独自の植生ができあがりました。4つの有人島には100社を超える神社があるほど沢山の神様が住んでいたりと自然環境・人の営みが世界的に貴重とされ、2013年に「世界ジオパーク」に認定された「地球の記憶が息づく島」です。
北陸新幹線かがやき505号で10;45富山駅到着後、富山屈指の人気のベイエリアの射水市に向かいます。最初に目に入るのは、海王丸パークの帆船海王丸。平成元年(1989)に引退するまで約60年にわたって商船学校の航海練習船として活躍した帆船を係留し「海の貴婦人」と呼ばれた現役当時の姿のまま一般公開しています。
東院伽藍の絵殿・舎利殿
七倉ダム
ワタスゲの群生地
エゾカンゾウの群生地

3日目(3月05日)

今日は、西ノ島・別府港から高速船レインボージェットで島後の西郷港に戻り島を観光した後に帰宅します。

山門
ひがし茶屋街は、江戸時代に加賀藩が城下のお茶屋を集めて誕生した藩公認の茶屋まちです。金沢文化を代表する茶屋街のひとつ。和の趣を感じるフォトジェニックな写真を撮影するには最適なスポットです。石畳の両脇には、紅殻格子と呼ばれる格子戸を備えた町屋が続き、かつての華やかな風情をそのままに残し今でも夜には華やかなお座敷が繰り広げられています。作家・五木寛之作品『朱鷺の墓』の舞台としても有名。外国人観光客も多く、情緒溢れる古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
三峯神社と関わりのある全国23社が祀られている
鯨波駅
赤尾展望所
隠岐を代表する景勝地「国賀海岸」の対岸にあり摩天崖や、通天橋、天上界、国賀浜を一望できる人気の展望スポットです。周辺一帯の放牧地では牛馬がのんびり草を食む姿が見られます。
 
隠岐国分寺・後醍醐天皇行在所跡
741年(奈良時代)、聖武天皇によって全国約60か所に建てられた国分寺のひとつで、隠岐第一の寺院でした。また、ここは1332年(元弘2年)に元弘の乱で敗れた建武中興の英主・後醍醐天皇が隠岐に流された際の行在所跡という伝承の場所でもあります。かくて承久の乱以来111年目に再び天皇が島流しにされるという歴史的波乱が起きました。
そよ風の路
未来からの炎
夜のライトアップは幻想的な雰囲気となり見ごたえ十分。長さ80メートルの白藤トンネルも圧巻です
光のバラ園
あしかがフラワーパークのシンボルともいえる「奇蹟の大藤」。その樹齢150年の大藤を模したイルミネーションは、大地から水とパワーを幹に吸い上げ、花々を咲かせ、やがて散ってゆくさまをドラマティックに描いています。まるで本物の大藤を見ているようです。ジェームズ・キャメロン監督の映画「アバター」の「魂の木」のようだと、CNNが選ぶ「世界の夢の旅行先10カ所(2014年)」にも選ばれた注目される観光スポットとなっています。
全ての観光を終えてJR松本駅から帰宅の途に就きました。
2023年6月12日~14日
然別湖・タウシュベツ川橋梁・釧路・霧多布
北海道上士幌町・釧路市・浜中町
今回は、昨年に続き再び北海道東部の十勝・根釧平野に広がる旧国鉄士幌線幌加駅跡、タウシュベツ川橋梁、然別湖、十勝白樺並木、ナイタイ高原牧場、釧路湿原、別寒辺牛湿原、霧多布湿原を周遊する旅です。
摩天崖は、高さ257mの断崖絶壁で、海食作用によってできた崖では日本有数の高さを誇ります。粗面玄武岩の海蝕崖で、ナイフで切り取ったような絶壁を見ることができます。摩天崖から国賀浜に向けて約2キロメートルの遊歩道が整備されている。
隠岐諸島は、日本最古の歴史書『古事記』に登場します。イザナギノミコトとイザナミノミコトの国生み神話によると、3番目に産んだ島が「隠伎之三子島(おきのみつごのしま)」であり、因幡の白兎の話では「淤岐島(おきのしま)」という島名がでています。また、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、島にある美しい木を見て「美しき御木」と発したという伝承と本土から見て沖にあることなどから、隠岐諸島全体を「沖の島」と呼んでいたことが、現在の「隠岐島(おきのしま)」いう呼び名で伝わっています。一方、玄界灘に浮かぶ福岡県宗像市の「沖ノ島」は島全体が、大和朝廷の国家祭祀が行われた宗像大社沖津宮の境内で信仰上、島に近づくことはできません。
天満神社
拝殿
能因法師・雨乞いの楠
ちびまる子ちゃんランド
法隆寺では珍しい平安建築の大講堂
飛鳥様式の金堂と日本最古の五重塔
飛鳥様式の金堂
五重塔と中門
玄奘三蔵院とその礼門
倉敷アイビースクエア
白鳳伽藍から興楽門を出て玄奘三蔵院伽藍へ向かいます。
食堂
伽藍内最大の建物の大講堂
白鳳伽藍の中心となる金堂
中門から見る西塔
有隣荘・大原家旧別邸
倉敷考古館
金堂と東西両塔(高さ各36m)
大原家本宅
第一次大極殿
始まりの本
大極門
開山御廟
鼓楼と東室
講堂
隠岐自然館
大山隠岐国立公園の自然や生態系について学ぶことができる展示施設です。隠岐固有の動植物や野鳥、昆虫や植物などを展示しており隠岐の自然に触れることが可能です。日本海に浮かぶ隠岐は約2万年前まで山陰本土と陸続きだった地域。長い間をかけて大陸から島へと変わったことによって独自の生態系や地質が生まれ、現在のジオパークへと繋がっている。

