途中の町の水汲み場
途中の町のマーケット
展望台の物売りと帰宅途中の子供たち
途中の車窓からアジスアベバ工業大学
アジスアベバ大学

コーヒー・セレモニー、
日本の茶道と同様、コーヒーを飲むことを儀式化した作法の一つで、精神的な要素や教養などが含まれるエチオピアの伝統的な習慣であり、他者に対する感謝ともてなしの精神を表すものです。女性が執り行うものであり、エチオピアでは結婚前の女性が身につけるべき作法の一つとされています。冠婚葬祭の際や、大切な客を迎える際などに行われ、使用されるポットやカップなどの茶器は、女性が実母からや嫁ぎ先で代々受け継がれてきた物であることもあります。

客の前でコーヒーの生豆を煎るところから始め、3杯飲むことが正式であることから、1時間半以上かかる場合もあります。その間は香を焚き、客はパンやポップコーン(ファンディシャ)などを食べながら待ちます。コーヒーセレモニーは女性によって進められるもので、ほとんどの場合は一家の主帰がその役目を果たします。

手順は
1.来客がある場合は、まず香を焚きます。(アボル・ブンナでは絶対条件)
2.冷水を2、3回替えながら生豆の薄皮が取れるまでもみ洗いする
3.ブレトメタドと言うフライパン状の平鍋の上でかき混ぜながら妙りあげます。
4.その芳香を充分に楽しめるようにお客の前で妙り上がったばかりのコーヒー豆を器に盛り上げます
5.豆を木製の臼に移して粉になるまでつきます。
6.その間に、ジュバナと呼ばれる昔ながらの陶土製のポットに水を注ぎ入れ、湯を沸かす。
7.コーヒーの粉を加えて、一緒に煮出します。
8.敷台に置き粉が底に沈むまで待ちます。
9.取っ手の無いデミタス・カップにそのコーヒーを注いで客にすすめます

最初のカップは、一番敬意を払われるべき人(通常は最年長者ですが)に注がれ、この序列は一番最後まで守られます。全員が楽しんで飲み終わったら再びポットに水を足して、そのままの粉で二番煎じを沸かします。昔がらのしきたりによれば客からのもとめがあれば三番煎じも許されます。民族によりバターや塩、砂糖を加える飲み方もあるそうです。最後に最年長者が接待側の一家に対して感謝と祝福の言華を捧げて、コーヒー・セレモニーは終結いたします。

ラリベラ(Lalibela)
12世紀後半から13世紀、ラリベラはロハと呼ばれていました。エチオピアを支配したザグウェ朝の聖ゲブレ・メスケル・ラリベラが生まれた時、蜂が群がったといわれ、彼の家族や住民はこれを名君誕生の吉兆と捉え、「蜂に選ばれた者」を意味する「ラリベラ」の名を与えたといいます。 「ラリベラ」という町の名前は、この王にちなんで付けられました。
「ライオンが座っている姿」と言われている正門
聖堂の屋根の「ゴンダールの十字架」
内部の壁はフレスコの宗教画で埋め尽くされています。正面の木の皮に描かれているのが「エチオピアのモナリザ」と呼ばれる宗教画です。

ウラ・ギダネ・ミネフィット修道院,
バハルダール港から1時間程船で渡った対岸の半島にある修道院で、タナ湖周辺の修道院の中でも,一位二位を争う彩色画が見られます。13~17世紀のエチオピア独特のキリスト教絵画が修復・復元され美しく残されています。

全長33m,重さ500tのオベリスク
イタリアから返還された全長24mの物
眼下には昨日見た「神の指」と呼ばれる一枚岩がみえます

エチオピア8日間

お昼は、国立考古学博物館に隣接する「Lucy Gazebo」でナイル・パーチの食事でした。
アスクムはエチオピア北部アドワ山地の麓のエリトリアとの国境付近にある町で1世紀前後に建国されたアクスム王国の首都でした。かつてのアクスム王国の中心地でエチオピア文化の発祥地です。数々の王が栄え多くの遺跡が発見されていて,伝説によるとモーゼの十戒の石板を納めたアーク「契約の箱」が、シオンの聖マリア教会にあるとされています。この王国の王たちは,ソロモン王とシバの女王の子であるメネリク1世の血筋を引いていると言われその遺構が残されています。1980年に世界遺産に登録されています
アスクム(Aksum)

