フィッツ・ロイ
世界のクライマーの聖地と呼ばれる高さ3405mの岩峰で、その急峻な傾きに激しい気流があたることで山頂に常に白い雲ができていた事から先住民に「白煙を吐く山」、エル・チャンテンと呼ばれています。アウトドアブランドPatagoniaのロゴに使われている山としても知られています。今回、私達は天候に恵まれて、雲のかからない山全体を見れました。 夕暮れ時(21:55)の撮影も試みましたが、いまいちなので翌朝の夜明けに再挑戦します。

クエバ・デ・ラス・マノス(手の洞窟)、
サンタ・クルス州にあるグランドキャニオンを彷彿させる壮大な台地(ピントゥラス川流域の渓谷)にある洞窟で、その名の「多くの手の洞窟」を意味する通り、多くの手の跡が残された洞窟です。奥行き24m、幅15m程の洞窟の壁一面には800もの手形が残されています。これらは、壁に手のひらを押し当てた上から顔料をかけたり、顔料を塗った手のひらを岩肌に押しつけたりして描かれました。理由は未だ解明されていませんが、これらのほとんどは左手となっています。これらはいくつかの年代に分かれて描かれており、最も古いものは紀元前7320年のもので、この地に断続的に移動してきた住民によって描かれたものだとされています。約270mの範囲に点在する壁画の中には、この地域に多く生息しているグアナコやニャンドゥなどを狩猟する絵もあります。

トロント空港
洋上の夜明け
ブエノスアイレス空港に到着
グアナコは、顔はラクダ、体はシカの様な1.5m位のアンデスの動物

16日目(1月28日)

トロント空港には、やはり1時間遅れで到着するも荷物がなかなか出てこなくて結果的に、次の接続に間に合わず。帰国便を再調整してもらい空港で約5時間待ちで羽田空港行き13:45発AC005便で帰国する事になりました。今日はトラブルありの、本当に長い一日でした。
国道9号線、別名(Ruta del Fin del Mundo 世界の果てへの道)を行くと空にはコンドルが飛んでいました。

17日目(1月29日)

プンタ・アレーナス(Punta Arenas)
スペイン語で「砂の岬」を意味する南北4329Kmに及ぶチリ共和国の南端に位置する町です。1520年10月21日、マゼランが太平洋と大西洋を結ぶ海峡を発見してからこの町の歴史は始まりました。パタゴニア、南米大陸最南端、アンデス山脈で冷やされた気流、南極から流れる身も凍る冷たさのフンボルト海流、海峡を吹き抜ける強風と、それらの厳しい環境の中でこの町は発展してきました。1880年代には牧畜の成功、羊毛の価格高騰などの影響で莫大な富を築き、後に「パタゴニアの王」と呼ばれることになるホセ・メネンデスやホセ・ノゲイラなどによって、パタゴニアは牧畜業を中心に発展しましたが1914年のパナマ運河の開通とともに静かな町に戻りました。年間の平均気温は6.5度で、特筆すべきことは、この街が南緯53度10分という高緯度にありながら1年中10度を越える気温を記録することです。先ずは、クルスの丘に上り街全体とマゼラン海峡を展望します。
氷河の中で先端部の高さが80~135mもある最高のスペガッツィーニ氷河
氷河と比べて、ここに
クルーズ船がいます。
9~7千年前の物は赤と黒の顔料で手形や動物の狩猟の様子が特徴   7~3千年前の物には赤のグアナコの妊娠の様子が描かれています
3~1.3千年前の物には多様化され、手形やグアナコ以外の動物や、指が6本ある手形もあります。
サレシアノ博物館
19世紀末にサレジオ会の宣教師により造られたパタゴニアの自然と歴史・文化を紹介する教会に隣接する博物館です。先住民の生活風景や、パタゴニア特有の動植物を模型やパネルで紹介しています。
コンドルのはく製
氷河の崩落
ホテル・フェギーノ(Fueguino)
セラーノ川に面したホテル
宿泊した部屋からガメロ広場のマゼラン像とカテドラルが見えました
ロカ湖はチリと国境をまたがるので国境警備所があります。
トレッキングで川向うのテーブル・マウンテンの上に登ります
最初から約200m位の急登の坂と岩場を登ります
1時間以上も時間のかかった国境での入出国手続きを終えて、アルゼンチン側の中部パタゴニアのペリート・モレノ(Perito Moreno)と言う小さな町に向かい19:45に到着。緯度が高い地域ですので日照時間が長く、日没は22:00頃なので、まだ明るい時間ですが、、、、、、アルゼンチンの入国管理事務所ではトイレも無く、建物の外で長時間待たされたので疲れました。、

