宿泊したシナモン・シタデール・キャンディ・ホテルは街の中心を流れるマハウエリ川横の小高い丘の上にあり、部屋からの景色は緑豊かで清々しく気持ちの良い朝を迎えました。今日は、キャンディ周辺を観光してからコロンボを経由して高速道路で最南端にあるゴールに向かいます。
敵の侵入を防ぐための内堀
500人いた妃の沐浴場
キャンディ・マーケット、
市街にある庶民的な総合市場で1階は生鮮食品、2階は日用雑貨、洋服、サリー、民芸品などの店がズラリと並んでいる活気のあるマーケットです。なかでも果物売り場は地元の名所のひとつで珍しい南国フルーツが山積になっています。
水の庭
石の庭
テラスの庭
色々な種類のバナナがズラリと並んで
馬と人の彫刻
像の彫刻
コロンボ Colombo
スリランカ最大の都市で、実質的な首都で経済活動の中心地です。7世紀ごろから交易の場として活用されていた街ですが、本格的に開発されたのは、大航海時代を経てポルトガル人、続いてオランダ人がこの地を拠点とした16世紀以降のこと。スパイスや紅茶貿易の拠点となったコロンボは、インド洋有数の港町となります。1948年、スリランカがセイロンとして独立したときに、コロンボは正式に首都と定められました。1984年に首都がスリ・ジャヤワルダナプラ(コッテ)に移ったあとも、政治や経済の中心地としての機能は保たれています。市内は15のエリアに分けられていて、それぞれ特徴があります。活気あふれる庶民の街ペター地区、商業や金融施設、鉄道駅などがコロニアルな建物とともに建ち並ぶフォート地区が街の中心。フォート地区の南側にはゴールフェイスグリーンと呼ばれる芝生の広場があり、平日の夜や休日は家族連れやカップル、観光客でにぎわっています。インド洋沿いに南北に走るゴールロードは宝石店やさまざまな商店、土産物店、おしゃれなレストランが並ぶ旅行者にも楽しいエリア。高級住宅街でもある緑豊かなシナモンガーデンズ周辺には国立博物館や自然史博物館などがあります。
スリー・マハー菩提樹
アヌラーダプラを仏教の聖地として高めているのがスリー・マハー菩提樹です。紀元前3世紀にインド・ブッダガヤで、その下で仏陀が悟りを開いたとされる菩提樹の分け木をインドのアショーカ王の王女サンガミッタがここに運び、当時のデーワーナンピヤ・ティッサ王が植樹したものと言われ、記録が残る世界最古の木とされています(推定樹齢約2300年)。19世紀に入り象などの野生動物が入らないように周りには囲いがもうけられていますが、多くの巡礼者がここに祈りを捧げにやって来ます。
バンダーラナーヤカ記念国際会議場
第3窟は「偉大な新しい寺」
キャンディ王国時代に造られた寺院で全長9mの涅槃仏や天井には仏陀の人生や仏教行事が描かれています。
キャンディアン・ダンス
この街はスリランカを代表する伝統舞踊・キャンディアン・ダンスの本場です。元々の目的は悪魔払いで大小さまざまなドラムのリズムに合わせた力強い舞や女性のしなやかな舞などバラエティ豊かな踊りで、最後は火渡りのファイヤーダンスで終わります。
宝物殿

7日目(10月01日)

全ての観光を終えたので、バンダーラナーヤカ国際空港に向かい夕方の便で帰国します。

3日目(9月27日)

恋人の像
王族の像
独立記念ホール
ニュー・タウン・ホール
第4窟は「3人の王の寺」
石像に囲まれた空間の中心に王の使っていたアクセサリーや宝石が入っていると言われるダーガバ(仏塔)が立っています。
第4窟は1915年に造られた最も新しい石窟
天井画は塗り直されたもので色が鮮やかで、涅槃像の周りには多くの信徒の柄が書かれています。
本殿の岩山から望むアヌラーダプラの景観
建設中のロータス・タワー
山を下った所にあるキャンディ・ロードに面して見える巨大な金色大仏とダーガバ(仏塔)のある黄金寺院(Golden Temple)
左からシナモン・グランドホテルとゴール・フェィス・ホテル
ワールド・トレード・センターのツィンビル
セイロン銀行本店とガラダリ・ホテル
大統領官邸
1857年建築の灯台ですが、現在は時計塔の役割として使われています
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

