バルセロネータとオリンピック村
シウタデリャ公園の南、地中海に突き出た三角地帯がバルセロネータと呼ばれる海浜地区です。マリーナに面したジョアン・デ・ボルボ通りには多くのレストランやタパスを並べたセルベッセリアが並んでいます。ここから海岸沿いに北東に歩くと1992年のオリンピックを機に開発された競技会場や選手村となった場所に、オリンピック湾に面してヤシの木が茂るプロムナードにカフェやレストランが並ぶ場所に再開発された市民の憩いの場です。

カタルーニャ音楽堂
一般にアールヌーヴォーとして知られる19世紀末芸術は、スペインではモデルニスモと呼ばれ、それを代表する建築家として知られるのが、当時ガウディ以上の名声を博したリュイス・ドゥメネク・イ・モンタネールです。彼により1905~1908年にかけて、カタルーニャ・ルネサンス(文芸復興運動)において指導的役割を果たした、オルフェオ・カタラン合唱団のために建設されたコンサートホールです。建設にあたってはバルセロナの篤志家たちの財政支援も受けています。赤レンガに花模様のタイルやカタルーニャの守護聖人サン・ジョルディの彫刻で飾られて正面も見事にですが、2階の大ホールのタイル、彫刻、ステンドグラスのシャンデリアと過剰なまでの装飾には驚かされます。この音楽堂はユネスコの世界遺産にも登録されています。

アンドラ・ラ・ベリャ Andorra la Vella
海抜1013mにある公国の首都で、街の真ん中をバリラ川が流れ、ここに架かる橋の上がロトンダ広場で街の中心です。ここにはサルバドール・ダリの彫刻作品「柔らかい時計」があります。メリチェル通りがメインストリートで、町には12世紀に建てられた初期ロマネスク様式のサン・エステヴェ教会もあります。アンドラ・ラ・ベリャを訪れる外国人観光客は年間1,000万人にのぼり公国のGDPの80%は観光業が生み出しすそうです。

6日目(6月05日)

今日は、アンドラ散策の後に、スペインに再入国してカタルーニャ地方の聖地モンセラット修道院を訪れてからバルセロナに向います。
ダリの彫刻作品「柔らかい時計」
カサ・リェオ・イ・モレラの優美なファサード
夕食を兼ねて利用しました。グラシア通りに何件かあるチェーン店です
ビールはErdinger,Gunessなどがありました。
マヨール広場
ビスカヤ橋
ビルバオ郊外のポルトゥガレテとゲチョの町を結ぶために、エッフェルの弟子として知られるビルバオ出身のアルベルト・デ・パラシオの設計で世界初の運搬橋として1893年に開通した長さ160mの鉄橋。当時として画期的な軽量鉄ケーブルを使った構造は、世界各地の運搬橋のモデルとなった世界文化遺産です。橋は船舶の通行を妨げないよう、橋桁は水面から45mの高さに設置され吊り下げられたゴンドラで人や車を運ぶ様になっています。
カテドラルへ通じる小路
フレデリク・マレー美術館
中央広場
ベルナデットゆかりの家、
ルルドで聖母の出現を体験し、後に修道女となりカトリック教会の聖人に列せられたベルナデット・スビールは1844年1月7日に粉ひきの娘として、現存する生家である小さな水車小屋で生まれました。彼女が12歳の頃、水車と動力機械の競争や飢饉で家賃が払えなくなり、一家は昔監獄として使われていた一部屋しかない家(La Cachot)に移り住みました。
今日は、ルルド市内観光の後に、ピレーネ山脈のピック・ド・ミディ(標高2877m)まで上っての展望を楽しんでからアンドラ公国に向います。
マヨール広場に立つ市庁舎
生家である小さな水車小屋
西側の受難のファサード
蜘蛛のオブジェ
ルルド Lourdes
聖母マリアの出現と「ルルドの泉」で知られ、カトリック教会の巡礼地ともなっている町です。1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(フランスでは「ベルナデット」)がポー川のほとりあるマサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれています。その後17回にわたって同じ場所に現れ、ある日「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と言われました。近くに水は無かったため、彼女は近くの川へ行こうとしたが、「聖母」が「洞窟の岩の下の方へ行くように指差した」ところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった。これがルルドの泉の始まりです。その後もベルナデットによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡が続々と起こり、鉄道など交通路の整備とあいまって、ルルドは世界中から年間600万人が集まるカトリック最大の巡礼地になり今日に至っています。