3日目(1月15日)

1982年に起きたフォークランド紛争の戦没者記念碑公園

今日は、サンティアゴから中部パタゴニアののバルマセダ(Balmaceda)に空路で向います。バルマセダ空港はアルゼンチンとの国境すぐ近くにある小さな空港で,遠く白く輝くアンデスの山々に囲まれた高度600m程の高原盆地にありますが、空港設備の建物以外,周りには何もないパタゴニアへの南下ルートの玄関口です。ここからはチリ国道7号線のアウストラル街道を、マーブル・カテドラル観光の起点プエルト・トランキーロまで193Kmの道を進みます。途中のセロ・カスティージョの町で道路工事の為足止めになりましたが、ゆったりとコーヒー・ブレィクで時を過ごしました。

来た道を戻る途中の林にはキツツキのペアがいました。もちろん美しいのがオスです。
3000Km地点
自分の影が海面iに写っています
アルマジロ、

6日目(1月18日)

ニャンドゥは、小型のダチョウの様なアンデスの動物
ムニョス・ガメロ広場、
街の中心にある広場。広場の中心には大砲に足をかけたマゼラン像があります。彼の足元には先住民族の像もあり、征服者と被征服者の姿がそのまま表されています。 また台座に座っているアラカルフ族の足に触れると航海を無事に終えられる(転じて幸せになれる)といわれていて、多くの人に触られた結果、現在ではその足は光沢を放っています。
氷河観光を終えてカラファテの中心街リベルタドール通りの散策です。国立公園管理局のの庭にはフランシスコ・モレノの像もありました。

パタゴニア17日間

フェゴ島、
1520年、世界一周の航海の途上でマゼラン海峡を通過したフェルディナンド・マゼランによって発見された島です。マゼランは、ここを「ティエラ・デル・フェゴ」、スペイン語でティエラは陸地、フエゴは火の意味で、島に多数の焚き火を見たことから名づけられました。焚き火は先住民族ヤーガン族のもので、半裸の生活を送っていたヤーガン族が暖をとるために熾していた火とも、マゼランの艦隊を見て出した警報の火とも言われています。マゼラン海峡、ビーグル水道と大西洋に囲まれた島で西半分をチリ、東半分をアルゼンチンが領有しています。なお、南アメリカ南端の岬として有名なホーン岬はこの島の南のホーン島にあります。
今朝は初めてパタゴニアらしい雲の多い天気です

ウプサラ氷河、
ロス・グラシアレス国立公園の中でもペリト・モレノ氷河の2倍にあたる最大の氷河がウプサラ氷河です。表面積は595平方Km、長さ60Kmは南米最長、先端部の幅は5~7Kmで高さは80~100mにもなりますが、地球環境の変化で年々縮小しているそうです。ここ数日の崩落の氷が漂っているために今日は、ウプサラ氷河間近かにはいけませんでしたが、巨大さには驚かされました。

急坂の途中からはエル・チャンテンの町が見下ろせます
1920年に建設されたエクレルール灯台

8日目(1月20日)

アウストラル街道
チリ湖水地方の州都、プエルトモンからアイセン州の最南部、ビジャ・オイギンスまでを結ぶ1240Kmのチリ国道7号のことで、周囲は手付かずの素晴らしい大自然に囲まれており、氷河から流れ落ちる滝、コバルト・ブルーの川、厳しい道が,海岸線を離れチリパタゴニアの美しく雄大な大自然の中を縫い南の方に消えて行く街道ですが、風光明媚で世界一美しい林道と呼ばれています。

2016年1月13日~29日

無事、成田に帰国
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

15日目(1月27日)