参道には灰色オナガザルが多くいました
1階にある参拝所
宿泊したシーギリヤ・ビレッジはロックの頂上からも見えるスリランカの村落をイメージしたコッテージ・タイプで広い庭の中に各客室が建っています。プールサイドやレストランからシーギリヤ・ロックを見ることが出来ますが、近くのハス池の前からは全景が望めます。
考古学博物館として公開されているかってのキャンディ王朝時代の王宮
シーギリヤ Sigiriya
スリランカ文化三角地帯のダンブッラとハバラナの間の中央に位置する、巨大な一枚岩「シーギリヤ・ロック」の頂上に宮殿が築かれた古代都市です。約11500年前に築かれジャングルの中にそびえ立つ、高さ約200mの巨大な岩山の頂上からは広大な景色が見渡せ、荘厳な雰囲気を醸し出しています
シンハラ建築様式の八角堂
キャンディ湖、
19世紀の初めに王朝最後のの王によって12年かけて造られた街の中央に広がる人造湖です。当時、湖の中の島はハーレムになっていて王宮とトンネルでつながっていたそうです。現在は、周辺に遊歩道が整備されており、ゆっくり散策することができます
シギリヤ・ロック
スリランカで最も有名な世界遺産と言ってもよいのが、シギリヤの巨大な岩山「シギリヤ・ロック」です。弟モッガラーナとの王位継承の抗争に巻き込まれていたカーシャパ王子が478年、家臣に父である王を殺害させ王位を手に入れるが、実は家臣に騙されていた。その報復を恐れて弟も追放したカーシャバ王子は、ジャングルの中にある高さ200mの巨岩の上に7年の歳月をかけて宮殿を築き、ここを都とさだめます。インドに逃げた弟に攻め込まれ自害するまでのたった11年の間に、彼はみごとな芸術をこの空中の都に刻み続けました。これが岩山の中腹にある色鮮やかで官能的な天女たち「シギリヤ・レディ」のフレスコ画です。スリランカにおける唯一の非宗教絵画として世界的に有名です。一説によればカーシャバ王子が殺害した父王の魂を慰めるために描かせたといわれ、現在は18人の絵が残りますが、当時は500人の美女が描かれていたと言われます。さらに上って宮殿まで登る最後の階段の入り口には、巨大な獅子の足があります。当時は獅子の頭部全体があり、訪れる人は獅子の口に飲み込まれるように宮殿に入っていったと考えられています。山頂にはプールや観劇施設など娯楽設備がある一方で、敵を退ける投石機も残り、孤独な王の暮らしをしのばせます。近代になって発見されるまで約1400年もの間、ジャングルに埋もれたままでありました。
朝日に輝くシーギリヤ・ロック
上から見たライオンの足
キャンディ周辺の街はキャンディアン・ダンスの本場ですので昨日のキャンディの舞踊場に続いて、このホテルのロビーでもキャンディアン・ダンスのショーを楽しめました。
世界遺産のシギリヤ・ロックを遠くに望む
ラタ・マンダパヤ
アタダーゲ

ダンブッラの観光を終えて、マータレー(Matale)と言うスパイスの産地で有名な町を通り抜けてキャンディに向かいます。マータレーはヒンドゥー教徒が多い町でもあり陶器のノリタケの工場もあります。
現在は18人の絵が残りますが、当時は500人の美女が描かれていたと言われます。2015年12月30日より、壁画保護の目的のため写真撮影禁止となりましたので、ここにはシギリヤ博物館のレプリカ写真を掲載しました。

2016年9月25日〜10月1日

スリランカ7日間

5日目(9月29日)

