クライストチャーチ大聖堂、
アイルランド教会のダブリンとグレンダロッホ教区の主教会としてダブリン最古の教会です。もともとは1038年にノルウェーのバイキング王によってたてられた木造教会でしたが、その後1172年にロマネスク様式の石造りの教会へ建て替えられました。現在の概観のほとんどの部分は1875年に改修が行われた後のもので、ほとんどかわらずそのまま残っています。西側には大聖堂とつながっているダブリニアと呼ばれるヴァイキング時代と中世のダブリンを紹介するアトラクションがありますが、ネオ・ゴシック様式で建てられた大聖堂付属の会議ホールを利用しているので教会と間違えそうな外観です。

6日目(4月24日)

グレンダーロッホ(Glendalough)
グレンダーロッホは、ゲール語で「ふたつの湖の谷」の意味です。谷間には、ちょうど今、アイルランドではゴーシュ(Gorse)と呼ばれるハリエニシダの黄色い花が満開でした。ここにはウィックロウ山脈の山懐にひっそりと残るアイルランドのキリスト教の初期の教会があることで有名で「7つの教会の街」とも呼ばれていて石造りの教会やタワーがひっそりとたたずんでおり、その姿から修行僧たちが昔どのように過ごしていたかがうかがい知れます。教会を囲むように森がありますが、一帯はウイックロウ国立公園となっており湖をめぐるハイキングコースもあります。
今日は、午前中にダブリン近郊にあるウイックロウ国立公園内にあるなゴールウェイからバレン高原、モハーの断崖、クロンマクノイズを経てダブリンへ向かいます。
アイリッシュ・ロマネスク様式の「折れ模様」のアーチの大聖堂
聖ケヴィンの十字架
高さ30mのラウンドタワー

2日目(4月20日)

ベルファスト(Belfast)
ベルファストは、北アイランドの首都とはいえ、人口約27万人で街の規模もあまり大きくありません。造船業によってヴィクトリア女王の統治時代に大きく発展した港町です。北アイルランドがアイルランドの独立後もイギリス領に残ったのはベルファストの持つ工業力のためだとも言われています。街の建物にはヴィクトリア朝時代に発展したためにクイーンやヴィクトリアの名前を持つ英国風の古いビルや家もたくさんあり、落ち着いた雰囲気です。

タイタニックス・ドック,
1912年4月15日に氷山に衝突して沈没したタイタニック号とその姉妹船オリンピア号を収容出来るように造られた最先端技術を用いた当時世界最大のドライ・ドックでタイタニック号は出発する直前までここに収容されていました。沈没事故から100周年の2012年の記念行事の一環として6階建てのユニークな形の博物館・タイタニック・ベルファストが建てられました。た。当時の最先端技術を用いた産業遺産としての見ごたえがあります。

今日は、モーター・ウェイM1で西に向かい、途中にあるコネマラ地方のカイルモア修道院、コング修道院を観光しながらゴルウェーに向かいます。
アイルランドとの国境
コング(Cong)
ゴールウェイから北へ約40Km、コリブ湖の北端にあり、数億年をかけて形づくられた地形で知られるコネマラ地方の手つかずの自然の美しさが残り 豊かな水をたたえた湖沼地帯に、川や湖に挟まるようにして息づく小さな村です。ここは1951年のジョン・フォード監督の、アイルランドを舞台にしたジョン・ウェイン主役の名画「静かなる男」のロケ隊が滞在した所で、撮影に使われたコテージが現在は博物館になっています。
菜の花畑
オブライエン塔
オブライエン塔の真北に進む遊歩道

バレン(Burren)高原
Burren(不毛の地の意)は、クレア県の北西に位置しています。高いところは標高300mほどで、360平方Km²以上のカルスト(石灰岩)台地が、また東にある低地部分はさらにそれより約200平方km²ほど広くなっています。クロムウェルはかつて拷問の方法を考えるのに、「バレンには、人をつるす木もなく、溺れさせる水もなく、生き埋めにする土もない・・・」と言って途方に暮れて漏らしたと言われています。しかし、石灰岩の不思議な風景が広がるバレンには、自然の宝庫でもあり、多くの珍しい動植物が生息し、アイルランドの自然・歴史を満喫できる見どころが多く、そして、周辺には数々の遺跡も存在します。