3日目(3月07日)

小豆島オリーブ公園
オリーブの島・小豆島のシンボルで瀬戸内海を見下ろす小高い丘に広がる園内にはオリーブの木やハーブが植えられ、ギリシャ風の建物が建つています。公園内にはハーブガーデンやオリーブ園、宿泊施設があり、道の駅としても親しまれています。白いギリシャ風車のある広場は、瀬戸内海を見渡せる、公園内でも最高の絶景ポイントです。
今日は、宿泊したベイリゾートホテル小豆島から島内を観光後に、昨日と同じ道程を戻る方向で土庄港からフェリーで新岡山港を経て、山陽自動車道で岡山県倉敷美観地区に向かいます。
金堂
金堂
唐招提寺
南都六宗の一つである律宗の総本山です。多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。
しまなみ海道から山陽自動車で新岡山港に向かい、17:00発のフェリーで小豆島の土庄港(とのしょうこう)に向かいます。
猿沢池からの五重塔
玉若酢命(たまわかすのみこと)神社
隠岐国の時代は、国の総社であり、現在において本殿は、隠岐にある神社の最古の建造物です。隠岐造りの本殿、随神門、旧拝殿ともに国指定重要文化財です。境内には若狭国の八百比丘尼(やおびくに)が植えたという伝説が残る境内の「八百杉」は樹齢2000年を超えると言われ、国の天然記念物に指定されている樹高38mの巨木です。
北円堂
因島水軍城は、日本遺産に認定された「村上海賊(村上水軍)」の貴重な資料を展示した広島県尾道市の因島にある村上水軍の城郭風建築の資料館。南北朝時代から室町・戦国時代にかけてこの地で活躍した村上水軍の甲冑や刀剣、戦術を記した巻物などの資料をとおして彼らの功績を紹介しています。
生口橋は生口島と因島を結ぶ全長790mの橋
高さ19.1mの三重塔
南円堂
応永22年(1415)に再建された東金堂
応永33年(1426)に再建された高さ50m五重塔
全ての観光を終えて釧路空港から帰宅の途に就きました。
風の四季
安らぎと力の腰掛け
五重塔
春日大社
およそ1300年前、日本の国の繁栄と国民の幸せを願い、茨城県鹿島より称徳天皇の勅命により
武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を神山である御蓋山(春日山)山頂浮雲峰にお迎えし、神護景雲二年(768年)に社殿が造営された歴史を誇る全国に約3000社ある春日神社の総本社です。現在のような規模が整ったのは平安時代前期のこと。朱色の境内と約1000基の釣燈籠が圧巻。縁結びに効くパワースポットと言われています。20年に一度、御社殿を美しくする「式年造替」はこれまで60回を数え、60回を越えるのは「伊勢神宮」と「春日大社」のみです。昨年、若宮本殿の造替を終えたばかりで朱色が映えています。一般的に寺社建築で使われる朱色には、本朱(水銀を含む朱色)、鉛丹、弁柄がありますが高価な本朱を用いるのは春日大社だけだそうです。因みに鳥居と塀は鉛丹です。
二月堂湯屋
白馬マウンテンハーバー
厚岸は 北海道の南東部に位置しており、太平洋に面した人口約1万人のまちです。天然の良港を形成している厚岸湾が深く入り込んで厚岸湖に通じています。釧路市から約48Km、根室市から約78Kmにあります。全国でも珍しい一年中出荷が可能な名産の牡蠣をはじめ、豊かな海産物や農産物に恵まれていますので生牡蠣や炉端焼き頂きました。
西ノ島大橋
愛媛県大三島と広島県生口島を結ぶ多々羅大橋は全長1480m中央支間長890mで完成時・世界最長の斜張橋です。しまなみ海道の7つの橋の中でもスタイリッシュなフォルムで、一番人気の橋です。
白山は富士山、立山と並ぶ日本三名山の一つで石川県白山市と福井県勝山市、大野市、岐阜県大野郡白川村にまたがる
標高2702mの活火山です。
二月堂の「お水取り」が行われる舞台
大山祇神社・総門
神門
二月堂の舞台からは大仏殿の屋根越しに奈良市街から生駒山まで一望できました
丹頂鶴
国賀海岸めぐり遊覧
昭和13年(1938)に国の名勝及び、天然記念物に指定された「国賀海岸」は、日本海の激しい海食作用を受け、東西約7Kmにわたって、断崖、絶壁、洞窟が続き、隠岐一と称される景観美です。高さ100m以上の断崖が点在し、中でも巨大なナイフで垂直に切り取ったような大絶壁は高さ257mと海蝕崖では日本一の高さを誇っていますが、残念ながら波が高くて日本海側の外洋には出られませんでしたので湾内遊覧でした。
長さ340mの船引運河
御神木の樹齢約2600年の楠木
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)
白山比咩神社は、石川県白山市三宮町にある神社。式内社、加賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国に2000社以上ある白山神社の総本社です。

3日目(2月09日)

