ロス・インヘニオス渓谷
途中にあるトリニダー郊外のロス・インヘニオス渓谷はサトウキビ畑が広がる地で、今も奴隷達が働いていた砂糖工場が残ります。19世紀に奴隷制度が廃止され砂糖相場は暴落、続く戦乱で街は衰退しましたが、砂糖王イスナガが建てた高さ45mの見張り塔が残り、当時の奴隷達のつらい労働状況を今に伝えています。

サトウキビの絞りジュース
ヘミングウェイ博物館
アメリカ人作家アーネスト・ヘミングウェイは1939年から22年間に渡ってキューバに暮らしました。拠点としたのは、ハバナ郊外のサンフランシスコ・デ・パウラの丘の上の家です。プールもある豪邸は「フィンカ・ビヒア(眺望楼別荘)」と名付けられ、世界を旅しながら彼はここで執筆活動を続け、「誰がために鐘は鳴る」「海流のなかの島々」といった傑作を発表しました。釣りもそうですが、キューバのラムもこよなく愛し、フローズン・ダイキリやモヒートを愛飲していました。彼の遺言によりキューバ政府に寄贈され、そのまま博物館として保存されています。ここにはノーベル文学賞を受賞した名作「老人と海」を執筆した部屋、実際に執筆に使ったタイプライターが残されています。庭には、愛艇「ピラール号」や愛猫の墓もあります。

1492年にキューバを発見したコロンブスが「地球上で最も美しい島」と感嘆したキューバは、アメリカ・フロリダの南145kmに位置し、本島のほか1600あまりの小島や岩礁からなり全長1250kmの細長い国で最大幅も191Kmに過ぎませんがカリブ海最大の島です。カストロやチェ・ゲバラが率いた1959年の革命で社会主義のキューバ共和国になって以来、アメリカと対峙しながら独自の政治・経済を展開し、カリブ海の他のリゾートアイランドとは異なった雰囲気で、50年以上前から時間が止まってしまったような建物や車、「カリブ海の真珠」とも称されるエメラルドグリーンの海と明るい太陽、豊かな自然とカラフルな文化が織りなすラテンらしい空気は、今回の旅の魅力でしょうか、、、。
昨年(2014年)12月17日にアメリカは1961年以来、半世紀以上も外交関係が断絶しているキューバと、国交正常化に向けた交渉を始めると発表しました。今後、国交が回復し、関係改善によってアメリカからの経済封鎖も解かれ飛行機の乗り入れやアメリカ資本の進出で経済環境も劇的に変化し、クラッシックカーやコロニアルな建物といった独特の風景が大きく変わることが予想されますので、その流れの前に独自の文化・経済制度をもつキューバを観光したいと訪問するしてきました。

8日目(3月03日)

7日目(3月02日)

今日は早朝7:55発のエアー・カナダで再びトロント経由での帰国日です。
サン・ホセ民芸品市場
駅近くの埠頭にある倉庫を利用した民芸品市場です。個人営業が認められてから、手芸品、絵画、木彫り製品、マラカス、ココナッツ・ジュース、Tシャツなどいろいろ売られる様になったそうです。技術を売る美容師さんも居て見ているだけでも面白い所です。

6日目(3月01日)

キューバ国立植物園、
600haに及ぶ国立植物園の中に、1989年キューバ革命30周年を記念して寄贈された日本庭園があります。緑と自然に囲まれた庭を作り出すため、全景の中心となる場所に大池を掘り満々と水をたたえ東屋風の建物を配置していますが、年月が経ち手入れの問題もありますので、日本人観光客が行って感動する様な場所ではありませんと言うのが実感です。ただカリブ海特有な花、木々あるいは世界中から集めた各種のヤシの木などが特徴的な植物園ですので、これに興味がなければわざわざ時間をさいて行く程の場所では無いと思います、、、、
毎日記録した体重

5日目(2月28日)

