ニ姉妹の間の天井はムカルナス
アルバイシンの丘
メスアールの間
アラヤネスの中庭
ライオンの中庭
アルカサル
カテドラル

8日目(1月14日)

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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

悠久のポルトガル8日間


2000年1月7日~1月14日

6日目(1月12日)

コンスエグラ(Consuegra)
コンスエグラは、ブドウ畑が広がる平原から突き出た丘の麓にある小さな村ですが、11基の風車が丘の上に沿って並んでいる「ドン・キホーテ」の舞台となったラ・マンチャ地方の一風景です。霧が出ていたために青い空に白い風車とはなりませんでしたが、、、、、ドン・キホーテはこの風車群を巨人ブリアレオと見間違えて槍を小脇に、愛馬ロシナンテにまたがり突進したといいますが、このような天気だったのでしょうか??

1日目(1月07日)

7日目(1月13日)

トレド(Toledo)
三方をタホ川に囲まれ、古代ローマ時代から要塞都市として栄えた街です。560年に西ゴート王国の首都となり、711年から約400年に渡りイスラム教徒の支配下に置かれました。1085年のアルフォンソ6世の再征服後も、1492年にカトリック両王によって追放されるまで、この地の経済を握っていたユダヤ人とともにに多くのイスラム教徒が居残ったと言われます。そのためキリスト、ユダヤ、イスラムの3つの異なる宗教や民族が混じった独特の文化や町並の町です。1561年に首都がマドリッドに移るまで、政治・経済の重要な拠点として繁栄し、「16世紀で歩みを止めた町」とも言われています。

ヘネラリフェ
1319年に建てられた王族の夏の別邸で、離宮と庭園からなり、アルハンブラ宮殿から谷を隔てた丘の上にあります。中央に約50mのアセキア(掘割)の中庭があり、その両側から水が噴出しています。
アルハンブラ宮殿
町を見下ろす丘の上に建つ宮殿は総面積1万4000平方mの広さを誇り、城塞アルカサバ、王宮などイスラム建築の粋が集結した建造物からなり、ナスル朝ムハンマド1世により着工され約170年に渡り建設されました。アルハンブラ宮殿の中核をなす王宮はコマレス宮、メスアール宮、ライオン宮など、それぞれに意匠を凝らした複数の宮殿で構成されています。政庁を意味するメスアールは王宮の中で最も古いが、度重なる改築で複雑な構造となっています。またメスアールの中庭の北側にはアルバイシン地区を望む黄金の間があります。宮殿の中心部はコマレス宮で、アラヤネスの中庭は柱廊で囲まれた池が建物を鏡のように映し出し、宮殿が水に浮かんだように見える視覚的効果をだしています。コマレス宮を過ぎると12頭のライオンの噴水があるライオンの中庭は、王族のプライベート空間で装飾はより繊細になります。特に中庭の北側にあるニ姉妹の間の天井はムカルナスと呼ばれるイスラム建築独特の物で小さな曲面を集めて蜂の巣状にした宮殿随一の精緻な美しさを持っています。

グラナダ(Granada)
シェラ・ネバダ山脈に抱かれたグラナダはローマ時代に起源をもつ歴史ある町です。13世紀後半、イスラム時代最後のナスル王朝グラナダ王国の首都として繁栄を極めました。そして1492年のグラナダ陥落まで約170年に渡り、終末の宴ともいうべきアルハンブラ宮殿を築きました。

ミハス(Mijas)
アンダルシアを代表する山間に広がる「白い村」のひとつで地中海を見下ろすミハス山麓に広がる岩山の斜面に密着するように立並ぶ白い家々は、まるで絵本から飛び出したようです。

スペイン広場
かってサン・テルモ宮殿の庭園の一部だったマリア・ルイサ公園内にあり、1929年に開催されたイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られた物です。広場を囲む半円形の建物の下には、スペイン各県の特徴をタイルで描いた58のベンチがあります。

4日目(1月10日)