今日は、北陸自動車道で石川県の白山比咩神社と金沢のひがし茶屋街を観光した後に北陸新幹線で帰宅します。
法華堂(三月堂)は東大寺最古の仏堂
手向山八幡宮
ハマナス
昭和29年(1954)建立の五重塔(左)、奥之院(陀羅尼堂)から眺める本堂(下)
登廊
十一面観世音菩薩立像
神門
御本殿
アルプの里
2023年5月31日6時撮影(北海道新聞6月13日付けデジタル記事より)
2023年6月12日15時撮影
水若酢神社
隠岐の島町「隠岐郷土館」隣に鎮座する神社。創建は神代の時代で、古墳時代後期の古墳群が境内に残っています。島後で一番格の高い神様を祀る神社で延喜式神名帳に名神大社と記されている「隠岐国一宮」として、主祭神「水若酢命」は隠岐国の国土開発と日本海鎮護の任務にあたったとされています。境内には隠岐古典相撲の奉納土俵があります。
ローソク島
大崎下島の東端の御手洗地区は江戸時代に天然の良港として風待ち、潮待ちの港町として栄え、その賑わいは昭和まで続いていました。現在も明治、大正、昭和時代の建物が残っており、その町並みはまるでタイムスリップしたかのような雰囲気。千砂子波止や高燈籠、船を結ぶ柱など港町の生活上必要な土木的建造物が当時のまま現存しています。御手洗地区は17世紀の中頃形成されて以来、江戸時代の約200年間を経て昭和初期に至るまで、瀬戸内海交通の中継港として、時代時代に応じた発展を示し、その痕跡を今も集落内に留めています。大崎下島は2012年に公開された映画『ももへの手紙』の舞台となっている、架空の島「汐島」のモデルになった趣のある島です。(平成6年には文化財保護法によって御手洗地区の町並みが「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。)
氷見市の道の駅 ひみ番屋街は、氷見漁港直送の回転寿司や氷見牛、氷見うどん、氷見カレーなどの飲食店や朝どれの鮮魚、水産加工品、氷見市の銘菓などの物販店約30の専門店が集結した道の駅。
宿泊したロイヤルホテル富山砺波
拝殿正面にある唐門
獏(ばく)の彫刻
平安時代建築の金堂
宝登山(ほどさん)神社
1900年以上の歴史を誇り、日本武尊が東国平定の折にこの山の頂上をめざしていたところ山火事が発生、山犬がこの火事を消した(火を止めた)ことから日本武尊が「火止山」と名付け、神を祀ったのが名の由来とされています。その名は転じて「宝の山に登る」と言われ、縁起担ぎの意も兼ねて、毎年100万人の参拝者が訪れる神社です。
現在の御社殿は、弘化4年(1847)から明治7年(1874)にかけて造り替えられた本殿、幣殿、拝殿より成る権現造り(ごんげんづくり)です。欄間には、じゅきょうの教え「二十四孝」の物語を図案化した彫刻を始め多くの彫刻が施されています。平成21年(2009)には鎮座1900年を奉祝して改修工事が行われ、そのさい随所に施された彫刻も建築当時の鮮やかな色彩に蘇りました。
塩沢宿・牧之通り(ぼくしどおり)
江戸と越後を結ぶ三国街道沿いの宿場町として栄え、特産品である越後上布(重要無形文化財)や塩沢紬(伝統工芸品)などの織物の産地としても有名で、全国有数の豪雪地としても知られる地です。現在は道路改良事業を機に、江戸時代の宿場町の風景を再現し、雪国ならではの雁木(がんぎ)が整備され美しい街並みの風情が再現されています。
御穂神社
御穂神社
檜皮葺きの本堂
二の鳥居
相生の松
「道の駅おとふけ」は2022年4月に移転オープン。ここには2019年4月1日から9月28日まで放送された。NHK朝の連続テレビ小説100作目の 「なつぞら」のロケ地の建物。柴田牧場、菓子屋・雪月が再現されてます。・雪月風の売店では柳月の限定お菓子が買えました。
ローソク島
