2016年10月14日 | |||
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富士周遊、紅葉台、三湖台 | 山梨県南都留郡鳴沢村 | ||
久しぶりに高校時代の仲間と東海道自然歩道から眺める雄大な富士山を見てきました。河口湖駅に集合して最初に鳴沢風穴、紅葉台から三湖台までの尾根歩きの緩やかなハイキングコースです。このコースは自然景観に恵まれていることから東海道自然歩道のモデルコースとして最初に造られたそうです。今年は天候不順が長く続いたため紅葉も遅れ気味でした。 | |||
富士山周辺の全体図 | 三湖台からの富士山 | ||
三湖台、紅葉台から20分程の所にある3つ(本栖湖、精進湖、西湖)が眺められるビューポイン、真ん中は西湖 | |||
紅葉台からの富士八景のひとつ | 紅葉台からの富士山 | ||
紅葉台レストハウス屋上からの眺め | |||
2016年4月05日 | |||
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鎌倉大仏 | 神奈川県鎌倉市 | ||
久しぶりに花見を兼ねて鎌倉に行って来ました。まず最初に途中の長谷観音の桜を愛でてから、1252年に鋳造されてから760年以上ここに鎮座され過去何度か修理もされていますが55年ぶりの平成の保存修理作業を終えた高徳院の鎌倉大仏が3月11日から拝観を再開したので点検・クリーニング後の大仏様の凛々しい姿を拝んできました。歌人・与謝野晶子も「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」と詠っている程のイケメンです。拝観200円。 | |||
長谷観音山門 | 高徳院山門 | ||
大仏様の凛々しい姿 | 後姿からは760年以上風雪に耐えた悲哀が。。。 | ||
み仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす | イケメンです | ||
鶴岡八幡宮と段葛 | 神奈川県鎌倉市 | ||
鎌倉にきましたので定番の鶴岡八幡宮へ。若宮大路の中央にある段葛の改修工事がやっと終わり3月31日から開放されましたが、桜並木は今後の育成を考えて本数もかっての250本位から180本に減らされ、若木に世代交代です。老兵は消えゆくのみかな。 |
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2016年12月17日 | |||
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深川不動尊、すみだ北斎美術館 | 東京都墨田区 | ||
久しぶりに東京・深川界隈を深川不動尊から、富岡八幡宮、仙台堀川にかけて高校時代の仲間と散策してから両国のすみだ北斎美術館に行ってきました。すみだ北斎美術館は、2016年11月22日にオープンした、「葛飾北斎」をテーマとした浮世絵や日本画の専門美術館です。開館こけら落としの企画展「北斎の帰還」展の主役は、長らく行方不明となっていて100年ぶりにオークションで墨田区が競り落とし、日本へと帰還した長大な肉筆画の絵巻物「隅田川両岸景色図巻」でしたので見てきました。 | |||
成田山新勝寺東京別院の深川不動尊 | 真言密教の行者さん | ||
初代から71代鶴竜の名が刻まれた富岡八幡宮の横綱碑 | 両国のすみだ北斎美術館 | ||
「隅田川両岸景色図巻 | |||
すみだ北斎美術館前の緑町公園からの東京スカイツリー | |||
2016年9月15日 | |||
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東京散歩・スカイツリー | 東京都墨田区 | ||
某旅行会社の御招待で東京湾サンセット・クルーズに参加する事になり東京に行くついでに、あいにくの曇り空ですが思い立って東京スカイツリーに初めて登ってきました。最初に地上から塔全体が地上から見えることを確認してから入場しましたが意外と空いていました。快晴であれば富士山・筑波山なども遠望できるようですが今日は東京タワー・六本木ヒルズくらいまでが目視できる範囲でした。その後、押上から足を延ばして寅さんのふるさと葛飾柴又の帝釈天に約30年ぶりに行って来ました。 | |||
地上から望めるスカイツリー | 公式キャラクターのソラカラちゃん | ||
天望デッキから両国国技館・東京タワー方向を望む | |||
駒形橋・アサヒビール本社 | 江戸東京博物館・両国国技館・両国橋 | ||
東京ゲートブリッジ | フロア340のガラス床 | ||
