2014年10月23日
奥利根の散策 群馬県利根郡みなかみ町
大学時代の友人4家族と恒例の一泊旅行に今年は、奥利根の諏訪峡から、奥利根湖の八木沢ダム、照葉(てりは)峡、坤六峠を経て尾瀬戸倉、片品村、吹割の滝を巡る旅をしてきました。天候にも恵まれ紅葉狩りを楽しむ事が出来ました。
諏訪峡・笹笛橋と遊歩道 ラフティングを楽しめる利根川
奥利根湖 八木沢ダム
八木沢ダム 奈良俣ダム
2014年10月24日
照葉(てりは)峡は、利根川の支流、湯の小屋沢川に沿って大小11の滝と渓谷美が約5kmに渡り点在し訪れた俳人・水原秋桜子が感動して滝それぞれに命名したそうです。今日は、混雑する前に宿泊した照葉荘から近くに車を止めてウオーキングです。
照葉峡めぐり 潜龍(せんりゅう)の滝
岩魚(いわな)の滝 渓谷美
白龍(はくりゅう)の滝 湯の小屋沢川の流れと渓谷美
山彦(やまひこ)の滝 翡翠(ひすい)の滝
木精(こだま)の滝 つづみの滝
吹割りの滝は、凝灰岩、花崗岩の川床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分を浸蝕し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、”吹割の滝”の名が生まれました。浸食されたV字形の岩盤を、水が両側面から落ちている珍しい滝で高さ7m、幅30m余におよび、ごうごうと落下、飛散する瀑布は「東洋のナイアガラ」と言われています。
「吹割橋」から見た下流の様子 第1観瀑台から望む「吹割の滝」
第3観瀑台から望む「吹割の滝」
遊歩道を進むと、数10mの奇岩が連なる岩壁 吹割の滝
遊歩道から望む「吹割の滝」 上流から望む「吹割の滝」
2014年10月11日-12日
甲府一高65歳「強行遠足」 山梨県・長野県

長距離を歩き通す「強行遠足」は、伝統校を中心に全国各地で行われているようですが、明治13年(1880年)に旧制甲府中学として創設された我母校も明年の2015年10月には創立135周年を迎えます。強行遠足は、1924年(大正13年)に当時の校長が、自分の体力に応じて歩けるだけ歩くことで「剛毅(ごうき)不屈の精神」を養おうと始まり、在校生にとっては今年で88回目の伝統行事となりました。1968年(昭和43年)卒業の同窓生の「よん燦会」メンバーも母校の伝統行事にちなんで、今年65歳を迎えることから65キロを2日かけて歩く「65キロ強行遠足」を計画し歩いてきました。。添付の地図は在校生のルートですが、私達は「清里」からの出発です。下は清里出発前の集合写真。

 
 
清里から見る富士山に見送られて  JR鉄道最高地点、標高1375m 
 
   
   