島後の北西の沖合いに海から約20mの高さでそびえ立つ夕日・景観の名所として知られる奇岩ローソク島。日の入りの際、夕陽が岩の先端に重なるとまるで一本の巨大ローソクに火を灯したように輝くことが名前の由来であるといわれています。色々な条件が合った時に船上からしか観ることの出来ないロマンチックで感動の一瞬ですが、ダメでした。
山頂と久能山東照宮を5分間で結ぶ全長1065mの日本平ロープウェイが運行されており、駿河湾の美しさや屏風谷の四季折々の風景を楽しむことができます。
雪国ならではの雁木(がんぎ)
室生(むろう)寺
奈良県宇陀市、奈良時代末、東宮の病気平癒を願った興福寺の僧が創建したと伝わる「室生(むろう)寺」。一時衰退しましたが、江戸時代元禄年間に、5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の庇護を受け再興されました。この頃から、同じ真言宗で女人禁制だった高野山金剛峰寺に対し、室生寺は女人の参詣を許可。そのため「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれ、女性の信仰を集めました。境内には柿葺きの金堂や弥勒堂、檜皮葺きの本堂などが散在しています。山の斜面に沿うように広がる境内で、ほれぼれと見とれてしまうのが国宝・五重塔。高さ16mと小ぶりで、森の中にそっと佇む優美な姿が印象的です。初夏のシャクナゲや秋の紅葉が、境内を美しく彩ることでも有名です。
奥五十沢渓谷(おくいかざわけいこく)
三国川ダム上流の下津川と黒又沢が三国川に合流する十字峡から、三国川上流へ続く美しい渓谷です。渓谷沿いには遊歩道があります。しゃくなげ湖(三国川ダム湖)の上流に見える十字峡周辺は紅葉の名所になっています。
ローソク島の遊覧の為に島の反対側にある福浦岸壁に向かいます。
西郷港近くの西郷大橋
三保の松原と富士山
神の道と称される羽衣の松から御穂神社への参道
境内の入り口の鳥居は、三ツ鳥居という3つの鳥居をくっつけたような珍しい形をしています。三峯神社の神の使いはオオカミのため、鳥居の前には狛犬ではなくオオカミが向かい合って座っています
三峯神社を創始したとされる、日本武尊(やまとたけるのみこと)の巨大な銅像があります。大きさは本体5.2mで、地上から約15mの高い場所から見下ろしています。
長瀬家
神田家
日本武尊と山犬の伝承で有名な「寳登山神社」、秩父地方開拓の祖が祀られ、日本屈指の歴史を持つ「秩父神社」、日本武尊が東国を巡った際に立ち寄った山に座する「三峰神社」の三社が【秩父三社】と称されています。この秩父三社は、その由緒からか関東屈指のパワースポットとして人気があり、それだけでなく歴史ある社殿や彫刻の美しさ、周囲の自然の美しさなど魅力に溢れていますので行って来ました。行く途中の圏央道での事故渋滞がありましたが関越自動車道の花園ICを出て最初に長瀞に向かいました。
2023年7月20日
秩父三社巡り、宝登山・秩父・三峰神社 埼玉県長瀞町・秩父市・
三国川ダム(さぐりがわだむ)
六日町駅から車で30分、関越自動車道六日町ICから車で30分、三国川の上流へと進むと、福島県尾瀬地方と群馬県水上町と接する山間に「三国川ダム」とダム湖の「しゃくなげ湖」があります。三国川ダムは、大雨の時にダム湖に水を貯め、下流域での洪水被害を防ぎ、また水を有効利用するための、国土交通省北陸地方整備局直轄管理の中央コア型ロックフィルダムです。原石は斑糲(はんれい)岩という日本では非常に珍しい重たくて硬い岩石です。これはダム造りには非常に良い材質で、内部摩擦角が設計値で43度という、日本で一番大きな数字になっているので、ロックフィルダムとしては、上下流面の傾斜が日本一急なダムになっています。
白島展望台
島後最北端の白島海岸には、松島・沖ノ島・白島といった島々が散在しており、長い年月の風化や海食作用によって特異な風景美を作りだしています。