民族舞踊ショー
エチオピアには80を越す民族が暮らしているといわれています。それぞれの民族に独特の動きやステップがあり、とても躍動的な踊りが多くあります。ホテルのちかくにあるオールドアビニシアレストランでエチオピア料理とアムハラ・ダンスショーを楽しみました。

聖ギオルギス教会
聖ギョルギス教会は、他の教会群から離れて、縦横、高さ12mの十字架の形が残るように、巨大な一枚岩を彫り下げて造られています。最下部に入り口以外に開口部はなく,ノアの箱舟を模しているといわれています。また,この教会が彫られた山の斜面がアララット山に見立てられています。教会の内部も柱がなく岩をくり抜いて築かれています。ラリベラの教会の中で最も秀逸とされ、エチオピアといえばこの十字架型の教会を思い出す方が多いといえるほど,ラリベラの教会群のなかでも一番有名な教会です。伝説によると、他の10の聖堂が彫り上げられた後、ラリベラ王の夢枕に聖ゲオルギウスが現れ、この教会を造るように命じたといわれています。

古戦場のアドワ山地
カレブ王神殿跡から,アドワ山地が遠望できます。アドワの戦いは,1896年エチオピアとイタリア侵略軍の戦いです。この戦いで,エチオピアが勝利をし,イタリア帝国のエチオピア征服の野望が潰えることになりました。このエチオピアの勝利は,エチオピアにとってはヨーロッパの植民地政策からの独立の確保であり,ヨーロッパ諸国にとっては,初のアフリカ植民地化政策の失敗でした。歴史的にも意義の高い戦いで、これ以後エチオピアは、アフリカで唯,ヨーロッパからの侵略を免れ,独立を保ち現在に至っている国となったのです。
インジェラを作っている
教会博物館とマリア教会

1636年にファシリダス王により定められてから約200年にわたってエチオピアの首都として栄えたゴンダールは、標高2200メートルの高地にあります。その遷都の理由には、迫り来るイスラムの脅威から国教のエチオピア正教を守るという意図がありました。その後、歴代の王は自らの宮殿とともに多くの教会を建て、街はエチオピア正教の聖地のひとつとなりました。町の入口にはファシリダス王のプールと呼ばれる施設があり、すべての人がそこでエチオピア正教の洗礼を受けてから町に入ったと言われていますが、私達は、最初に昼食のために街を見渡せる小高い丘の上にあるGoha Hotelにチェックインです。

ホテルから見たゴンダール城
Goha Hotel

新シオンの聖マリア教会
モーセの十戒を刻んだ石版を納めた契約の聖櫃(アーク)があると言われているシオンのマリア教会 が女人禁制のため、女性も礼拝できるように1965年に皇帝ハイレセラシェが建てた教会です。外観はラス ミカエル(17世紀)の王冠の形を真似てデザインされており,広大なこの教会内では,色鮮やかなステンドグラスが壁を覆い,中央には繊細な彫刻が施された黄金の箱がおかれているエチオピアでは類を見ないほど広い建物です。

英国王室から贈られたシャンデリア
ダビデ王の音楽の間、コンサートホールです
最も美しい城といわれるメントゥワブ女王の宮殿
デブレ・ベルハン・セラシエ教会、
16世紀に建てられたデブレ・ベルハン・セラシエ教会は、街にある教会のなかで唯一、建てられた当時のままの姿を残す教会です。石のレンガ造りの建物に草ぶき屋根。神聖な内部は土足厳禁です、この教会が,「エチオピアで最も有名な教会」であるといわれる所以は,天井一面が天使の絵で覆われていることによります。聖堂の上の十字架はゴンダールの十字架と呼ばれています。
ファシリダス王のプール(沐浴場)、
普段は水がありませんが,1月に「ティムカット祭」が行われる時には,運河から水を引いてくるのだそうです。ティムカット祭の時には,この周りの8つの教会からアーク(のコピーのタルボット)が運び込まれ,ゴンダール中の人々が集まると言われています。聖職者達の祝福が終わると,群衆が一斉にこのプールに飛び込み,大騒ぎするそうです。プール周囲はガジュマルの大木に囲まれて,アジアンな雰囲気です。ティムカット祭の際の,木製の客席がまだ残されていました。
有名な天井を埋め尽くす80人にも及ぶ天使は「エチオピアの天使」と呼ばれ、全部の天使の顔立ちが違っています。そして,それぞれ違った方向を見ています。これは「神の力は全てに及ぶ」と言う事を示しています。

