飯沼飛行士記念館
「尼僧の墓」
地酒「黒部」の蔵元、市野屋
信濃大町駅手前の日の出町・塩の道通りを抜けて大糸線の踏切を越えて館之内へ。ここには、豪族の仁科氏の居館があったため「館(やかた)のうちがわ」の意で館之内と名付けれたそうです。山の辺の道を進むと大町市民俗資料館を過ぎた先に長野県ユニークな「雀踊りのある家」がありました。
館之内仁科氏居館跡
五竜岳
大町市民俗資料館
北村集落の茅葺屋根の家
西海の口堂
木崎湖の北端からの眺望
白馬小学校のジャンプ台
オリンピックのジャンプ台
オリンピック大橋
浦川橋
「中浦の大岩
来馬の西方堂
穂高駅
穂高神社
4年前まで北アルプス最高峰の奥穂高岳山頂(3190m)に鎮座していた穂高神社嶺宮遥拝社
千国街道沿いの過疎の村里に残された道祖神を由緒深い場所にお祀りしたものです
南小谷駅を13:00出発して石坂越えコースを北小谷に向かって歩き始めました。
南小谷駅
小谷村郷土館
虫尾の阿弥陀堂
文金高島田の新婦さんの結婚式
小谷村郷土館の横から山道に入ります。下里瀬の先にあるフスベは難所で注意して歩き、「塞の神」まで高低差150mのきつい坂登れば後は下り坂です。
日本三大崩落の一つと言われる1911年に起きた稗田山崩落の大惨事の鎮魂の歳月茫茫碑の作者・幸田文文学碑を過ぎ、浦川橋を渡り高倉沢に入ります。崩落当時の土石流で流されたものでしょうか「中浦の大岩」や転石があります。松ヶ峰を過ぎると来馬の西方堂、前回宿泊した風吹荘の前を通り道の駅小谷に15:50到着。再び乾いた喉をうるおすために道の駅で「よなよなエール」を飲んで今日は、ここまでで終わり。
湯原温泉は入浴だけで宿泊はできません。この先は山道が何度か国道を横切りながら島温泉の先から国道沿いに進むと「道の駅小谷」が見えてきました。さらに今夜宿泊予定の来馬温泉・風吹荘500mの看板が見えてきましたので、乾いた喉をうるおすために道の駅で「よなよなエール」(310円)を求めて一休みしてから風吹荘に15:30チェックイン。源泉かけ流しの温泉でリラックスして再びビールを飲んで夕食までしばし昼寝です。。

2日目(7月27日)根知から北小谷、25Km(糸魚川から36Km)

来馬温泉・風吹荘
牛の水飲み場
横川の吊橋
大網峠頂上
山口関所跡
歩荷茶屋
道は、やがて田んぼ道となり塩の道温泉、歩荷茶屋やがて山口関所跡、塩の道資料館を過ぎると、いよいよ山道が始まり8Km先の大網諏訪神社まで続きます。
起点に置かれた道路元標
北越急行ほくほく線ゆめぞら号
大天井岳と有明山と思われる山
えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン
千国街道(塩の道)と松本漫歩記
大別当石仏群
6:10根知駅をスタートして駅の直ぐ横にある踏切を越えて根知川沿いの道を進むと、根知男山の蔵元である渡辺酒造の豊穣蔵があります。
ここから先の道筋も非常に分かりにくく案内板も無いので大変でしたが、塩倉池から甲村酸素の看板を頼りに、自衛隊沢村官舎の横を抜けて信州大学附属松本中学、寶栄寺の前を通り女鳥羽川を大橋で渡り千歳橋前のゴールに着きました本町2丁目(現在中央2丁目)の交差点の角にある「牛つなぎ石」は、元来牛をつなぐものではありませんでした。城下町の道が整えられた時、本町と伊勢町が交わる辻に「市辻(いちのつじ)」から移された道祖神(道を行く人を守る神様)でした。同じ「市辻」から「市神(えびす様)」も移され、その辻で正月10、11日に塩が売られました。ここから「塩市」が始まりました。その後「塩を敵に贈る話」が松本に入ってくると、上杉謙信が送ったことが、「塩市」の始まりだと言われるようになり、道祖神が、塩を運んだ牛をつないだ石だと言い伝えられるようになりました。これは江戸も後期になってからの話ですが、塩の道にまつわる物語です。
大黒岳は雲の中
宿泊先の糸魚川から始発の6:01大糸線上り電車で、根知駅まで乗車します。根知駅6:10着、昨日の続きを、ここから歩き始めます。かっては5m余りの豪雪や急坂に難渋を極めた大網峠、昔の街道の面影が色濃く漂う千国蕃所跡・牛方宿、そして暴れ川の異名を持つ姫川を避けて山腹を細々と続く天神道を歩いて往時の街道歩きを楽しみながら今日の宿泊先の来馬温泉・風吹荘を目指します。先ずは大網峠越えです。
白池諏訪社の祠