ピンナワラのゾウの孤児院
キャンディの郊外にあるゾウの保護施設。ここには森で親とはぐれてしまった子ゾウや、ケガや病気のため野生で生きていくのが難しくなったゾウなど約100頭が保護されています。象たちは1日2回(10:00〜12:00, 14:00〜16:00)、孤児院から道路を隔てた近くの川へ水浴びに出かけます。大きなゾウたちが列になって、細い路地を通って川へと向かう様子は圧巻です。派手なショーがあるわけではないが、広大な敷地で悠々と過ごす象の姿には癒されます。アジアゾウはアフリカゾウに比べて一回りほど小さいのが特徴です。
赤いレンガ造りの建物は老舗スーパー・カルギリスの本店。  1917年から使われているスリランカ最大のコロンボ・フォート駅
旧国会議事堂

フォート地区、
官庁や銀行が並ぶスリランカ経済中心地で、植民地時代も統治の中心地として多くのコロニアル建築が建てられました。昔も今もコロンボで最も観光客が訪れる場所の一つでもあります。

ゴール・フェイス・グリーン
フォート地区の南、インド洋の心地よい風が吹き抜ける海岸線のゴール・ロード沿いに広がる海に面したコロンボを代表する美しい景観の場所でもある広大な緑地が「ゴール・フェイス・グリーン」です。ここは、イギリス統治時代の1859年に、当時のハワード総督の発案で造られました。。この通りを歩くのは恋人たちや元気な子供達の姿が目に付きます。日没の赤い太陽がインド洋に沈む景色はスリランカで見ることができる最も素晴らしい景観の一つでもあるそうです。

シナモン・ガーデンズ
名前の通り、かつてシナモンが栽培されていた場所ですが、現在はコロンボの高級住宅街や各国大使館が集まる地区です。コロンボのほぼ中央に位置する「ヴィハーラ・マハー・デーウィ公園」の東南に広がる一帯で、ビジネス街の「フォート地区」や下町の繁華街「ペター」とは全く雰囲気の違う、静かで緑豊かな環境です。独立の父、故バンダーラナーヤカ首相をしのぶバンダーラナーヤ記念国際会議場の入口にはスリランカの5大仏像の一つであるアウカナ・ブッダを模した高さ12mの像が立っています。コロニアル建築の「タウン・ホール」がこの地区のランドマークですが、中国の援助でロータス・タワー等の建設も進んでいます。

首都のスリ・ジャヤワルダナプラ(コッテ)市内にある湖に浮かんだ小島の壮大な建物は、スリランカ近代化の象徴的なデザインの国会議事堂です。
写真左側が仏歯が収められている部屋。仏歯の実物が見られるのは、まれなことで、仏歯が納められた黄金の仏舎利容器は高さ1.5mほどで7重の小箱になっており、1日3回のプージャ(礼拝の儀式)の間、数分間だけ部屋の扉が開き小窓から容器を見ることができます。この仏歯は一年に一度だけ、夏に開催される「ペラヘラ祭」の時に外に出されるそうです。仏歯が収められている部屋は2階にあるので、2階まで上がれない人のために1階にも参拝所もあります。
中の門に入ると通路の壁にはペラヘラ祭りの様子が描かれています。     本堂手前の天井を彩る精巧な模様もすごいです。

ゴール Galle
最南部に位置するスリランカ第3の都市です。中東と中国を結ぶ「海のシルクロード」の中継地点として古代から栄えた港町で、大航海時代に入ると、ポルトガルやオランダの手によりこの地に堅固な要塞が築かれ、香料貿易の拠点として街は多いに栄えました。要塞の中には、コロニアルな街並みが広がり、時計台やオランダ教会、灯台、モスクなどが当時の面影を残しています。イギリス植民地時代には支配の拠点として重要な位置を占め、城塞都市として現在の姿に完成されました。城塞の入り口には「オランダ東インド会社」の紋章が当時のまま残されており、旧市街は欧州の異国情緒を感じる街並が広がっています。2004年12月26日のスマトラ島沖の大地震により、インド洋からの大津波が襲いかかったとき、植民地時代の城壁が浸水から街を守ったので旧市街からは一人の犠牲者も出しませんでした。以来「奇跡の世界遺産」と呼ばれているそうです。

