ヤコブ教会
マグリット美術館
王立美術館

ワーテルロー(Waterloo)@ベルギー
ブリュッセルの南約18Kmにある人工の高さ40.5mの小高い丘の上には、重さ28トンの「黒いライオン像」があります。これは1826年にナポレオン率いるフランス軍と戦い当時のオランダ・ベルギー軍の指揮官オラニエ公王子の名誉の負傷を記念して造られたものです。約30万人の兵士が集結し、半日の戦いで約5万人が死傷した古戦場跡です。

ナミュール(Namur)@ベルギー
ベルギーの南東部のナミュール、リュクサンブール、リエージェの3州をアルデンヌ地方と呼びます。フランス、ドイツ、ルクセンブルクと国境を接し、古代から交通・戦略上の要衝にあり、中世から18世紀にかけて数多くの城や要塞が建てられ戦渦が絶えず、破壊と再建が繰り返されたが、今では「ムース川の真珠」と讃えられる美しい町に変りました。豊かな清流と森が織りなす自然の美しさでも知られ、うっそうとした緑の丘陵地帯に古城が点在するアルデンヌ地方の玄関口の町です。

聖ルー教会
国立美術館の前には、代表作の「ひまわり」を所蔵するゴッホ美術館、モダンアートの殿堂で「バスタブ」の形の新館を持つ市立美術館や世界中の有名ミュージシャンのコンサートが開かれる王立の管弦楽団が本拠地とするコンセルトヘボウが集まるミュージック広場が広がっています
ゴッホ美術館
サン・ミッシェル大聖堂
ブリュッセル中央駅前から望むグランプラス
「夕日と種をまく人」
「4本のひまわり」
ルーベンスの「聖バーフ修道院入門」
ファン・アイク作の祭壇画「神秘の子羊」   実物は撮影禁止なので、レプリカの部分コピー
「ゆりかごを揺らす女」
「ミリエ少尉の肖像」
ゴッホ作品以外にも著名な作品も多数ありました。
ルノアール作「道化」
クロード・モネ作「水上のアトリエ」
エドゥワール・マネー作「自画像」
クレラー・ミュラー美術館、
国立公園の真中にあるクレラー・ミュラー美術館は、自然のまっただ中で芸術を楽しむことができるユニークな美術館です。ヘレーネ・クレラー・ミュラーの夢は、「美術館の家」をつくることでした。そして夫の財力とアドバイザーの助言を元に、11,500 点を超える美術品を購入し国に寄贈し1938年、デ・ホーヘ・フェルウェ国立 公園内に、美術館をがオープンしました。世界的に知られるようになったのは世界最大のゴッホコレクションです。「アルルのハネ橋」「ひまわり」「夜のカフェテラス」「自画像」など有名な絵を所蔵しており国立ゴッホ美術館と並んで・ゴッホ・コレクションの双璧です。また美術館の周りの庭園はヨーロッパ有数の屋外彫刻庭園で公園内の緑豊かな環境にあり、彫刻と庭園、公園が見事に調和して「箱根の彫刻の森美術館」のモデルにもなっています。 
グラスレイ
昔は港だったレイエ川沿いに並ぶギルドハウス。レイエ川を挟んで東側をグラスレイ、西側をコーレンレイと呼び当時の商人達の冨と力を象徴するかのような壮麗なギルドハウスが立ち並んでいます。
上はゴッホの「アルルのハネ橋」、下は「夜のカフェテラス」、右側はモデルとなった場所で、実際に2009年11月28日に訪問し撮影した所です。
聖バーフ大聖堂、
12世紀に建設が始まり16世紀に完成した大聖堂の中に入ると、高い天井、豪華な装飾に目を奪われます。有名な絵画ではルーベンスの「聖バーフ修道院入門」や、ファン・アイク作(兄弟合作とも)の祭壇画「神秘の子羊」があります。象徴性豊かなフランドル絵画の頂点に立つ作品です。
大聖堂とファン・アイク兄弟の銅像
再びアムステルダム市内に戻り中心部のダム広場から散策をします。