大網峠は樹林内の道で眺望はありませんが角間池まで来ると雨飾山や日本海の眺望が広がります。
新潟県糸魚川市から長野県松本城下まで約三十里(120キロ)を結ぶ千国街道は、江戸時代には越後で松本街道、信州で糸魚川街道とも呼ばれていましたが、歴史は古く、糸魚川産の翡翠や信濃産の黒曜石が流通していたと古事記にも登場している道でもあり諏訪信仰の道です。戦国時代、武田信玄と敵対した今川・北条氏は駿河から武田領への塩の輸出を禁止しました。これを聞いた上杉謙信は憤り、信玄と戦うのは武力であって塩ではないと、自領から対立する武田信玄に塩を送り、「敵に塩を送る」という諺にもなったとされる最も有名な「塩の道」です。近世では八十八夜から降雪前まで牛馬や歩荷(ボッカ)と呼ばれる人たちが盛んに行き来し、海産物を信濃へ、農産物を越後に届けました。それは華やかな大名行列などの往来もない生活物資運搬のための経済路線、いわば汗のにじんだ庶民の道として明治の時代まで続きました。今までに諸大名が通って整備された五街道や松尾芭蕉が歩いた奥の細道を歩きましたが、今回この道を歩いてみました。

9日目(第3回8月26日)松本市内観光(漫遊記)

白壁となまこ壁の土蔵が建ち並ぶ古き松本の風景が広がる蔵通りから四柱神社、神社の参道として発展した縄手通り。縄手通りの入口には東京芸大の学園祭で制作された御神楽のカエルが鎮座しています。女鳥羽川を渡ると時計博物館が、松本には色々な博物館がある街です。
松本神社から北に向かうと、日本で初の和仏辞典を編纂した旧司祭館、日本最古の小学校の一つである開智学校や現存する県内最古の武家屋敷の高橋家住宅を見ながら松本城総掘り横を、古い商家が立ち並ぶ中町通りに向かいます
戦争資料
平瀬城の下の二十三夜塔
熊倉の二十三夜塔
十辺舎一九の宿泊処
豊科駅
玄蕃稲荷神社のある万水川を渡ると日本・英国・朝日新聞社の旗が掲揚されている飯沼飛行士記念館があります。今から80年以上前の1937年4月6日に飯沼操縦士・塚越機関士が搭乗した朝日新聞社機「神風」は東京〜ロンドン間を当時としては驚異的な実際の飛行時間51時間19分23秒で飛行し世界記録を樹立した、彼の生家を記念館にしたものです。洲波神社、火の見櫓、「続膝栗毛」の作者・十辺舎一九の宿泊処を過ぎると豊科駅に到着。

7日目(第2回8月20日)安曇追分から豊科、9Km(糸魚川から110Km)

