ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャミイ
アヤソフィア
 乙女の塔=クズ島 
ドルマバフチェ宮殿 
ベイレルベイ宮殿 
オルタキョイ・メジディエ・ジャーミィ 
スュレイマニエ・ジャーミィとガラタ橋 
イェニ・ジャーミィ 
アヤソフィアとトプカプ宮殿
途中の車窓から白いケシの花が沢山咲いているのを見かけましたが、薬を作るために許可されてケシを栽培しているそうです。
1日目
スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)
大きなドームと6本のミナレット(尖塔)を持つトルコを代表するモスク(イスラム寺院)です。モスク"のトルコ語が"ジャーミイ”。1609年にアフメット1世が建造を命じ7年の歳月を経て完成した、世界で唯一6本のミナレットがあります。モスクの内部を青いイズニックタイルによって覆われていることからブルーモスクとも呼ばれています。
オリエント急行のTCDD Istanbul 駅
アフメット3世の食堂
ハレム内にある皇帝の間
トプカプ宮殿
トプカプ宮殿は、マルマラ海を眼前に、ボスポラス海峡と金角湾に囲まれた丘にをも望む小高い丘の上に、15世紀半ばから20世紀初頭にかけて強大な権力を持ち三大陸を制したオスマン朝の支配者の居城として建てられました。敷地内には議会やスルタンの居室はもとより、側室の女性たちの部屋も備えたハレムもあります。宝物館にはオスマン朝の秘宝や、世界有数の大きさのスプーン屋のダイヤモンド、トプカプの短剣、世界最大のエメラルドがありますが撮影禁止でした。
スュレイマニエ・ジャーミィ 
ベイレルベイ宮殿 
ファーティフ・スルタン・メフメット大橋
ルメリ・ヒサル
ボスポラス大橋
ボスポラス海峡クルーズ、
ボスポラス海峡はマルマラ海からアジア側とヨーロッパ側の大陸をはさんで黒海まで続きます。旧市街のモスクや宮殿、海峡側を正面にした大理石の全長600mの水の宮殿「ドルマバフチェ宮殿」、現在はホテルになっているチュラーン宮殿など見所が続きます。海峡には2本の大きな橋が架けられ両大陸を結んでいます。黒海に近い第2ボスポラス大橋の両岸にはルメリ・ヒサル(要塞)とアナドル・ヒサル(砦)もあります。

朝7:30にイスタンブールのハイダルパシャ駅に到着。ハイダルパシャ駅はアジア大陸側の南で、マルマラ海が目の前に臨める所です。目の前にあるハイダルバシャ桟橋からボスポラス海峡クルーズ船に乗ります。

1日目

アンカラ(Ankara)
トルコ共和国の首都、初代大統領のケマル・アタテュルクは1923年の共和国誕生と同時に、このアナトリア高原の地方都市を首都に定め定めました。以来都市計画のもとに急速に開発が進められ、トルコ近代都市のモデルとして造り上げられてきました。今回は観光目的ではなく約460Km離れたイスタンブールに向かうアンカラ・エキスプレスに乗車する為に来ました。1等個室寝台車ですが2段ベッドと洗面台が付いているだけです。夜の10時30分発車で約9時間30分かけてイスタンブールへ向かいますが、乗車前の空き時間で近くのスーパーマーケットMigrossにも寄りました。

観光地ですから、トルコ名物ののび〜る
アイスクリームのドンドゥルマの屋台
ギョレメ野外博物館
ギョレメ谷には4世紀前後からキリスト教の修道士達が掘り出した洞窟教会や修道院跡があり、その教会の天井や壁に見事なフレスコ画を残しています。当時の修道士達にとって外敵から身を守り、信仰を守りながら生活できる貴重な地域でもありました。

カッパドキア(Kapadokya)
カッパドキアは、標高1000mを超えるアナトリア高原中央部に広がる大奇岩地帯で、キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観でよく知られています。奇岩の中に残された洞窟教会や修道院、地下数十mにも掘り下げられた地下都市と様々な顔があります。