デルフト(Delft)
中国の陶器や伊万里焼に影響を受けたデルフト・ブルーと呼ばれる独特の白とブルーのデルフト陶器で有名な町で、今でもデルフト生まれの画家フェルメールの傑作「デルフトの眺望」さながらに、縦横に流れる小さな運河が古いレンガ造りの家並みを映し昔ながらの素朴な美しさを残すチャーミングな町です。

ゴヤ
王宮
ビール博物館
マルクト広場周辺の店で、おやつにブリュッセル・ワッフルを買い求めて、再びダイフェル運河沿いの道に戻ります。
救世主大聖堂
ブルージュのシンボルである鐘楼
聖母教会の122mの塔
ドム塔
ユトレヒト大学本部、
ドム広場の南に接して1636年に創設された大学で中には1409年に造られた教会の参事会室があり、ここでヤン・ファン・ナッソーらによりユトレヒト同盟が結ばれました。大学の前には彼の銅像があります。
駅前大通りにあたるダムラックに面して高級デパートのバイエンコルフや、ダム広場周辺にはマグナ・プラザなどの店が並びます。夕食は、その先にあるオランダ料理のハーシェ・クラース(Haesje Claes)で名物のニシン料理(ハーリング)に舌鼓をうちました。
メムリンク美術館
聖母教会

2015年1月21日〜30日

次に、中央駅前の発着場から運河クルーズ船に乗り水面から世界遺産のシンゲル運河地域を観光します。 北のベニスとも呼ばれる”水の都”アムステルダムには、大小165の運河と1300余りの橋があり、この運河地域の景観は、17世紀初頭の都市計画に基づいて建設されました。これは、同心円の円弧上の運河のシステムを利用して沼沢地の排水を行い、その隙間を埋めることで都市を拡張していくという長期計画で、拡張された地域には切妻の家や多くのモニュメントなど、均一の取れた都市景観が造られました。この都市開発は、当時最も大規模で均一の取れた大規模な都市計画のモデルであり、19世紀まで世界の都市計画の手本となっていました。2010年には世界遺産登録されています。運河沿いの間口の狭く装飾の美しい建物やシンゲルの花市、いろいろな形の跳ね橋を見ながらの水上からの観光です。最後はダイヤモンド研磨工房の見学をしてから約45Km南のユトレヒトへ向かいます。
アントワープ(Antwerpen)@ベルギー
15世紀後半にブルージュを追い越してフランダースの毛織物交易の中心地となり、さらに16世紀にはスペインやポルトガルが植民地から仕入れた品物をさばいて隆盛をきわめました。一時スペイン領となって衰えましたが、現在は活気のあるベルギー第二の都市、バロック芸術の花開いた芸術の都として、画家ルーベンス生誕の地として、ダイヤモンド取引の中心地として国際的に知られています。日本人にはとくに名作「フランダースの犬」の舞台の町として有名です。
マルクト広場
市の中心となる広場で四方にそれぞれ魅力的な建物を配したヨーロッパでも5指に入る美しい広場です。中央のヤン・ブレーデルとビーテル・デ・コーニングの銅像は、フランスの圧政に対して立ち上がった14世紀のブルージュの英雄です。北と西側には切妻屋根のお店が、東側にはネオゴシックの州庁舎が、南側にはブルージュのシンボルである鐘楼並びます。鐘楼は13世紀に建設されたものですが、その後拡張されて高さ83mです。
聖血礼拝堂
ゴッホの「静物」
ゴッホの「フェルト帽をかぶった自画像」
西教会、
アンネ・フランクの家のすぐ隣にあるアムステルダム随一の高さ85mの塔をもつ教会です。塔の上にある王冠は15世紀末に、この地方を支配していたオーストリア皇帝マクシミリアン1世を記念したものだそうです。レンブラントは、ここの教会の共同墓地に葬られています。
マウリッツハイス美術館、
17世紀にブラジル提督オラニエ家のヨーハン・マウリッツ伯爵の私邸として建てられたオランダで最も美しい建物の一つといわれるルネッサンス風の建物でオランダ・フランドル絵画の珠玉の名品のコレクションで有名です。特にオランダの国宝的絵画のレンブラントの「デュルフ博士の解剖学講義」とフェルメールの「真珠の耳飾の少女」や「デルフトの眺望」は特に有名です。2012年4月より美術館本体の工事が始まり閉館されましたが、2014年7月に再オープンされましたのでやって来ました。