仏歯寺、
街のシンボルは仏陀の糸切り歯を納める「仏歯寺」。仏教徒であるシンハラ人にとって、仏歯寺の存在は、民族の最高の象徴です。シンハラ建築独特の八角形の堂の中には、仏陀の座像が鎮座します。紀元前6世紀、仏陀が火葬された際に入手されたと伝えられる仏歯は、4世紀に南インド王の王女が嫁いでくる際に持ち込まれ、王権の象徴として都とともに移動してきましたが、最後にはキャンディに落ち着きました。
キャンディ湖の前に建つクイーンズ・ホテル

キャンディ Kandy
スリランカ一の観光都市と言えるのが、セイロン島のほぼ中央にある文化三角地帯の最南の一角を成す古都・キャンディです。日本で言うと京都でしょうか。インドからの侵入者に追われたシンハラ王朝の最後の都であり、1592年から1815年のイギリス統治時代を迎えるまで約200年間スリランカの首都としてシンハラ文化が華やいだ場所です。見どころは尽きないが、代表的なものとしては、スリランカ仏教を代表する寺院の「仏歯寺」、街の中央に広がる美しい「キャンディ湖」と郊外にあるゾウの孤児園などです。

山頂にある寺院入口では、チケット販売していないので下のキャンディ・ロードに面して見える巨大な金色大仏の右側にあるチケット券売場で購入してから長い階段を上がるのですが、ガイドさんが事前に準備してくれましたので助かりました。

4日目(9月28日)

ダンブッラ黄金寺院
岩山ランギリ(黄金に輝くという意味)に建てられた石窟寺院です。紀元前1世紀頃、タミール軍の侵略により追放された当時の王ワラガムバーフは、この岩山の修行僧の住居だった洞窟に身を隠して復活の機会を待ち、後に王権を奪還した際、感謝の気持ちをこめてこの寺院を建立したと語り継がれています。全部で5つの石窟から成るが、一番の見どころは第2窟の仏陀の生涯やスリランカの歴史が描かれた荘厳な壁画と天井から湧き出てくる聖水です。「ダンブッラ」とは“聖なる水”を指す言葉です。またこの石窟寺院は高さ180mほどの岩山の上にあり、ここからは周辺の緑の眺めが素晴らしく、視界のいい日には、20km離れた同じく世界遺産のシギリヤ・ロックを遠くに望むことができます。

