旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

紅葉の山道を越えてジョージアに入国して、夜間便でトビリシからドーハ経由で帰国です。
面白いパン焼きの工程を紹介します。奥の女性が右端に並べてある「団子」を薄く延ばし・・・手前の女性が振り回しながらさらに延ばし・・・大きなアイロン台のような物で、形を整え・・・釜の壁に貼り付けます・・・焼上がれば出来上がり。この薄いパンに肉や野菜の具を包んだKhurjin(風呂敷)が伝統的な食べ方だそうです。
ハフパト修道院、
アルメニア史上最も美しく壮麗だといわれる世界遺産の修道院です。アルメニア教会に特徴的なアルメニア十字(ハチュカル)は見所のひとつですが、特にこの修道院の聖十字架は「ウラルトゥ王国ハフパトの十字架」とも呼ばれ、最盛期には500人程の学僧が集まったとされ、アルメニア教会の中心的な役割を果たしていました。
アラガツ山、標高4090m

ホルヴィラップ修道院
エレバンの南、車で40分ほどの丘に建つ修道院で、トルコ国境からはたった8kmしか離れていませんのでアララト山の眺望がよい場所にあります。その歴史は4世紀にまで遡り、キリスト教の布教に勤めていた聖グレゴリウスが、捕われて、ここの地下牢に13年間も幽閉された場所として知られています。結局、時のアルメニア王ティリダテス3世がこれに屈し、301年にキリスト教がアルメニアの国教として定められました。また、カルタゴの将軍がここで晩年を過ごしたという伝説も残されています。

エチミアジン大聖堂
アルメニア正教の総本山。エチミアジンとは「キリストが降りた場所」と言う意味でアルメニア教会の創始者、聖グレゴリウスがキリストの降臨をえたとされるこの地に教会を建てたのが始まりで、世界最初の公式の教会の由来だそうです。ここにはカトリックの法王庁に相当する大司教座が置かれ、神学校なども併設されています。また神の祝福の一方、アルメニア民族がみまわれた大虐殺の悲劇も大聖堂には伝えられています。1915〜1923年、ロシアとの領土問題を抱えていたオスマン帝国は領地に暮らすアルメニア人たちを国外追放にします。過酷な強制移住を強いられた人々は飢餓や病気、虐殺などにより250万人中150万人が命を落としていきました、以後、エチミアジン大聖堂は、世界各地に散り散りとなったアルメニア人の精神的支柱となりました。くしくも今年はちょうど100年記念の年です。

旧市街とメテヒ橋とロープウェイを望む
幻の2020年東京オリンピック新国立競技場を設計したザハ・ハディッド氏設計のヘイダル アリエフ カルチュラル センター(写真左)
アカデミーと現代的なハチュカル
信者の宿泊施設
山頂の教会(左)とナリカラ要塞(右)を望む

コーカサス3国8日間

聖使途教会
聖母教会
ガヴィト(回廊)の遺跡

アララト山
「旧約聖書」の創世記によると、アララト山はノアの箱舟が大洪水の後に漂着したと伝えられ所です。標高は5165m、現在はトルコ領内にありますが、アルメニアのシンボルとして国章にも描かれ、人々の心の拠りどころとなっている山で、さしずめ日本人にとっての富士山の様な山です。左側に少し低い山がありますが、これは小アララト山(3925m)です。形的には、こちらの方が富士山に似ています。

山頂の教会
ナリカラ要塞と聖ニコライ教会
鐘楼内部の祭壇
下からカスケードを見上げて

アルメニア・コニャック工場の手前の橋の上からがアララト山が良く見えるポイントです。

2015年10月12日〜19日

1日目(10月15日)

シオニ大聖堂、
6世紀に創建され、長い間グルジア正教の総本山(現在は新築されたツミンダ・サメバ大聖堂が総本山)でもあったトビリシの中心的な教会です。何度かの再建を重ねて、現在の建物は13世紀ごろに造られました。シオニの名はエルサレムのシオニ山からとられています。教会の内部には、ジョージア(グルジア)にキリスト教を伝えた聖ニノの十字架が納められています(陳列されているのは複製品)。数多くのイコンが壮観ですが写真撮影は禁止でした。