途中で富士山に似たハサン山(標高3200m)が見えました
子供は、幸せな国では、どこに行っても元気でニコニコしています。
メヴェラーナ博物館、
イスラム神秘主義教団の一派(メヴレヴィー教団)の聖地である"メヴェーナ霊廟"は、トルコ共和国になり、政教分離政策に則って教団は解散させられ、メヴェラーナ博物館として一般公開されています。鮮やかな青緑色の屋根が建物の中心で、創始者の"メヴェラーナ・ジェラールディン・ルーミー"の棺が真下にあります。建物内には彼の遺品やコーラン、マホメットのあごひげ、旋舞に使用される衣装、楽器、カーペットが展示されており、今でも熱心な信者達が多く訪れています。残念ながら建物内は撮影禁止でした。
宮殿への入口、1478年に建てられた皇帝の門
アメット3世の泉
送迎門
宮殿全体の鳥瞰模型
朝6:30に食堂車にて簡単な朝食をとりました。
スリーシスターズ(三姉妹の岩)
ピジョン・バレー(ウサギの谷)
デヴレント(らくだ岩)
ウチヒサルギョレメ・パノラマ
ウチヒサルは「尖った砦」という意味の巨大な一枚岩の城塞が中心になっています。ギョレメ・パノラマから眺めるギョレメの白いなめらかな岩肌の波が谷一面に広がる光景は絶景です。この岩の表面には数多くの穴が開いていて、これは鳩の家といわれる鳩の巣で、住民は昔から鳩の糞を集めてブドウ畑の肥料として利用していました。ここからも富士山に似たハサン山(標高3200m)が見えました。
カイマルク地下都市
地下にアリの巣のように。迷路に次ぐ迷路が広がる地下都市ですが、その発祥や歴史には謎が多く、一時はアラブ人から迫害されたキリスト教徒が住んだ事もあると言われています。内部は2万人規模の共同生活が営まれていたようで、ところどころに敵の侵入に備えた丸い石が、道をふさぐように置かれています
トルコ絨毯店
カッパドキア地方には農業に適した土地が少なく、住民は陶磁器や絨毯の手作業で生活を営んでいました。特に有名なのが"トルコ絨毯"。遊牧民生活の時代に持ち運びに便利な敷物として生まれた歴史を持ち、結び目のある織物(現在のトルコ絨毯のもと)の技術は11世紀のセルジュク人達が最初に作り出したと言われています。トルコでは世界で唯一結び目を2つ作るダブルノットと呼ばれる織り方を使用しているため、その強度と耐久性は最良と言われています。特にシルクのヘレケ絨毯の場合、1平方センチメートルの中に100〜120もの結び目があり、強度や品質の良さだけでなく絵画のように繊細な模様が芸術作品として評価されています。カッパドキアもヘレケと並ぶ絨毯の産地ですが、ここでは見るだけで〜す。
1日目
キャラバンサライ(隊商宿)、
カッパドキアへ向かう途中で立ち寄ったのが、キャラバンサライ(隊商宿)。中央アナトリアが貿易路として栄えた時代、カッパドキアにも隊商の宿泊所が建てられ、泊まりながら絨毯などの商売取引をしていました。トルコ国内には100箇所程の"キャラバンサライ"が残っているとの事だが、その殆どが廃墟化してるようです。アクサライ(Aksaray)の西にあるスルタンハン(Sultanhan)・キャラバンサライは、数ヶ所ある保存状態の良いひとつで、隊商宿の雰囲気を今に伝えています。
イスラムの信者がお祈りの前に手足顔口を洗って清めるのは、日本の神社参詣より徹底しています。 入口も長蛇の列です。
インジェ・ミナーレ神学校、
1265−67年に建築された神学校の"インジェ・ミナーレ"とは"細長い尖塔"という意味です。現在はイスラムの彫刻博物となっています。正面のアラビア文字、幾何学文様の浮き彫りやミナーレの壁面装飾もすばらしくセルジュク様式建築の代表作です。

