フルカ峠
ヨーロッパの分水嶺として有名な2431mの峠で、西側に降った雪や雨はローヌ渓谷を下り、レマン湖から地中海に、東側はロイス川からライン川に合流して北海に注ぎます。氷河特急の「氷河」は、このフルカ峠を越える時に見られるローヌ氷河に由来しています。
氷河と峠のレストラン
ローヌ氷河
第2回(1928年)、第5回(1948年)冬季五輪記念碑
サンモリッツ駅
氷河特急
スイスを代表するふたつの山岳リゾート、サンモリッツとツェルマットを結ぶ伝統の横断ルート。全長280km、7つの谷、291の橋、91のトンネルを抜けて走る約8時間の旅です。アルプスの名峰、美しい森や牧草地、山間の急流や渓谷など絶景の連続で車窓から存分に風景が堪能できます。私達はランドヴァサー橋など見どころが多い人気の区間サンモリッツとアンデルマット間を乗車しました。
ランドヴァサー橋は、川床からの高さ65mの美しい石橋で、スイスの代表的な景色)
インターラーケン
ユングフラウを望む華やかなアルペン・リゾートで、”湖の間”という名のとおり、ブリエンツ湖とトゥーン湖に挟まれています。イメージ的には軽井沢の様な街です。
ヘーエマッテと呼ばれる草地の公園
晴れたらヘーエマッテからユングフラウが望めます
標高2244mにある山頂駅ではミゾレが降り始めました
機関車に給水する様子
グリンデルワルト
グリンデルワルトはアイガーの村です。インターラーケンが軽井沢なら、ここは上高地の雰囲気の村、ハイカーのパラダイス、ゴンドラに乗れば雲の上のハイキングを楽しめます。私達も、ここに2泊してアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山を正面に見ながらハイキングをします
アウプト通りに面した宿泊したホテル
街には、装飾を凝らした柱の上に英雄や伝説上の人物を据えた噴水がたくさんあります。これは、かっての井戸の代わりに使われていました
ベルン
アルプスの水を集めたアーレ川が台地にぶつかり大きく湾曲し、半島の周囲を削った高い断崖に自然に出来た砦の上に1191年にツェーリンゲン公が要塞都市を築いたのがベルンの始まりです。1405年の大火で消失した後に石造りで再建され、その重厚な街並が戦争中でも永世中立国を保ってきたため、ほとんど無傷で、中世の姿を今日まで伝えています。
1日目
ユングフラウヨッホ(3571m)
ユングフラウヨッホはスイス初の世界自然遺産に登録されたアルプスの奥座敷。アルプスの岩壁に穴を掘りヨーロッパの屋根の上まで列車を走らせる工事を1895年に始めて16年の歳月をかけて全長9.3Kmのラックレール式線路を敷設しました。全長7.1Kmのトンネルをぬけると3454mのユングフラウヨッホ駅、そしてユングフラウの山とヨーロッパ最長のアレッチ氷河、アイガー北壁の初登坂より26年前のことでした、、、、、ここに来なければ見れない景色が広がります。
ソシュール広場にはモンブラン初登頂を果たしたジャック・バルマと賞金を設けて登頂成功を支援した科学者ソシュールの像があります。バルマが指差す方向には、モンブランの白き頂です。
クライネ・シャイデック(2061m)
メンリッヒェンの山を境に西の谷にあるのがラウターブルネン、東の谷にはグリンデルワルトの村があり、ここから2本の鉄道が斜面を登り峠で出合うのがクライネ・シャイデック(小さい峠の意)です。ここは手が届きそうなほど間近にアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が迫り大きさを実感できます。
今日は、グリンデルワルト(1034m)からヨーロッパ最長のゴンドラでメンリッヒェン(2230m)に上がり、ハイキングをしながらクライネ・シャイデック(2061m)に向い、ここから登山電車でユングフラウヨッホ(3454m)へ行き展望台(3571m)を目指します。
1日目
ロートホルン鉄道
この鉄道は機関車が傾斜の分だけボイラーを傾けて客車を押しながら世界一の急勾配を登るスイス唯一のアプト式蒸気機関車です。途中の中間駅プランアルプで機関車に給水する様子も見学できます。この鉄道で、美しく印象深い景色のブリエンツ湖が見渡せる標高2266mにあるロートホルン展望台まで上ります。
1日目
ツェルマットから電車に乗りティシュに戻り、ゴッペンシュタインからはバスごとカートレインに乗りカンデルシュテークまで行き、その後インターラーケンに向かいます。
1日目
頂上テラス
テラスとシャモニーの谷
テッシュ(Tasch)駅
マーモット
1日目
今日は、グリンデルワルトを出発してベルン、グリュイエール、モントルーを経てシャモニー(フランス)に向かいます。
8世紀に建てられたベネディクト修道院のホーフ教会
クライネ・シャンツェ公園からの旧市街の眺め
ザンクト・ペータース教会
1666年に建てられたスイス初のバロック様式のイエズス教会