黒海とカスピ海に挟まれて東西にコーカサス山脈が横たわる低地からなる地域にありコーカサス山脈を南北の境界線として南コーカサス地方にあるアゼルバイジャン共和国、アルメニア共和国、ジョージア(グルジア)の三国をコーカサス地方と言います。古くからシルクロードの交易路に位置していたいたことから、幾多もの民族が往来し世界の”東西文化の交差点”ともいわれ独特の文化を育んできました。一方、北コーカサス地方の諸民族自治共和国は1991年のソ連解体後でもなかなかロシア連邦からの分離独立が認められないなど混乱が続き、今でもチェチェン紛争が続いています。

入国に際しては、アゼルバイジャン共和国とアルメニア共和国では観光ビザが必要です。

セバン湖、
エレヴァンの東約60Kmにある面積約1256平方Km、最大水深約82mのコーカサス地方最大の湖で、大規模な湖としては世界で最も高地にあるといわれる1897mの高地にあります。湖に突き出た半島の先端には9世紀に創建された、ふたつの修道院(聖使途教会と聖母教会)が寄り添うように並んでいます。この2つの教会の横には、6本の木製の柱でできたガヴィト(回廊)の遺跡も残っています。

7日目(10月21日)

今日は、いよいよ帰国日。アルメニアのエレバンから、コーカサス地方最大のセバン湖周辺の観光をしながらジョージのトビリシに向かいます。

ゲガルト修道院
その起源は4世紀にまで遡ると言われていますが、現在の建物は13世紀の建築ですが、巨岩を掘って聖堂、僧坊、廟を造った洞窟修道院です。ゲガルトはアルメニア語で「槍」を意味しており、これはイエス・キリストの脇腹を刺したとされている槍がここに収められていたからだそうです。現在はこの槍はエチミアジン大聖堂に所蔵されています。断崖に建ち、周囲を厚い外壁に囲まれたような姿は石の国と言われるアルメニアを象徴するような景観です。

機内から見た途中のエヴェレスト上空です。
十字架の石(ハチュカル)
エレヴァン Yerevan、
紀元前8世紀にはすでに存在が確認されており、現存する最古の町のひとつです。過去にトルコでの大虐殺や戦争を逃れてきた人々が大量に移住した為に人口が急増して1920年代にアルメニアの首都となりました。市内の主な建物は、アルメニアで採れる石材を使った物が多く「石の街」とも呼ばれています。街の南にはトルコ領内ですが、アララト山がそびえていて、その姿を見ることが出来ます。街中には共和国広場やソ連時代に造られかけた巨大な階段のモニュメントであるカスケードなどがあります。
アルメニアに入国には事前に用意したVisa申請書と手数料USD$10.00を支払い、右上の様な観光Visaをパスポートに張ってもらい、入国審査に進みます。
宮殿の浴場の跡。タイルが残っています。
宮殿のファサードの彫刻
アルメニア十字架の石(ハチュカル)と神学者
広大な敷地には神学校(左)アルメニア十字架の石(ハチュカル)
交通標識のようにグルジア語は独自の文字を持っていますので読むことはできませんが英文表記もありますので助かります。
今日は、トビリシから国境の街Sadakhloを経て隣国アルメニアに入り、途中での観光をしながらアルメニアの首都エレバンに向かいます。朝日に輝くトビリシの街も見納めです。

5日目(10月19日)

メテヒ教会、
ムトゥクヴァリ川のほとりにある丘の上にある教会で、ここは戦略的な要地として昔は砦があったところそうです。教会は18世紀に造られたもので帝政ロシア時代には監獄となり、文豪ゴーリキーもここに幽閉されていました。川沿いの崖の上には、イベリア王でトビリシの創設者ヴァフタング・ゴルガサリの騎馬像が旧市街を見下ろすように立っています。
ムツヘタ Mtskheta
紀元前4世紀から紀元後5世紀に栄えた古代のイベリア王国の首都であり、この王国は334年にはローマ帝国より早くキリスト教を国教化し、ジョージアはアルメニアに次いで世界で2番目にキリスト教を国教とした国になりました。 多くの遺跡が分布し町全体が世界遺産に登録されています。ジュヴァリ聖堂からの下の写真で、上から流れてくるのがアラクヴィ川、右から左に流れるのがクラ川です。アラクヴィ川はロシアから、クラ川はトルコから流れてきているそうです。写真右が現在のムツヘタ市街です。
アルメニア Armenia
平均標高が約1800mの高原で、国土の90%が標高1000m以上といわれる国です。「旧約聖書」にでてくるノアの箱舟が大洪水の後に漂着したと伝えられるアララト山(現在はトルコ領内)は、アルメニアのシンボルです。ローマ帝国の支配下にあり紀元301年には世界で最初にキリスト教を国教とした国でもありますが、10世紀には異教徒の他民族の流入により、民族全体が国を逃れ、世界中に散らばっていった。19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシアに逃げて行った厳しい歴史を持っています
リケ広場周辺