JR小海駅前 
 
JR中込駅前、途中からの参加者数も段々とゴール近くなり増えてきました。
 
   
小諸グランド・キャッスル・ホテル前、ゴールです。これから風呂に入り大宴会です。 
 
2014年6月27日
富岡製糸場と長瀞渓谷 群馬県富岡市・埼玉県秩父郡長瀞町
6月21日に世界遺産登録されたばかりの富岡製糸場と長瀞に行ってきました。製糸場は明治5年(1872)にフランスの技術を導入した日本初の官営の器械製糸工場です。和洋技術を混交した工場建築として木で骨組みを造り、柱の間にレンガを積み上げて壁を作る長さ100mを超える「木骨レンガ造り」の繭倉庫や繰糸場など、主要な施設が創業当時のままほぼ完全に残されています。
正面入口と東繭倉庫 行啓記念碑
明治5年のキーストーンがある東繭倉庫 繭から生糸を取る繰糸場、長さ140mあります
繰糸場の小屋組は日本に無いトラスト構造です 繰糸場にある昭和40年代導入の自動繰糸機
ブリュナ館、仏人指導者のポール・ブリュナの320坪の住居 女工館、糸取り技術を教える仏人女性教師の住居
日本人女工の寄宿舎 検査人館、生糸検査担当の仏人男性技術者の住居
西繭倉庫 大煙突と繰糸場
長瀞ライン下り 長瀞渓谷・岩畳
2014年4月11日
五浦(いづら)海岸の六角堂 茨城県北茨城市
明治初期、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、寺が焼かれ仏像が破壊される中、フェノロサとともに日本美術の保護に奔走した近代日本美術の父・岡倉天心が明治38年(1905)に自らの設計した五浦六角堂は東日本大震災の津波で流失しましたが、平成24年に創建時の姿に再現・公開されました。また生誕150年、没後100年記念の年でもありますので、彼が日本の伝統美、理想の地と見た北茨城の五浦(いづら)に行ってきました。
天心住居遺跡と五浦六角堂
岡倉天心は文部官僚、教育者、評論家として超人的な業績を上げながらも西洋画派との対立により東京美術学校長、ならびに帝国博物館美術部長の官職を辞して野に下り、自然豊かなここ五浦に移り住みました。明治維新以後の西洋を追いかけるばかりの近代化の動きに疑問を投げかけ天心は、アジアには西洋と異なる文化の原理があると考え「アジアは一つなり」と喝破して科学万能のヨーロッパ的思想の限界を予言していました。
 「亜細亜ハ一つなり」の碑  天心邸の庭
 杉皮葺きを竹で押さえた造りの長屋門
自らが創設した日本美術院をここに移転し、天心を慕い指導を仰ぐ4人の画家、木村武山、菱田春草、横山大観、下村観山が移り住みました。近代日本画を代表する4巨匠です。天心とその弟子たちの師弟愛を描いた映画「天心」のために再現した日本美術院研究所のロケセットも、ここに残っていました。
2014年4月12日
国営ひたち海浜公園 茨城県ひたちなか市
太平洋岸に面して190haが開園している広大な園内では四季を通じて彩り豊かな花や草木が楽しめる都市公園です。特にみはらしの丘一面には約450万本のネモフィラがライトブルーの可憐な花と空が織りなすパノラマは圧巻で有名です。時期的にはまだ少し早かったですが十分楽しめました。
みはらしの里の古民家と丘一面のネモフィラ 
2014年4月13日
水戸偕楽園 茨城県水戸市
偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三大庭園のひとつで、天保13年(1842)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭により造園されました。13haの園内には約100品種、3千本の梅が植えられ梅の名所として有名ですが、桜も見事でした。沢渡川沿いの桜並木とからし菜のコントラスト、咲き分けの桜、などなど見ごたえがあります。
園内にある好文亭は、徳川斉昭自らが設計した木造2層3階建ての建物で、ここに文人墨客や家臣などを集めて詩歌や慰安会などを催したそうです。「好文」とは梅の異名で「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば開かなかった」と言う故事に基づいて名付けられました。庭園や眼下に見る偕楽園の美しさは見飽きる事がありません。
2014年9月30日
熊野三山と熊野古道巡り 和歌山県田辺市・新宮市
「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録されて今年で10周年なので、これを機に、羽田から1泊2日の駈け足旅行をしてきました。早朝に家を出て7:00の便で伊丹空港経由で最初にバスで田辺市から中辺路(なかへち)を熊野三山のなかでも古式ゆかしい雰囲気を漂わせる熊野本宮大社へ向います。その後、熊野三山(本宮・新宮・那智)の社務を統括する熊野別当の本拠が、おかれたこともあって特別の地位を占めるようになった新宮市の全国熊野神社総本宮の熊野速玉大社を参詣して、くじら漁で有名な太地町を通り、途中の橋杭岩(はしくいいわ)を見学します。橋杭岩は串本から大島に向かって大小40余りの岩柱が約850mの列を成してそそり立ったものです。海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えるこの奇岩には、その昔、弘法大師と天の邪鬼が賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっています。今夜は串本温泉の浦島ハーバーホテルに宿泊です。
大阪市内上空 明治の大洪水まで本宮が置かれた旧社地の大斎原
熊野本宮大社・鳥居 熊野本宮大社・神門
注連縄 熊野本宮大社・本宮
熊野本宮大社・全景
熊野本宮大社・拝殿 熊野本宮大社にある黒い八烏ポスト(投函できます)
熊野速玉大社・神門 熊野速玉大社・樹齢千年の御神木「梛」(なぎ)の木
熊野御幸碑 熊野速玉大社・拝殿
熊野速玉大社・全景
吉野熊野国立公園・橋杭岩(はしくいいわ)
夕陽に輝く橋杭岩(はしくいいわ) 紀伊大島(左)に架かる「くしもと大橋」
2014年2月13日
勝連城跡 沖縄県うるま市
2日目の今日は、北上しながら途中の勝連城跡、海中道路に寄りながら海洋博公園のある本部半島周辺を観光して恩納村に向います。最初に阿麻和利(あまわり)が居城した城と伝えられる勝連城跡は、沖縄の城の中でも最も古く、12世紀頃と伝えられています。勝連城跡は小高い山の上にあるので、360度の眺望が見え南は中城湾、東には海中道路が見え景色は最高のハズですがあいにく曇りのお天気で残念です。
勝連城跡 眼下に二の曲輪遠くに海中道路の眺望ですが、、、
海洋博公園 沖縄県国頭郡本部町