悠久のポルトガル8日間

市庁舎
シタデル(城砦)
ダム広場、
ダム広場は街の心臓部に位置しています。広場の一方は、大道芸人と無数の鳩のホームベース。そしてその反対側には、白い彫像が建っています。これは、1956年に造られた第二次世界大戦戦没者慰霊碑で、最も重要なオランダでの戦没者慰霊碑として国の史跡に指定されています。
ダイフェル運河
ノートルダム大聖堂
1621年創建のイエズス会の教会で1935〜38年に再建されました。北側入口部分はルネッサンスとバロックの様式からなり創建者たちの像が飾られ、憲法広場側の入口にはマリア像が飾られ、細い尖塔、丸天井、放射状に延びた祭室に特徴があります。
ダルム広場
昼食はグランプラスに面して、窓から市庁舎を望める、この店で「ムール貝の白ワイン蒸し」です。5合釜くらいの鍋に山盛りで出てきましたので最初は驚きましたが完食しました。
小便小僧 と 小便少女
7世紀にJ. デュケノワによって作られた可愛らしく意外と小さい彫像です。マヌカン・ピスとかプチ・ジュリアンと呼ばれているブリュッセルの最年長市民で、今までに2度も盗難に遭っています。彼は数世紀に渡り一人ぼっちでしたが、現在はジャネケン・ピス(小便少女)という女の相方が出来ました。彼女は誘拐されないように檻の中に入っていました。
愛の湖公園
中世ブルージュの内港だった所で、今では運河と水門で仕切られて湖となっている静かな公園です。ここを出発点にして散策を始めます。
ブルグ広場
運河側から公文書館の通り道を中に入るとブルグ広場になります。向かって左から旧裁判所、ルネッサンス様式の公文書館、そして1376年から1420年にかけて建てられたベルギーで最も古い市庁舎の一つがあります。
昔の教会は、お布施を取って”神の御加護がある”キリストの画を見せていた時代があり、名作「フランダースの犬」の少年ネロもひと目見たいと憧れていましたが貧しい為に、それがなかなかかなわなかったルーベンスの絵や、愛犬パトラッシュと毎日牛乳を運んだ牛乳市場跡が、ここにあり「フランダースの犬」人気が日本人の間で高いためか大聖堂前広場の中央に「ネロとパトラッシュの石盤」が日本企業の提供で造られていた事は新たな発見でした。
フルン広場のルーベンス像とノートルダム大寺院
「キリスト降架」
フェルメールの「デルフトの眺望」
グローテ・マルクト
アントワープの中心にある広場で、まわりを取り囲む市庁舎やギルドハウスの眺めは圧巻です。市庁舎Stadhuisは1561年から1564年にかけて建造されたルネサンス様式の建物。広場の中心には1887年のジェフ・ランボー作のブラボー像の噴水があります。ブラボーBraboとは、ブラバントという名の紀元となった古代ローマの兵士の名で、スヘルデ川で暴威をふるっていた巨人アンティゴーンの手(ant)を切り取って投げた(werpen)という伝説に登場する英雄です。この伝説はアントワープ(アントウェルペン)という地名の由来といわれています
王の家
1376年に着工、1420年に完成したフランダース最古のブリュッセル市庁舎
アムステルダム中央駅
東京駅のモデルにもなったと言われる中央駅は1889年に開業しました。多くのアムステルダムの建築と同様この駅舎も多数の木杭基礎の上に建設されているため、定期的に地盤沈下の被害もありました。しかし建設から1世紀以上経た現在、毎日約30万人が利用する重要な鉄道交通の要へと成長したのです。アムステルダム中央駅最大の特徴は、アーチを描く列車舎の屋根です。最大の列車舎は幅45メートルもあり、そのトラスやファサードには装飾が施されています。
聖ニコラス教会
旧証券取引所
マルクト広場、
新教会は、1381年建立のゴシック様式の高さ109mの教会で、国際法の父と呼ばれるデルフト生まれのグロチウスの像と供にマルクト広場前にあります。向かいには13世紀の監獄が17世紀初めに火事で焼失したためその跡に建てられた市庁舎で、塔は唯一焼け残った部分です。フェルメールの墓がある旧教会の運河沿いから眺める姿はデルフトで最も美しい景色のひとつと言われています。
ビネンホフ、
街の中心にある国会の建物は、ホラント伯爵の宮殿だったもので、最古のものは騎士の館と呼ばれるフロリス5世が建てた国会議事堂です。ここを中心に13世紀以来の由緒ある建物が周辺の広場や並木と調和して700年の歴史を偲ばせています。
レンブラントの「デュルフ博士の解剖学講義」