1日目(3月05日)

1日目(2月07日)

三保の松原は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地。御穂神社の鎮守の杜として守られてきました。その美しさから日本新三景、日本三大松原(気比の松原(けひのまつばら/福井県敦賀市)、虹の松原(佐賀県唐津市)と共に)のひとつとされ、国の名勝に指定されています。三保松原は約7kmの海岸に約3万本の松が生い茂り、松林の緑、打ち寄せる白波、海の青さと富士山が織りなす風景は数々の絵画・和歌に表現されてきました。歌川広重の『六十余州名所図会』にも描かれる東海道屈指の景勝地。街道時代には寄り道して駿河湾越しの富士山を仰ぐ旅人も。天女が羽衣をかけたとされる羽衣伝説で有名な「羽衣の松」があり、この松は御穂神社のご神体で、初代の羽衣の松は宝永4年(1707年)の富士宝永山噴火の際に海中に没したと伝わっていますが、二代目の羽衣の松も樹齢650年を越えて衰弱が激しく、現在は三代目の元気な松に世代交代をしました。ユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録されています。
内侍門
丹頂鶴
「未来心の丘(みらいしんのおか)」は、広さ5000m2にもおよぶ白い大理石の庭園で、世界を舞台に活躍されている彫刻家  杭谷一東(くえたにいっとう) 氏にその制作を依頼して、ここに使用されている大理石のすべては氏のアトリエ(仕事場)があるイタリア・カッラーラで採掘し、コンテナ船で運んできているそうです。
奥の院・御影堂
三峯神社に行く途中の二瀬ダムは、高さ95mの重力式アーチダム。
書道上達の霊験がある菅公の井戸
旧国鉄士幌線幌加駅跡
幌加駅は士幌線の起点・帯広駅から69Kmの位置にあり昭和14(1939)年に開業しましたが、昭和53(1978)年、糠平駅~十勝三股駅間、18.6Kmの列車運行が廃止され、使用されていた線路とポイントが当時のまま残る貴重な駅構内跡です。尚、全長80Kmの士幌線は昭和62(1987)年に全線廃線となりました。
「本殿」と参拝をするための「拝殿」を「石の間」で連結した「権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる様式
西門

2日目(7月12日)

今日は,、奥只見湖遊覧観光をした後、JR只見線・越後須原から大白川駅を乗車して破間川沿いの渓谷美を楽しみ、信越本線の鯨波駅から海沿いの景色と日本海に一番近い青海川駅を経て柿崎まで乗車してから妙高高原まで巡ります。
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旅浪漫は、つれづれにまかせて、国内のあちらこちらを訪れた記録ですので時折このページをのぞいて見てください。