バスク地方は、ピレネー山脈の両麓に位置してビスケー湾に面し、フランスとスペインの両国にまたがっている地域で古来からバスク人が暮らし、今も独自の文化と伝統を保っている事から歴史文化的につけらえた呼称です。バスク人はスペイン帝国の植民活動で重用され、航海中に死去したフェルディナンド・マゼランの後を継いで史上初めて世界一周を達成したフアン・セバスティアン・エルカーノはバスク人であった。また多くのバスク人聖職者が新世界での布教活動を行っており、イエズス会の創始者であるイグナチオ・デ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルもやはりバスク人でした。フランス国内に位置する北部の一部がフレンチ・バスクと呼ばれ、海と山の両方の幸を味わえる美食の地でもあります。

ロザリオ聖堂
カトリック最大の巡礼地、ルルドの史跡の中でも最も訪れる人の多いのがロザリオ聖堂です。両手を広げ人間を迎える神を思わせる形をしている聖堂は、まるで人間愛の体現とも言えます。ロザリオ聖堂は、マサビエルの洞窟の上に建つバジリカ聖堂「無原罪のお宿り聖堂」の台座を為す形で造られたもので、ビザンチン・ロマネスク様式の聖堂です。これらふたつの聖堂を合わせて上から見ると大きなギリシャ十字架の形をしており、総面積は2000平方mになります。

サント・マリー大聖堂
アドゥール川と城塞
トーレ・アグバル(水道局ビル)
港湾地区
モンテ・イゲルド
丘の上には、展望台がありコンチャ湾と丘陵にまで広がる街並みの眺望が素晴らしいのですが雲が多かったのが残念です。
コルドン館
市庁舎
ロザリオ聖堂
聖域の門であるサン・ミッシェル門をくぐると十字架の下でのミサに参列する人の列、聖ピオ10世地下バジリカ聖堂でもミサと聖域内にある礼拝堂各所では宗教行事が連日続けられているそうです。

モンジュイックは、町の南西にそびえる標高173mの丘で、万博やオリンピックを機に開発されスポーツ施設や美術館が緑地に点在しています。テレフェリコと呼ばれるゴンドラに乗ればバルセロナ市内を見下ろしながら10分程で頂上にあるモンジュイック城に着きます。

ランブラス通りは、プラタナス並木の旧市街の目抜き通りで街の中心カタルーニャ広場と港の中心コロンブスの塔を結んでいます。

ゴシック地区は、古くはローマ時代に起源をもつバルセロナの中心地域でカテドラルをはじめ歴史的モニュメントがあります。

モンジュイック城
丘の上に18世紀後半に築かれた要塞ですが、19世以降は獄舎として使われ、フランコ政権下では政治犯が処刑されたそうです。現在は公開されており、港湾地区やバルセロナ市内が一望できます。

カサ・バトリョ
もとは1877年に建設された建物を大繊維業者ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスの依頼を受け、1904~1906年にかけて、ガウディはこの邸宅の改築を行った。このカサ・ミラの外観を飾る破砕タイルやガラスは、なんと地元の会社の廃棄物を譲り受けたもの。内装のデコレーションにも凝っていますが、何より、20世紀初めての換気を重視した家だったのです。外観の淡い色のデコレーションとユニークな形のバルコニーがインパクトある、バルセロナの観光名所です。

アシャンプラ地区は、19世紀以降に行われた都市改造に、ガウディをはじめとする新芸術運動モデルニスモの旗手達が関わったので地区全体がモデルニスモのモニュメントの様になっています。

7日目(5月30日)

モンセラット修道院
標高1235mの山の中腹に建つベネディクト会の修道院。この修道院付属の大聖堂に信仰のシンボルとされる「黒いマリア像」が置かれており、これがモンセラット見学の見どころです。大聖堂の創設は9世紀。その後11世紀には増設され、15世紀の初め頃にローマ教会から離れてベネディクト派の聖地として発展してきました。ラファエロやミケランジェロなどイタリア・ルネサンスの巨匠たちをサポートしていたジュリアーノ・デッラ・ロヴェーレ(後のローマ教皇ユリウス2世)は枢機卿時代にここモンセラットの大修道院長を務めていて当時は大きな権力を有していたと想像できます。しかし19世紀初めに、ナポレオン率いるフランス軍の侵略で大聖堂は破壊されてしまい、その後再建はされたものの、現在残る12使徒のファサードや建物全体は19~20世紀にかけての比較的新しいものです。