ザーンセ・スカンス(Zaanse Schans)
アムステルダムの北、約15Kmにあるこの町はオランダらしい風車のある町として知られていますが、町全体が野外博物館のような所です。村の人々が伝統的な民家や風車をここに移転させて保存した”明治村”のような町で、伝統的なチーズ作りを見せてくれる店や、アンティークの店、木靴工房やお土産店などがあります。

フェルメールの「ディアナとニンフたち」
ブラバン公の館
ここでは最初に1653年創立のデルフト陶器の工房「ロイヤル・デルフト・ポルセレイネ・フレス」を見学します。
チーズ作りを見せてくれる店
フェルメールが1660年頃に「デルフトの眺望」こ描いた場所に行ってみました。拡大した絵では画面中央の橋をはさんで左がスヒーダム門、右がロッテルダム門、その向こうに新教会の塔がそびえている構図ですが、古地図や古い版画と比較してみると建物の位置や大きさが変更がされて創作されているそうです。従ってピッタリの場所は無いのですが構図に近い東門付近の場所の写真を撮ってきました。
アンドリアーン・コールテの「苺のある静物」
ルーベンスの「ろうそくを持つ老婆と少年」
ルーベンスの「聖母被昇天」
コーレン・マルクトと呼ばれる旧市街の中心
レンブラントの「夜警」、ルーブル美術館にある「モナリザ」プラド美術館にあるベラスケス作「ラス・メニーナス(女官たち)と並ぶ世界三大名画のひとつ
開館前から長蛇の列
アンネ・フランクの像

デン・ハーグ(Den Haag)
日本語ではハーグ、英語ではザ・ヘイグ(The Hague)と呼ばれますが13世紀にホラント伯爵がここに狩猟用の館を建てたことに由来して”伯爵の垣根”の意味の地名です。16世紀にネーデルラント連邦共和国が成立し、ハーグに連邦議会が置かれて以来オランダの政治の中心となり現在も国会議事堂である「ビネンホフ」をはじめとする政府機関、各国大使館が集まり、ベアトリックス女王の宮殿もあり”ロイヤルシティ”の異名をもつオランダ第3の都市です。

国会開会式が行なわれる騎士の館
東方三博士の聖遺物を納めた、世界最大の黄金細工の聖棺
バイエルン窓と呼ばれるステンドグラス

10日目(1月30日)

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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

鐘楼
13世紀ごろにギルドによって建てられたもので、高さ91m。鐘楼の東隣には、1425年に建てられた 繊維ホール(ラシャ取引所)Lakenhalleがあります。

6日目(1月26日)

キンデルダイク(Kinderdijk)
デルフトの南東約30kmのところにあるキンデルダイク郊外の2本の川が交わる一帯には、1740年頃に造られた19基の風車が残ってオランダらしい風景が広がっています。国内でもこれほど多くの風車が残っている場所として1997年に世界遺産登録されました。