2015年4月22日~29日

まず香を焚きます
エントット山
頂上は標高3000m程の丘で、展望台からは、アディスアベバの市街地が一望できます。山腹は19世紀に植林事業でオーストラリアから移植したユーカリの森となっています。生活保護として、ある程度の貧しい老女だけが、ここから薪を取る事が許可されて、薪の運搬で幾らかの労賃を稼いで市街地で燃料として売られています。
両脇の門に大きな鳩のモニュメントがある、面白い建物です
夕食をMukush Galleryで食べてから夜間飛行便で帰国
国立考古学博物館
地下1階、地上3階建ての大きな博物館です。1階には王室ゆかりの品々やアクスムの発掘品など、2階には絵画、3階にはアクセサリーや楽器、 農具などの生活用品が展示されています。また、この博物館は地下に展示されているハダールで発見された350万年前の二足歩行の原人アウストラロピテクス・アファレンシスの化石(俗称ルーシー)が有名ですが、展示されているものはレプリカです。
空港から火焔木の花が咲き誇る街を通り、オベリスク群の立っている場所に行くと結婚式の記念写真を撮っているのに出会いました。有名観光地で記念写真を撮るというのは世界的に多いようですが、世界遺産の上に腰かけてですので、、、、驚きましたが、おめでとうです。
豆を妙りあげる
妙り上がった豆を器に盛り上げる
生豆のもみ洗い
第二グループは
①聖ガブリエル教会と聖ラファエル教会
②ベツレヘムのパン工房
③地獄のトンネル
④聖メルクリウス教会
⑤聖エマヌエル教会
⑥聖アバ・リバノス教会 

聖マリア教会
小さいけれど,内部の壁画が綺麗に残っています。

聖ミカエル教会のラリベラ王の十字架、聖ゴルゴダ教会は王の遺体が安置されていて女人禁制です
王家の祈りの場所
聖ミカエル教会と聖ゴルゴダ教会は内部で繋がっています。
地下は墳墓になっていて,幾つかの部屋がある

8日目(4月29日)

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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

聖ギオルギス教会
対イタリアとの戦争(アドワ戦争)に勝利したことを記念し、1896年に時の皇帝であったメネリック2世が建立した石造りの教会です。エチオピア正教の守護聖人であり軍神でもある「聖ギオルギス」に捧げられてます。今までに,ラリベラでも「聖ギオルギス教会」が登場していますが,目的が同じのために各所に存在します。教会は八角形をしていて美しい壁画が自慢の教会で、中でもエチオピアで最も有名な画家、アフェワルク・タクレ(Afewerk Tekle)が描いた3枚の絵画は必見です。教会の前広場の反対側には鐘楼を持つ教会博物館もあり、小さいながらも十字架や司祭服など、貴重な品々がコレクションされています。
当時流行していたビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」にちなんで命名されたそうです。
鐘楼を持つ教会博物館
アムハラ語で「新しい花」を意味するエチオピアの首都として周辺地域を含めると人口約400万人の都市です。中心部にはビルが建ち並び、中国の協力で完成した環状道路もあり、現在は市内鉄道を計画中だそうです。アディス・アベバの標高は2400m、世界で3番目に標高が高いところにあります。また、アフリカで4番目に大きな都市で、街は活気に溢れ、中でも東アフリカ最大の市場「マルカート」周辺は、毎日多くの人で賑わい、その様子をぼんやり眺めているだけでもパワーが漲ってきます。
アディス・アベバ(Addis Ababa)
今日は、国内線で空路、アクスムから首都のアディス・アベバに向かいます。