葛飾柴又の帝釈天 | 東京都葛飾区 | ||
柴又駅に降りると駅前広場には、30年程前には無かった寅さんのブロンズ像が故郷をふりかえるような姿で立っています。柴又は、映画”男はつらいよ”でおなじみの柴又帝釈天こと題経寺、そして帝釈天の門前には「帝釈天で産湯を浸かい...」と寅さんの啖呵売の声が響いてきそうな、活気あふれる店が並ぶ参道があります。この柴又帝釈天参道は約200mほどの長さで映画に登場する団子屋”くるまや”のモデルになっているお店の「高木屋老舗」や第1作目から4作目まで、寅さんの実家として撮影に使われていた「とらや」さんには、映画に使われた階段は現在もまだ残されているそうです。映画ゆらいの店などがあり、昔ながらの下町情緒あふれる一角となっています。これが観光客にとっての「昭和の下町の魅力」で平日でも人通りがあり、地元の人だけではなく海外の方にも愛されている参道となっているようです。 |
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柴又駅前広場 | 寅さんのブロンズ像 | ||
柴又帝釈天参道 |
”くるまや”のモデルになった「高木屋老舗」 | ||
寅さんの実家として撮影に使われていた「とらや」 | 柴又帝釈天こと題経寺の山門 | ||
柴又帝釈天こと題経寺本堂 | 江戸川にある「矢切の渡し」 | ||
芝増上寺と東京タワー | 東京都港区 | ||
柴又から日の出埠頭最寄りの大門駅で下車、予定の集合時間より間があるので海とは反対側の芝公園方向に向かい芝の増上寺に行ってきました。増上寺へ向かう途中にある芝大門は、門の下に車道が通っているという日本では、ちょっと珍しい光景です。増上寺は、江戸時代に東京上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺となり幕府の庇護を受けました。三門(正式名称を三解脱門)は、元和8年(1622年)に建立され増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。境内は広大で広々としており、寺の建物も大きくて壮大。すぐ後ろに東京タワーがあり、歴史のあるお寺と現代的な建築物が同じ空間でコラボしている光景がなんとも不思議な感じが面白いです。 | |||
途中にある芝大門 | 昭和49年(1974)に再建された大殿と東京タワー | ||
三門(正式名称を三解脱門) | |||
東京湾サンセット・クルーズ | 東京都港区 | ||
某旅行会社の御招待で東京湾サンセット・クルーズ船シンフォニー・クラシカに乗って2時間余りのコース・ディナーと夜景を楽しんできました。日の出埠頭を出発してレインボウ・ブリッジ、お台場海浜公園を見ながら東京ゲートブリッジをくぐり抜けて羽田空港沖合にある東京灯標跡を回って昭和島の横を通って戻るコースです。船上ではカルテットの演奏やワインを楽しみながらの歓談、食事と海上からの東京タワーやスカイツリー、お台場海浜公園の観覧車などの景観を堪能してきました。 | |||
クルーズ船シンフォニー・クラシカ | 船上でのカルテットの演奏 | ||
東京タワーとレインボーブリッジ | スカイツリー | ||
お台場海浜公園 | お台場海浜公園 | ||
レインボーブリッジ | |||
クルーズ船 | お台場海浜公園の観覧車と屋形船 | ||
礼文島の花 | |||
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センダイハギ(先代萩) | リシリブシ(利尻付子) | ||
ノコギリソウ(鋸草) | チシマリンドウ(千島竜胆) | ||
レブンウスユキソウ(礼文薄雪草) | チシマワレモコウ(千島吾亦紅) | ||
イワギキョウ(岩桔梗) | ツリブネソウ(釣舟草) | ||
2016年9月01日 | |||
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稚内公園・稚内駅 | 北海道稚内市 | ||
思い立って学生時代の昭和43年(1968年)以来48年ぶりに日本最北端の街・稚内に行って来ました。羽田空港から直行便で約2時間弱で稚内空港に到着、かっての旅に比べて格段に便利になりました。最初に市街地の高台にある稚内公園にきましたが、あいにくの曇り空で、本来ならば海抜240mから360度パノラマが雲の中でダメ、、、、、、、しかしながら街のシンボルの高さ8mほどの門の間に女人像が立ち、その肩越しに帰らぬ樺太を望み望郷の念を表す「氷雪の門」をはじめ、旧ソ連軍の侵攻で自らの命を絶った電話交換手の慰霊碑「九人の乙女の碑」、日本初の南極観測に貢献しながらも、やむなく置き去りにされ、1年後に生還したタロとジロ。この2頭を含む多くの樺太犬の訓練地であった公園には「南極観測樺太犬訓練記念碑」など激動の昭和史に触れる所でもありました。ここはJRの駅も、線路も踏切も最北端の場所です。 | |||