今回の旅の目的は、絵画大国オランダで、ゴッホ作品で知られるクレラーミュラー美術館、フェルメール・レンブラントの作品で有名なアムステルダム国立美術館、2年ぶりにリニューアルオープンしたフェルメールの「真珠の耳飾の少女」を所有するマウリッツハイス美術館、フランドル絵画を育んだベルギーでルーベンスの3連祭壇画のあるアントワープ・ノートルダム大聖堂、ヤンファン・エイク兄弟の傑作「神秘の仔羊」のあるゲント・聖バーフ大聖堂などを訪れる芸術鑑賞の旅です。オランダとベルギーは以前にも観光をしていますので、この季節は、比較的航空券も安く観光客も少ないので名画の鑑賞には、ゆっくりと見ることができる旅でした。緯度は樺太と同じくらいの北に位置しますので日の出は8:30頃、日の入りは17:00頃で日照時間は短めです。気温は−2度〜8度位で、思ったよりは寒さは感じませんでした。

憲法広場
渓谷を望むように谷間に突き出た広場で中央には第一次世界大戦の戦士慰霊塔が立っています。高さ40mの塔の上には金色の女神像があります。
アドルフ橋
ペトリュッス渓谷に架けられた高さ46m、長さ84mの石造りの橋はルクセンブルクの下町と旧市街を結び、橋の上から町の独特な地形を見ることが出来ますが、あいにく昨夜の雪と修復工事のカバーで覆われていて見ることが出来ませんでした。。

ルクセンブルク(Luxembourg)
国土は南北82km、東西57kmにわたって広がる神奈川県くらいの広さの国土に、人口は48万人強(神奈川県は約870万人)が住みます。国土の大部分には丘と低い山地が広がり首都ルクセンブルクの標高は379m、最高地点は同国北端に近いクナイフの丘 (Kneiff, 560mです)。ローマ帝国時代から、街道が交わる重要拠点であり、ベルギー、ドイツ、フランスと国境を接するため周辺列強からの侵略を受け続けた歴史と引き替えに、様々な文化が溶け合った美しい景観が生まれました。緑豊かなペトリュス渓谷の上に立つ旧市街と、渓谷の下に広がる町の二つの部分からなるルクセンブルク市。旧市街は、モーゼル川が流れる”北のジプラルタル"の異名を持つ堅固な城塞都市です。

大公宮に隣接する国会

9日目(1月29日)

セルクラースの像とタンタンの壁画
セルクラースは1388年に暗殺された町の英雄で、この像に触れると人々に幸せをもたらすと言い伝えられていますので多くの観光客も触れて行きます。その先の小便小僧までの行く途中の路地にはベルギー生まれの「タンタン」の壁画があります。
王の家
実際には王様が住んだ事は無いが、かってのパン市場の場所に公爵家の館が建ち、16世紀にカール5世の命により現在ある後期ゴシック様式に変えられた。その後砲撃などで傷んだり修復で現在と異なる外観となったが1895年に、カール5世の時代の設計に再建され、現在は市立博物館として使われています。世界各地から贈られた小便小僧の衣装のコレクションなども展示されています。

ブルージュ(Brugge)@ベルギー
ブルージュという名前は古いオランダ語の「橋」または「波止場」に由来するという説や古いゲルマン語の一派から派生している説などがあり、9世紀頃から文献に見られるヨーロッパでも有数の古都です。運河が縦横に走り、その景観の美しさは「屋根のない美術館」と呼ばれるほどの“水の都”ブルージュは、かつては水運を通じて北海ともつながり、ハンザ同盟の町として毛織物の交易で栄え、その頂点を15世紀に迎えています。その後、水路が沈泥のため浅くなり、水路を閉ざされたブルージュは、都市としての機能まで喪失してしまいます。しかしそのおかげで中世以来時の流れを止めてしまったこの街は、ベルギー有数の観光地となり世界遺産にも登録されています。

グランプラスに戻り、1847年に完成したヨーロッパ最古のショッピング・アーケードである「ギャルリー・サン・チュベール」にある1857年創業のショコラティエで、ホットチョコレートを飲み、お土産のチョコレートの買物ですが種類が沢山あって目移りしました。
ロワイヤル広場
広場に面してヤコブ教会、現代美術を収集したマグリット美術館、フランス革命軍によるブリュッセル占領中の1799年にパリのルーブル美術館の分館として設立されブリューゲルやルーベンスの豊富な所蔵品を誇っている王立美術館、王宮などがあります。
芸術の丘
コンベンションセンターの正面に位置し、9つの噴出し口を持つ噴水や、アルベール1世の騎馬像がベルギー王立図書館、ミーテイングセンターといった周囲の建物を見守るかのように発っています。グランプラスにある市庁舎の尖塔も良く見えます。ここを上がるとロワイヤル広場、王宮広場へとつながります
近くにあった本番のブリュッセル・ワッフル屋さんの品揃え