今日は、いよいよ帰国です。突然のアメリカのESTAの査証要件の変更で振り回されてしまいましたが、9:10発のラン航空LA4443便でブエノスアイレスへ、12:30到着後に予定どうりのアメリカン航空利用組と分かれて、私達エアーカナダ組はエセイサ空港へ移動します。17:30出発のAC093便ですが1時間遅れで、しかもチリのサンティアゴ経由でトロントに向かいました。
地球の裏側、南米大陸最南端パタゴニアのウシュアイアから飛行機を4回乗り換えて、日付変更も含めて3日間の帰国の旅でした。ウシュアイアの町中で撮った左の写真にある日本までの直線距離17127Kmは、相当な長さだと思います。しかし感覚的には、実際に飛行した南極大陸から約1000Km離れた南米大陸最南端の場所から北極圏を回って帰ってきたイメージのほうが強い大旅行でした。色々なハプニングもありました、出会いもありました。人は何故、旅に出るのでしょうか。一度味わった感動を再び求める麻薬の様なものだからでは、、、と、ある方の言葉です。
3000Km地点
途中、休憩をしたクロアチア移民の多いトルウイン(Tolhuin)の町で、見かけた可愛い少女
チリ側国境
アルゼンチン側国境
島の西側のチリから、東側のアルゼンチンへ国境検問所を越えて入国しますが大変でした。辺境ゆえ中央の監視が届かない為か賄賂をバスの運転手が渡さないと出国の順番待ちが後から来た車を優先させたりしました。またアルゼンチン入国でも、袖の下をわたさないと通常しない乗客の荷物検査を行なうなどと、、、、ひどいものでした。とは言え時間がかかりましたが、無事国境通過
フェゴ島へ上陸

13日目(1月25日)

今日は、プンタ・アレーナスから昨日行けなかったマゼラン海峡にあるマグダレーナ島を横に見ながら南米大陸の南端を進みファロ・プンタ・デルガダのフェリー乗場から11:15発のパタゴニア号で強風下のマゼラン海峡を渡り「火の国」フェゴ島のバイアアスールへ上陸(乗船時間約40分)。
米国は「ビザ免除プログラムの改定」の施行を開始しました (米国大使館・東京ビザサービスWebより引用)

2016年1月21日、米国は2015年ビザ免除プログラムの改定及びテロリスト渡航防止法の施行を開始しました。税関・国境取締局(CBP)は、毎日百万人を超える旅行者を米国に受け入れ、安全に対する厳しい基準を保ちつつ国境警備にあたり、旅行者の正当な渡航を促進することに全力を注いでいます。この法により、下記に該当する渡航者はビザ免除プログラムを利用して渡米することはできません。

・ビザ免除プログラム参加国の国籍で、2011年3月1日以降にイラン、イラク、スーダンまたはシリアに渡航または滞在したことがある

対象者は、希望する渡米日の少なくとも3カ月前に非移民ビザの申請を行ってください。オンライン申請書を作成し、面接予約をしてください。  

12日目(1月24日)

展望台で会ったチリからの若者(兄妹・従姉妹・兄の恋人)
方向はともかく東京まで21041Kmが最も遠方の表記です
草原では、死んだ兎を巡って地上と空からエサの争奪戦です
今日は、カラファテから国道40号線を途中のラ・エスペランサを経て、カンチャ・カレーラから9号線に入りアルゼンチンの国境通過に2時間余りかけて再びチリに入国です。パイネの眺望を楽しみながらパイネ国立公園の河畔の宿を目指します。
途中からは雨も上がり快晴の天気です
パイネの眺望

9日目(1月21日)

アルヘンティーノ湖周辺の氷河巡りクルーズ、
アルヘンティーノ湖畔のプンタ・バンデーラ(Punta Bandera)から船に乗り、見ることが出来る氷河の中で先端部の高さが80~135mもある最高のスペガッツィーニ氷河や、ロス・グラシアレス国立公園の中で最大のウプサラ氷河の間近までをボートで巡ります。

7日目(1月19日)

フィッツロイ山麓の夜明け前の撮影に、町の入口近くにあるフィッロイ川の土手でスタンバイです。今朝も天候に恵まれて、雲のかからない山全体を見れました。
野生のラン

ゴベルナドール・グレゴリス(Gobernador Gregores)
アルゼンチン南部を走る国道40号線を少し外れた所に位置する何もない小さな町ですが、今日向かうロス・グラシアレス国立公園内にある名峰フィッツ・ロイ(3405m)の麓にあるチャルテンへの途中での宿泊地です。国道の冠水通行止めが案じられましたが、水も引いたので予定どうり進むことになりました。