セビーリャ(Sevilla)
ビゼーのオペラ「カルメン」や「セビーリャの理髪師」の舞台として知られるアンダルシアの州都です。712年にジプラルタル海峡を渡って来たモーロ人に征服され、以降500年以上に渡りイスラム文化繁栄の舞台になりました。ヒラルダの塔や黄金の塔など、現在も残るイスラム建築物は、この時代の遺産です。コロンブスやアメリゴ・ベスプッチがセビーリャ港から出港して、新世界との交易独占権を確保した大航海時代に街は繁栄し16~17世紀には優れた芸術家を輩出した街です。

旧ユダヤ人街
メスキータの北西に広がるユダヤ人街は、8世紀頃に造られ迷路のように入り組んだ細い道の両側には、美しいゼラニウムの鉢が白壁に飾られ写真スポットとしても有名です。特に花の小道は、路地の真中にメスキータの尖塔が見えます。

3日目(1月09日)

コルドバ(Cordoba)
マドリッドからラ・マンチャ地方のコンスエグラを経てコルドバに向います。ローマ時代以前から街が拓かれ、8世紀中頃、イベリア半島に侵攻したイスラム教徒の後ウマイヤ朝の時代には首都として栄えた古都です。ヨーロッパが「暗黒の中世」と呼ばれたこの時代、ここにはイスラム教の伝来と共に、古代ギリシアやローマの文献がアラビア語によって伝えられた。そしてこれらを学ぼうとする人たちが各地から集まり、モスクの中にはスペインで最初のマドラサ(学院)が設けられた。1236年にキリスト教徒はコルドバを奪回したが、栄華を謳歌したイスラム文化の遺構が残る町です。

メスキータ
後ウマイヤ朝の創始者アブデラマン1世の命で785年、キリスト教の聖堂があった場所に建てられ、その後、増改築が繰り返され世界最大規模を誇るモスクになりました。現在のモスクは10世紀後半に完成し総面積2万4000平方m、幅約130m、奥行き約180mで2万5000人の信者を収容できました。1236年にキリスト教徒により再征服されると、再び聖堂として使用されるが、アーチやミフラブなどのイスラムの物がそのまま残されて西洋と東洋の美が融合されています。
サン・セバスティアン通り

トレモリーノス(Torremolinos)
古くからのリゾート地として発展してきたコスタ・デ・ソルの中心で、マラガ寄りのアラモス・ビーチからベナルマデナ寄りのサルティーリョ・ビーチまで6つのビーチがあり約7kmの遊歩道が続く庶民的な国際的なビーチ・リゾートです。

5日目(1月11日)

ロンダ(Ronda)
ロンダは、海抜739mの岩の台地の上に街が建てられている街です。街は、ロンダ山地を流れるグアダレビン川の浸食によって造られた深いタホ・デ・ロンダと呼ばれる渓谷によって分断されており、谷をまたいで新市街と旧市街をつなぐヌエボ橋は街のシンボルです。断崖絶壁が広がる景色に魅了され詩人リルケや文豪ヘミングウェイのみならず世界中から多くの観光客が訪れています。また近代闘牛術の創始者フランシスコ・ロメロが生まれた街として知られ、今もスペイン最古の由緒ある闘牛場が残っています。