チャンピル・ヒーヴィーンの近くから、島で最も高いところにある青銅器時代の円形の砦ドン・オウレを見ることが出来きます。また海岸にはアザラシのコロニーもあります。
円形の砦ドン・オウレ
ドン・エンガス、
アラン諸島最大のイニシュモア島南岸に位置するドン・エンガスは、丘の上に砦の壁が続く謎に包まれた古代の城塞跡です。この城塞がいつどのような目的で建造されたのかは現在でも正確な事は分かっていません。約87mの断崖に面しているので守りやすかったかもしれませんが、文字通り「背水の陣」です。最低でも三千年以上も前に建造されたと言われているドン・エンガスの淵には断崖が広がっており、広く海岸線を見渡す事が出来ます。また、アイルランド本土とは反対の大西洋側に面しているので、軍事的施設よりも宗教的な施設であったという説もあります。実際にその場に立ってみると、その絶景と下方の荒々しい海を前に畏れの気持ちを抱かずにいられません。
今日は、ゴールウェイからバレン高原、モハーの断崖、クロンマクノイズを経てダブリンへ向かいます。
途中で昼食を食べた見知らぬ町のホテルで、お姫様の様に白いドレスで着飾った多くの少女達に遭いました。聞けばアイルランドでは8歳になると教会に行って祝いの式を済ませて、ホテルなどで午餐をする習慣があるそうです。日本の七五三に似た風習に近いものなのでしょうか・・・・。

アイルランド8日間

アイルランド最古のハープ
ジョナサン・スウィフトの胸像
アイザック・ニュートンの胸像
ヴィクトリア女王の像
タイタニック号遭難記念碑
聖ケヴィン教会
ダブリニア
ギネス・ストアハウス
アイルランドと言えばギネスビール。ここはそのギネスビールが生まれた地です。1759年にアーサー・ギネスが黒ビールを醸造してから2世紀半ギネスは世界的に有名なビールとなりました。ギネス・ストアハウスは1876年に建設され、それから80年間ビールの原料のホップの保存庫として使われてきました建物を2000年12月にギネスの博物館としてオープンし親しまれるようになりました。ここでは、ギネスの原料や醸造過程、今までのギネスの広告などが展示されています。このツアーの最後には眺めのいい建物最上階のバーで、ダブリンの街を眺めながら出来立てのギネスを飲むことが出来ます。
また、館内にはレストランやギネスのオリジナルグッズのお店も併設されています。

聖パトリック大聖堂
比較的シンプルなフォルムが印象的でアイルランドで一番大きい教会です。この場所に最初に教会らしいものが建てられたのは、この周辺にあった聖なる泉の横の木造の礼拝堂だとされています。5世紀の中ごろにはアイルランドの聖人・聖パトリックはこの場所で、キリスト教に改宗する人々に洗礼を行っていたとされています。1192年イングランド人 としては初めてダブリン大主教になったジョン・カミン(John Comyn)によって石造りの大聖堂に建て替えられました。その後、19世紀にベンジャミン・リー・ギネスの出資によって大改修がおこなわれ現在は、アイルランド国教会の管轄であり、公の国家行事が行われる場所となっています。「ガリバー旅行記」の作者ジョナサン・スィフトが1713~1745年の32年間大主教を勤め、今では最愛の女性ステラとともにこの大聖堂の中で眠っています。

ケルズの書(Book of kells)
総ページ数680ページ、縦33cm、横24cm の牛皮製の書物で8世紀に人の手によって写された聖書の写本です。三大ケルト装飾写本のひとつとされており、「アイルランドの国宝」「世界で最も美しい本」とも呼ばれており、この図書館に約300年にわたって保管されています。ほとんどのページに豪華なケルト文様による装飾が施されており、四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書)が収められています。写真撮影は禁止されていたので画像はネットから入手しました

初期キリスト教会群(7つの教会の街)、石積の門の前には、肘でふいごを動かして空気を送るイリャン・パイプの奏者。遺跡内は墓地となっていて石板状の墓標とともにアイルランドの象徴であるハイクロスが林立しています。

トリニティカレッジのロング・ルーム
オールド・ライブラリーのメインのロング・ルームは、長さ約65mで図書館の最も古い本のうちの約20万冊を収納しています。国宝であり、世界でもっとも美しい本といわれる聖書の装飾写本「ケルズの書」、アイルランドの国章のモデルにもなったアイルランド最古のハープ「ブライアン・ボルーのハープ」、ガリバー旅行記の著者でトリニティの卒業生でもあるジョナサン・スウィフトの胸像などもこの図書館に展示されています

ケルトの十字架(ハイクロス)
ケルトの十字架はアイルランドのキリスト教の最大の象徴で、8世紀から12世紀の間に作られました。ハイクロスは3つあり、最も美しい十字架には経典の教えや聖書の様々な場面が彫り込まれています。また、12世紀にはマーケット・クロスと呼ばれ、主要集落地の外側にあり、市場の場所を示したとも言われています。遺跡内に立つケルトの十字架はレプリカで、オリジナルの十字架はビジターセンター内にあります。