道路が打ち水した様な鏡になり、車と空が映り込みました
彩雲と呼ばれるが、緑や赤に彩られる気象現象

5日目(1月17日)

ウシュアイア空港
プエルト・ナタレス(Puerto Natales)
バスの調子が良くないので交換の為に立ち寄った街です。1911年にできたウルティマ・エスペランサ湾に面した人口約1万9,000人の小さな町で、特に見所はありません。1879年にプンタアレナスの北約50kmのところにエスタンシア(羊牧場)が開かれた当時、まだまだこのあたりは未開の土地だった様です。
今日は、ペリート・モレノからサンタ・クルス州にある壮大な台地(ピントゥラス川流域の渓谷)にある先住民の手形が無数に残る世界遺産の「手の洞窟」クエバ・デ・ラス・マノスに寄りながらパタゴニアの大地を更に国道40号線を400Km南下します。チリに比べてアルゼンチンは国力の差でしょうか幹線道路は舗装されていますので快適です。

10日目(1月22日)

市内には往時の栄華を伝えるヨーロッパ風建築物の数々が、近代建築と入り交じって残っています。
バイク、自転車、車と交通手段を問わず皆さん、名峰フィッツ・ロイを目指してチャルテンへ向かいます。
夕食後に、最後の夜なので旧空港からウシュアイアの街のパノラマ写真の撮影に出かけました。
メルセー教会
1982年に起きたフォークランド紛争の戦没者記念碑公園
「パイネの角」と呼ばれるクエノス・デル・パイネ(2600m)、手前はノルデンスフォルド湖
ペリト・モレノ氷河(ロス・グラシアレス国立公園)
パタゴニア観光のハイライトの一つ、ペリトモレノ氷河はアンデス山脈最南端、アルゼンチン南部のロス・グラシアレス国立公園内に存在し、その美しさと手軽に氷河トレッキングを楽しめることから、世界中の人を魅了します。「ロス・グラシアレス」とは「氷河」を意味し、その名の通り、公園内47の氷河の総面積は南極、グリーンランドに次ぐ大きさを誇ります。氷河は数万年という気の遠くなるような長い旅路を経て、巨大な氷塊の先端部へと達し、やがて湖に崩落します。パタゴニアの中で最も名高い氷河の一つがペリトモレノ氷河であり、湖に接する先端部の幅は約5Km、奥行きは約30Km、水面からの高さは平均約74m、湖水中に沈んでいる部分まで含めると平均約170mもの大きさがあり、最深部では700mもの深さにまで達します。中央部では1日に2m移動します。
クルーズ船と
氷河との比較、
町に戻ってメインストリートのサンマルティン通りを中心に市内観光をします。
エバ・ペロン(エビータ)像
今宵の宿 エル・プエストは家庭的な宿でした
今日は、終日ペリト・モレノ氷河の崩落と、その氷壁を臨めるボートツアーと、崩落を目の前で見ることが出来る展望デッキへの観光です。
地名にもなった「カラファテ」の実

4日目(1月16日)

フラミンゴなど野鳥が多く見られるニメス湖
プエルト・トランキーロ(Puerto Tranquilo)という町からヘネラル・カレーラ湖の対岸に渡り、小型ボートに乗って湖にあるマーブルカテドラルを見学した後に国境を越えてアルゼンチンに入国しペリート・モレノまで約237Km進みます。
サンティアゴ大聖堂
スペイン人の征服者ペドロ・デ・バルディビア一行が先住民の抵抗を受けながも、最初に計画をしたのが1558年に街の中心に教会を建てる事でした。正面の2つの尖塔は,チリ・カトリックの総本山:大聖堂教会の象徴です。内部の見事な装飾や、重さ20Kg以上ある17世紀の銀のランプにも感動します。
テネリフェ山
オトウェイ湾のペンギンが減ってきたので、より多くのマゼラン・ペンギンが群生するマグダレーナ島のペンギン・コロニーの観光を予定していましたが、マゼラン海峡が荒れていたため船が運休で今回中止になりました。