                       舎主  
        

長瀞
明治時代から観光地として栄え、現在年間約300万人の観光客が訪れています。長瀞町全体が県立長瀞玉淀自然公園に指定されており、その中心を流れる荒川の両岸は美しい景色や自然に囲まれています。ここにはミシュラン・グリーンガイド・ジャポン一つ星の寶登山神社や、梅や桜、ロウバイ、秋の七草寺、紅葉の他、有名な川下り、ハイキングコース、ウォータースポーツ、など数多くのアクティビティが一年中楽しめる場所です。
羽田発8:40のJAL255便で広島空港に向かい、その後「安芸灘とびしま海道」を通って今日は、今治で宿泊です。
三峯神社
標高1,100mの高所に位置し、境内が雲や霧に包まれることが多い埼玉県奥秩父山中にある「三峯神社」。 自然のパワーがあふれる関東最強のパワースポットといわれています。 雲取山・白岩山・妙法ヶ岳の美しい3つの峯を望む場所にある神社で、古くは「役行者(えんのぎょうじゃ)」が修行をしたとも伝えられ、修験道の聖地として多くの道者たちが厳しい修行を行ってきた場所です。注目は樹齢800年といわれるご神木からいただける“気”です。 また、境内にある「遥拝殿」は、運がよければ雲海も見える絶景ポイントとして人気です。
荒沢岳(1969m)
然別湖
大雪山国立公園唯一の自然湖で、標高810mと道内では最も高い場所にあり、いつしか”天空の湖”と称されるようになったそうです。最深部は約100m。周囲13.8Kmの湖岸は複雑に入り組んでおり、湖北側には弁天島が浮かび湖の周囲は原生林が取り囲む自然豊かな環境です。もうひとつ、満点の星空が広がる湖は、別名で“星の棲む湖”と呼ばれているそうです。今夜、宿泊するホテル1軒と「然別湖ネイチャーセンター」があるのは西岸です。
隠岐古典相撲の最高位・大関優勝者の家の軒先に飾られる白木の柱
今夜の宿泊は隠岐プラザホテル
三条実美ら七卿落遺跡
船宿跡
神廟(家康公の墓所
唐門より楼門を望む
宿泊したホテル風水
御手洗で最古の恵美須神社
千砂子波止や高燈籠
日本平
標高307mの丘陵地で、日本観光地百選コンクールで第1位に選ばれたことがあるように、茶園越しに仰ぎ見る富士山、眼下に見える清水港、伊豆半島、南アルプスのパノラマビューはまさに日本一の絶景といえます。山頂までのアクセス道路である日本平パークウェイからの車窓の景色には、思わず車を止めたくなる程です。2016年7月に、夜景観光コンベンション・ビューローによる「日本夜景遺産」に認定されました。
小豆島は、瀬戸内海・播磨灘にある島。行政区分は香川県小豆郡に属し、小豆島町、土庄町の2町からなり、人口は2万5千人。近年、人口が減少の一途をたどっており、隣接する沖之島とあわせて、国土交通省より「離島振興法」の指定を受けています。
タウシュベツ川橋梁