8日目(1月28日)

今日は、再びグランプラス周辺の散策と買物、食事をしてから、ワーテルロー、アルデンヌ地方のナミュールに立ち寄りながら最後の日訪問国ルクセンブルクに向かいます。
グラン・プラス
市の中心となる石畳の広場で、中世には馬上槍試合も行われました。1695年、ルイ14世率いるフランス軍の砲撃に遭い、広場を取り囲む建物のほぼ全てが破壊されましたが、5年後にはもとの姿を取り戻しました。ブリュッセルを訪れる人は必ず一度は足を運ぶ広場で、現在はさまざまなイベントの会場として利用され、いつも人々で賑わっています。かつてヴィクトル・ユゴーは「世界で最も美しい広場」と呼び、ジャン・コクトーは「絢爛たる劇場」とたたえました。主に17世紀の歴史建造物群の市庁舎を中心にギルドハウスや王の家、ブラバン公の館などが立ち並ぶ眺めは圧巻ですので、夕暮れとライトアップを見比べて下さい。。
ベギン会修道院
中世に始まったベギン会は、一人の指導者のもとに質素で敬虔な生活を送る婦人たちの集団で、会院(ベゲインホフ)の中で起居していました。ブルージュのベギン会は、1245年にフランドル伯夫人によって設立されたものですが、現在の建物は17世紀以降のものです。白い建物が緑の中庭を取り囲んで、静穏な雰囲気をただよわせています。現在はベネディクト会女子修道院として利用されています。オードリー・ヘップバーン主演の映画「尼僧物語」の舞台にもなりました。
聖ミヒャエル教会

7日目(1月27日)

昨夜からブリュッセルに2連泊して、ブルージュとブリュッセルを観光します。
ノートルダム大寺院(聖母大聖堂)
1352年に建造が開始され、1533年まで増築が続けられたフランドル地方最大のゴシック教会堂。47個の組鐘を蔵し、123mの高さを誇る北鐘塔は、ベルギーにただ2つしかないブラバントゴシック様式の完全な塔です(もう一つはブリュッセル市庁舎)。鐘楼は世界遺産に指定されています。南鐘塔は資金不足のため未完のまま断念されました。1559年からは司教座がおかれてカテドラルと呼ばれています。堂内には「聖母被昇天」「聖母被昇天」、「キリスト降架」、「キリスト昇架」など、ルーベンスの数々の傑作があります。名作「フランダースの犬」の少年ネロもひと目見たいと憧れた絵として登場することでも知られています。現在「リユニオン」と題してフランス革命以前にノートルダム大寺院が所有していた作品を里帰りさせ特別展示を2017年まで開催する予定だそうですので、ちょうど良い機会にきました。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」
昨日はオランダからベルギーに入り、ここアントワープに宿泊しましたので、今日はゆっくりと市内観光をしてゲントを経由してブリュッセルに向かいます。
今日はアムステルダムからハーグのマウリッツハイス美術館によりながらデルフトとキンデルダイクの観光をしてベルギーのアントワープに向かいます。

5日目(1月25日)

4日目(1月24日)