その上、下記のニュースが入り、私共はイランに渡航したことがあるので帰国時にアメリカへの再入国が出来なくなるので、急遽、帰国便の寄港地変更をする事になりました。今回、11名の参加者中の6名がイラン渡航経験者でしたが、対象者は最終日に離団してエアーカナダ便でトロント経由の帰国です。もちろんですが、離団なのでブエノスアイレスから東京までの航空券(約16万円)は自腹の痛い出費でしたが、、、、、。
左から中央郵便局、市庁舎、
左から市庁舎、国立歴史博物館

14日目(1月26日)

ウシュアイア(Ushuaia)
ビーグル水道に面した世界最南端の街ウシュアイア。緯度は南緯54度48分、人口約6万人弱のこの街の名の由来は、この地域の先住民族ヤマナ族がこの地を「USHUAIA〈西に入り込んだ湾〉」と呼んでいたことによります。 南極まで約1,250kmゆえに南極クルーズの出発港でもあり、世界各国から多くの人が集まります。更に街全体が免税地区になっており、街中にある免税店も多くの人で賑わっています。年間を通して強風が吹き、夏でも平均気温は9度前後、南緯55度の地形は森林限界が迫り、まるで高山にいるような環境です。
ロス・グラシアレス国立公園
アンデス山脈の南端パタゴニアある世界遺産登録されているアルゼンチンの国立公園。南極、グリーンランドに次ぐ、世界第三位の氷河群が、東京都と神奈川県を足したくらいの広大な大地を覆っています。ロス・グラシアレス(Los Glaciares)はスペイン語の「氷河」の複数形なので、公園名は「氷河群」といった意味です。 この地域では冬でも気温が-5度前後までしか下がらず、氷河は溶けたり凍ったりを繰り返し、その上に雪が積もるため氷河の重みは増し、山の斜面をどんどん押し出されてきます。気温が上がる夏には、ビルほどの高さの氷の塊が轟音と共に一気に湖へと崩れ落ちる様子が見られます。下図の青色の線は、この公園内で過ごした4日間の足跡です。
今日も、天気に恵まれて一日の観光を終えて宿に戻ると二重の虹の出迎えでした。クエノス・デル・パイネの夕焼けを期待しましたが残念でした。
世界の果て号
ウシュアイア市街の約8Km西にある「世界の果て駅」と国立公園駅を結ぶブナの森の公園内を走る蒸気機関車の観光列車ですが、元々は、ウシュアイア刑務所建設のために伐採した木材を運んでいた列車です。1947年に刑務所が閉鎖されるまで、世界最南端の鉄道として活動を続けていました。列車からは、馬やその他この地域で生息している動物が見られます。停車時には、このあたりの先住民YAMANAS族の生活様式を再現したレプリを見学できます。そのほか、マカレナの滝、泥炭の景色など、50分間の運行中に国立公園内の景色を楽しむことができます。
ホテルの部屋から見える夕暮れの写真は、太陽に恵まれず、こんな感じの日没(21:55)でした
カウケン(マゼランガン)のカップル
ビーバーダム
駐車場から吊り橋を渡り、氷山を浮かべたグレイ湖畔を進むと約40分で展望台です。右にパイネ・グランデ、奥にグレイ氷河を見渡せます。
公園の南端にあるラパタイア湾、パンアメリカンハイウェイの終点標識があり、これによれば,北の端はアラスカで17848Kmもあります。
最高峰のパイネ・グランデ(3050m)と「パイネの角」と呼ばれるクエノス・デル・パイネ(2600m)
グレイ湖
ここを訪れる目的はやはり、湖越しにあるグレイ氷河を見ることでしょう。湖には強風で飛ばされた青い氷河の巨大な塊が浮かび”風の大地”と言われる所以を実感できます
今日は、ラス・ヴエルタス(Las Vueltas)川沿いにエル・チャンテンの北37Km程の所にあるデジエルト(Desierto)湖まで氷河や山々の景色を見ながら進み、昼食後に再びエル・チャンテンに戻り、来た道をエドマ湖沿いに戻ります。ラ・レオナ(La Leona)からは国道40号線でカラファテまで向かいます。
世界の果て博物館
フェゴ島の民族文化や自然を紹介する博物館で、建物は1977年まで国立銀行ウシュアイア支店として使われていたものです。
公園管理局Visitor Center
ピエドマ湖畔のラ・レオナ(La Leona)展望台からフィッツロイ山麓を望む
ペオエ湖とパイネ・グランデ
パレーラ・ペオエ レストラン
ラ・レオナ(La Leona)