海洋博公園は、昭和50年に開催された沖縄国際海洋博覧会を記念して、昭和51年8月に博覧会跡地に設置された国営公園です。園内には沖縄美ら海水族館、熱帯ドリームセンター、イルカショーが楽しめるオキちゃん劇場、海洋文化館、植物園や、琉球列島古来の民家群及び民家庭園を再現したおきなわ郷土村、などの施設が点在しています。おきなわ郷土村の地頭代の家では、三線の演奏を無料で体験できましたが、なかなか難しいです。

海洋博公園入口、海上に伊江島が遠望できます
花ジンベイ鮫 オキちゃん劇場
海洋文化館と花タコ 海洋文化館
おきなわ郷土村の地頭代の家 王国時代の農家
今夜の宿泊先ホテル「沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ」では迎恩大祭で琉球太鼓と三線の演奏会がありました。
2014年2月12日
首里城公園 沖縄県那覇市
今年の最初の旅は、寒気と大雪の厳しい関東から南国の沖縄に、世界遺産を巡りながら4泊5日で本島一周周遊の旅を楽しみました。沖縄には多くのグスク(城)及び遺跡の中から、5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)が2000年(平成12年)に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の公式名称で世界遺産登録されています。初日は首里城正殿を中心として、守礼門や園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)などの文化財からなる首里城公園へ。最初の入口は2千円札にもなった守礼門、つづいて国王が首里城を出て各地を巡る際に道中の安全を祈願した拝所である園比屋武御嶽石門、龍樋は1523年に中国から持ち帰った唯一現存する彫刻で龍の口から出る水は飲料水として使われていました。
守礼門の扁額は「礼節を重んずる国」と言う意味です 園比屋武御嶽石門
龍樋 首里城から歓会門方向を見た景色
首里城の創建は14世紀頃と言われ、以来約500年に渡り琉球王国の中心として栄華を誇りました。城内には正殿・北殿・南殿などの重要な建物が御庭(うなー)を囲んであり、正殿は、1925年に国の史跡に指定されましたが1945年の沖縄戦で焼失。1992年、沖縄の本土復帰20周年記念に琉球建築の粋を集めた彩色と構造で復元されました。見事な唐破風と国王の象徴である龍を3.1mの石柱に巻きつけた大龍柱、内部の玉座にも左右に立つ金色の龍など鮮やかな装飾に満ち溢れています。
正殿前の大龍柱 玉座
玉陵(たまうどぅん)は、第二尚氏王統第3代の国王、尚真王により1501年に築かれた陵墓です。 墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋で創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られたそうです。屋根の上にはシーサーも鎮座しています。
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旅浪漫は、つれづれにまかせて、国内のあちらこちらを訪れた記録ですので時折このページをのぞいて見てください。