ドム教会、ドム塔
1254年から1517年にかけて建てられたゴシック様式ではオランダ最古の教会です。ドム広場の西には1321年から1382年にかけて建てられたドム塔がそびえ立ち、街のどこからでも見えます。塔の高さは112mでオランダで最高です。
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」
アトリウムのエントランスホール
まず最初にバスで運河沿いに中央駅前から時計回りに飾り窓地区、ゴッホが故郷の跳ね橋を懐かしんで「アルルの跳ね橋」を描いたとされる「マヘレの跳ね橋」、中世から市の城壁の見張り塔であるムント塔見ながら再び中央駅前に戻ります。
コンセルトヘボウ
国立美術館
オランダ最大のコレクションを誇る最大の美術館です。1800年にハーグの宮殿の美術ギャラリーとしてオープンしたのが始まりで、後にアムステルダムの王宮内に移転し1885年から現在の建物が利用されています。歴史的、あるいは文化的に大きな価値を持ち、最大の見どころとなっているのはレンブラントの「夜警」ですが他にもフェルメールやゴッホなど、17世紀の巨匠たちによる絵画が有名です。

3日目(1月23日)

アムステルダム(Amsterdam)
北のベニスとも呼ばれる運河と橋の街です。アムステルダムという名前は、13世紀にアムステル川の河口をダムでせき止めて町を築いたことに由来し、以来アムステルダムは、自由な貿易港として発展し、各地で迫害された人々を受け入れてきました。新しい血を入れて、町も活気を呈しスペインからの独立戦争の後、17世紀には世界初の株式会社・東インド会社の本拠地として隆盛を極めました。その精神は現在も引き継がれており、多くの移民を受け入れ、各国の文化が違和感なく同居しているコスモポリタンな雰囲気が漂う町です。この辺が我が国と異なる価値観を持っていますね。現在のアムステルダムは、アムステルダム中央駅を中心に市内に網の目状に広がる運河や、その運河に沿って並ぶ17世紀の豪商の邸宅、自転車、飾り窓の女性たち、アンネ・フランクの家などで広く知られています。今日からはアムステルダムを宿泊地にしてオランダの主要都市を観光します。

今朝は、朝一番に8:30の日の出でと共にホテルを出発して、混まないうちに9:00開館のアムステルダム国立美術館を目指します。
デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園(De Hoge Veluwe)
ドイツのケルンから国境を通過してオランダのオッテルロー近郊にあるデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園に向かいます。5500ヘクタールにも及ぶオランダで最大の国立公園でゴッホ作品を数多く所蔵する世界的に有名なクレラー・ミュラー美術館があることから「ゴッホの森」とも呼ばれています。
新教会と旧教会
旧教会
市庁舎
ブリュッセル(Bruxelles)@ベルギー
”湿地帯にある砦”を意味する町の名は979年に時の領主ロートリンゲン公が小さな砦を築いたのが始まりで1000年を越える歴史を誇る古都の香りがあちらこちらに漂っています。その後、地理的条件のよさからケルンとフランドル地方の毛織物通商の中心地として発展し、現在では経済・政治・文化の面でもEUやNATOなどの本部も置かれている為、ヨーロッパの首都としての顔も持つ国際都市となっています。
ブルージュの観光を終えて、ブリュッセルのホテルに戻り、夕刻迫るグランプラス周辺の散策どライトアップ観光です。
アゴラ広場
ブリュッセルのホテル
ケルン大聖堂
157mの高さは、迫力十分で奥行き144m、幅86mもあります。1248年の着工から、途中200年余りの工事中断を経て、1880年の完成までに600年以上の年月を費やしたゴシック様式のカトリック教会で内部も見るべきものも多くあります。天井の高さも43.5mもあり、バイエルン王が奉納したバイエルン窓と呼ばれるステンドグラス、中央祭壇にある「大聖堂の絵Dombild」の祭壇画や、東方三博士の聖遺物を納めた、世界最大の黄金細工の聖棺などがあります。又ドイツで最も訪問者数が多い教会です。
ベルギーと言えばチョコレートとビールが有名な所で、その品揃えには圧倒されます

ケルン(Koln)

ライン川が流れ、歴史ある建築物が多いこの街は、今も中世の面影を残しています。世界遺産のケルン大聖堂には、世界中から観光客が訪れます。オーデコロンとは、フランス語で「ケルンの水」という意味の香水の事で18世紀に、ここで生まれナポレオン軍によりフランスに持ち帰られ広まったそうです。地ビールのケルシュも有名で街のメインストリートのホーエ通りのBrauhaus Sionで焼ソーセージのBratwurstを食べながら飲んできました。また旅行カバンで有名なRIMOWAの本社工場もある街でもあり、日本の値段に比べると格段に安かったのでデパートのGaleria Kaufhof(ガレリア・カウフホーフ)で買い求めました。