風よけになる紙のつつみで覆われた長いロウソクの行列用品、日本のボンボリのようなイメージです。事前に購入準備してもしなくても行列には参加できます。
入口に戻る

海外旅行記の一覧へ

旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

9日目(6月01日)

8日目(5月31日)

カサ・ミラ
ガウディが54歳の時に実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅として1906~1910年に建築されましたが、、建物全体が巨大な剥き出しの石のような外観なので、地元の人からは外観から「石切り場(ラ・ペドレラ)」というニックネームをつけられたほどでした。建物は直線部分をまったくもたない建造物になっていて、壮麗で非常に印象的です。あたかも砂丘か溶岩ののような雰囲気をもっており、一般的な現代建築の様式とは、隔絶した建築となっていて外観の波打つ曲線は地中海をイメージして作られたそうです。天才の仕事は凡人には、なかなか難しいです、、、、

サグラダ・ファミリア聖堂、
サン・ホセ帰依者協会が、聖家族(サグラダ・ファミリア)に捧げる教会として1882年に着工、翌1883年に初代建築家フランシスコ・ビリャールのあと任命されたのが、当時は未だ無名だったアントニ・ガウディです。以降、ガウディは設計を一から練り直し、1926年に亡くなるまでライフワークとして設計・建築に取り組みました。ガウディが完成させたのは、東側の「生誕のファサード」とその4本の鐘楼でイエスの降臨を描く彫刻はとても石で出来たものとは思えないほどです。西側の「受難のファサード」は、ガウディの死後に建設されたもので、完成すると合計18本の塔がそびえる予定です。現在もガウディの没後100年である2026年の完成を目指して工事が続けられているバルセロナ市のシンボルです。

バルセロナ Barcelona
1992年のオリンピック開催で一気に知名度をあげたバルセロナは、ほかのスペインの街と異なりイスラムの影響が少なく、ヨーロッパ的な街並みが広がる海港都市として躍進を続けています。バルセロナの起源は、カルタゴの支配下でバルキノと呼ばれていた紀元前2世紀にまでさかのぼり、そこから約2000年もの間、繁栄と衰退を繰り返し、19~20世紀の経済の隆盛が現在のバルセロナを築く源泉となりました。バルセロナの特徴として挙げられるのは自主独立なカタルーニャ気質。外国の異なる文化を広く受け入れ、調和させつつ、独創的で斬新なデザインを生み出す。異文化と新旧を融合する気風が、ガウディやミロといった異才を生み出す要因となったと言われています。観光ポイントの中心にカタルーニャ広場があり、南に旧市街、その西側にはモンジュイックの丘、北には19世紀に拡張されたアシャンプラ地区があり、それを包むように新市街が広がっています。

今日と明日はバルセロナ市内観光です。

モンセラット Montserrat、
「モンセラート」とはカタルーニャ語で「ギザギザな山(のこぎり山)」という意味があり、遠くからも見ることができる山肌の形状に由来しています。ワーグナーはオペラ「パルシファル」でこの景観を舞台背景に使い、ガウディもここを訪れては建築のインスピレーションを得たと言われています。標高1235mの山の中腹には9世紀に起源を持つ修道院があり、古くからキリスト教の聖地とされカタルーニャ地方における信仰の中心地です。

ピック・デュ・ミディ、
フランスとスペインの国境にあるピレネー山脈にある、ピック・デュ・ミディ(頂上の尖った山の意味)は古生代の大規模な地殻変動によってできたダイナミックな地形です。頂上には130年の歴史を誇るピック・デュ・ミディ天文台がありますが、ラ・モンジー(La Mongie)からロープーウェィを乗り継いで昇っていきます。1000mの高さをわずか15分の短時間で2877mの頂上へ着きます。南西部の平野など300Km見渡せるピレネー山脈の中で、一番美しく、忘れがたきパノラマを楽しむと言ったらここしかありませんが山の天気は変わりやすく寒さもあり、山並みが雲に覆われたり突然現れたりと大変でした。