ローマ橋とメスキータ
カラオーラの塔
メスキータ内部の円柱の森
王宮前のアルマス広場とアルムデーナ大聖堂
王宮
1743年に創建された王家の宮殿ですが、火災で一度焼失しましたが、フェペリ5世の命で1764年に再建されました。150m四方の建物の中には2700を数える部屋があり、現在も公式行事に使われているそうです。
スペイン広場からプエルタ・デル・ソル周辺、
スペイン広場は1930年にセルバンテスを記念して造られた広場です。中央にはセルバンテスの像が、ドン・キホーテとサンチョ・パンサ像を見下ろすように立っています。プエルタ・デル・ソル広場にはマドリッドの紋章になっている熊と山桃の像があります。マヨール広場周辺は狭い路地が続く昔ながらの街並です。
スペイン広場
マドリッド自冶政府庁
熊と山桃の木の像
マヨール広場
アルカラ通り
ヒラルダ(風見)の塔
ヒラルダの塔の鐘楼
ヒラルダの塔からマエストランサ闘牛場方向を望む
ヒラルダの塔からマエストランサ闘牛場方向を望む
黄金色の主祭壇の壁
コロンブスの墓
プラド美術館
スペイン王室の美術コレクション約300点を中心として1819年に国王フェルナンド7世の命で王立美術館として公開したのが始まりで、主に12~19世紀の絵画を中心に3万点以上の作品を所蔵する世界的な美術館です。展示品では、ベラスケスの 女官たち 、ゴヤの マハ 、エル・グレコの 胸に手を置いた紳士 などの世界芸術の傑作がありますので、混雑を避けて朝一番に見学にいきました。正面の入口にはベラスケスの像が出口にはゴヤの像がありました。
宝物庫の聖体顕示台

マドリッド(Madrid)
スペインの首都マドリッドは標高650m、イベリア半島のほぼ中央に位置します。政治、経済、文化の中心であるとともに、新旧コントラストのある観光都市です。石畳の一つ一つから人々の歴史と生活のぬくもりが伝わってくる旧市街がある一方で、高層ビルが立ち並ぶ「カスティーヤーナ大通りのマンハッタン」と呼ばれる近代的な新市街があります。9世紀、スペインの歴史に大きな影響を及ぼしたアラブ人は現在のマドリッド王宮の場所に砦を築き、これがマヘリット(アラビア語で「砦」)マドリッド の始まりとされています

2日目(1月08日)

今日は、まったくの移動日です。成田空港からロンドン経由でマドリッドに向います。

メスキータのサン・エステバン門
ゴヤの像
祭壇の装飾
オレンジの中庭とアルミナールの塔
12頭のライオンの噴水
タブラオ
バル(居酒屋)やレストランで、この板張り舞台のあるところをタブラオといいます。タブラというスペイン語で板を意味する言葉からこの名前がうまれたそうです。グラナダといったら、サンブラと呼ばれる、グラナダのフラメンコの宴、フィエスタが、いつしかタブラオという形になってきたようです。
すべての観光を終えてロンドン経由で帰国の途に着きました。
ベラスケスの女官たち(ラス・メニーナス)
入口にはベラスケスの像
ゴヤの着衣のマハ
ゴヤの裸のマハ
アトーチャ駅
バルセロナの特徴をタイルで描いたベンチ
カテドラルとヒラルダの塔
イスラムの時代に建てられたモスクを基礎にして1402年から約1世紀後の1519年に完成したスペイン最大、またヨーロッパの聖堂としてもヴァチカンのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ規模を誇ります。奥行き116m、幅76mのゴシックとルネッサンス様式が混合する特異な形はモスクの名残だそうです。大聖堂の内部はかなり広く、聖書の場面を1000体以上の彫像と45のレリーフで再現した黄金色の主祭壇の壁や米西戦争終結後の1899年にキューバの首都ハバナから運ばれてきたコロンブスの墓などがあります。高さ97mのヒラルダ(風見)の塔は、12世紀末にミナレットとして建設され、16世紀に鐘ヒラルダ(風見)の塔楼がが付け加えられました。高さ70mの展望台には歩いて登る事になりますがセビージャの街が一望できます。
ヌエボ橋
闘牛場
ヌエボ橋とロンダの街
イザベル・ラ・カトリカ広場
王宮礼拝堂
カテドラル
ベラスケスのマルガリータ王女
ソフィア王妃芸術センター
1992年バルセロナ・オリンピックの年にオープンした、主に20世紀の現代アートを所蔵する美術館です。ピカソ、ダリ、ミロをはじめとする現代美術の巨匠達の作品が集められています。特にピカソの『ゲルニカ』がこの美術館で鑑賞できる重要な作品のひとつですので行ってきました。。
聖歌隊席の祭壇
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