1日目(1月13日)

グレイ展望台からパイネ・グランデ(左)やクエノス・デル・パイネ(中)、アルミラント・ニエト(右)を望む

サンティアゴ(Santiago))
北はアタカマ砂漠、南は氷河が覆うパタゴニア、東は南北アメリカ大陸最高峰のアコンカグア(6960m)がそびえる南北4329Km、東西の幅は平均175Kmの細長いチリのほぼ中央に位置し標高520mにチリの人口の1/3の600万人以上が暮らす大都市でチリの首都です。サンティアゴは、1541年2月12日に黄金を求めてやってきたスペイン人の征服者ペドロ・デ・バルディビアにより築かれた町です。。

パタゴニアは南アメリカ大陸南緯約40度以南の総称です。パタゴニアの地名はアルゼンチンとチリの南端地域を分かつ「マゼラン海峡」にも名を残す大航海時代の冒険家・マゼランがこの地で見たという、先住民族の使用していた大きなグアナコの毛皮の靴が、パタゴニアの由来です。アルゼンチンとチリにまたがるパタゴニアには、合わせて30ヶ所の国立公園があり、希少な動植物だけでなく、切り立った山岳地帯、蒼々とした氷河、氷河によって作られた氷河湖など、美しい自然風景が残り、また年間を通して風が強く、この風の強さがパタゴニアの代名詞とも言われています。

標高430mのガリバルディ峠(Garibaldi Pass)に到着、手前はエスコンディド湖(Lago Escondido)ここを越えるといよいよウシュアイアの町です
地元のガウチョ(牧畜に従事する先住民)は、早朝から仕事で
日の光によるフィッロイの輝きの微妙な変化

エル・チャルテン(El Chalten)
ロス・グラシアレス国立公園の北の入口の町エル・チャンテンに到着です。 チリとの国境に接するアルゼンチン南部に位置する名峰フィッツ・ロイの麓にあり、この地域にある唯一の町です。今日は、天気が良いので現地・山岳ガイドのエステバンさんとナターリアさん2人の案内でフィッツ・ロイとセロ・トーレ両方をを眺めることが出来るエル・ムーロ(壁)と呼ばれるテーブル・マウンテンに往復約4時間のトレッキングです。

ヘネラル・カレーラ湖の対岸にあるチリ側の国境の町、チレ・チコ(Chile Chico)を通りアルゼンチンに入国します。
町に戻って「世界の果て博物館」を参観し、午後はビーグル水道のクルーズ船に乗ります。
グレイ氷河
デジエルト湖
エル・チャルテンの北37Kmにある自然に囲まれた湖で、近くにはチョリージョ・デル・サルトという滝もあります。
ヘネラル・カレーラ湖
パイネ滝(Cascade Paine)、
アマルガ湖の近くにある隠れた名滝です。トーレス・デル・パイネの岩峰が屹立する絵の様な背景が見れます見れました。
ウシュアイアの町に入ります。ホテル・フェギーノ(Fueguino)に21:00到着、走行距離は640Km、いろいろありました長~一日でした。
宿泊したホテルのあるパイネ国立公園内リオ・セラーノ地区の眺望
セロ・トーレ(3102m)
ピエドマ湖とピエドマ氷河
宿泊したムニョス・ガメロ広場前にあるカポ・デ・オルノス(ベージュ色の建物のホテル)です。
サンタ・ルシアの丘
高さ70mほどの小さな丘に、サンティアゴを築いたスペイン人の征服者ペドロ・デ・バルディビア一が抵抗する先住民に備えるために要塞を築いたところです。今では美しい緑地公園に生まれ変わりましたが、往時の堅牢な建物の一部も残っており、頂上からは市街が一望できる都会のオアシスです。
ティエラ・デル・フエゴ国立公園
90種以上の動物や南極ブナの森林などが楽しめる公園で、1960年に国立公園に指定されました。ウシュアイア市内から西に11km、広さは63、000へクタ-ル(東京都の3分の1程度)。公園の南端にあるラパタイア湾 (Bahia de Buena Madera) は、先住民の言葉で良い木材という意味の美しい湾です。アメリカ大陸を縦断しているパンアメリカーナ・国道3号線の最南点になり、ブエノスアイレスから3,063Km、北端のアラスカ・フェアバンクスからは17,848Kmとなる、最南端の湾です。公園内は高低差が少なく、ハイキングやトレッキングでフエゴ島の自然を満喫できます。ビーグル水道と多くの岩島も公園内から展望できます。
ミロドンの復元像
浮かぶ氷山も巨大です
アルマス広場
サンティアゴの旧市街の中心は、アルマス広場になり、騎馬像は,サンチャゴの街の創設者(=侵略者)の,ペドロ・デ・バルディビアの像。広場の周囲にはカテドラル(大聖堂)、中央郵便局、市庁舎、1808年建立の宮殿を利用した国立歴史博物館等、興味深い古い建物と,近代的ビルが同居しています。
ペオエ湖の中島に浮かぶペオエ・ホテル
パサデラス展望台から目の前でビル1棟分ほどの崩落を見ることが出来ました。連続写真とビデオ動画で見て下さい。
山岳ガイドの2人と打合せ
ペリート・モレノ
クエノス・デル・パイネ(2600m)
デジエルト湖からフィッツロイ山麓の北側から見ています