5日目(5月28日)

夜のロウソク行列、
4月から10月まで毎日21時の開始を目指して夜20時をすぎると、聖堂前の広場にどんどん人が集まってきます。「Procession Mariale」(プロセッション・マリアル)という「ロウソク行列」が行われます。風よけになる紙のつつみで覆われたロウソクをみな手に持ち。行列の先頭になるマリア様の像を目印にしてみんなが集合します。まず最初に、車いすに乗った方達や、担架に寝た寝たきりの方達。それを押すのはシスターやボランティアの人々達。ゆっくりゆっくりと行列は「聖域」の中の敷地をぐるりと一周歩いて行進します。聖堂の前では、世界各国の言葉で聖書が読まれ、ミサが行われます。そして聖歌隊を中心に歌い続けられる聖歌。初めて聞いた人でも一緒に歌える「アヴェ・マリア〜♪」の部分になると、いっせいにロウソクを持った手を上に掲げて、広場中の人の合唱になって高揚感に包まれます。恐るべし宗教の力でしょうか?。
ラ・リューヌ山、
標高905mの山頂からは、片方にピレネーの稜線が広がり、もう片方にはバスク湾が広がりサン・セバスチャンからビアリッツ、時にその先のランド地方の沿岸まで見渡すことができる景勝地です。山頂はもうスペイン領。山頂に向かう登山列車、プチトラン・ド・ラ・リューヌは1924年に開通したアプト式登山列車、時速8キロで全長4.2Kmを35分をかけてラ・リューヌの勾配を山頂まで登ります。優雅な車体は開通当時の姿のままです。
ニーヴェ川沿いに広がる街
カタルーニャ美術館
サグラダ・ファミリア聖堂
バイヨンヌ Bayonne
バイヨンヌは大西洋に面したビスケー湾(仏語ではガスコーニュ湾)からアドゥール川をさかのぼった、ニーヴ川との合流点に位置しバスク地方においてはピレネー山脈以北の北バスクの中心都市で、古代ローマ時代には街道筋の町として、また12~13世紀には貿易港として栄えてきました。
アンドラ公国 Andorra
イベリア半島のムーア人との緩衝地帯として8世紀に、フランク王国のシャルルマーニュがピレネー山脈中においたスペイン辺境領の一つ、ウルヘル伯領を起源とするフランスとスペインに挟まれた国で、フランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首とするミニ国家です。首都はアンドラ・ラ・ベリャ。ピレーネ有数のリゾート地ですが、この国はタックス・ヘイヴンのために免税店や銀行業も盛んであり、多くの外国の金融機関が進出しています。EUには加盟していないが、EUと関税協定を結び、使用通貨もユーロです。
モンテ・ウルグル
町の東北にある丘の上にあるモタ城には高さ10mのキリスト像が街を見下ろしています。この麓が街の中心部です。
市庁舎
自治政府庁

4日目(5月27日)

マサビエルの洞窟、
聖母マリアが出現したとされる洞窟で、奇跡の泉はマリア像の左下億にあり現在も水が湧き出ています。洞窟の上には聖母マリアに捧げられた無原罪のお宿り聖堂が建てられいます。世界中から、この水を求めて多くの人々が集まるので、土産品店では持ち帰り用ボトルを売っているのは、インドのガンジス川で見た光景を思い出されました。
ビルバオ Bilbao
ビルバオはスペイン北部の中央部に位置しており、大西洋のビスケー湾からネルビオン川を19Km遡った港湾都市です。19世紀と20世紀初頭には工業化されバルセロナに次いでスペインで2番目に大きな鉄鋼・造船工業の中心地となったが、その後の重工業の衰退に伴う都市再生プロジェクトによって90年代グッゲンハイム美術館の建設を中心に、生まれ変わりました。現在のビルバオは第三次産業が卓越しており、ネルビオン川沿いには、有名建築家が設計した建物がずらりと並んでいます、そして街の象徴としてビルバオ・グッゲンハイム美術館があります。