シオンの聖マリア教会
シオンのマリア教会 にモーセの十戒を刻んだ石版を納めた契約の聖櫃(アーク)があるとエチオピア正教では言われていますが女人禁制の教会です。この教会は333~349年にエザナ王とサザイナ王によって建てられたと言われています。名前はメクネス1世がアークを持ち帰った土地エルサレム(シオン)に由来しています。後にイスラム教徒により破壊されましたが17世紀にファシリダス王によって再建されました。彼の建てたゴンダールの不思議な城と教会上部がなんとなく似ているいるのも不思議です。(写真左から教会博物館、マリア教会、石塀は修道院の建物)

エザナ王の石碑
ギリシャ語、サビアン語、キニツ語の三つで書かれた石碑で、エチオピアの「ロゼッタ・ストーン」です。

シバの女王の沐浴場跡
大きな貯水池で,現在は沐浴や水汲みが出来るようになっていますので、動物も人も利用します。

オベリスク、
アクスム王国期に、王権を象徴するために数多く建てられました。花崗岩で造られた最大の物は高さ約33m、重さ約500トンで現在は地上に崩れた状態で置かれています。二番目の高さ(24m)の物は、ムッソリーニ率いるイタリア軍がエチオピア侵攻した1937年に三分割して、ローマに持ち去られました。このオベリスクがアクスム王国最盛期の技術の最良の例証の一つであることで1947年に国連はオベリスクがエチオピアに返還されるべきであると決議しましたが、イタリアは承諾せず、両国政府の長い外交交渉の末に、2005年に返還されました。三番目の物は高さ23mです。

今日は、国内線で空路、ラリベラからアクスムに向かいます。ラリベラの街では通学生やバス待ちの人々で賑わっています。
セレモニーをしてくれたのは美人さんの店主婦人
臼で粉になるまでつく
粉を加えてコーヒーを煮出す
この後は、昨夜のオールドアビニシアレストランでエチオピアのコーヒー・セレモニー(アボル・ブンナ)体験です。
* コーヒーの名前は原産地のカファから由来しています。世界的にはエチオピアのコーヒーはアラビカと呼ばれていますが、日本ではモカ・コーヒーと言いますが、豆がイエメンのモカ港を通じて広まった事によるそうです。

ナアクト・ラアブ教会、
ラリベラ王で、エチオピア正教の聖人でもあるナアクト・ラアブによって12世紀に崖の洞窟をくり抜いて建てられた教会ですので一見しただけでは何なのかよくわかりませんが近づくと建物に十字架があることで分かりました。洞窟からしたたり落ちている水は一年中耐えることがなく,聖水とされて参詣者に配られています。司祭の方が色々な種類の衣装やクロス(十字架)、それに手書きの聖書などを見せてくれました。

午後は山を下ってラリベラ郊外の山腹の洞窟の中に作られたナクト・ラアブ教会へ。
と言いながらも、昼食は山の上にあるイギリス人経営のオシャレなレストランで食べました。彼女たちはここの従業員です。
このお店の前に可愛い小さな女の子がいましたのでママの了承を得て撮られていただきました。
ここで岩窟教会群の観光を終えてラリベラの街の中心部で散策です。お店はラリベラ・クロスの専門店のようでした。
聖アパ・リバノス教会
4世紀にシリアから来て,キリスト教を布教した聖人にささげられた教会。ヨルダンにあるペトラの神殿のように,岩壁に掘り込まれています。

聖エマニュエル教会
第二教会群で最も美しいと言われる教会ですが、保護のために屋根にカバーがかけられています。第二教会群では唯一岩を彫り下げて造らた教会ですので下から見上げるとその大きさがわかります。

聖ガブリエル教会
元はラリベラ王の宮殿の建物に建てられた教会で、建物の脇に幅50cm位の細い石壁の上に造られた階段を上ると天国に行けると信じられている「天国への道」があります。道は当然、途中で途切れていて、そのまま天国行きになりますが、、、、  二つの教会は,入り口を共有していて,聖所が南と北にあります。宮殿らしくテラスや沐浴場も併設されていますし、アクスム様式の窓も綺麗です。