サンタクララ(Santa Clara)
トリニダー北部にある内陸都市。革命軍がバチスタ政権を倒すきっかけとなった襲撃事件の場所で、街中にはチェ・ゲバラが奇襲作戦を練り上げた丘や共産党本部前にはゲバラの像があります。最大の見どころはチェ・ゲバラ霊廟で1967年、ボリビア政府軍により射殺されたゲバラをしのんで1987年にこの地に銅像と霊廟が立てられ、1997年に発見されたゲバラの遺骨も後日納骨されました。銅像の近くには博物館があり、彼をしのぶ展示品が収められています。
今日は、サンタクララと途中のハグエイグランデに寄ってパラデロに向かいます。道路には相変わらず馬車や自転車などなんでも走っています。町の入口には、カーシェアリングが当たり前なのでヒッチハイカーの為に車を止めて方向・人数ごとに取り仕切る黄色い制服を着た公務員もいます。

トリニダー(Trinidad)
キューバ南部の植民都市・トリニダーは早くからスペイン人によって開発され、奴隷と砂糖貿易の中心地として栄えました。大航海時代にヨーロッパに広まった紅茶やコーヒーに砂糖を入れることが流行し、砂糖の生産は労働力となる奴隷貿易とともに一大産業になっていたのです。それは19世紀中頃の奴隷制度廃止まで続き、繁栄を象徴する立派な町並みを残したまま静かに衰退していきましたので町がまるごと博物館のような場所です。道は石畳でとても風情がありますが、とても歩きにくいです。1988年に、世界文化遺産に指定されました。

3日目(2月26日)

 キューバの経済制度、
(※)キューバの通貨は国民が使う人民ペソ(CUP)と外国人が使う兌換ペソ(CUC)の2種類があって交換レートは 1CUC=25CUP、1CUC=124円でした。例えばタクシーはCUP払いのものとCUC払いのものがありますが、外国人観光客はCUP払いのタクシーの利用は不可です。ハバナ名物のクラシックカーのほとんどがタクシーとなっているが、残念ながら外国人の利用は不可。外国人専用のクラシックカーのタクシーはグランカール社が運行しておりGran Carと書かれている車を、旧市街のホテル前などで拾うことができます。当然、外国人価格と現地人価格の二重価格です。国の外貨収入を観光に多く頼る構造と言えます。国民の80%位が国営企業で働き、医療、教育が無料で税金も無く、主要物資は配給制度により支給されますので最低限の生活には困らないそうで生活のレベルアップの為に働いているようです。個人企業や自営業は納付金を収めて指定された業種で政府の許可を得て開業出来るそうです。一般的にアメリカから経済制裁を受けていることもあり、ハバナに限らずキューバのほとんどの店は販売すべき物が不足しているため、ショッピングを楽しめる店は少なくスーパーマーケットも見た限りでは物不足です。
ラ・ボデギータ・デル・メディオ
店を利用した外国人観光客の落書きが特徴の11942年に開店したキューバ料理店兼バー。ヘミングウェイはこのレストランの常連客で入口のカウンターバーの壁には彼の写真やサインがあります。落書きには日本人観光客が書いたものもあるので私も落書きをしてきました。ここの名物カクテルのモヒートを飲みながらの夕食とライブバンドを楽しんでアーネスト・ヘミングウェイの足跡をたどる夜でした。

コッペリア、
キューバでアイスクリームといえば「コッペリア」、というくらいに有名な店で、新市街のベダード地区にある本店は、大きな公園の中に社会主義的建築の2階建てビルがあり、その周りにいくつものカフェテラス、スタンドなどが点在していて、まるで公園全体がアイスクリーム・ショップのようです。規模といい、スタイルといい、アイス屋さんの概念を覆されます。ここでは地元客と外国人観光客が買えるエリアに分かれていて、アイスクリームの値段もだいぶ違います(※)。このシステムあってこそキューバという国の経済が成り立っている訳ですが、なんだか地元の人たちが集まるテラスの方が活気があって楽しそうです。俗説では、甘く美味しい物を安く食べられると人は幸せな満足感に浸れるので、この国の政策的な面もあるようですが、、、、いずれにしても私達も含めて皆さん美味しいアイスクリームを食べて幸せそうでした