アルタミラ博物館
アルタミラ洞窟壁画は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。1879年に偶然に発見された約1万5千年前に描かれた野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画ですが、手の壁画もあり、発見当時は旧石器時代の絵が知られておらず、学界からは捏造だと疑われていました。 アルタミラ洞窟は、たくさんの人が入りすぎたために壁画は、外気に触れて痛みがひどくなってため現在は保護のため閉鎖されましたが、隣接する博物館で、精巧なレプリカの展示を見学できました。

パラドール・デ・サンティリャーナ・ヒル・ブラス
18世紀のバレーダ・ブラス邸を改装したパラドールで内部は階段も床材も当時の木造のままです。

ピレネー地方の入口にあるルルドは、昔から軍事的な要所のために中世から町の真ん中の岩山に要塞が築かれていました。

参事会教会
12~13世紀に建てられたロマネスク様式の教会で、18世紀に再建された正面入口上部に、聖フリアナの彫像が置かれています。

ブルゴスから中世の貴族の館が立ち並ぶ街サンティリャーナ・デル・マルを経てビルバオに向います。
東側の生誕のファサード
カテドラルのあるサンタ・マリア広場からカテドラル南東面のサン・フェルナンド王広場を通って市立劇場前に進むとイスラム世界に対するレコンキスタ(国土回復運動)の英雄とされるエル・シドの騎馬像があります。街中のコルドン館は、15世紀にカスティーリャ王国将軍の館として建築されコロンブスが二回目の新大陸航海からの帰着時、カトリック両王に謁見された館です。マヨール広場の真ん中には市庁舎があります。
ピレーネの渓谷を進み、山中にある小国アンドラの国境を越えるとすぐにセント・ジュリア・デ・ロリア(Sant Julia de Loria)の町に入ります。
新大陸の方向を指すコロンブスの像
市立劇場
聖域の入口の聖ヨセフ門
黒いマリア像
サン・セバスティアン San Sebastian
フランスとの国境から約20Kmのサン・セバスティアンは、「ビスケー湾の真珠」と呼ばれる美しい町です。中世はサンティアゴ巡礼の中心地として、また16世紀以降は海洋貿易で栄えましたが、スペイン独立戦争中の1813年ナポレオン軍と英国軍の攻防戦によって街の中心大半が焼失し、その後再建され、19世紀にハプスブルク家の王妃マリア・クリスティーナが保養地として以来、高級避暑地として知られるようになりました。街は扇状に広がるコンチャ海岸、その両端にある二つの丘モンテ・イゲルドとモンテ・ウルグルで構成されています。「ヨーロッパの美食の都」と称され、食べ物が美味しいスペインの中でも、ズバ抜けてレベルが高くスペインで7軒しかないミシュラン3ツ星のうち、3軒がこのサンセバスティアン周辺にあるそうです。
ブルゴス Burgos,
ブルゴスは、カスティーリャ・イ・レオン州(地方)に属し、この州はマドリッドの北に位置する州で、レオン、ブルゴス、アビラ、サラマンカ、バジャドリッドなど中世に栄えた城塞都市が多くあります。ブルゴスは、10世紀半ばにレオン王国から独立したカスティリャ伯領の首都として、この中で最もバスク地方に近い場所に位置する都市になります。この街は、スペインの”レコンキスタ(国土回復運動)”の英雄とされる「エル・シド」の生地でもあり、彼にちなんだモニュメントも多くあります。

3日目(5月26日)