大町を過ぎた辺りから「塩の道・中部北陸自然歩道」の案内標識も殆ど少なくなり街道は複雑で紆余曲折を繰り返すようになりました。大糸線の踏切を越えて、養殖場を過ぎたら再び線路横断をし穂高橋を渡り四度目の踏切横断をして穂高神社前にでます。穂高神社は延喜式内社の大社で。奥宮は上高地明神池、嶺宮は奥穂高岳にあります。矢原堰を越えて柏矢町の道祖神を過ぎて道は国道147号に合流します。
穂高橋
原集落のT字路の地蔵堂
昨日の続きを簗場駅前から8:05に開始です。しばし国道148号線沿いに進み、海ノ口除雪基地の先で旧道に入り大糸線の踏切を越えると、仁科三湖のひとつ、木崎湖が見えてきます。南平道と呼ばれる道を、北村、宮沢、南平集落と通過します。途中の西海の口堂前からの上り道を上がると木崎湖の北端になり湖の眺望が楽しめます。湖沿いの湖岸の道を進みキャンプ場を過ぎると道は田園地帯に入ります。
堂崎観音
青木湖
神城駅前を過ぎて飯田犬川端庚申塚石仏群から大糸線沿いに旧道を進む途中には茅葺の美しい家がありました。佐野のお堂を過ぎて大糸線の踏切を渡ると白馬さのさかスキー場脇を抜けて佐野坂峠の途中には「鬼石」と呼ばれる鬼が投げようとしたが重くて投げられなかった岩があります。また、この石は西行法師が東国巡礼の旅の途中に休息したという伝承の「西行法師の腰掛石」の名もあります。峠を越えると大町市になり大町教会が見えてきます。
大町教会
飯田犬川端庚申塚石仏群
仁科三湖のひとつ、青木湖は透明度が高く深い青をたたえて現れました。湖越しに望む白馬三山は絶景ですが、塩の道は山側なので湖越し景観は望めません。堂崎観音堂、昭和電工青木発電所の導水管を過ぎると仁科三湖で最も小さく静かな中網湖が、見えてきます。大糸線を渡ると簗場駅前着16:30、今日はここまでで終わりです
白馬村の中心地を歩きます。オリンピックを開催した村ですが、今はとても静かな佇まいです。しかし小学校にまでジャンプ台があるのには驚かされました。薬師堂前には足湯がありましたのでつかってきましたが、これが後に、足に豆が出来た原因となりました。オリンピック道路に入ると周辺は別荘になりオリンピック大橋からは大黒岳が望めますが雲の中でしたのが残念。飯森の旧道には十王堂や石仏群、道祖神があり大糸線の踏切を越えると神城駅前になり14:00着、ほぼこの辺が糸魚川と松本間の中間地点となります。
十王堂
北アルプスの景観
長野と富山、新潟の県境付近に標高2700mを超える稜線が連なる北アルプス後立山連峰の主峰が2932mの白馬岳です。この辺からは栂池高原、白馬岩岳、八方尾根、白馬五竜などの後立山連峰の中腹エリアに訪れやすい地域で北アルプスの眺めが楽しめます。向坂を過ぎると小谷村から白馬村に変わり昔のままの道から国道に出たり入ったりしながら切久保、観音原、新田と進み、森上集落の先で北アルプスを眺めながら松川を渡ります。
弘法清水
千国の庄史料館、と千国番所
弘法清水は、牛や牛方が喉をうるおした冷水が湧き出る場所で弘法大師像もあります。牛方宿は、千国街道に現存する唯一の牛方宿で、牛は土間、牛方は二階にと、ひとつ屋根の下で寝泊まりして旅の疲れをいやしました。前山百体観音は、西国、秩父、坂東の百ヶ所霊場に合わせた観音像が、白馬三山を望んで立ち並んでいました。10:00松沢口に到着。
千国諏訪神社
南雨中集落の水車
今日は、塩の道では人気のコースの千国越えです。道沿いには百体観音、牛方宿、千国番所跡などがあり、往時の面影を偲ばせてくれます。南小谷駅前を7:30に出発、国道から三夜坂で山道に上って南雨中の集落、大別当石仏群、千国諏訪神社と進みます。その先には、この地の民家を移築した千国の庄史料館、その隣には復元された千国番所は、松本藩の通行税の徴収、荷物や人改めの監視場所でした。親坂は、坂道で難所だった所で、牛が歩きやすいように敷石が残っています。
穂高神社本殿