4日目(10月18日)

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夕食は、共和国広場近くのレストランTavern Yerevanで民族音楽・舞踊を楽しみながらの食事でした。偶然にもワイナリーのオーナーであるMouradianさんと知り合い、彼の造ったワインを頂き、美人姉妹の娘さんを持つ彼の家族と一緒に記念撮影をしてきました。

ガルニ神殿、
現在アルメニアに残る唯一のヘレニズム建築で、神殿を含む建築物は三角形の高台に建っています。この場所に要塞が築かれたのは紀元前3世紀のこと。紀元1世紀にはアルメニア王ミトリダテスの離宮が置かれました。この神殿が建てられた頃のアルメニアは、ギリシャやローマの大きな精神文化の影響を受けてた時代でした。神殿は「太陽の神殿」と呼ばれ、1年に1度太陽が神殿の中を照らす構造になっているそうです。現在の神殿は17世紀の地震で壊れたものを1976年に再建したものです。

共和国広場
街の中心で広場を取り囲むように建てられたホテル、アルメニア歴史博物館、時計台、役所などは石で造られていますが、その色の組み合わせが見事で、特にバラ色の凝灰岩が淡い色合いで街を彩っています。
聖グレゴリウスが幽閉されていたと言われる地下牢も残っており、垂直の梯子で降りていくことができます。名前の通り、けっこう深い穴で、こんな所に13年も閉じ込められて、よく生き延びたなあと驚きます。ある女性が、毎日一かけらのパンを隠れて与え続けたお陰だったという話もあります。
シナゴーグ

3日目(10月17日)