ビクトリア・エウヘニア劇場
リセウ劇場
グエル邸
クルサール国際会議場
サンタ・マリア門
14世紀に造られた旧市街の城下町に入る門のひとつで、16世紀に改築工事され、現在見られる6人の英雄像が加わった。上からマリア、天使像、そして英雄像ですが上段中央はカルロス5世、右側がエル・シドの像です。
岩山に抱かれて建つ修道院
サン・ジュアン展望台へのケーブルカー駅
グエル公園、
施主のエウゼビ・グエイ伯爵(スペイン語読みではグエル)とアントニ・ガウディは、この場所に人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を作ろうとした。しかし、ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時理解されませんでした。結局、広場、道路などのインフラが作られ60軒が計画されていたが、買い手がつかず、結局売れたのは2軒で、買い手はガウディ本人とグエル伯爵だけであった。グエル伯爵の没後に工事は中断し、市の公園として寄付されました。現在はガウディが一時住んだこともある家が、ガウディの家博物館として公開されています。
今日は、帰国日ですが、午前中に地下鉄を利用してグエル公園に行って来ました。
サンティリャーナ・デル・マル Santillana del Mar
町の起源は、言い伝えによると、9世紀に一人の修道士がトルコで殉教した聖フリアナの聖遺物をこの地にもたらしたことで、この地に修道院ができたことに始まり、13世紀にはアルフォンソ8世の直轄領となり、貴族の屋敷が多く建てられました。今も残る家々の立派な紋章はその名残だそうです。貴族の家がたくさんあって、素敵な家の立ち並ぶ路を散策するのですが小さい町なので、観光は1時間もかかりませんが、ここにもパラドールがあるので食事のためによりました。 もう一つ、ここは世界史の最初にでてくるアルタミラ洞窟が発見された場所が郊外にあります。
教区博物館
グッゲンハイム美術館
1997年に開館したアメリカのソロモン・R・グッゲンハイム財団が設立したグッゲンハイム美術館の分館のひとつで、建築家のフランク・ゲーリーが設計を担当した。かって造船所のあったビルバオ市内を流れるネルビオン川に隣接して建てられ国内外の作家による常設展示や特別展示が行われています。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の建物は光を反射して刻々と変化する外観は現代建築でもっとも称賛される作品のひとつであり、それ自体が芸術作品と言われています。入口にはアメリカの芸術家ジェフ・クーンズの生花での作品「パピー」が置かれています。
サン・ジュセップ市場
ミロのモザイク
ルルドの城塞
ポー川沿いのホテル
教会堂(バジリカ)へ続く中庭と12使徒のファサード
ガウディの家博物館
全ての観光を終えて、これからFCバルセロナ(バルサ)の優勝記念ラッピング・バスで帰国します。
引越先の一部屋しかない家(La Cachot)
ベルナデットの像
キリストの死がテーマで、いえすの裁判、ゴルゴダの丘への道が彫られてます。 ユダの接吻では16の数字からなるプレートの各通りの数字の足し算の結果がキリストが亡くなった年齢の33になります。

今日は、まったくの移動日です。成田空港からエミレーツ航空の夜間便でドバイ経由でスペインのマドリッドに向います。

バルセロナの闘牛場
スペインの伝統文化とされる闘牛は、独自の文化を持ちスペインからの独立指向が強いカタルーニャ自治州では動物愛護の視点から2010年に闘牛禁止条例が制定され、2011年9月25日にバルセロナでは最後の興業をもって100年の歴史を誇るモヌメンタル闘牛場は幕を閉じた。また旧ラス・アレナス闘牛場も2011年にショッピング・センターとして生まれ変わりました。

モヌメンタル闘牛場
旧ラス・アレナス闘牛場
マドリッドからはバスで途中にある小さな町を見ながらブルゴスに向います。
市庁舎
カテドラル
カタルーニャ広場
カテドラル
街の見所は、何をおいても「カテドラル(大聖堂)」です。ちょっと大きな街に行くと、大体そこそこのカテドラルがありますが、ここの大聖堂は特別です。八角形の尖塔の高さは54mあり、セビージャ、トレドのカテドラルに次いでスペイン第3の規模を誇る3大カテドラルの1つといわれています。1221年に着工し16世紀に完成しました。内部装飾も時代を経た数々の芸術家の手によるもので13ある礼拝堂それぞれに特徴があります。
ラ・リューヌ山展望台
フランスとの国境越えですが、シェンゲン協定でEU内は、通常チェック無しで自由に往来ができますが、今回始めての経験ですが、パリのテロを受けてからは抜き打ちでバスの車内を警察官がチェックしました。無事終わりフランスに入国です。
今日は、宿泊したビルバオからビスケー湾に面したサン・セバスティアンを経てフランスに入国してバイヨンヌ、そしてキリスト教の聖地ルルドに向います。
カテドラル

1日目(5月24日)

2日目(5月25日)


2016年5月24日~6月1日

バスク・ピレーネ9日間

スペインに再入国は、フランスとの国境と違い路上の看板があるのみで、そのまま通過です。前方にモンセラットの「のこぎり山」が見え始めました。
inserted by FC2 system