今日は、まったくの移動日です。成田空港からアメリカン航空で約10時間の飛行でロスアンゼルスに続いて、更に5時間乗ってマイアミ経由でチリの首都サンティアゴに向います。

パイネ・グランデ
ペオエ湖に流れるサルト・グランデの右に見えるパイネ国立公園内の最高峰パイネ・グランデは4つの峰から成り、主峰は3050mあります。ペオエ湖、グレイ湖と、どこからでも見ることが出来きます。右に連なる茶色の岩山が「パイネの角」と呼ばれる6つの峰が連なり主峰がクエノス・デル・パイネ(2600m)、さらに右にあるのがアルミラント・ニエト山(2670m)です。
氷河の崩落
一本柱の氷河の崩落

2日目(1月14日)

マイアミから約8時間でチリの首都サンティアゴに到着、現地時間で朝の9時。ここまで合計24時間飛行機に乗っていたことになり、出発から約28時間経過しています。
国道3号線のブエノスアイレスから3000Km地点
昼食はエスタンシアと呼ばれる観光牧場でアサード(焼肉)
ついに見えてきました 左の尖峰がセロ・トーレ(3102m)、右に主峰フィッツ・ロイ(3405m)
道路が打ち水した様な鏡になり、車と空が映り込みました
莫大な財をなしたブラウン・メネンデスの邸宅跡
サルト・グランデ
ノルデンスフォルド湖からぺオヘ湖へ流れ落ちる、落差はないものの水量が豊富な滝です。湖には強風で飛ばされた水煙が浮かび”風の大地”と言われる所以を実感できます。今日は、風がかなり強く近づく事ができませんでした。

11日目(1月23日)

トーレス・デル・パイネ国立公園
数多くの氷河湖や切り立った峻峰などパタゴニアを代表する豊かな自然が楽しめるパイネ国立公園はチリ南部に位置し、一部はアルゼンチンとの国境に接しています。プエルトナタレスの北約120km、広さは242,242ヘクタールあり、1959年にユネスコより保護区域として指定されています。公園内のパイネ山群はアンデス山脈に属し、公園内には、パイネを象徴する3つの岩峰トーレス・デル・パイネ、最高峰のパイネ・グランデ(3050m)をはじめグレイ湖、ペオエ湖といったすばらしい自然があり、通常の大気汚染観測器では測定が不可能なほど、澄んだ空気に満ちているといわれています。今日は、ピンゴ川の吊り橋を渡り、林の中を抜けて崩れた氷山の氷塊が浮かぶグレイ湖でのハイキングやパイネ・グランデ峰、トーレス・デル・パイネ峰など、数々の美しい風景を楽しめるノルデンスフォルド湖周辺のハイキングですが、朝のパタゴニアらしく雲が多い天気が気になります。