コンヤ(Konya)
コンヤは、イスラム神秘主義の一派メヴラーナ教団の発祥地として有名です。町自体は古い歴史を持つが、最も繁栄したのは11〜13世紀頃のセルジェクトルコ時代に首都として、政治・文化・芸術の中心として発展しました。現在も市内に残っている神学校や遺跡は、ほとんどはこの頃のものです。

ヒエラポリス(Hierapolis)遺跡
紀元前190年に始まった都市の遺跡で、この時代のものとしては最も内陸にあります。場所は石灰棚のパムッカレのちょうど上に位置します。城壁の"ビザンツ門"をくぐると右の斜面に大きな扇型の円形劇場の遺構が観えてきましたが、広い範囲に点在しているのと、連日の遺跡見学で食傷気味なので、、、、気持ちは石灰棚に向かっていました。

(下)女性が座っているのは壁際に並ぶ公衆トイレで、仕切りはありませんが今でも使えそうです。
(右)トラヤヌスの泉、102-104年に建てられた泉、かってはトラヤヌス皇帝像の足元から水が流れてたそうです。
ハドリアヌス神殿、手前のアーチ中央には女神ティケ、奥は両手を広げたメドゥーサが描かれています
ヘラクレスの門
クレテス通り、図書館まで続く大理石の道で右側には様々な建造物が並んでいます。
メミウスの碑、メミウスはポントゥスからエフェソスを奪還したローマの独裁官スッラの孫。碑にはスッラを称賛する言葉が刻まれている。
アクロポリスにある全て大理石で造られているトラヤヌス神殿
地下宮殿
4〜6世紀に造られた地下の大貯水池で、全体は縦140m、横70m、高さ8m程で内部はコリント様式の柱で支えられています。アーチが続く幻想的な空間の一番奥にはメドゥーサの顔が2体、逆さまと横に横たわっています。
ケルスス図書館、アレキサンドリア・ベルガマと並んで古代ギリシャの三大図書館と言われています。正面1階のファサードの中には知恵、運命、学問、美徳を象徴する女性像がありますが、オリジナルはウイーンの博物館にあります。ここには1万2千巻の書物が所蔵されていたそうです。
マーブル通り、ケルスス図書館の前の下のアゴラから大劇場まで続く大理石の道で神殿へ続く聖なる道の一部でもあった。
ケルスス図書館に向かって右にはマゼウスとミトリダスの門
南回廊の中央がキリスト、右が洗礼者ヨハネ、左に聖母マリアのモザイク

ベルガマ(Bergama)遺跡
ベルガモンと呼ばれたこの都市の歴史はアレキサンダー大王の死後に、領土分割されリシマコスにより新王朝が開かれたが彼はシリアとの戦いで戦死。その部下のフィレタイロスが跡を継ぎ、ベルガモン王国を築いた。王国は繁栄し、ローマとともにシリアと戦い、小アジアにおける交易の権益を得てアクロポリスの建設が行われた。その後アラブの攻撃を受けて衰退しました。19世紀に発見されたが神殿をドイツに持ち去られてしまい、ベルリンのペルガモン博物館に展示されています。

1日目
娼館の床にはモザイク画が残る。
ドイツ人考古学者シュリーマンが「プリアモス王の財宝」(黄金の頭飾りや首飾りなど)を発掘したといわれる場所はテントに覆われています。彼はその財宝をドイツに持ち去ったが、現在はロシアのプシュキン美術館に展示されています。
ベリーダンスの動画ムービー
今日の観光を終えてアイドゥン(Aydin)を通り、今夜の宿泊地パムッカレに向かう途中の車窓から夕日に輝く石灰棚が見えました。
1日目
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