ダンブッラ Dambulla、
町自体はとても小さいが、水の伝説と美しい壁画のあるスリランカ最大の石窟寺院があるので、文化三角地帯でも屈指の名所となっています。

今日は、連泊したシーギリヤから5つの石窟からなるダンブッラの黄金寺院を観光して、スリランカで最もスリランカらしい聖地キャンディに向かいます。
ライオンの足は、岩山の形がライオンに似ているためシンハラ語でシンハ(ライオン)とギリヤ(岩)で名付けたのがシーギリヤの由来です。それを表現すべく当時はライオンの頭部も造られていたそうですが、足だけでもその巨大さが想像できます。ここが宮殿の入口でライオンの喉元へ向かう階段を登り、口の中を通り抜けて頂上を目指したことが想像出来ます。
今日の観光を終えて宿泊するホテルのシーギリヤ・ビレッジに向かいます。ここはミンネリャ国立公園に隣接する自然が豊かな所で、アクセス道路の途中にはクジャクや野生のゾウなどが時折出て来るそうです。
ガル・ヴィハーラ
ポロンナルワ遺跡の大傑作と言われる巨大な花崗岩を彫り込んで造られた全長14mの涅槃像、高さ7mの立像、二つの座像の4体の仏像の前に立つと大きな石造の迫力よりも、なだらかな曲線からくる姿や表情から静と安寧の憂いを感じます。
ランカティラカ、
13世紀に建てられた高さ17.5m、奥行き52m、幅18m程ある塔内に入ると、頭の取れた高さ13mの巨大な仏像があります。この仏像の後ろにある瞑想の道を、当時の修行僧は1日3回瞑想をしながら通るのを日課としていたそうです。花や寺院などが彫られた外壁のレリーフはシンハラ建築のゲディゲと呼ばれる典型的な様式です。
ポロンナルワ Polonnaruwa 
約1400年もの間王都だったアヌラーダプラが南インドの軍勢に征服されたのでシンハラ王朝が、次に首都とさだめたのがポロンナルワです。10世紀〜12世紀にかけてシンハラ王朝の2番目の首都があった街で、スリランカ文化三角地帯の最東の一角を成す大遺跡群の拠点である場所です。南アジア最大の仏教都市として繁栄した全盛期には、遠くタイやビルマ(現ミャンマー)からも僧が訪れるほどであった。世界遺産に指定されている遺跡群は巨大な人工貯水池のほとりの旧市街に連なっています。遺跡群の中心は城壁に囲まれた「クワドラングル」で、仏歯寺跡や仏堂などが建ち並んでいます。他にも今もって謎に包まれている「石立像」、天空に向かってそびえる芸術的な「ランカティラカ」、涅槃像、立像、座像の3大傑作石像の見られる「ガル・ヴィハーラ」など興味深いものばかりです。
カダガナワ(Kadugannawa)の鉄道博物館
道路A1沿いのカダガナワ(Kadugannawa)の駅前にはNational Railwa Museumがありますが、英国統治時代に使われた列車を国内から集めて野ざらしですが展示されていました。
狭く急ならせん階段を上り下りしてフレスコ画の下の回廊の壁はミラー・ウォールと呼ばれ、かっては、鏡のような光沢がありました。漆喰壁に卵白と蜂蜜と石灰を混ぜた物を上塗りして丹念に磨き上げ光沢のある壁が造られました。反対側の岩壁に美女のフレスコ画があって、ちょうど鏡のように映る仕掛けになっていたそうですが、現在では、かなり傷んでいました。ここを過ぎると巨大なライオンの足のロックが現れます。
頂上に続く石段を20分ほど上り続けると官能的な”美女の微笑”「シギリヤ・レディ」のフレスコ画が待ち受けます。
キリ・ヴィハーラ、
ランカティラカの北にある真っ白いダーガバ(仏塔)です。キリはシンハラ語でミルクを意味する漆喰壁で出来ていますが、700年以上もジャングルの中にあったそうです。
キャンディの街から道路A1をコロンボに向かう途中、観光客相手の紅茶工場に寄って、お決まりの試飲と買物です。隣の八百屋さんは地元客相手のお店でした。のんびりした町でも道路標識は上から順に公用語であるシンハラ語、タミル語、英語と面倒と思いますが3つの文字で書かれていました。
イスルムニヤ精舎
ロック・テンプルことイスルムニヤ精舎は、紀元前3世紀に岩山を利用した僧院を修復した寺院で、岩肌の仏教彫刻が当時の生活を伝えています。本堂内には、極彩色の涅槃像や宝物殿にある5世紀頃の「恋人の像」と「王族の像」は特に有名です。