ベネルクス三国の観光を終えて、ドイツとの国境を超えてフランクフルトの空港に向かいます。ライン川を越えるとフランクフルトです。
飛行機は往復とも最新鋭の787型機で座席も広くゆったりでした。

ゲント(Gent)@ベルギー
スヘルデ川とレイエ川の合流点に位置し、街の名前はケルト語で合流点を表す「ガンダ」が語源といわれています。16世紀の神聖ローマ皇帝カール5世も、この地で生誕。彼の庇護の下に黄金時代を迎えたこの町は、ブルージュと並ぶ北方ルネサンス発祥の地でもあり、古くからの毛織物の生産と貿易で栄え、近年は臨海工業地帯として発展し、東フランダース地方の中心都市に生まれ変わり、ブリュッセル、アントワープに次ぐベルギー第3の都市ゲントは、中世の輝かしい過去と、活気に満ちた現代とが美しく調和した町です。

聖ヤコブ教会
市庁舎
何故かケルシュは伝統的に200ml入りの細長いグラスで飲むそうです。
1511年創業の自家製ケルシュビールの名店Brauhaus Sion

1日目(1月21日)

「キリスト昇架」

今日は、まったくの移動日です。日本航空便で成田空港からドイツのフランクフルトに向かい、フランクフルトで1泊します。

2日目(1月22日)

文豪ゲーテが生まれた街でもあり、神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠式も行なわれたフランクフルトを夜明け前の7:45に出発してからは、ライン川沿いにマインツ、リューデスハイム、コブレンツを通ってケルンに向かいます。ケルン市内に入ると遠くからも大聖堂が見えてきます。

従来のブリリアントカットに上部16面、下部48面を加えた121面体のダイヤモンド
ダイヤモンド研磨工房
王宮と新教会、
ダム広場の西側に、国賓などの重要なゲストを招く迎賓館として使われている王宮があります。350年前、この建物はアムステルダム市庁舎として建設されましたが1808年にルイ・ボナパルトが居城に接収して以来そのまま王宮として使われています。王宮の右にあるのは後期ゴシック様式の新教会です。新と言っても15世紀に建てられたもので歴代の王の戴冠式が、ここで行われています。
大公宮
かっては市庁舎だった質素な外観の建物で、火災があった後の1572〜74年に再建さました。1895年から大公宮となり大公の執務室兼迎賓館として使われており衛兵の交代式も行われます。
「聖母被昇天」
ユトレヒト(Utrecht)
国土のほぼ中央に位置するオランダ第四の都市で、16世紀の独立戦争では、独立の中心となりスペインの新教徒弾圧に対してユトレヒト同盟がむすばれたことでも名高いところです。1636年から大学が置かれた大学都市ですが近年ではミッフィーの作者、ディック・ブルーナーさんの活動拠点としていることでも有名です。そのせいでしょうか繁華街のデパート、バイエンコルフ(Bijenkorf)の前には、ここでしか見られたない特別なミッフィーの信号機がありました。
ネロも飲んだ井戸と牛乳市場跡
フェルメールの「恋文」
フェルメールの「小路」
アンネ・フランクの家、
フランクフルトから逃げてきたアンネ・フランク一家が1944年に見つかりアウシュビッツ強制収容所に送られるまで2年間隠れ住んだ家で、裏側の建物に通じる回転式本棚の入口や屋根裏部屋など当時の生活をしのばせるものがそのまま保存されています。以前に訪れた時は、あまり混雑もなかったですが今は世界中からの観光客で開館前から長蛇の列でした。また内部の写真撮影も以前は出来ましたが、現在は禁止されていました。
朝起きて見ると一面銀世界ですが、今朝も早めにホテルを出て混まないうちに9:00開館のアンネ・フランクの家を目指します。
ホフフェイファの池手前から望むビネンホフ
レンブラントの「夜警」のデルフト焼のタイル
聖ニコラス教会
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