地獄からの出口
地獄への入口
今朝早くから、鳥のさえずりで目覚めてからホテルの部屋から外を見ると、野生のサルもお出ましになって大自然のエチオピアにいるのを感じます。

5日目(4月26日)

アブラハム,息子イサク,孫のヤコブの墓
地下通路

聖救世主教会
聖救世主教会(マドハネ・アレム聖堂)は、アクスムにあるシオンの聖マリア教会を模したと考えられている長さ33.7m、奥行23.5m、高さ11.5mの世界最大級の岩窟聖堂です。この教会が、ラリベラの岩窟教会の中で最古のものと考えられています。内部にはアブラハム,その息子イサク,孫のヤコブの墓とされる穴があります。

岩窟教会群は,谷を流れるヨルダン川を挟み、第一グループ・第二グループに分かれます
第一グループは

①聖救世主(マドハネ・アレム)教会 
②聖十字架教会 
③聖マリア教会
④聖処女教会 
⑤聖ミカエル教会
⑥聖ゴルゴダ教会 
⑦聖ギオルギス教会

①~⑥は,通路によって繋がっていますが,⑦は少し離れています。
ラリベラ岩窟教会群、
ここには、巨大な一枚岩を掘り下げて築かれた11もの岩窟教会が残っています。教会群は全て地下でつながっているとされ、現在の技術水準をもってしても、この様な建造物を造りえたのかわかっていません。これは12世紀から13世紀にかけてこの地を支配したラリベラ王が1187年にエルサレムがイスラム教徒に占領された時に、ザグウェ朝の首都であるラリベラを、「新たなエルサレムにするように」という命によって築かれたもので、その結果、町には聖書にでてくる地名が数多く付けられ、ラリベラを流れる川もヨルダン川と名付けられました。そのため、この町の地名や岩窟教会の配置には、今でも聖地エルサレムの名前や町並みが反映されています。紀元4世紀にキリスト教が伝えられて以来、エチオピアの人々は、ユダヤ教の流れをくむ古い形のキリスト教を守り続けて現在もキリスト教の巡礼や信仰の地となっています。

4日目(4月25日)

今日は、国内線で空路、アフリカのエルサレムと呼ばれる「ラリベラ」へ向かいます。空港着後、車で標高2600mのエチオピア高原を見下ろしながら進みホテルにチェックインしてからエチオピアで広く信仰されている原始キリスト教のひとつであるエチオピア正教の総本山ともいえるラリベラの岩窟教会群を観光します。
左からイヤス王の宮殿、ファシリデス王の城(不思議の城)、ヨハンネス1世の図書館

7日目(4月28日)

昨夜泊まったYeha Hotelは、丘の上にあるので眺望が良くピラミッドや新シオンの聖マリア教会が良く見えました。エチオピアらしいスカーフのメイドさんも可愛いです。

ブルー・ナイルの滝
ブルーナイルの滝は、現地語でティシサット(水煙の意味です)の滝とよばれています。エチオピア国内を約800Km程流れたあとスーダンのハルツームでビクトリア湖からの白ナイルと合流して世界的にも有名なナイル川となりエジプトを潤して地中海へ流れ込みます。ここはその源流の滝で、高さ約45m、雨期(6~9月)に水量が増すと滝幅は400mにもなるそうですが、今は乾季なので水量に乏しくて、全く迫力がありません。参考に雨期の時の写真をNetから入手して添付しました。

3日目(4月24日)

今日は、早朝に起きて田舎のガタガタ道を進み、昨日見れなかった青ナイルのティシサットの滝へ渡し船で、青ナイル川を渡って見学してから陸路で約185Km離れたゴンダールへ向かいます。6時過ぎですが、人々は仕事のために歩き始め、学生たちは通学を始めていました。

2日目(4月23日)

6日目(4月27日)