スリランカ中央部のアヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディの三都市を結んだ三角形の内側は、世界有数の大遺跡群が残る地として知られ文化三角地帯(Cultural Triangle)と言われています。今日は、アヌラーダプラを最初に観光して南下してシギリヤに向かいます。
時計塔
岬の先端に建つ高さ18mの灯台
ホテルの夕食前に、時間がありましたのでシーギリヤ・ロックの夕日撮影に来ました。
初めてみましたがカシューナッツは、花托(花柄部分)が肥大して洋ナシ形の赤色ないし黄色の果托(果柄部分)になり、その先端に灰褐色の殻に覆われた勾玉型の種子がナッツとして食べる実になります。
トゥーパーラマ
トゥーパーラマ堂内の仏像
宿泊したヒッカ・トランズ・ホテル
第1窟から5窟まで手前から順に並んでいます
ワタダーゲ
ワタダーゲ内部
アヌラーダプラ Anuradhapura
1982年、世界文化遺産に登録されました。紀元前4世紀ごろからシンハラの王が治めていたと伝えられるスリランカ最古の都。仏教の中心地であると同時に、パンドゥカバヤ王による初の計画的都市でもあり治水による水の普及が農業の発展を支えました。紀元前3世紀に仏教が伝えられたのちは、仏教の中心地としても多いに栄え1400年間に渡り政治・仏教の中心地でした。現在もその黄金時代を象徴するかのように、数々の遺跡を見る事ができます。やがてタミル人の侵略によりシンハラの王は王位を剥奪され、以後、長い抗争の時代が始まります。争いは激しさを増し、ついに10世紀、シンハラ王朝はアヌラーダプラを放棄します。 インドから伝わった仏教はこの地からスリランカ全土へ、そしてミャンマー、タイ、カンボジアへと、世界各地へと広がっていきました。街のシンボルである白く輝く巨大な「ルワンウェリ・サーヤ大塔」、インド・ブッダガヤで、その下で仏陀が悟りを開いたとされる菩提樹の分け木である「スリー・マハー菩提樹」があり、恋人の像と寝釈迦仏で有名な「イスルムニヤ精舎」など、世界遺産にふさわしい見応えある遺跡が数多く点在する町です。文化三角地帯の中でも中心地と言える場所でもあります。
ウミガメ保護センター
大きなウミガメが11〜4月の満月の夜になると産卵のためにヒッカドゥワの浜に上がってきます。産卵場所は決まっているから、政府の管理の下で地元の人たちは卵を養卵場に運んで孵化を待って海に放し保護しています。
ネゴンボ Negombo
コロンボの北35Kmの場所にあるスリランカ最大の漁港を持つ町で、運河が町の中央を突っ切り、全長129Kmにも及んでいます。ポルトガル人が伝道に力を入れた町なので、今でも住民の多くがキリスト教徒で、町のあちらこちらでに立派な教会を見ることが出来ます。今日は日曜日でしたので結婚式を終えた新郎新婦さんと宿泊したホテルのロビーで会いました。また国際空港に近いため、近年、トランジット客のためのリゾートホテルが町の北部に次々と建てられています
今日の観光を終えて一休み、リフレッシュして、あちこちで売られているゴールデン・ココナッツ(KingCoconut)を飲んでみました。グリーンのココナッツは他の東南アジアの国などで見かけたことがありましたが黄色いものは初めてです。味は甘みを抑えたポカリスエットの様な味です。飲み終わったら割って中身の白い部分を食べましたが美味でした。値段は、様々ですが、ここでは冷えている物は100ルピー(約75円)、冷えていない物は70ルピーでしたのでお勧めします。
孵化を待っ養卵場
第2窟は「偉大な王の寺」
横約37m、奥行き約23mの寺院最大の石窟で、40の坐像、16の立像が並び天井には仏陀の生涯や侵略者との戦いなど数々の物語が描かれています。
ルワンウェリ・サーヤ大塔
紀元前2世紀に建設が始まったと伝えられる街のシンボルの白く輝く巨大な仏塔(ダーガバ)で、遺跡地区の中心に建っています。近づずくと沢山のゾウの彫刻に守られた門塀を持つ純白の水泡型の壮大な仏塔で高さは55mありますが、完成当時は倍の高さがあったと言われています。ここでも白い衣服をまとった多くの敬虔な信者が参詣していました。
非常に珍しい色素のないアルビーノ(Albino)のカメ