昨夜泊まったトビリシのホテルの屋上から眺めた街の風景です。今日は、ジョージアの古都ムツヘタの観光に行き、戻って来てからトビリシの市内観光をします。
ジョージア(グルジア) Georgia
北はコーカサス山脈を境にロシア、南にトルコ、アルメニア、アゼルバイジャンと接し、歴史は古く、数多くの民族が行き交う交通の要衝であります。その地理的背景から古来よりペルシャ、モンゴル、ティムール等、イスラム系の数多くの帝国、民族の流入、侵略を受けましたが、今でもグルジア正教を国教として信仰し伝統文化を守り通してきました。旧ソ連の構成国のひとつで1991年に独立を果たしました。また温暖な気候を利用したワイン生産の盛んな国で、ワイン発祥の地といわれています。特にサペラヴェ(Saperavi)はジョージア土着のぶどう品種で、クベブリと呼ばれる粘土製のカメに入れて土中に埋めて発酵・醸成させたる独自の製法が知られています。。ジョージアの空港での入国はパスポートのみの簡単な審査でした。
拝火教寺院
この寺院はイスラムの流入によってこの地を追われたゾロアスター教徒がインド西北部に逃れ、その地でシヴァ神信仰と混合するなど、ヒンズー教の影響を受けつつ引き継がれた拝火教が、商人としてこの地に住んでいたパールシーと呼ばれるその信者によってアゼルバイジャンに18世紀に再建された拝火教の寺院です。建物は18世紀のもので比較的新しいが、ゾロアスター教の寺院として、地中から吹き出る天然ガスにより赤々と灯された炎が、火を崇拝するゾロアスター教徒に聖地として見なされて人々の信仰を守ってきました。
大聖堂は三つの鐘楼をもっています
乙女の塔
高さ28m、厚さ約5mの石壁に包まれた要塞。内部にはらせん階段があり、バクーの歴史などの展示を見ながら屋上まで上ることができます。伝説によると、かつてバクーを治めていたモンゴル人の王が自分の娘に言い寄り、これを嘆き悲しんだ娘はここからカスピ海に身を投げたといわれます。展示資料を見ると昔はこのあたりまで水があったことがわかります。屋上に上りましたが、あいにくの雨で街の景色が、かすんでいます。
シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿
旧市街で一番の見どころ。この地を治めていたシルヴァン・シャフ・ハーンの一族によって14〜15世紀に建てられました。丸屋根のモスク、ジワン・ハーンと呼ばれる議会の場、霊廟などが組み合わされ、ひとつの宮殿を形づくっています。それぞれ造られた年代は微妙に違っていますが、全体の均整をこわすことなく調和が保たれています。
ライオンと鷲は王家のシンボル
スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂
ジョージア最古にして最大の教会でグルジア正教の聖地です。、現在の建物は11世紀頃に再建されたものですが聖女ニノによって建立された教会として崇められいます。キリスト教を国教化したミリアン王夫妻の墓があり歴代のグルジア王や貴族は皆ここに埋葬されています。
1215年から1283年にかけて建造された中央聖堂の天井には、イスラム建築のムカルナスの影響ともられる鍾乳石装飾が施され、僧院や礼拝堂、食堂などは聖堂の北側の洞窟に設けられていました
シオニ大聖堂と市立歴史博物館
グルジア正教の教会
カスケード、
市内を見下ろす高台に広場があり、ソヴィエト・アルメニア樹立50周年を記念して塔とカスケードができました。カスケードは、アルメニア共和国にある巨大な階段のモニュメントです。 1971年に建設を開始し、ソ連解体とともに中断されたままですが、カスケードの内部には、階段とエスカレーターが併設されており、エスカレーターに沿って、いくつかの美術館も併設されています。 カスケードの外側は、階段のほかに噴水や彫刻などがそれぞれの階に飾られています。カスケードの上部からは、エレバンの市街を一望でき、アララト山も眺めることができます。
再びエレバン市内の中心部に戻ってきました。
ジュヴァリ教会から見たムツヘタの街(左)と、街中で城壁に囲まれたスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂(右)
ジョージア軍用道路、
5000m級のコーカサス山脈を越えてトビリシとロシアのウラジカフカスを結ぶ約200Kmのハイウェイで、1799年に帝政ロシア軍が軍事用に切り開いたものです。コーカサス山脈と美しい景観が広がり、昔からプーシキンや、レールモントフといった詩人を魅了してきました。ジュヴァリ貯水湖沿いに進むと、城壁に囲まれた17世紀後半に建てられたアナヌリ教会が見えてきます。
カスケードの内部の階段とエスカレーター
宿泊したホテルの部屋から1887年創業のアルメニア・コニャック工場が見えます。1945年のヤルタ会談の時に、これを飲んだイギリスのチャーチル首相が、その魅力にとりつかれ生涯愛飲したと言うエピソードがあるそうですので、私も土産に買ってみました(約10,000ドラムなのでUSD$20位でした)。

6日目(10月20日)

イコノスタシス(障壁

バクー Baku,
カスピ海に面する首都バクーは特に風が強い街として有名でペルシャ語で「風の街」と言う意味があります。ペルシャ時代から栄える港町で、コーカサス3か国で最大の都市です。8世紀に世界で最初に開発された油田があり、石油の恩恵により第二のドバイを目指し急速に近代化への道を進んでいて新市街はヨーロッパの様な街並です。他方でシルクロードと繋がっていた城壁に囲まれた旧市街には多くの歴史的建物が残っています。到着した時は運悪く時折小雨が降る天気でしたが、そんな中を新市街から観光開始です。

アルメニア十字架の石(ハチュカル)」
ジュヴァリ聖堂、
町に入る手前に見える山の頂上には、6世紀に建てられたジュヴァリ聖堂があります。ジュヴァリは十字架という意味で、教会の真上から見ると十字架の形をしています。聖女ニノが十字架を立てたジュワリの丘からジョージアのキリスト教の歴史が始まった聖地です。訪れた時はちょうどミサの最中でした。
アゼルバイジャン共和国 Azerbaijan,
北はロシア、南はイランに接し、カスピ海の原油開発によって急速な成長をとげている、コーカサス3国の中で唯一イスラム教国であり、また世界最古の文明の一つにも数えられている国です。もともとはペルシャ系の民族が暮らす地だったので彼らが信奉したゾロアスター教寺院も多く建てられましたが11世紀以降、トルコ系民族の流入に伴ってイスラム化が進み、現在のアゼルバイジャンの基礎が出来上がりました。

2日目(10月16日)