大雪山の原生林を切りだすため敷設された旧国鉄士幌線が大きな川である音更川に沿って鉄道が引かれたため、たくさんの橋を造る必要があり、そこで、工事費を抑えるために、現地でとれる砂利や砂を使って造ることのできるアーチ橋を架けることになりました。その一つの長さ130mの11連アーチ橋です。昭和12(1937)年に完成、1938-1955年鉄道橋として利用、糠平湖(発電目的の人造ダム湖)ができた1956年から放置。以来半世紀以上、糠平湖の水位変動に伴い水没・出現を繰り返し、水と氷の影響で表面や内部に著しい劣化をきたしています。雨量により、雪どけ量により、発電所の都合により水位が変動し、見え方が大きく異なります。糠平湖の水位の低い1~6月頃にのみ現れ「幻の橋」と呼ばれています。5月下旬に水没した年もあれば8月に橋の全景が見えた年もあります。タウシュベツ橋は老朽化が激しく、コンクリート橋とは思えないほどの風格があります。しかし、アーチがつながった完成当時の姿をとどめるのは今年が最後とも言われています。
久能山東照宮
元和2年(1616)に亡くなった徳川家康公は家臣たちに「遺骸は久能山に埋葬すること」を遺命として託されました。二代将軍徳川秀忠公は直ちにそれを実行し、また久能山に家康公を祀る神社を造営することを発令しました。これが久能山東照宮の始まりです。大工棟梁には中井正清が選ばれ同年5月に着工、1年7ヶ月の期間で社殿が建てられました。当時最高の建築技術・芸術が結集された「権現造」の様式は、日光東照宮を始めとする全国の東照宮建築のひな形とされました
大原美術館
ギリシャ風車
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                       舎主  
        

三峯神社の拝殿は1800年に建立。建築様式は秩父神社の権現造とは違い、三峯神社は春日造ですが、秩父三社に共通の華やかな色の彫刻を見ることができます。三峯神社拝殿は、階段を上がって一段高いところにあり、手前には左右に樹齢800年を超える神木の「重忠杉(しげただすぎ)」などもあります。下からは見えませんが、拝殿の後ろに本殿があります。
JR信越本線
群馬県高崎市の高崎駅から群馬県安中市の横川駅まで、長野県長野市の篠ノ井駅から同市長野駅まで、および新潟県上越市の直江津駅から新潟県新潟市中央区の新潟駅までの区間を結ぶJR東日本の鉄道路線(幹線)です。信越本線といえば山や田園風景のイメージがあるかもしれませんが、新潟県内の路線は海が近い区間もあります。「鯨波―柿崎」間は海が近く、その間にある青海川駅は日本海に最も近い駅で特にロケーション抜群ですので乗車してきました。
天然の冷蔵庫「ゆきくら」
和田家
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