ヨルダン川にある十字架
修行者のミイラが納められている穴も
タナ湖上空

タナ湖クルーズ、
ブルーナイルの源流として、注ぐ河口を見ながらタナ湖に沈む夕日観賞を楽しみました。

エチオピア国旗を旗めかせてこの船でセギ半島に向かいます。
エチオピアは義務教育制では無いので、学費は無料でも教科書や文房具などにお金がかかるので大都市でも90%位、貧しい地方では就学率は50%位だそうです。ラりべりでも、ちょうど学校から帰る子供たちと対照的に、広場で焚き木を売る子供たちに出会いました。
カレブ王の地下墳墓、
6世紀にアクスムを統治したカレブ王の墓ですが、石棺があるだけです。石棺に刻まれた十字架と異なるデザインの十字架が壁には二つ刻まれていますが、これは謎の多い十字軍時代のテンプル騎士団が残したとされています。
ゴンダールへ向かう車窓からの景色ですが、車が少ないので皆さんよく歩いています。途中には「神の指」と呼ばれる一枚岩が幾つもそびえています。
アビシリカ(サボテン)の木

バハルダール(Bahir Dar)

ブルーナイル(ビクトリア湖に由来するホワイトナイルと共にナイル川の2大支流のひとつ)の源流で、エチオピアの北西に位置するエチオピア最大の淡水湖のタナ湖の湖岸に開けた町で商業の中心です。赤道の直ぐ北にありますが標高が1880mですので平均気温が20~25度と涼しくすごし易いところです。タナ湖の面積は約3600平方Kmで日本の琵琶湖の約5倍位で、ペリカンなどの大型の水鳥も生息しています。ここには37の島があり、21ヵ所に13世紀以来のエチオピア正教の教会、修道院がありますので、その一つであるセギ半島に船で渡り修道院を見学しました。

乾期の滝
雨期の滝
考古学博物館の立体復元模型
「愛の寺」と呼ばれた、ヨハンネス1世の図書館
イヤス王の宮殿の馬の鞍の形の屋根が壊れて空が見えます
クスクアム教会、
この教会は、1780年にメントゥワブ女王によって建てられた宮殿の、その多くが廃墟になった跡地に建てられたものですが、崩れかかった宮殿の窓の上には刻まれた十字架などを見ることが出来ます。教会の博物館には当時の聖書や、ベッド、三位一体をあらわして三体の人骨も保存されています。
ゴンダールの街中風景
バハルダール空港到着後に、昼食のために最初に宿泊先ホテルにチェックインします。
エチオピアの首都アディス・アベバで8:10発の国内線に乗り換えてバハルダールに向う予定でしたが前述の事情で1本後の便で向かいました。
ラリベラ空港の珈琲セレモニー
アクスム空港
内部は二重のドーナツ型で中央に聖域があり,内側回廊の壁一面に極彩色の壁画が描かれ外側回廊はパティオになっています。壁のフレスコ画の内容は,聖書にある有名な話がモチーフになっているそうです。
周辺には小さなオベリスクがたくさん建っています
男性達は昼間からバーでビール
自家製ビール

今日は、エチオピア航空成田線の就航初日のフライトですが、就航セレモニーに参加する駐エチオピア日本大使、東京オリンピック・マラソン金メダリストのアベベ・ビキラさんの孫らが乗ったエチオピアからの初到着便の遅れと出発前の就航セレモニーのおかげで、出発が、約1時間遅れとなり、アディス・アベバからの接続便に間に合わない幸先の悪い出だしとなりました。まあ最初からは何事もうまくはいかないのと、記念グッズを頂いたので我慢しかないですので報道関係者らに見送られて出発。

カップにコーヒーを注いで完成
今日も、引続きラリベラ岩窟教会群のヨルダン川をはさんだ対岸にある第二教会群を見学する予定ですが、途中で葬儀に参列する白衣をまとった人々の集団に道が阻まれてバス進めなくなり歩いてヨルダン川を渡ります
Tana Hotel
隣接する博物館と展示品
青ナイル川に架かる吊橋

シバの女王の神殿跡
アクスムに住んでいたとされるシバの女王の宮殿跡で、多くの石を積み重ねて整然と部屋が造られた遺跡です。4~6世紀に使われていたといわれますが,現在の遺跡の下にはもっと古い遺跡が残っているようです。宮殿は当時の石で修復されていて,玉座の間、蒸気風呂・祈祷所・パン焼き窯などを見学しました。アジスアベバの考古学博物館には立体復元模型があります。