カリブ海特有な赤い花
バニラの花

セントラル公園周辺
公園の中央に建国の英雄ホセ・マルティの像があります。彼は1868年の第一次独立戦争に16歳で参加し、その後欧米で亡命生活を送りながら後世の思想家、革命家、文学者等に多大な影響を与え、1895年に革命党を結成し第二次独立戦争を指導した人物です。革命広場にも彼の巨大な像もあります。周辺には、1838年に建てられたスペイン・バロック建築のクラシック・バレーの本部ガルシア・ロルカ劇場。その隣にはカピトリオとよばれる1929年にアメリカの国会議事堂を模して幅208m、高さ98mの4階建てで大理石を使い建てられた旧国会議事堂があります。キューバにとってアメリカは「敵国」だから、今となっては皮肉なものですが入り口の彫像は高さ15メートルと世界で3番目に巨大なものです。かつて床に24カラットのダイヤが埋め込まれていた場所は、キューバの道路のゼロメートル地点を示します(現在はレプリカのダイヤです)。

ダイニングルーム

カテドラル
1555年にサンティアゴ・デ・クーバから首都が移されたときに、ハバナの中心として作られたものです。現在の建物は1704年に再建されたキューバ風バロック建築の代表作で、重さ7トンの鐘があります。

アルマス広場と,旧総督官邸
旧市街の中心で、中央に第一次独立戦争を指揮した独立の父カルロス・マヌエル・デ・セスペデスの像があり、東側には1828年に建てられたギリシャ風の寺院エル・テンプレーテがあります。ハバナの町が建設された1519年に、ここのセイパの木の下で最初のミサが行われたと言う記念すべき場所です。広場に面した旧スペイン総督官邸は1776年に建てられ1898年まで総督官邸として、1902年から1920年までは大統領官邸として、その後1958年までは市庁舎として現在は市立博物館として使われています。木々の茂るパティオにはコロンブスの像が立っています。

ビエハ広場周辺,
ビエハ広場は16世紀に作られた歴史ある広場の一つです。周囲を高い天井と木のベランダが特徴の17世紀のコロニアル風の建物で囲まれていましたが老朽化が進んだ物を修復作業でよみがえらせました。

旧市街のマレコン通りからプエルト通り沿いの広場には、第2次独立戦争をアントニオ・マセオと共に戦った革命戦士のマキシモ・ゴメス像や、メキシコ経由でキューバに来てからスペインに渡った侍姿の支倉常長が目的地のローマに向かって扇子を畳んで差し出している像もあります。
執筆した部屋
本棚の上には執筆に使ったタイプライター
フロリディータ
アーネスト・ヘミングウェイが、足しげく通った長いカウンター席が特徴のレストラン&バー。かつて彼が座っていたバー・カウンターの左隅の席には、その等身大の像が置かれています。愛称の“パパ”で親しまれた、ヘミングウェイが愛飲したのは砂糖抜きの“パパ・ダイキリ”でしたが、私は正統派のフローズン・ダイキリ(CUC6)をいただきました。中は多くの観光客で混んでいましたが、生演奏もあり雰囲気の良い店でした。
モロ要塞

ハバナ(Habana)
キューバの首都で、旧市街と新市街にわかれ、それぞれに多彩な見どころがあります。市街は大西洋に面して広がっており世界遺産の旧市街には、カリブ最強の砦と言われた要塞に守られた街に18〜19世紀に贅を尽くして建てられた立派なコロニアル建築が立ち並びます。新市街にはヘミングウェイゆかりのポイントも多くのこっています。まずはホテルから世界遺産の旧市街の観光に向かいます。

共産党本部前のゲバラの像

2日目(2月25日)

