城の橋から望む街中
マーチャーシュ教会
三位一体の像
プラハ城
中庭のコール噴水
シュテファン寺院
ペスト記念柱

ウィーン(Wien)
1278年にルドルフ1世の入城以来、ハプスブルク王朝の本拠地として華麗な宮廷文化のもと、音楽・美術・建築分野でヨーロッパを牽引する都市でした。1918年、ハプスブルク家の崩壊により640年間の統治が終りましたが、その帝政の中心地であり、ヨーロッパ史上類の無い華麗な一族の栄華と衰退の物語の舞台となった都です。街の中心部は、かって城壁で囲まれていましたが19世紀に城壁が取り壊され、その跡地がリングと呼ばれる環状道路になりました。このリング内には石畳や古い建物など歴史情緒あふれる街並が続きます。
夕食後に、今夜はライトアップされた街中に夜景観賞に出かけました。

カレル橋
カレル橋の前身のユディタ橋は1172年に建設されましたが1342年の洪水で破壊され、1357年にカレル4世の命で石橋の建設が始まり約60年の歳月を費やして全長約520m、幅約10mの現在まで続くカレル橋が完成しました。当時はヴァルタヴァ(モルダウ)川の東西を結ぶ唯一の橋であり、公式行事の場として利用されたり、歴代国王の戴冠式の行進が行われた事から”王の道”とも称されます。ローマのサンタンジェロ城に習って橋の両側の欄干には30体の聖人像が並んでいます。
聖ヴィート大聖堂、
ロマネスク様式の教会を元に14世紀前半から改築が開始され、途中の中断、再開をへて聖ヴァーツラフの殉教1000年にあたる1929年に完成しました。奥行き124m、幅60m、2本の尖塔の高さ96.6mの市内最大のゴシック建築の教会です。19世紀末から20世紀初頭にかけて作られた見事なステンド・グラスの中にはアルフォンセ・ミュシャの作品もあります。

8日目(9月13日)

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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

すべての観光を終えて、今日は、朝7:45プラハ発の便でロンドン経由で帰国の途につきました。

7日目(9月12日)

旧市街広場
プラハの心臓部とも言える場所で、観光客で賑わう広場です。歴史的にも1621年には反ハプスブルク派のチェコ側の指導者27人の処刑、1918年には国家独立を要求する市民デモが行われた場所です。広場中央にはローマ教会の堕落を批判し処刑されたヤン・フスの像が、天文時計で有名なユニークなゴシック様式の旧市庁舎や、純金のマリア像が三角屋根に輝く宗教改革時にはヤン・フス派の拠点となったティーン教会などの建物が広場を囲みます。
プラハ(Praha)
14世紀、神聖ローマ帝国およびボヘミア王国の首都として繁栄を謳歌した町で、スメタナの交響詩で有名な悠々と流れるヴァルタヴァ(モルダウ)川沿いのプラハ城、聖像が立ち並ぶカレル橋は既に造られていました。レンガの屋根が一面に広がる旧市街、いくつもの塔が頭をのぞかせる景観を目にすると中世の記憶をそのままに残す「百塔の街」の呼称がふさわしい町です。詩人のアンドレ・ブルトンは「ヨーロッパの隠れた都」と形容した癒しの都でもあります。

6日目(9月11日)

オペラ座
パリのオペラ座、ミラノのスカラ座と並び世界三大オペラ劇場のひとつに数えられています。1869年宮廷オペラ座として、モーツァルトのドン・ジョヴァンニで開幕しました。1918年からは国立オペラ座となりゴージャスな雰囲気を持ち、ウィーン・フィルとのコラボレーションで世界最高峰のオペラ劇場です。今宵は、パルケットの席で「魔笛」の観賞ですので、顔は出せませんが一応それなりの服装にドレスアップして、幕間でもワイン片手にゴブラン織りのロビーで友人と談笑しました。

スヴォルノスティ広場と市庁舎

チェスキー・クルムロフ(Cesky Krumlov)
ヴァルタヴァ(モルダウ)川沿岸にたたずむ古都チェスキー・クルムロフは、13世紀に築かれた城を中心とした町です。14世紀から盛んになった手工業と商業とともに500年にわたって穏やかに発展したために、中世の美しい街並みがそのまま残されました。13世紀に建てられた城は、さまざまな時代の様式に合わせて改築され、華麗に飾られてきました。

5日目(9月10日)

ヴォティーフ教会

シュテファン寺院
ウィーンのシンボルで、その観光名所のひとつです。この聖堂を含むリンク(Ring)と呼ばれるウィーン歴史地区はユネスコの世界遺産に登録されています。ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほか、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとコンスタンツェ・ウェーバーの結婚式が行われ、また葬儀が行われた聖堂としても知られています。