今日は、まったくの移動日です。成田空港からスリランカ航空直行便でスリランカのコロンボに向います.。首都はスリ・ジャヤワルダナプラで1985年に13Km離れたコロンボより日本の援助で国会議事堂を移転して遷都しましたが政府機関の多くがまだコロンボに残っており事実上の首都は、いまだにコロンボのようです。空港からバスで宿泊地のネゴンボに向かいます。

1日目(9月25日)

岩山の頂上に広がる1万5千平方mもの土地に王宮跡があり、ここからは360度見渡す限り広がるジャングルのパノラマを見下ろせます。水の庭の左右対称な建築様式が一目瞭然で当時の建築と土木技術のレベルの高さが分かります。

入国に際しては、ビザの取得が必要です。到着時に空港で取得する(費用US$40)事も可能ですが、時間の短縮を考えてインターネットで事前に取得すると費用も安く(US$35)早いです。アメリカのESTAと同様にインターネットで申し込みクレジットカード決済ができますのでネット申請が簡単です。スリランカのETAは、申請日から6カ月間有効で、入国日から30日の滞在ができます。入国許可書がオンラインで即時発行され、パスポートのコピー、書類、写真などは一切必要とされませんから非常に便利です。

「オランダ東インド会社」の紋章
時計塔の建つムーン要塞
腕を組んだブッダ立像
ヒッカドゥワ Hikkaduwa
ゴールから30分程北上した所にあるスリランカで一番の人気リゾート地で、沖合にサンゴ礁があるために、これを目当てに欧米人観光客が集まるようになり発展した街です。街は海岸沿いの長さ2Kmのゴール・ロードの両側にホテル・レストラン・酒屋・土産物屋がぎっしりと軒を連ねています。今夜はビーチの先端に建っていて見晴らしの良い、目の前のビーチの夕日が綺麗だったヒッカ・トランズ・ホテルに宿泊です。
シーギリヤ・ロックの夕日撮影の途中に、シーギリヤ・ロック手前の蓮池に野生の象が餌を食べに来ましたで
シーギリヤ・ロックの登頂証明書
シギリヤ博物館
2009年にJICAの援助で建てられた博物館で、シギリヤとその周辺からの出土品から、3800年前の人骨や石器時代の道具類を展示していますが展示品の撮影は禁止されていました。屋外に展示されているシギリヤ・レディのフレスコ画のレプリカは撮影可でした。

6日目(9月30日)

今日は、旅行の最終日。ヒッカドゥワから近くのウミガメ保護センターに寄ってから高速道路で首都のスリ・ジャヤワルダナップラを経てコロンボに向かい夕方の便で帰国します。
2004年12月26日のスマトラ島沖の大地震により、インド洋からの大津波が襲いかかったとき、現地の人々は初めて津波を経験して多くの犠牲者を出したそうです。これは本願寺から贈られた津波犠牲者の慰霊碑です。
第1窟は「神々の王の寺」
この寺院最大の長さ14mの全身が金色の涅槃像が横たわり壁や天井まで一面に15〜18世紀に書かれたフレスコ画がギッシリあります。
ハタダーゲ
サトゥマハル・プラサーダ
1948年2月4日に、イギリス連邦セイロン自治領(英連邦王国)として独立。1972年にはスリランカ共和国に改称した。”スリ”は”光り輝く”、”ランカ”は”島”を意味します。1978年に現在の正式国名、スリランカ民主社会主義共和国となりました。言語はシンハラ語とタミル語が公用語で学校では第二公用語として英語も教えているそうです。

2日目(9月26日)

宿泊したホテルの庭がインド洋に面していて海越えにコロンボ市街が見渡せます。気候的には亜熱帯高温多湿のWet Zoneと呼ばれる地域なので庭の花や木々も、それなりの熱帯植物です。
旧市街と新市街を結ぶメイン・ゲート(トンネル)
瞑想する座像
ヒンズー神に囲まれた洞内の座像
クワドラングル
宮殿の北側、旧市街地のほぼ中心部にあたる場所で、クワドラングルとは四角形の意味で、まさに名前の通り、城壁に囲まれた方形のの庭に11個の建築物が集まっている場所です。ポロンナルワ独特の様式をもつ建物が多くシンハラ王朝時代には仏歯寺があった所で、仏教の中心地でした。
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