                       舎主  
        

2014年6月23日
白川郷荻町合掌造り集落 岐阜県白川村荻町
今日は、金沢からJR北陸本線で高岡に行き、高岡駅から加越能バスの「世界遺産バス」で庄川沿いに国道156号線を南下して最初に白川郷・荻町合掌造り集落に向かいます。白川郷散策後の帰路の途中で五箇山の菅沼と相倉の二大集落をめぐります。荻町集落は、114棟の合掌造り家屋が現存し三集落の中では最多です。強風を防ぐため、ほとんどの家屋が同じ方向に並んでいるのは壮観です。まず最初に荻町城址展望台から一望します。
白川郷で最大合掌造り家屋の和田家 和田家
   明善寺鐘楼門
五箇山菅沼、相倉合掌造り集落 富山県南砺市
南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村一帯が五箇山と呼ばれる平家の落人伝説が残る険しい山岳地帯です。地形的な険しさから長い間下界と隔絶されたため合掌造りをはじめ昔ながらの文化・伝統が今なお守り継がれています。菅沼は9棟が現存する素朴でこじんまりとした集落です。相倉は緑深い山あいに23棟の合掌造り家屋が建ち、そのほとんどが100~200年前に建てられたもので、のんびりとした山里です。
菅沼集落
相倉集落
萱葺き屋根の葺き換え 相念寺
2014年6月24日
金沢市内観光 石川県金沢市
今日は、金沢駅前のホテルから市内観光の定番コースを「城下まち金沢周遊バス」の1日フリー乗車券を利用して、ゆっくりと観光します。初日に訪れていない所を中心に最初は寺町周辺から「にし茶屋街」、犀川沿いの室生犀星のみちを歩き、東山周辺の「主計町茶屋街」、「ひがし茶屋街」と金沢三大茶屋街を散策します。
金沢駅前のシンボル、木造の鼓門 にし茶屋街
にし茶屋資料館から見た「にし茶屋街」 にし茶屋資料館の再現された座敷
金沢文芸館 泉鏡花記念館
主計町茶屋街
ひがし茶屋街
2014年10月1日
熊野三山と熊野古道巡り2日目 和歌山県串本町・那智勝浦町
旅の2日目は、最初に串本から落差133mの那智大滝を神とする熊野那智大社に熊野古道・大門坂の一部を上りながら向います。大門坂の入口付近の公園には今年の3月に建てた「なでしこジャパン記念モニュメント」があり選手の手形や足型が埋め込められています。大門坂は、熊野詣で栄えた当時の面影を残した石畳の道が那智山へ全長約600メートル、高低差約100メートルで続いています。坂を登りきると熊野那智大社の別宮、飛瀧(ひろう)神社のご神体として日本三大名滝の一つ那智の滝が見えてきます。熊野那智大社は、標高約500m、467段におよぶ石段の上に建ち隣接する那智山青岸渡寺とともに熊野信仰の中心地です。那智山青岸渡寺は、一千日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が、永延2年(988)に御幸されて西国三十三ヶ所第一番札所として定めたとされ、多くの信者や参詣者が全国から訪れています。本堂後方には、那智の滝との調和が美しい朱色の三重の塔がそびえ立っています。熊野三山を巡り終えての帰路に再び串本に戻り、本州最南端の潮岬に寄ります。潮岬燈台は明治6年の初点灯以来、100余年もの間、海上交通の要所として沖行く船を照らし続けているそうです。周辺には本州最南端の碑が三つもあり、どれが本物やらと悩むほどでしたが、多分木製の古い物が本物でしょうか?何はともあれ、来た道を再びバスで大阪伊丹空港に戻り20:20の便で帰宅です。
浦島ハーバーホテルからのぞむくしもと大橋 「なでしこジャパン記念モニュメント」
大門坂にある樹齢800年の夫婦杉
飛瀧(ひろう)神社と那智の滝
熊野那智大社・鳥居 熊野那智大社・拝殿
熊野那智大社・全景
那智山青岸渡寺 那智山青岸渡寺三重塔と那智の滝
那智山青岸渡寺三重塔と那智の滝
白亜の潮岬燈台と三つある本州最南端の碑
2014年8月20日
天台寺門宗総本山・三井寺(園城寺) 滋賀県大津市
松尾芭蕉の足跡を訪ねて大津の義仲寺に来ましたので、ホテルの近くにある琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を持ち、近江の名勝、近江八景の一つである「三井の晩鐘」で知られる三井寺に、芭蕉も義仲寺無名庵で月見の会を催し「三井寺の門たたかばや今日の月」と詠んでしますので参詣してきました。かっては東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、僧兵が巨大な力を持ち戦乱期の歴史にも登場する古い歴史と文化、多くの文化財や伝説の残る三井寺です。