氷河崩落の瞬間のビデオ動画
モネダ宮殿(大統領府)
憲法広場と自由広場の間にある白亜の宮殿で、「モネダ(硬貨)」の名前からわかるように元は、1805年に完成した国立造幣局ですが、今は大統領官邸として使われています。
ミロドンの洞窟、
人類学的に重要な価値のある巨大な自然の洞穴、何千年も昔のミロドン洞窟を訪れます。ここには、原始パタゴニア人と絶滅した草食動物ミロドンが居住していたと考えられています。ミロドンとは…原始バタゴニアの動物で、赤みを帯びた皮膚や長い体毛を持つ哺乳類で四本足で歩き、または太い尾っぽをささえに二本足で立ち上がる・・・今から約1年前に絶滅したとされる巨大なナマケモノの様な動物らしいです…この動物の骨が洞窟から発見されたのです。
今日は、最初にミロドンの洞窟に寄りプエルト・ナタレスを経由して国道9号線(世界の果てへの道)でプンタ・アレーナスまで374Km行きます。
氷河観光を終えてカラファテの町の散策です。数多くのホテルやレストランが立ち並ぶほか、場所柄アウトドア用品店が多くありました。
旧市街を貫くオイギンス通りに面して、官庁街や商業地域、国立図書館などが並んでいます。この通りを東に進むとプロビデンシア通りと名前を変えて新市街の最もにぎやかな地区に入ります。
、国立図書館
公園内のアシガミ湖(Lago Acigami)
パタゴニア旅行にはヨーロッパ人が多くトラックを改造した車が多いです。 左はスイス、右はドイツからの車です。
ビーグル水道
ビーグル水道は、アルゼンチンとチリとの国境に位置し、大西洋と太平洋をつなぐ約320Kmの水路です。1830年のフエゴ島南部の調査で、英国海軍ビ―グル号のマシュ・ムライ航海士によって発見されました。その2年後の1832年にチャ―ルズ・ダーウィンが同船し、先住民や動植物の記録を世界で初めて紹介したことで有名になりました。ビーグル水道には、小島や岩礁が多くあり白と黒の羽毛に包まれた姿は遠目にはペンギンの様に見えるウミウのコロニーや、オタリア(アシカの種類)が生息しています。
ペオエでの昼食後にはノルデンスフォルド湖沿いにパイネ滝まで進みますが、途中ではグアナコの群れやニャンドゥに遭遇しました。

エル・カラファテ(El Calafate)
アルヘンティーノ湖から流れ出たカラファテ川に沿って開けた町で、紫色の実をつける小灌木「カラファテ」がそのまま町の名前になったそうです。カラファテは人口約2万人、南部パタゴニアの中心となる町の一つでロス・グラシアレス国立公園観光の拠点です。氷河の崩落で有名なペリトモレノ氷河観光の拠点となっており、数多くのホテルやレストランが立ち並ぶほか、お土産店も多くあります。また、近郊には、フラミンゴなど野鳥が多く見られるニメス湖もあります。今夜から3連泊してロス・グラシアレス国立公園の観光です。

近郊のニメス湖

マーブル・カテドラル
世界一の美しい洞窟と言われるマーブルカテドラル。アルゼンチンとチリにまたがるパタゴニア、ヘネラル・カレーラ湖(チリでの呼び名)又はブエノス・アイレス湖(アルゼンチン名)の中央部にある大理石の洞窟です。その青く輝く洞窟は、まるで別世界!幻想的な形をした洞窟に、ターコイズ・ブルーの湖水が反射し「青の世界」を作り出しています。長い年月をかけて、山からの風が氷河の上で加速された風(風速70~80km/hにおよぶ)で作られた湖水の波の力による浸食でできた洞窟は、あたかも大聖堂(カテドラル)内部の様に神秘的です。実際に見てみると、デコボコしていたり、思いもよらない形になっていたりと様々で、あたかもバーチャル・ゲームの中のような「青の世界」です。心配した天気も持ち直し、良い光で幻想的な自然の造形を楽しみました。
ウシュアイアの「かに道楽」?
トーレス・デル・パイネ
パイネを象徴する3つの岩峰、「トーレ」は英語のタワー(塔)の事で、手前左側はアルミラント・ニエト山(2670m)
アルヘンティーノ湖を見ながらマガジャネス半島の南側を回ると、目の前にペリト・モレノ氷河が見えてきます。船着場からボートツアー開始です。
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