クロンマクノイズ、
初期キリスト教の遺跡クロンマクノイズです。シャノン川が流れるアスローン近郊に位置しアラン諸島でも布教活動をした聖キアランが545年に教会を建てたことに歴史は遡ります。7世紀~12世紀に最盛期を迎え、この頃のアイルランドでは修道院文化が栄え、ここクロンマクノイズはその中心的な役割を果たしたと言われています。初期修道院の特徴としてハイクロスとラウンドタワーが挙げられますが、クロンマクノイズにも見事なハイクロスとラウンドタワーを備えています。最初につくられた教会は木製の小さな教会でしたが当時の王ディアルマイトの援助を得て建設されましたが、聖キアランはその1年後に疫病によってなくなり、クロンマクノイズの繁栄を見ることはありませんでした。彼の遺体はその教会の地下に埋葬され、現在も多くの巡礼者がこの地を訪れます。

モハーの断崖、
モハーの断崖の名前は岬にあった廃墟「モハー」に由来するこの土地は、ドゥーリン村に近いバレン高原、南東端に位置します。大西洋から聳え立つ崖の高さはハグ岬で120m、最高地点は8Km離れたオブライエン塔の真北で214mです。アイルランド中でも壮観な眺望を誇り、晴れた日には海の向こうにアラン諸島とゴールウェイ湾、北に広がるコネマラを見る事ができます。オブライエン塔は崖全体のおおよそ中間地点に聳える円形の石造の塔で、珍しもの好きの領主コーネリアス・オブライエンによって1835年にお客たちを喜ばすために建てられました。

5日目(4月23日)

ドン・エンガスの断崖
イニシュモア島のフェリー乗場周辺に広がるのはキルロナン村で、土産物店やレストランなどがあり、港の内側には小さな浜もあります。
イニシュモア(Inis Mor)島(アラン諸島)
アラン諸島はアイルランド島の西、ゴールウェイ湾に浮かぶ島々で3つの島からなり、イニシュモア(大島)は、アラン諸島最大の島であり、三島の最も西に位置し、面積は39平方Km、人口は千人ほどですが年間約25万人の観光客が訪れる人気の高い島です。この地域はアイルランド語=ゲール語が日常語として使われるケルト文化の中心です。

4日目(4月22日)

3日目(4月21日)

ジャイアンツ・コーズウェー、
ジャイアンツ・コーズウェーは、火山活動の影響で生まれた4万本以上の六角形の石柱群からなる独得の景観を持った地域で、1986年に世界遺産に登録されました。六角鉛筆を束ねたような岩が狭い場所に密集している不思議な場所ですが、奇岩が見られる場所は意外にも狭く、一面に六角形の岩柱群が広がっている、というわけではありません。6,600万年前から2,303万年前の古第三紀と呼ばれる地質時代にドロドロに解けた玄武石がチョーク質の地層に流れ込んで広大な溶岩台地を形成しました。そして、それが急速な冷却に繋がったため、物質が収縮し、ヒビが入り、現在見ることができる景観となったとのことです。ちなみに、ジャイアンツ・コーズウェーは「巨人の石道」の意味を持ち、アイルランドの伝説の巨人フィン・マックールが造ったとされています。しかし、石道というよりは、正直なところ亀の甲羅や蜂の巣に見えますが、、、、断崖を縫うように遊歩道がありますので歩いてみました。

トリニティー・カレッジ、
1592年創立のアイルランド最古の大学。キャンパスを取り囲むようにして建物が建てられているので外からはわからないが、内部のキャンパスは緑も多く、鐘楼など歴史的な建物もあります。正式名称はダブリンにおけるエリザベス女王の神聖にして分割されざる三位一体大学(The College of the Holy and Undivided Trinity of Queen Elizabeth near Dublin)といいます。著名な卒業生としては、ジョナサン・スウィフト、オスカー・ワイルド、サミュエル・ベケットなどがいます。正門を抜けると正面に見える高さ30mの鐘楼の右にあるのが1712年に建てられたオールド・ライブラリーです。トリニティー・カレッジの図書館はアイルランドとイギリスの法定納本図書館てもあります。

ダンルース城、
コーズウェイコーストには数々の古城が残っていますが、ポートラッシュにある、その中でも最大級の大きさを誇るのがこの断崖に囲まれた不落の要塞です。陸と城のある岬を結ぶのは小さな橋一つで、天然の地形を利用した難攻不落の城塞となっています。