仁王門 三井の晩鐘の鐘楼
「三井寺の門たたかばや今日の月」の芭蕉句碑 闇伽井屋の正面にある伝左甚五郎作の龍
唐院の三重塔 観音堂
2014年4月01日
日大の桜 神奈川県藤沢市
近所の日本大学湘南キャンパスの桜が満開となりましたので、散歩しながらお花見をしてきました。
2014年4月04日
横浜の桜名所 神奈川県横浜市
春風に誘われて桜木町駅前から横浜の桜の名所巡りをしました。最初に横浜の総鎮守とされ、「関東のお伊勢さま」として知られている伊勢山皇大神宮、続いて掃部山公園(かもんやまこうえん)、そして日の出町駅前から大岡川沿いの桜並木を愛でながら弘明寺まで歩いてきました。
掃部山公園(かもんやまこうえん)は神奈川県横浜市西区にある公園。横浜みなとみらい21を見下ろす高台にあり、園内には横浜開港に関わった井伊直弼の銅像が立っています。
大岡川沿いのの桜並木
2014年4月05日
皇居の並木道「乾通り」通り抜け 東京都千代田区
皇居内を南北に走る約600mの桜並木道の乾通りが天皇陛下の傘寿記念の一環として昨日から初めて一般開放されましたので行って来ましたが何と、、、、11時半過ぎには入場者が多数押しかけたので4時の閉門までに消化できないので入場中止になりました。本来は坂下門から通り抜けるのですが、ダメでしたので常時一般開放されている大手門から皇居内を散策してきました。
ついでと言う訳ではありませんがJR市ヶ谷駅付近で大学時代の仲間との花見がありましたので美しい桜を撮ってきました。
東海道中記
2014年8月19日
東海道47番目の宿場町・関宿 三重県亀山市関町
お伊勢参りに来たついでに、東海道中を歩いて来て以来5年ぶりに再び今もむかしの歴史的街並が残る関宿に、今度は家内と一緒にぶらりと立ち寄ってきました。以前より閑散とした雰囲気であまり観光客は見かけませんでしたが、新人バスガイドさんの教育訓練の団体さんが目立ったくらいでした。これも暑い夏の日のせいであれば良いのですが、、、、
中町の町並み 眺関亭からの眺め
伝統の銘菓「関の戸」の販売元・深川屋 伝統の銘菓「関の戸」
御馳走場 木崎の町並み
2014年6月22日
曹洞宗大本山永平寺 福井県吉田郡永平寺町
北陸観光旅行の初日、最初に金沢から足を延ばして永平寺に行きました。福井駅から京福バスの永平寺ライナーで30分ほどの三方を山に囲まれた場所に、今から約770年前の寛元2年(1244)に道元禅師が開いた坐禅修行の道場として現在も僧侶達が厳しい修行を行っており、その修行の場である七堂伽藍(しちどうがらん)を見学する事ができます。入口から建物内に入ると、境内の主な建物はすべて廊下と回廊でつながれていて建物の外に下りることは一切できないのが難点ですが、、、、見ごたえはありました。
入口 傘松閣の絵天井
法堂内部 仏殿
石段をはさんで山門(左)と鐘楼堂(右)
鐘楼堂 報恩塔(左)と祠堂殿(右)
金沢兼六園周辺 石川県金沢市
しつとりとした風情、伝統が息づく城下町の中心にある加賀百万石ゆかりの兼六園・金沢城公園から今年で開館10周年を迎える”まるびぃ”の愛称で呼ばれる円形の建物の金沢21世紀美術館を通り、昔の土塀や長屋門が残り江戸時代のような雰囲気のある長町武家屋敷跡界隈を散策しました。
兼六園・桂坂口付近 兼六園・霞ヶ池に浮かぶ徽軫(ことじ)灯篭
兼六園・亀の甲羅の形の石で造られた雁行橋 藩主が12代奥方のために建てた成巽閣(せいそんかく)
金沢城・石川門 金沢城、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓
金沢21世紀美術館 水中に人の姿が見える不思議な作品「スイミング・プール」
加賀藩祖・前田利家を祀る尾山神社 和漢洋の3様式を取り入れた尾山神社・神門
昔の土塀が残る長町武家屋敷跡 長町武家屋敷跡にある金沢最古の大野庄用水
2014年2月15日
琉球村 沖縄県国頭郡恩納村
4日目の今日は恩納村から南下しながら途中のテーマパークである琉球村に寄り、嘉手納基地の巨大さに驚かされながら那覇市内に戻ります。市内では世界遺産の識名園、国際通り、市場本通り、やむちん通りなどの散策を楽しみ、夜は大学以来の友人と会い旧交を改め、沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハ・ホテルに宿をとりました。