機内から望める利尻富士(標高1721m) | 機内から望む宗谷湾とノシャップ岬 | ||
昭和43年当時の開道百年記念切符の「氷雪の門」 | 「氷雪の門」 | ||
南極観測樺太犬訓練記念碑 | 樺太犬供養塔 | ||
真岡(現ホルムスク)郵便局の九人の乙女の碑 | 枕崎線西大山駅から宗谷本線稚内駅まで最北端の線路 | ||
2016年9月02日 | |||
利尻島 | 北海道利尻郡利尻富士町・利尻町 | ||
稚内港からフェリーで1時間40分で利尻島・鴛泊(おしどまり)港に着きます。気温30度超えの関東地方から来ると18度の気温は寒く感じます。利尻島は、日本百名山に選ばれた利尻山をようする周囲約63Kmの円形の北海の狐島ですが、周回道路がありますので鴛泊港から時計回りに周ります。原生林の中に静かに水をたたえる周囲1Kmほどの姫沼、晴れていると利尻山頂が見えるそうですが残念、曇りです。オタトマリ沼では雲の中から利尻山・山頂がやっと出ました。その先には北海道銘菓「白い恋人」のパッケージに使われた雪山の写真スポット「白い恋人の丘」もありますが、今日は雲の中で全景が見えません。嵐の中、難波しかけていた船が弁天様のご加護で難をのがれた伝説に基づく「北のいつくしま弁天宮」、その気になって見れば「寝熊の岩」、「人面岩」を笑いながら見て進むと沓形港。島をほぼ3/4周して、ここから再びフェリーで礼文島・香深港にわたります。所要時間は約40分で到着。 |
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稚内港でのフェリー(3,500トン)乗り場、 | 利尻島・鴛泊(おしどまり)港入口のペシ岬 | ||
姫沼 |
姫沼ではナナカマドの紅葉が始まっていました | ||
ラナルド・マクドナルド上陸記念碑 | オダトマリ沼 | ||
利尻の代表的な景観のひとつ、利尻山全体が沼に鏡写しになれば最高ですが、山頂が見えただけでも良しです | |||
北のいつくしま弁天宮 | 「寝熊の岩」と言われれば、そのように見えるかも | ||
目を閉じた男性の横顔に見える「人面岩」 | 沓形港沖の船上で見る利尻島 | ||
礼文島 | 北海道礼文郡礼文町 | ||
礼文島は、車道が東側の沿岸部にしか無いので島の西側は歩いて進むしかありません。このためか海抜ゼロ・メートルから高山植物が咲く希少な島です。限られた時間での観光ですので今回は、車で行ける所を中心に訪れてみました。香深港からまず最初に先端の金田ノ岬に行き、ここから対岸のスコトン岬とトド島を見た後に船泊漁業組合の直営店でムラサキウニやイクラ、ボタンエビ、ホタテなどの船盛御膳を堪能して西上泊、澄海(すかい)岬、礼文島最北端のスコトン岬に向かいました。雲が途切れて時折青空の見える天気でしたが、湾の青さは感動ものです。スコトン岬からは来た道を戻り桃岩展望台までハイキングしながら高山植物の花畑を歩きました。今日は港のフェリー・ターミナル近くのホテル礼文に宿泊です。 | |||
礼文島・香深港と港にある宿泊したホテル礼文 | 金田ノ岬から見た対岸のスコトン岬とトド島 | ||
金田ノ岬付近の浜での拾い昆布 | 船泊漁業組合直営・食事処「あとい」の船盛御膳 | ||
澄海(すかい)岬から見えるゴロタ岬(黒い影) | 澄海岬展望台から | ||
澄海岬に抱かれた湾の美しさと稲穂ノ崎、ゴロタ岬の景観 | |||
西上泊(にしうえどまり) | |||
礼文島最北端のスコトン岬 | 岬からはトド島、快晴時にはサハリンも見えるそうです | ||
最北端のトイレがスコトン岬にありました(笑) | 桃岩展望台までハイキングしながら高山植物の観察 | ||
桃岩展望台 | 桃岩からみる香深港 | ||
2016年9月03日 | |||
稚内市・宗谷岬・宗谷丘陵 | 北海道稚内市 | ||
礼文島・香深港からフェリーで約2時間、稚内港に戻り、1936年にサハリン航路の連絡船波止場までの防波堤として建設された全長427m、高さ13.6m、70本の円柱が連なる古代ローマ建築を思わせる類のない半アーチ型の北防波堤ドームや終戦まで日本領だったサハリンのコルサコフ(大泊)への連絡船が就航していた稚拍航路記念碑を見物しました。その後、猿払村を経由して日本最北端の宗谷岬に向けて進みます。岬一帯は宗谷岬公園として整備され、岬の突端、北緯45度31分22秒に建つ「日本最北端の地の碑」と間宮林道の立像や丘のうえにある旧海軍望楼などの史跡、戦没者慰霊の「平和の碑」、「あけぼの像」、1983年9月に起きたサハリン沖の大韓航空機撃墜事件の遭難者慰霊の「祈りの塔」などのモニュメントは最北の国境の街ゆえの歴史を伝えています。雄大な起伏が続く宗谷丘陵を車窓から見ながら空港に戻りました。 | |||