ルツェルン
スイス第4の大都市にもかかわらず、旧市街から車を締め出しているため、静かな気品のある街です。石畳の狭い路地が続く中世の街並ですが湖と、白鳥が遊ぶロイス川があるために、やわらかい陽射しを反射して街全体が明るい印象をうけます。

グリンデルワルトに再び登山電車で戻ります
グリンデルワルト駅
脇腹に槍が刺さったライオン記念碑はフランス革命でルイ16世とマリー・アントワネットを守ろうとして命を落とした786名のスイス傭兵を偲んで造られたものです。

マイエンフェルト
1889年にヨハンナ・シュピリの名著「ハイジ」が生まれた故郷がスイスの東端にある小さな村マイエンフェルトです。此の辺一帯の村々はハイジドルフ(Heididorf)と呼ばれますが、村の内外には”ハイジ○○”と付く名や建物などが多くあります。ハイキング用の見学ルート(ハイジヴェックHeidiweg)も整備されていて、世界中からハイジのファンがやって来ます。

1218年からの時計塔
看板にも日本語があります

サンモリッツ
晴天日が年間平均322日もある町、超高級リゾート地で王族の泊まるホテル、カジノ、世界最古のスキーリゾート、冬季五輪などの華やかなイメージがありますが、坂が多く路地が入り組み他の町とあまり変わりません。風景は唐松の林と大小の湖水と渓谷が織り成す自然の美しいハーモニーです。今日はこの街に泊まり、ここから明日の朝の氷河特急に乗車します。

グリュイエール・チーズを使った郷土料理のラクレット
ハイジハウスの裏ではヤギが飼われています
ハイジハウスの博物館
マイエンフェルトからの車窓風景
標高2284mのジュニパー・パス(峠)からの眺め
車窓から
ディセンティス駅での機関車付け替え
シャモニ・モン・ブラン(通称シャモニー)
標高4810mのモン・ブランは、フランスとイタリア国境にそびえるヨーロッパ大陸の最高峰です。シャモニ・モン・ブランは、その北側の山麓にあるフランスの町で、4000m級の山々の懐深くに抱かれたこの町が有名になったのは、長い間”魔の山”と恐れられたモン・ブランが1786年に征服されてからです。今では、ロープウェイでモン・ブランの山の直ぐそばまで気軽にいけますが、すばらしい自然の景観は時空を越えて不変です。

ツェルマット
世界でも有数の山岳リゾートとして狭いマッター谷のどんづまりにある標高1620mの村です。周りは4000mの峰が29もありますが、谷が深すぎて村からは、ほとんど見えませんが、村の奥にあるマッターホルン(4478m)が独立峰のごとく一座輝き、見る人を魅了しています。環境保護のため一般車両は入れませんのでテッシュ(Tasch)からは再び電車に乗りツェルマットに到着です。村内は電気自動車だけですので、歩行者天国状態で快適です。ここに2泊してマッターホルン観光とハイキングを楽しみます。

エギーユ・デュ・ミディ(3842m)
モン・ブラン山群の大パノラマが広がる、ヨーロッパ・アルプス有数の展望台です。エギーユ(フランス語で針)・デュ・ミディ(お昼)という名前は、その尖った山頂にシャモニから見て正午に太陽が来る事から名付けられました。ミディ針峰の頂上までロープウェイが通じています。1911年に工事が始まり第一次世界大戦で中断したものの1923年に工事再開して、1924年の第一回冬季オリンピックがシャモニーで開催された年から運行されています。
バーンホフ通り
ブリエンツ
インターラーケン・オスト駅から長さ15km、幅3kmの細長いブリエンツ湖のクルージングで対岸のブリエンツに渡ります。ブリエンツではロートホルン鉄道に乗ります。
カペル橋,
ルツェルンのシンボルであり、ヨーロッパ最古の屋根付き木橋、屋根の下には三角形の板絵が110枚掲げられています。湖から襲ってくる敵から街を守る城壁の一部として1333年に造られました。
1日目
旧市街のカペル広場の噴水
旧市街の建物の壁の装飾
ハイジの泉
グリュイエール
スイスのチーズを代表するグリュイエール・チーズの故郷です。村は200mほどの石畳の敷かれたメインストリートと中世の城があるだけの時が止まったかのような静かで、かわいらしい村です。グリュイエールの”グリュGrue"がフランス語でツルの意味を表しているんで村のシンボルとして店の看板などに多く描かれています。
三大北壁のひとつッグランド・ジョラス(4208m)
ローテンボーデン(2815m)
ゴルナーグラート(3130m)
イギリス公園の花時計