午後9:00、夕食を済ませた後、散歩がてら再び共和国広場にやってきました。歴史博物館前の噴水は音楽に合わせてパターンが変化しました。
シェマハ門
12世紀から14世紀頃に建造された石造の門です。旧市街を囲む城壁の一部をなしています。
内部には多くのフレスコ画があります。現地ガイドさんによれば、ソ連時代にフレスコ画は全て白く塗られ、ソ連からの独立後、修復したものだとか
国富の源泉、石油採掘の大型機械やパイプライン
地下牢
トビリシ Tbilisi
マルコ・ポーロがその昔「絵に描いたように美しい」と称賛したという町は、ジョージアの首都。6世紀以降この地を支配した王朝はみなトビリシに都を置きました。トビリシという名前はジョージア(グルジア)語のトビリ(温かいという意味)に由来しているといわれています。現在の旧市街は全域が歴史保存区域で、19世紀の街並みが今も残されています。街はムトゥクヴァリ川に沿って北西から南東に広がりっています。ソロラキの丘に立つのは町のシンボルとも言えるジョージアの母の像。右手には剣を、左手にはワインの杯を持っています。これは敵には剣で戦い、友にはワインの杯で迎えるという精神を表しています。歴史的に多民族が共存してきたことから、町中にはグルジア正教のほかロシア正教、モスク、シナゴーグなども存在しています。この日は、たまたま街のお祭りで大勢の人で賑わっていました。
絨毯の形をしたアゼルバイジャン絨毯博物館
ソロラキの丘に立つジョージアの母の像
アルメニア文字公園、
アルメニア最高峰のアラガツ山、標高4090mの麓を通っていく途中にある、アルメニア文字の大きなモニュメントが野原に突っ立っている文字公園に立ち寄りました。アルメニア文字は5世紀初めにできています。景観が良いところなので新婚カップルも家族と一緒記念撮影に来ていました。
夜景と朝焼けの景色、
宿泊したホテルの部屋から見えるナリカラ要塞と街の大聖堂のライトアップと翌朝の景色です。
アゼルバイジャンは火の国だから大きな三つの炎ををイメージしたフレーム・タワー
信号が赤になると支柱まで赤くなる珍しい交通信号です
展望台からカスケードを望む、正面はオペラ座
アルメニアの母像
50周年記念塔
アルメニア歴史博物館
昨日に引き続きバクー市内観光をしてから近郊のコブスタン遺跡の見学に行った後に空路で、ジョージアの首都トビリシへ向かいます。
殉教者の小道
バクー市街やカスピ海を一望する丘の上にある追悼モニュメントです。ここには1990年1月20日のソ連軍の侵攻による犠牲者や、1991年から1994年のナゴルノカラバフ紛争の犠牲者のための墓地があります。アゼルバイジャンがたどった悲劇の歴史を感じることができる場所であるとともに、三つの炎ををイメージしたフレーム・タワーやバクー市街を一望することができます。また、世界最大の湖、カスピ海を望むことも出来ます。
アナヌリ教会、
17世紀初頭の創建の典型的な要塞建築です。城壁と塔は堅固で、城壁の入り口も狭く屈曲しています。城壁内には二つの教会があり、山側はイエスに捧げられた教会、湖側は聖母マリアに捧げられた教会で1689年に建てられています。12世紀に建てられた鐘楼も残っています。アナヌリ教会内の見所は大きなイコノスタシス(障壁)とフレスコの地獄絵図(最後の審判)です。
巨大な入口の門
内側の横から見た入口の門
アゼルバイジャン前大統領の名前を冠したヘイダル アリエフ空港から 隣国ジョージアの首都トビリシへ向かいます。
鐘楼内部の真下から見上げた天井
アゼルバイジャン共和国のVisa

8日目(10月22日)

コブスタン遺跡と、博物館
バクーの南西に広がる世界遺産に登録された石器時代の遺跡です。大コーカサス山地の支脈の一つが、 長い年月で 柔らかい粘土質の土壌が地殻変動や浸食作用によって 多くの峡谷が誕生しました。 こうしできた多くの渓谷の洞窟が、 石器時代の人々の住居として使われた痕跡があり、壁には人、牛、鹿、ヤギ、馬などの動物が描かれています。

平和橋周辺

今日は、まったくの移動日です。成田空港からカタール航空機でカタールの首都ドーハ経由でアゼルバイジャンのバクーに向います。

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