ダブリン(Dublin)
アイルランドの首都です。もともとはケルトの小さな町でしたが、8世紀末にバイキングが占領し城壁のある街に発展させました。12世紀後半にはイングランド王ヘンリー2世がアイルランド支配の拠点とし、16世紀には市街は城壁の外まで拡大し18世紀後半には大英帝国第2の都市にまで発展しました。現在でも街にはジョージ王朝様式の建物が残り、政治・経済・交通・文化の中心地として、アイルランドの全人口の3分の1がダブリン首都圏に集中するアイルランド国内最大の都市です。

シティーホール
1906年に建てられた市庁舎、街の中心にあるランドマークでドームの高さは53m。正面玄関にはヴィクトリア女王の像があります。その周辺は2012年のタイタニック号沈没100周年を記念したメモリアル・ガーデンとして整備されました。,

オールド・ブッシュミルズ蒸留所、
ブッシュミルズは人口約1300人程の小さな村ながら、1608年に国王ジェームス1世から免許を授かった世界最古の公認蒸留所があることで知られています。そんな歴史ある蒸留所では、そのアイリッシュ・ウィスキー作りの見学ツアーが人気で、ブッシュミルズ唯一の12年物のシングル・モルトウィスキーが試飲できます。

テンプル・バー
リフィ川南岸の石畳が続く再開発地区で、元は1540年のヘンリー8世による修道院解散法を受けて解散した土地の所有者テンプル一族に由来し、「バー」は土砂が堆積した河口や砂洲の事を指します。中世を通じてダブリンの経済の中心でしたが、1990年代の再開発計画で芸術・文化の発信地となるべく様々なアート系文化機関が建設され、最先端のカルチャーエリアに生まれ変わりました。狭いエリアにはレストランやパブ、カフェ、クラブがひしめいています。伝統的なアイリッシュ・パブでの生演奏があったりと楽しく賑やかな地区です。私達も、ここの一角にある伝統的なパブ「The Auld Dubliner」で昼食と生演奏を楽しみました。
Dame St.にある中央銀行
Fleet St.にあるHard Rock Cafe
「ケルズの書」を収めるオールド・ライブラリ
八重桜が満開

キャリック・ア・リード吊橋、
ジャイアンツ・コーズウェーからバリーキャッスルへ行く途中にある、スリル満点の世界の徒歩吊り橋10選の第2位に選ばれた断崖絶壁と岩場に渡るために掛けられた長さ20m程の吊橋です。 つり橋を渡ることができるのは同時に8人。 細い橋の下では荒波が砕け散っていて 迫力は十分です。島からはラスリン島やコーズウェイ・コーストがきれいに見えます。

トリニティー・カレッジの近くのグラフトン・ストリート周辺では、ちょうどアイルランド独立のきっかけになった「イースター蜂起」(1916年のイースター(復活祭週)月曜日の4月24日にアイルランドで起きた武装蜂起です。この蜂起はイギリスの支配を終わらせ、アイルランド共和国を樹立する目的で起きた反乱でしたが反乱軍の無条件降伏と指導者の処刑で終わりましたが、その後の独立運動へのきっかけとなりました。)の記念行事が行われていました。また周辺にはダブリンで一番格式の高いシェルボーン・ホテルや「ナンバー29」と呼ばれる18~19世紀の典型的な中流家庭の家を再現した建物があります。
シェルボーン・ホテル
カイルモア修道院
アイルランド西部にあるゴールウエー州、コネマラ地方には、アイルランドで「最もロマンティックな建物」と言われる修道院があります。1852年、マンチェスターの富豪であったミッチェル・ヘンリーは妻のマーガレット・ボーンと共に、ハネムーンでこの地に訪れました。その際、この一帯の景色があまりに美しかったため、妻のマーガレットはこの地をとても気に入り、夫のミッチェルはそんな愛する妻のために、この地に美しい城を建てようと計画したのです。その後、7年の歳月をかけて建てられ、実際にこの城にヘンリー夫妻は住むことになります。しかし、住み始めてからの幸せの時間はあまり長くはなく、愛する妻のマーガレットは病気によって、先に亡くなってしまうのでした・・・・・・。その悲しみから、夫のミッチェルは深く落ち込み、城を売却後に修道院となりました。修道院から1km程西にはアイルランド西部で最も美しいと称されるカイルモア・ガーデンもあり修道院内の循環バスで行くことができます。
上へ伸びる「巨人のオルガン」
ロッサヴィール港
チャンピル・ヒーヴィーン、
ドン・オウレの北東にある15世紀に建てられた聖キアラン修道院の遺跡で、古代の日時計や先史時代に造られた墓や石の十字架も残っています。
クレア城
ニュートン城
バレンの村