悠久のポルトガル8日間

ソシュール広場にはモンブラン初登頂を果たしたジャック・バルマと賞金を設けて登頂成功を支援した科学者ソシュールの像があります。バルマが指差す方向には、モンブランの白き頂です

早朝に起きて、朝焼けのマッターホルンの撮影にいきました。マッターフィスパ川の橋の上は、マッターホルンを狙う絶好の撮影スポットで既に三脚がずらりと並んでいましたが。やはり主役にお目にかかれなければ来た甲斐がありません。私達はラッキーでした雲の隙間から一瞬でしたがシャッター・チャンスを逃さずバッチリでしたが、皆さんの話では前日も翌日の朝もダメだったそうです。新田次郎が「坐したる巨人」と評した姿に朝一番に対面でき幸せな気分でハイキングに出掛けられます。

鉄道駅としてヨーロッパ最高地点3454mのユングフラウヨッホ駅の乗降証明書
アイガー北壁の中のアイガーヴァント駅からの風景
ルツェルン中央駅
市庁舎
アインシュタインの家
サンモリッツの街
宿泊したケンピンスキー・グランド・ホテル
シヨン城
シヨン城は 9世紀頃にレマン湖に突き出た岩島の上にイタリアからアルプスを越えてやってくる東方商人達に通行税や物品税をかけるための関所として作られたそうですが,ジュネーブの宗教改革者フランソワーズ・ボニヴァールが幽閉された牢獄としても有名です.後に19世紀にここを訪れたイギリスの詩人バイロンによってそのことがうたわれたのが「ション城の囚人」です。
サンモリッツの街を流れるイン川
サンモリッツ湖
車内販売で名物の傾いたワイングラスを買いました(SFr.18.00)
ボソン氷河とモン・ブランの頂
車窓からの景色も氷河の融けた水が流れる川にかわります
車窓(眼下)の景色はアンデルマットの街
1日目
今日はモンブラン観光です。起床して最初に夜明け前のモン・ブランを見てから、朝食後にロープウェイに乗ってギーユ・デュ・ミディ展望台に行きます。下山後は、ジュネーブに向かいます。
サン・ピエール大聖堂
カルヴァンの使用した椅子
宗教改革記念碑
モンブラン公園
ルソー島のルソーの像
モントルー
18世紀後半から19世紀にかけて英国貴族の間で流行となったスイス旅行は、レマン湖畔で最も気候と景色が良いモントルーへ.行くのが一般的であった。このため、スイスで最初にホテルが出来たのも、ここモントルーです。現在は世界に名高い高級リゾートです。ここに来たら誰もが訪れるシヨン城は、さらに東のレマン湖沿いにあります。
ジュネーヴ
街の周囲をぐるりとフランスに囲まれてスイスから突き出た形で、くびれのところは幅が4Kmほどの小規模な町でありながら、国際的に重要な機関が集結していることから、世界一小さな大都市ともいわれています。ローマ時代の要所、宗教改革の中心地、時計産業の聖地、国連や赤十字発祥の地など、長い歴史の中で常に重要な役割を果たしてきた町です。そのうえ、対岸のフランス領の町々の後ろにモン・ブランを最高峰とするフランスのサヴォワ・アルプスの広大なパノラマが望めるレマン湖畔の美しい都市です。断したものの1923年に工事再開して、1924年の第一回冬季オリンピックがシャモニーで開催された年から運行されています。

ゴルナーグラート(3130m)
スイスでナンバーワンの展望台、駅前からのパノラマは素晴らしい、朝日に輝く山々と氷河、ヨーロッパ・アルプス第二の高峰モンテ・ローザ(4634m)やゴルナー氷河が目の前に広がります。ツェルマットからアプト式登山電車に乗り33分で到着です。車窓の右側にはマッターホルンが見えます。このゴルナーグラート(3130m)から、ハイキングをスタートしてローテンボーデン(2815m)へ下ります。運がよければリッフェルゼー湖の逆さマッターホルンが見えますがダメでした早朝に運を使い果たしたようです。さらに私達二人はハイキングのハイライトである雄大な秀峰が次々と姿を現すコースを進みリッフェルベルク(2582m)を経てリッフェルアルプ駅(2211m)まで歩き、最後の一区間だけを登山電車でツェルマツトに下りました。

リッフェルアルプ(2211m)
旧市街
ノートルダム聖堂
1日目
ツェルマット駅に帰ってきました
ネズミ返しの小屋
ジュネーブ発10:00のエールフランス航空便でパリ経由にて無事帰国しました。
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国


2007年6月23日〜7月01日

1日目

今日は、エールフランス航空機にてパリを経由してスイスのチューリッヒまで空の旅です。チューリッヒから今日の目的地ルツェルンまで約55kmは陸路です。

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