カピトリオの前のマルティ通り
「フィンカ・ビヒア(眺望楼)」
眺望楼の最上階からの眺め
トレン・ブリンダード記念碑、
革命勝利の1年前、1958年12月29日にチェ・ゲバラ指揮する革命軍300名が、ここでバティスタ政権の政府軍6000名が迎え撃つサンタクララに突入し武器と兵士を乗せた装甲列車を襲撃して多くの武器を略奪した事がバティスタの亡命を決意させ、革命勝利のきっかけとなった。装甲列車襲撃の場所に列車とモニュメントが残されています。
ロマンティコ博物館
ホテルの前の客待ちのタクシーは、いきなりクラシックカーです。
カバーニャ要塞
フェルサ要塞
パラシオ・デ・バジェの外観と内部
コヒマル(Cojimar)
ハバナの近くにある小さな漁村コヒマルはヘミングウェイの小説「老人と海」の舞台となった場所です。彼はここから愛艇「ピラール号」で釣りに出かけるのがお気に入りで、有名な釣り大会「ヘミングウェイカップ」も、ここで開催されました。 コヒマルの海岸沿いの住宅街の一角にあるヘミングウェイが通ったお店ラ・テレサで昼食です。ドングレゴリオというヘミングウェイの船の船長の名前をとったブルーのカクテルがウェルカムドリンクとして出されました。店内の一角には彼が座っていた席が胸像と共に保存されたいました。
トリニダーの街中には泊まれるような大きなホテルはなく、小さな民宿のようなものだけのようですので郊外にあるカリブ海リゾートのホテルに向かいます。全てがオールインクルーシブのリゾートホテルですが設備は古く使いにくいですが、大きなホテルはここ1軒だとかで、、、、我慢。夜は一応エンターテインメントもありました。

2015年2月24日〜3月3日

モロ要塞
旧市街から長さ733mの海底トンネルで運河を横断して対岸に渡るとモロ要塞です。プンタ要塞とモロ要塞は海を挟んで向かい合い太い鎖を渡してハバナ港に通じる運河を往来する船を管理していたと言われます。その後、要塞の必要性がなくなってからはモロ要塞は牢獄として使われました。現在は灯台としての役目を果たし、要塞から見るハバナの眺望は抜群です。内部には博物館やレストランがあります。

革命広場,
新市街の中心で、毎年5月1日のメーデーなどに、政府指導者の演説が行われ数十万人の人々が集まる場所で、周囲には共産党本部や内務省などの国家の中枢機関があつまっています。内務省の壁にはチェ・ゲバラの肖像が、情報通信省にはカミーロ・シエンフェゴスが掲げられています。

今でも手でトウキビを収穫していました。
港に面して小さな要塞があり、その脇の公園には村民が建てたと言うヘミングウェイの胸像があります。
昨夜泊まったカリブ海リゾートのホテルです。人もほとんどいないビーチはすごく長いです。

サンフランシスコ広場,
イベリア半島からの移民達は何世紀もの間、港の埠頭に面したこの広場に集いキューバ中へ散らばっていきました。広場にはサンフランシスコ・デ・アシス修道院や宗教芸術博物館があります

入口に戻る

海外旅行記の一覧へ

旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

カピーロの丘、
列車モニュメントから南東の線路脇にある丘です。頂上からはほぼ360度の眺望を眺める事が出来ますので、ここでチェ・ゲバラは、奇襲作戦を練り上げたそうです。

4日目(2月27日)

カンテーロ博物館、
ガイドブックには市立歴史博物館と紹介されている所ですがサトウキビ農園主の邸宅だった家で、まるで小さな宮殿のような豪華な暮らしが垣間見えます。この豪華な暮らしは、アフリカから連れてこられた奴隷によってもたらされたといっても過言ではありません。奴隷に使われたと思われる道具類も展示されています。この邸宅にはちょっとした塔がついていますので、この塔にも登ってみます。たかだか3階くらいの高さのはずですが、屋上からの景色は素晴らしいです。遠くにはカリブ海が見えます。山側の眺めは緑がいっぱいで、遠くに見えるのは元修道院の革命博物館の塔です。
今日は、途中のシエンフェゴスに寄ってトリニダーに向かいます。この道は一応高速道路。高速といってもまだ建設中で、フェンスも街灯もないし、人や馬車や自転車、サトウキビを掘り起こす農業機械などなんでも走っています。またキューバでは車のヒッチハイクは当たり前の事で交差点手前や橋桁の下などにはヒッチハイカーが多くいます。場所によっては車を止めて方向ごとに取り仕切る制服を着た公務員もいます。
DODGE

ホセ・マルティエ記念博物館,
広場にあるホセ・マルティの像はイタリア産の大理石を使用しており、高さは18m。その後ろにある塔はホセ・マルティ記念博物館、高さ109mの星形の塔で、1996年に博物館になる前はキューバ共産党のオフィスだった。この塔はハバナで最も高い建造物で、最上階は展望台になっています。