半アーチ型の北防波堤ドーム | 古代ローマ建築を思わせる北防波堤ドームの内部 | ||
終戦まで連絡船が就航していた稚拍航路記念碑 | 樺太に渡り間宮海峡を発見した間宮林道の立像 | ||
昭和43年当時建つてた旧「日本最北端の地の碑」 | 「日本最北端の地の碑」 | ||
宗谷岬公園の丘の上から見た「日本最北端の地の碑」 | |||
帝政ロシアとの戦いに備えた旧海軍望楼 | 戦没者慰霊の「平和の碑」 | ||
牛乳100万トン・飼育50万頭突破記念の「あけぼの像」 | 大韓航空機撃墜事件の遭難者慰霊の「祈りの塔」 | ||
2016年7月02日 | |||
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慶長使節船ミュージアム サン・ファン館 | 宮城県石巻市渡波 | ||
3回目になる東日本大震災復興支援の名目での大学時代の友人達の集まりを今年は、宮城県の女川で行う事になり仙台駅から女川に向かう途中にある宮城県慶長使節船ミュージアムが東日本大震災後、長らく閉館していましたが再開館したので寄ってきました。支倉常長らを乗せた使節船がメキシコ経由でヨーロッパに向かったのは、慶長の大地震(1611年)から2年後の事です。このプロジェクトこそが、伊達政宗による復興事業の一環だったのではと言う見方が東日本大震災以降は有力になっているそうです。さきの東日本大震災によってサン・ファン館自体は被災しましたが復元船サン・ファン・バウティスタだけは、押し寄せる津波にも耐え抜いたそうです。かって太平洋の長旅を支えた洋式木造帆船ですが、その耐久性は何の因果か400年後に再び起きた震災にも負けず立証されました。 | |||
2016年7月03日 | |||
女川町地域医療センター(町立病院) | 宮城県牡鹿郡女川町 | ||
女川町地域医療センター(病院)は、昨夜宿泊したホテル華夕美から約5Km、車で10分足らずのところにあり、海抜約15mの高台に建つ病院の床上2mまで津波が来たそうです。水位がマークしてありますが、津波の凄さが実感できます。女川の街が見下ろせますが何もなくなっていました。女川町の場合、海側に開いた細長い谷地であるために、行く手を狭められた水が勢いを増し、さらに高い波となった結果、高さ17mの津波が病院を襲ったと考えられています。 |
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病院前の高台から海岸方向を見るが、、、 | 病院前の高台から陸地方向を見る | ||
千年後の命を守るために、大きな地震が起きたら、この石碑よりも高い所に逃げなさい、、、と刻まれています。 |
病院の入口の柱にある津波が来た水位がマーク | ||
石巻市立大川小学校 | 宮城県石巻市釜谷山根 | ||
震災の大津波で児童74人と教職員10人が亡くなった石巻市立大川小学校の被災校舎を見てきました。かっては立派な建物でしたが津波の力には、ひとたまりもありませんでした。保存か解体かを巡って地元住民による話し合いの結果、大川小周辺を追悼するための祈念公園として整備することを検討するようで、良かったです。解体してしまうと時とともに記憶が薄れていくので、、、 | |||
震災前の学校 | 現在のすがた | ||
2016/8/1付 朝日新聞記事より |
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南三陸町防災対策庁舎 | 宮城県本吉郡南三陸町志津川 | ||
旧志津川町の町役場の行政庁舎の1つとして地上から高さ約12mの屋上に避難場所がありました。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した時、当初の6mという津波予想のため庁舎に留まり避難しなかったのが、犠牲者を大きくする一因となりましたが、、、。2階に危機管理課があり、津波来襲の15時25分頃の最期まで防災無線放送で繰り返し住民にで避難を呼びかけ続けて犠牲になった女性職員の行動は、「多くの命を救った命懸けのアナウンス」と大きく評価されました。 | |||
南三陸町防災対策庁舎 | 南三陸さんさん(仮設)商店街 | ||