3日目(7月28日)

例年以上に長く続いた梅雨の日がやっと上がり晴天が数日の間期待できそうなので、早速、街道歩きの計画を実行に移しました。今日は、まったくの移動日で青春18切符を利用して自宅から小田急線、東海道線(上野東京ライン)、上越線、北越急行ほくほく線、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインと5線を乗り継いで新潟県糸魚川に8時間26分かけて到着。まだ日が高いので、糸魚川から根知駅の間11kmを歩きます。

1日目(2019年7月26日)糸魚川から根知、11Km

隣接する松本市立博物館内の見学です。ここには歴史、民間信仰資料、歳時記に関する資料が展示されています。「カータリ」は七夕の日に雨で天の川が増水して渡れなくなった時に彦星と織姫を背負っている向こう岸に渡してくれると言い伝えられている男子の七夕人形です。
今日は、松本市内の散策です。ここには16 世紀に築城され、現存する日本最古の五重天守を持つ特徴のある黒い壁から「烏城」という異名を持つ松本城があります。近くの中町通りには、古い商家が立ち並び、昔ながらの日本の町並みを思い起こさせます。
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漫遊記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

カータリ
初市の宝船
天候等の事情で、前回までの残りが13Kmありますので3回目の遠征です。豊科からは「塩の道」も2つのルートがありますが、共に梓川を渡らなければなりませんが、渡渉が楽であったと思われる養老峠経由が一般的だった様なので、峠越を目指し田沢橋で梓川を渡ります。かっては熊倉に「渡し」や番所があったようですが不明でした。平瀬城の下を篠ノ井線沿いに進み加助夫婦惜別の岩の横の踏切を渡り国道254の料金所を経由してアルプス公園広場に向う養老峠を登ります。途中からりんご畑の道を通り塩倉の海福寺前に出ます。

8日目(第3回8月25日)豊科から松本、13Km(糸魚川から123Km)

甲村酸素の看板
塩倉池
養老峠
加助夫婦惜別の岩
養殖場
仁科神明宮
佐々屋幾神社
雀踊りのある家
キャンプ場

6日目(第2回8月19日)簗場から安曇追分、28Km(糸魚川から101Km)

中網湖
「鬼石
白馬さのさかスキー場
飯森南村道祖神
神城駅
新田宿の庄屋まるはち
新田の水車小屋
観音原入口
人の飲み場
牛・馬用の飲み場
棚田が映える千国越え

5日目(第2回8月18日)南小谷から簗場、26Km(糸魚川から73Km)

前回は、台風7号に翻弄されて予定を切り上げましたが、その後も8,9,10号と続いて天候不順が長引きなかなか予定が建てづらい状況が続きましたが意を決して行ってきました。八王子発6:35松本行で10:16着ですが、大糸線は運行本数が少なく11:20まで南小谷行きがありませんでしたが、快速リゾートビューふるさと号南小谷行きが10:41に全席指定で臨時に出るので乗りましたが南小谷着は13:00着。11:20の鈍行列車でも13:19着なので、20分も乗車時間が長くなるリゾートビュー号でした。これは時間短縮と言うよりは観光列車で途中の穂高駅では下車して地元ボランティアの案内で約30分程の穂高神社参拝、青木湖では写真スポットでの停車がありました。まあ、そんなこんなで南小谷から先の電車連絡が悪いので、南小谷から石坂越えを反対方向ですが北小谷に向かって歩き始めました。

4日目(第2回8月17日)南小谷から北小谷、11Km(糸魚川から47Km)

糸魚川駅から最初に、塩の道(松本街道)の起点に置かれた道路元標に向かいます。日本海に面した北陸道(加賀街道)との分岐点に置かれていまので、道路元標を確認して出発。400m(所要10分)ほど進むと昔、北陸道から塩の道への分岐の目印(追分石)として置いてあったものを西性寺に移した「牛つなぎ石」を見ることができます。これは、牛方が牛をつないていた石です。その先には塩の道広場があって牛が石につながれているオブジェがあります。