クラシック・タクシーでの市内遊覧観光
レストラン「ラ・フィンカ」で昼食後、クラシックカー(OLDS MOBIL)で市内観光です。もちろんオープンカーで、レストランのあるミラマール地区から宿泊したホテル・オキシデンタル・ミラマールの前を通りコロン墓地の横をを抜けて革命広場で下車観光。再び乗車して海岸沿いにマレコン通り抜けてサン・ホセ民芸品市場までの約1時間のコース(30CUC)をカリブの風に吹かれて気持ち良く疾走ですが、整備不良の車が前で黒煙をはかれると、、、、ゴホッ、ゴホッです。
カピトリオから黄色の卵のような形をした外観(ココナッツの形)の外国人観光客向けの三輪バイク「ココ・タクシー」に乗って映画「苺とチョコレート(原題:Fresa Y Chocolate)」の舞台にもなった、国立アイスクリーム・ショップ「コッペリア(Coppelia)」へ行きます。
キューバ最大のビーチリゾート、バラデロのホテル「イベロスター・ラグナ・アスール」に到着しました。大西洋に面した長いビーチ沿いにあるホテルのひとつで、5つ星のオールインクルーシブですので早速バーでカクテル頂いて、部屋で夕日を見ながらリラックス。
カピトリオ(左)とガルシア・ロルカ劇場(右)
愛艇「ピラール号」
ホテルからマレコンと呼ばれる海岸沿いの道を進むと1930年代に建てられたハバナのシンボル的なナシオナル・デ・クーバ・ホテルや第2次独立戦争の英雄アントニオ・マセオの騎馬像があり、その先に進むと旧市街の中心にはいります。
ハバナ・クラブ博物館、
キューバを代表するラム酒「ハバナ・クラブ」の歴史と製造過程が見学できる博物館で、精巧にできた工場の模型やテイスティングの出来るバーやオリジナルグッズ、各種ラムを販売するショツプも併設しています。
日本庭園の池
日本庭園
サトウキビ蒸気機関車
ハグエイグランデという町で、かってトリニダー駅とイスナガ駅の間でサトウキビを運んでいた蒸気機関車が観光用に運行されていますので乗車してきました。20世紀初頭にアメリカで作られた列車で、「オーストラリア」と言う名前の製糖工場で運行していた物で、今も薪を燃やして動かしています。風情がある木製の客車でサトウキビ畑の中を走り、途中でサトウキビの絞りジュースの試飲もしました。
オビスボ通り、
アルマス広場から西へ延びる通りで、ハバナのメインストリート。アメリカ人作家アーネスト・ヘミングウェイのゆかりの地として有名。彼はハバナを訪れた当初、オビスポ通りに面した1925年開業のホテル・アンボス・ムンドスに部屋を取り、そこを拠点にレストラン&バーのフロリディータや、ラ・ボデギータにたびたび顔を出したと言われています。ヘミングウェイが宿泊したホテルの511号室は現在、博物館として公開されています。
オープンカーから眺めた街の点描
マレコン通り

今日は、まったくの移動日です。日本からは直行便は無く、カナダかメキシコ経由が一般的ですので羽田空港からエアー・カナダ便でトロント経由でキューバのハバナに向いました。入国にはビザの代わりに30日間有効のツーリストカードと呼ばれる一種の入出国カードが必要ですが機内で配布されるので問題ありません。キューバでは国民の教育や医療は無料ですが、観光客には旅行保険の加入が義務付けらていますので英文の旅行保険証かクレジットカードの海外旅行障害保険の付保証明書を持参する必要があります。結果的には入国審査ではチェツクされませんでしたが万一に備えて準備しないと困る局面もあると思います。

共産党本部
バラデロ(Varadero)
ハバナから北西140Kmにある大西洋に面した長さ約25Kmの見渡す限りの白砂のビーチが魅力のキューバ随一のビ−チリゾートです。アメリカの支配下にあった時代、アメリカの富裕層がこぞって別荘を建て、優雅なバカンスを過ごしました。キューバ革命後、富裕層が去ったあとは一般の観光客向けに整備され、高級リゾートホテルや経済的なホテルまでたくさんの施設が並ぶ人気のビーチとなっています。今日は、遅めの11時に出発予定なので短期間の滞在ですが、朝からスパニッシュコーヒーやらピナコラーダなどのカクテルを飲みながらビーチやホテルをゆっくりと堪能します。
夕食とライブバンドを楽しんで外に出るとカテドラルがライトアップされて昼間と異なり幻想的な雰囲気でした。
キューバを走る40〜50年代のクラシックカーは、ほとんどがタクシーとなっているそうです。再塗装した比較的きれいな車やオープンカーは主として外国人観光客相手の兌換CUC支払の車です。キューバ革命前に残されたアメ車が殆どで市内で散見した車を撮影してきました。 