1日目(4月22日)

島の人はパピルスで編んだ船で航行しています
ゴンダール

東アフリカを代表するアフリカ最古の独立国といわれているエチオピアは、サハラ砂漠以南のアフリカでは、ナイジェリアに次いで二番目に人口の多い国で、特に15歳以下の人口が総人口の約40%を越える若い国です。今回、訪れた北部地域は標高が高く涼しくすごし易く、乾季でしたので、念のため蚊取り線香やダニ・アースを持参して予防はしましたが、これらの虫の被害もありませんでした。隣国には南にソマリア、西に南スーダンと物騒ぎな国がありますが、ここは国連が後発開発途上国と認定した(最貧)国のひとつですが、いたって平和なのんびりした国です。エチオピア国内には、現在も広く信仰されている原始キリスト教のひとつであるエチオピア正教関連の多くの遺跡や文化が残っていますのでエチオピアの秘境に、エチオピア航空の直行便が就航した機会に成田から首都のアディス・アベバへの就航初日の記念フライトで行ってきました。

粉が底に沈むまでの間、鍋でポップコーンを作ります
ポップコーンの出来上がり
聖メルクリウス教会
ラリベラで2番目に大きい教会です。元々は,教会ではなく刑務所だったという説もあり,屋根や壁がイタリアにより破壊されたが,後になって修復して教会として再使用されるようになったそうです。かなり痛みが激しいですが,12世紀の壁画・フレスコ画が残っています
ベツレヘムのパン工房は、聖餐式のパンとワインを用意する場所と言われています。そのあと,人ひとりがやっと歩ける程の「地獄のトンネル」と呼ばれる真っ暗な地下道を照明をつけないで歩く事で地獄の恐怖体験をします。この地獄からの出口が聖メルクリウス教会になります。
テンプル騎士団の十字架
ラリベラの村の散策です。街の中心部とは異なり、かなり貧しい生活の様子がうかがえます。炊事は外で、ちょうど主食のインジェラ(少し酸味のあるクレープ)を作っていました。男性達は昼間からバー(とは言えない小屋)の外でタラペットと呼ばれる自家製ビール(麦のどぶろく風飲料)を飲んでいます。現地ガイドさんも嬉しそうでしたので、付き合って一緒に飲んでみました。見た目も良くないので、おそるおそる飲みましたが味はイマイチ、お腹にも問題無しでした。
エチオピア高原
現地の女性は荷物を頭にのせて運びます。
Loha Hotel
マルカート
東アフリカ最大と称される巨大マーケットです。イタリア語のメルカート(市場)に由来し、イタリア統治時代からこう呼ばれています。「アフリカ最大」と形容される市場は他にもいくつかあるため、その真意のほどは定かではありませんが、大きいことは事実です。エチオピアにある現金の6割が、この場所に集まると言われています。エチオピア国内で入手できる物は、すべてここに集まるそうです。ところが,あまりに広いのと,中の道は迷路状態なので,一度足を踏み込んだら出てこられ無いとも言われますし、当然治安は最悪(スリ、かっぱらい、置引きは普通)なので,我々観光客がバスから降りて歩くのは危険極まりない状態でので車窓観光です。
バハルダール空港
洞窟からしたたり落ちている聖水
通学で渡し船を待つ子供たち
ゴンダール城
ファジル・ゲビと呼ばれる標高2300mの小高い丘に17~19世紀にかけて、歴代皇帝たちが、先代の宮殿を使用することなく、自分の好みに合わせた宮殿や居城を建造しました。その中で6つの城と12ヵ所の城門が残されています。面積約7平方Km、城壁の長さは900mもあるこの城塞は、アフリカのような地域に中世のヨーロッパのような城(ポルトガル人の設計によるため)だったので、失礼な話だとは思いますが、後世になって「不思議の城」と言われれようになりました.。
ファシリデス王の城(不思議の城)
聖ギオルギス教会へ行く途中にマッシュルーム型のエチオピアの代表的な家屋のそばを通りました
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