大町市宮本にある仁科神明宮には日本で最古の神明造りの様式が本殿、御門屋、釣屋に残って国宝に指定されています。原集落のT字路には地蔵堂が、国道への入口付近には道祖神がありました。国道には特に見るべきものはありませんが、池田の福祉会館入口の信号を右折して、その先を左折して田園地帯のみちを直進すると方向的に大天井岳と有明山と思われる山が見えてきました。高瀬川にかかる高瀬橋を越えると安曇追分駅で、今日はここまでで終わります。
展望の開けた田園地帯の道の脇には「尼僧の墓」があり、その先の平野球場横を進むと再び国道148号線に合流する所に大黒様が、若一王寺神社鳥居の先の大黒町追分には大きな大黒天石像が鎮座しています。信濃大町駅近くの商店街の一角に地酒「黒部」の蔵元、市野屋さんがあります。大町では昔、町の中央を南北に割って走る通りの東西で、人々の飲む水が違っていて、東側は東山の居谷里という池の湧水を、西側は北アルプス白沢の湧水を使っていました。ところが東の集落では女の子ばかりが、また、西の集落では男の子ばかりが生まれてくるのです。いつしか人々は、居谷里の水を女清水(おんなみず)、白沢の水を男清水(おとこみず)と呼ぶようになったといいます。「創舎わちがい」の中庭に男清水、その向かいにある塩入家具店さん前が女清水の水飲み場になっています。信濃大町駅前広場に11:20着
昨夜は台風7号の影響で大雨が降り、宿泊先の窓から見ると姫川が濁流になって水位も上がっていたので、予定していた石坂越えのコースは、ぬかるみになっていると思われるので今回はここで中止して北小谷駅から大糸線、篠ノ井線、中央本線、横浜線と乗り継いで帰宅しました。
しばらく国道を進むと白馬大仏が見えてきました。その先の「葛葉の大栃」を見ながら葛葉峠、蒲原温泉と進みます。
「道の駅小谷」での来馬温泉の案内板
角間池
白池
大塞の神(一本杉)は、杉の古木で雪で道が埋もれる冬はこの木を目標にして歩荷が往来したそうです。
塩の道資料館
北陸本線の踏切を渡って「塩の道白馬通り」を進み、北陸自動車道の上を通過すると美山公園の中に入ります。歩荷のブロンズ像や、塩の道の案内板を見ながら進むと牛清水、やがて道は山道になりますが歩きやすく快適なコースです。夕刻までには大糸線で糸魚川に戻る予定ですが、なにせ電車の本数が少ないので根知駅の乗車時間17:05に合わせて道を急ぎ間に合わせました。
西性寺に移した「牛つなぎ石」
北陸道(加賀街道)との分岐点
蒲原温泉
糸魚川駅を背景に奴奈川姫像
大網諏訪神社を過ぎると大網口の案内板が現れて、再び荷換峠の上り道と続きます。12:00に発電所の導水管の上を通過すると登りも終わり、眼下にはホテル国富が、遠くには白馬大仏像が見えてきました。大糸線を平岩駅付近の踏切で渡ると次の天神道越えが始まります。
芝原の六地蔵
大網諏訪神社
ここからは下り坂になります。牛馬が水を飲みやすいように岩に穴が掘られている「牛の水飲み場」や横川の吊橋を過ぎると、芝原の六地蔵、大網諏訪神社と続きます。猛暑で持参した1.5Lの水が少なくなったので「牛の水飲み場」で水を補充して熱中症に備えました。
蒲原温泉の前の道から再び国道に合流して新潟と長野の国界橋を渡りトンネルの手前を右側の脇道に入り国道をくぐり抜けて山道を進むと猫鼻石仏群の史跡、湯原温泉に向かいます。
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