県内から古民家を移築した”明治村”といった趣の琉球村 まったりとした沖縄の気分です。
識名園 沖縄県那覇市
識名園は1799年に造営された琉球王家最大の別邸で、廻廊式の庭園には、中国風のあずまやの六角堂や大小のアーチ橋が配され所々に中国の建築様式がみられます。琉球王家の人々の保養や、外国使臣の接待などに利用された場所です。
御殿(ウドゥン) 六角堂
国際通り周辺 沖縄県那覇市
国際通りは、約1.6kmも続く沖縄唯一のメインストリートで品物豊富なみやげ店がズラリ、みやげ店が連なるアーケード街を抜けるた所にある第一牧志公設市場は戦後のヤミ市から続いており、市場内は新鮮で色鮮やかな魚や、豚の足(テビチ)やバラ肉(三枚肉)豚の顔の皮(チラガー)まで売られています。その他ゴーヤーや島らっきょ、ヘチマなどもあり沖縄の食文化に欠かせない食材がずらりと売られています。2階には食堂があり、市場で買った食材を有料で調理してくれるので、新鮮な食材で作った沖縄料理を食べることができます。
全長1.6Kmの国際通り アーケード街
第一牧志公設市場 第一牧志公設市場2階の食堂
国際通りから分岐している平和通りを抜けると、壺屋やちむん通りがあります。「やちむん」とは焼物のことで、この通りでは陶芸工房や直売店、ギャラリーが数軒あり、陶器やシーサーなどの焼物の販売をしています。道路は琉球石灰岩で作られた石畳風で風情があります。
2014年2月16日
昨夜は大学以来の友人と会い旧交を改めながらの酒宴でしたので、今朝はゆっくり起床してホテル近くの泊埠頭の周辺を散策しました。途中の公園では緋寒桜が満開でしたので、期せずして本年最初の花見でした。飛行機は大雪の影響もほとんどなく無事帰宅して4泊5日の沖縄旅行を終えました。
2014年2月14日
辺戸岬(へどみさき) 沖縄県国頭郡国頭村
3日目の今日も、北上しながら途中の東村・慶佐次(げさし)湾にある本島最大のヒルギ林(マングローブ)を見てから、標高80m程の断崖絶壁から「やんばるの森」と東シナ海が一望できる茅打バンタを経て沖縄本島最北端の辺戸岬まで行き、再び戻りながら古宇利島、屋我地島を経て万座毛のある恩納村に向います。茅打ちバンタの名の由来は、束ねた茅を崖から投げ込むと、風に打たれてバラバラになることからこの名がついたそうです。(バンタとは沖縄の言葉で崖。)
東村・慶佐次(げさし)湾のヒルギ林 茅打バンタからの眺望
辺戸岬、ここからは鹿児島県の与論島が見渡せます
岬の先端にある祖国復帰闘争碑 国頭村と与論島との友好シンボル
古宇利(こうり)島周辺 沖縄県国頭郡今帰仁村
途中の嵐山展望台からは屋我地(やがじ)島と本部(もとぶ)半島の間にある羽地内海が一望できます。左端が本部半島、ワルミ大橋と結んで屋我地島、後ろの島影が古宇利島です。屋我地島と古宇利島の間には沖縄で最も長い全長1960mの古宇利大橋が青い珊瑚礁で輝く海の上をまっすぐ伸びています。途中でよく見かける沖縄のお墓は、本土でよく見られるそれとは、かなり異なった形をしており、形が亀の甲羅に似ているところから「亀甲墓(きっこうばか)」と呼ばれる独特のものです。沖縄では、昔、「風葬」という埋葬法が主流でした。風葬とは、遺体を墓の石室内に数年間安置し、風化を待ちます。その後、親族が洗骨して、骨壷に納骨し、再び石室内へ収める、という方法です。遺体をそのまま石室内に入れるために、墓がどんどん大きくなっていったようです。大型のものが多く内部は小さなものでも6~8畳もあるそうですが、戦時中には防空壕がわりにも利用されたということです。
万座毛(まんざもう)は、象の鼻のような奇岩が見える沖縄を代表する景勝地で、「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことが名の由来と言われています。 
全長1960mの古宇利大橋 亀甲墓(きっこうばか)
万座毛(まんざもう)
今夜の宿泊先は万座毛の近くの「リザンシーパークホテル谷茶ベイ」です。琉球舞踊のステージもありました。

2014年の旅の中から、印象深いお気に入りの景観などを紹介していきます。

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