シェーンブルン宮殿
マリア・テレジア・イエローと呼ばれる明るい黄色の外観が庭園の緑に映える豪華な宮殿です。「フランスのベルサイユ宮殿をしのぐ宮殿を」という時の皇帝レオポルト1世の命により1696年に着工しましたが財政難などで計画は縮小、中断されました。後を継いだマリア・テレジアの時代に大規模な改築が行われ1749年に今日見るような姿になりました。その後、王家の夏の離宮として使われ、ナポレオンの占領やウィーン会議など、数々の歴史ドラマの舞台となりました。

4日目(9月09日)

くさり橋と国会議事堂、
ブダ地区とペスト地区を初めて結ぶ橋として1839年~49年に建設されましたが第二次世界大戦で破壊され1949年に復元されました。ヨーロッパを縦断するドナウ川に架かる橋の中で最も美しい橋といわれています。国会議事堂はドナウ川のほとりに建つネオゴシック様式の建物で1885年~1902年に建てられました国の重要機関ですが、観光のハイライトでもあります。
王宮の丘,
ここには3つの教会と6つの博物館、興味を惹く様々な建物、通りや広場がある。王宮はハンガリーを象徴するもので、13世紀以来戦いの舞台であった。700年の歴史があるマーチャーシュ教会はブダペストでも貴重なものの一つで、その隣にある乗馬の彫像はハンガリーの初代国王で漁夫の砦からは市街地のパノラマを一望することができる
城の塔
聖ヴィート教会
バチカンから送られた金ピカの馬車

エステルゴム(Esztergom)
初代ハンガリー国王が戴冠した場所であり、彼は、それまでの民俗信仰に替えキリスト教化を進め、ハンガリー初の教会をここに建設してハンガリー・カトリックの総本山としました、これが高さ100m、直径53.5mのドームを持つ新古典様式のエステルゴム大聖堂です。祭壇を飾る絵画「聖母マリアの昇天」は1枚のキャンバスに描かれた絵画としては世界最大です。

火薬塔
火薬塔より望む旧市街とプラハ城
国会議事堂
ブルック劇場

3日目(9月08日)

カレル橋塔
旧市庁舎とティーン教会
旧市庁舎の天文時計
市立公園からリンク(Ring)沿いに歩いたり路面電車に乗ってヴォティーフ教会の辺までウィーン歴史地区を散策します
聖遺物のイシュトヴァーン1世の右手
旧市街の中心部をグラーベン、ケルントナー通りを抜けて、今夜、日本からネット予約したオペラ「魔笛」の入場券を取りにオペラ座に向います。ついでと言うわけではありませんが、オペラ座の裏手のフィルハーモニカ通りにあるホテル・ザッハの1Fにあるカフェで有名なザッハ・トルテとコーヒーはメランジェ(ホイップクリームを浮かべたコーヒー、いわゆるカプチーノに近い物)をコーヒー・ブレイクに頂きました。
大聖堂外側の壁画
旧王宮
グロリエッテ
英雄広場,
マジャル人のハンガリー建国1000年を記念して1896年から造られ1929年に完成した広場です。中央の高さ35mの記念碑の足元の台座にはマジャル族の首長像が並んでいます。
ミュシャのステンドグラス
正面のステンドグラス
グロリエッテからの眺望
ゲッレールトの丘,
ドナウ川岸にそそりたつ標高235mの丘からはドナウ川の眺めと王宮が良く見えます。
市民会館のミュシャの装飾画
旧市街の夜
漁夫の砦
マーチャーシュ教会内部

ブダペスト(Budapest)
「ドナウ河岸とブダ王宮地区」と「アンドラーシ通りと周辺の歴史地区」の2つの世界遺産を持ち、その美しさから「ドナウの真珠」「ドナウの薔薇」とも称される町です。ドナウ川をはさみ、西のブダ地区と東のペスト地区に分かれるこの町は、ハンガリー王国が誕生して以来、その首都として1000年の歴史を刻み続けている、今も中世の香りが色濃く残る町です。

2日目(9月07日)

今日は、まったくの移動日です。成田空港からロンドン経由でハンガリーのブダペストに向います。

聖イジー教会
黄金の小路

1日目(9月06日)

悠久のポルトガル8日間

聖イシュトバーン大聖堂、
キリスト教を国教に定め、後に聖人に列せられたハンガリー初代国王イシュトバーンを祭るブダペスト最大の大聖堂です。1851年に建設が始まり半世紀後の1905年に完成しました。聖堂内にはイシュトヴァーン1世の右手が、聖遺物として残されています。

ヴィシェグラード(Visegrad)
ブダペストからセンテンドレを経てさらに北上するとドナウ川がほぼ直角に曲がって流れる様子(ドナウベント)が見られる景勝地です。標高315mの山頂には13世紀に築かれた要塞があり、ここからドナウベントが一望できます。

市庁舎
ベートーベンが住んだパスクァラティハウス

2000年9月6日~9月13日

ヤン・フスの像
ティーン教会
聖ミクラーシュ教会
国立博物館
ヨハン・シュトラウス像
ゲーテ像
モーツァルト像
王宮
王宮前のカール大公騎馬像
美術史博物館
自然史博物館とマリアテレジア像
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