ハバナ旧市街(オールド・ハバナ),
ハバナが建設されたのは1519年。植民地貿易の中心地として、そして現在も首都としてキューバの中心都市です。街の名はもともとこの地を統治していたタイノ人首長・ハバナグアネスからとられましたが、今は先住民の姿を見かけることはありません。1982年に世界文化遺産に指定されました。カリブの富が集まるハバナ港はフランス軍やカリブの海賊たちなど敵対勢力の格好の標的となり、スペイン人はこの街を要塞化しました。対岸にあるカリブ最強の砦と言われたモロ要塞とプンタ要塞、運河の反対側にはカバーニャ要塞とハバナで最古のフェルサ要塞で守られた街には立派なコロニアル建築が立ち並び、スペイン、そしてアメリカの後ろ盾で発展してきたハバナの豊かさが感じられます。

今日は、ハバナに向かって大西洋沿いをバスで進み途中でピナコラーダの有名な店に立ち寄り、コヒマルで昼食です。
ララ・カンヤンチャラというカフェバーにやってきました。この町の有名な飲み物、「カンチャンチャラ」を飲みます。これはラム酒にハチミツ、レモン果汁、水を混ぜたカクテルを素焼きの茶碗のような物に入れて出されます。蜂蜜の甘さが強いので「お子様向きの飲み物」の様な気がしますが?ここではライブバンドもありました。
プンタ要塞
モロ要塞
チェ・ゲバラ記念霊廟、
周囲には何もない所に広大な広場にチェ・ゲバラ記念霊廟があります。銅像の真下辺りにある廟室に入りますが、ここはキューバ人にとっての聖地なのでカメラはもちろん一切の荷物を持って入場は出来ません。1967年、ボリビア政府軍により捕らえられ、翌日の10月9日に射殺されたゲバラをしのんで没後20年の1987年に銅像と、同じく戦闘で亡くなった38人の慰霊を込めて38の石を安置して立てられる霊廟です。1997年にボリビアで発見されたゲバラの遺骨も10月17日に、ここに納骨されています。キューバを石油などで支援してくれた盟友ボリビアのチャベス大統領の看板も広場にありました。
漁村コヒマル
60年に一度咲くセイロン原産のヤシの花

1日目(2月24日)

ホテルに戻るとプールサイドで何故かシンクロナイズド・スイミングのショーとダンスのエンターテインメントがありました。
キューバ最後の夕食は、映画「苺とチョコレート(原題:Fresa Y Chocolate)」の舞台にもなった下町の昔の高級アパートの内部を近代的に改装したハバナでも隠れ家的な有名なレストランLa Guaridaで頂きました。

悠久のポルトガル8日間

サンテシマ教会、
現在の建物は1892年のものですが、マヨール広場の東側に立つ美しいピンク色の教会でトリニダーのシンボルの一つです。今は美しい広場ですが、かつて奴隷の売買が行われた場所でもあります。カンテーロ博物館の上からも見えた革命博物館が近くに見えます。

シエンフェエゴス(Cienfuegos)
トリニダー郊外の大都市・シエンフェゴスは1819年に貿易都市として建設された古都でフランスからの移民が多く、建物も他地域とは少し趣が異なり中心となるホセ・マルティ広場の周りにはコロニアルな建造物が並んでいます。2005年には世界文化遺産に指定されました。またゴルダ岬の先端にある20世紀初頭の邸宅パラシオ・デ・バジェはアラブやイタリアなどさまざまなエッセンスを取り入れて造られた一見の価値がある建築物です。現在はホテルとして使われていますので、ここでランチを食べました。

ナシオナル・デ・クーバ・ホテル
inserted by FC2 system