今日は、まったくの移動日です。成田空港から英国航空便で夕暮れのロンドンのヒースロー空港経由で北アイルランドの中心都市ベルファストに向います。英国航空利用の場合はベルファスト国際空港ではなくベルファスト・シティ空港に到着に到着です。

ベルファストがある北アイルランドですが、スコットランド、ウエールズ、イングランドとともに、イギリスを構成する四地方の一つです。ただ他の3つの地方と違うのは、ブリテン島ではなく、西隣りのアイルランド島にあることです。アイルランド島は、北東部がイギリスの北アイルランド、それ以外の地域はアイルランド共和国となっていて、異なる国なのです。こんな事情のため、北アイルランドではイギリスとアイルランドの両方の文化をつまみ食いできる、おもしろいところです。

1日目(4月19日)

夕暮れのロンドンのヒースロー空港

ラウンドタワー(円塔)
10世紀半ばから12世紀後半にかけて、重要な教会の敷地内に建設されました。このタイプの塔はアイルランド独特のもので、国全体で約80の円塔が残っています。内部には貴重な経典の保存などに使われたり、鐘楼の役目も果たし、周辺の集落に祈祷の時間を知らせたとも考えられています。先端が折れているオルーク塔は高さが19mあり、10世紀に建てられた物です。もう一つはフィンギン寺院にある美しい形の塔です。

トリニティー・カレッジの前にあるDame St.にあるアイルランド銀行
遠方に見えるのはラスリン島
コーズウェイ・コースト

北アイルランドの北西に位置するベルコー(Belcoo)にあるアイルランドとの国境は、それらしき看板があるだけで隣の町との川を渡る感じで何にも無く入国です。

一連の観光を終えてベルファストの街に戻ります。
ナンバー29
「ナンバー29」にある美しい玄関の家
ビールの注ぎ方を教えてくれるギネス・アカデミー

7日目(4月25日)


2016年4月19日~23日

アイルランド島は、北東部が英国の北アイルランド、それ以外の地域はアイルランド共和国となっていて、異なる国です。かつてローマ帝国が進出するまでヨーロッパ全土を支配したのがケルト人。アイルランドが他のヨーロッパ諸国と異なる文化を持ち続けているのは、ローマが侵攻してこなかったため、今なおこの国にケルトの文化が継承されているからです。アイルランドは北海道ほどの小さな島国ですが、絶壁の続く海岸線と緑豊かな大地が魅力の国です。

ブッシュミルズ村の中心ザ・ダイアモンド
パブ「The Auld Dubliner」
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

コング修道院、
小さなコングの村には、ゴシックとロマネスクの二つの様式が掛け合わされた、石の彫刻が美しいアウグスティヌス派の修道院があります。623年建立になる大変古い建物で、1120年には当時のハイ・キング (アイルランドには統一国家はなく、族長達が互いにハイ・キングという代表役を選出していました)、オコナー王によって、ほぼ現存する大きさに拡張されました。現在は外壁の一部を残して殆どが破壊されてしまっているものの、静かな中庭の緑を背景に、並ぶ回廊の柱には一つひとつ異なった彫刻が施されています。
最上階のバーからの眺め、緑のドームはセント・パトリック搭
今日は、一日帰国のための移動日です。朝ホテルを出てダブリンの空港からイギリス・ロンドンのヒースロー空港経由で帰国です。

8日目(4月26日)

Clarion Bublin Liffey Valley Hotel
今日は、ゴールウェイから車で50分程離れたロッサヴィール港からイニシュモア島にフェリーで渡り一日島内観光をします。茅葺きの家は、港への途中で見かけたケルトの伝統的家屋を利用したパブ。

巨人のテーブル
この地域では太古の民族が自然石を立てたドルメンとよばれる墓石や古い教会、修道院の跡などさまざまの時代の遺物を見ることが出来ます。特に代表的なものでは、「巨人のテーブル」と呼ばれるPoulnabrone portal dolmen(プールナブローン・ドルメン)で、紀元前、約3800~3200年頃に造られたとされている自然石の巨大な墓石です。

ゴールウェイ(Galway)
中世の面影を残し、のどかな地方都市の雰囲気をもちつつ、学生街の賑わいも見せるゴールウェイ。市街には、街のシンボル的存在「ゴールウェイ大聖堂」があります。市内を流れるコリヴ川沿いに青銅のドーム屋根が空によく映えるルネサンス様式の壮麗な大聖堂です。1957年、州刑務所の跡地に建設が始まり、1965年に完成しました。
ゴールウェイ大聖堂
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