今日は帰国日ですが夕刻まで、イスタンブール観光を続けます。

ドルマバフチェ宮殿サルタナット門 
ガラタ橋 
1日目
大劇場の一部拡大
ヨアンネス2世と皇后イレーネがマリアとイエスに捧物をする聖画
ニケのレリーフ
エジプシャン・バザール
ガラタ橋近くにあるイェニ・ジャーミィの裏に広がる市場で、このイェニ・ジャーミィを運営する財団の事業の一環として造られました。その昔エジプトの品を多く扱っていたことからこの名が付きました。かっては90件近くの香辛料の店が並んだこともあり別名スパイス・バザールとも言われます。
アイワルク(Ayvalik)のホテルへ、部屋からはエーゲ海が見えま〜す、目の前の島がギリシャのレスボス(Lesbos)島です。
リュステム・パシャ・ジャーミィ
宮殿からボスフォラス海峡を望む
バグダート・キョシュキュからの金角湾
Conrad イスタンブールホテルに到着、部屋からはボスポラス海峡が見えます。
聖母マリアの手形、と呼ばれる柱があり柱のくぼみに親指を入れ残りの4本指の指先で柱から離す事無くぐるりと円を描けると願いがかなうと言われています。ミッテラン元大統領やブッシュ元大統領(父)も手形に指を入れたそうです。
ピオン山に沿って造られた大劇場です。ヘレニズム時代に造られましたがローマ時代に部分拡張され24,000人収容できた観客席は直径154m、高さ38mの半円形です。
ゲリボル(Gelibolu)の港からフェリーで渡ります。ダーダネルス海峡の延長は約60kmで、幅は1.2〜6.0kmとの事、約30分の船旅です
夜はトルコ民族舞踊とベリーダンス・ディナーショーで旅の最後の夜を盛り上がりました。
傾斜のある扇形劇場は、音響効果も非常によく、眺望をさえぎらない為に、舞台は催し物の時にだけ木製の物が組まれたそうです。劇場下段のテラスの端には、ディオニソス神殿跡があります。
泉亭
アヤソフィアの見学を終えて帰国の途につく途中でヴァレンス水道橋を通り空港に向かいました。

今日は、まったくの移動日です。成田を12:00に出発して乗換地のモスクワに17:30着、しかしながら乗継便の出発が23:15なので6時間近く空港で待たなければならないハメになりました。これは大失敗。事前の調査不足でひどい目にあいましたが、これも次回に生かせば学習と、、、結局イスタンブールには深夜の1:05に到着ヤレヤレでした。

正義の塔とその内部
謁見の間
1日目
1日目
ポリオの泉
アヤソフィア
ビザンティン帝国時代には、ギリシャ正教の大本山として君臨しながらもスルタン・ファーティフ・メフメット2世によるコンスタンティノープル(現イスタンブール)征服後は、イスラム寺院(モスク)に姿を変えて使用され、そしてトルコ共和国成立以後は博物館となりイスタンブールを象徴する建物です。
聖火が灯されていた市公会堂

パムッカレ(Pamukkale)の石灰棚
石灰棚は台地の上から湧いている天然温泉が下の平原に流れ込む間に冷却されて含んでいる石灰成分が長い時間をかけて結晶となり台地全体を覆ったものです。ところどころに温泉水がたまった池があり、泳いだり、湯に浸かる事ができますが景観保護のために自由な立入も制限されてきました。石灰棚の段々畑といった景観ですが麓からは白い雪山のようにも見えます。

イスタンブールからマルマラ海沿いに、テキルダーを経てダーダーネルス海峡をフェリーで渡りますが、渡る手前のゲリボルで昼食休憩を取ります。その後フェリーに乗り対岸のラプセキに渡り、チャナッカレ、トロイ、を経てアイワルクまで行きます。途中の車窓からはモスクのミナレット(尖塔)やマルマラ海が、あちらこちらから見えます。

悠久のポルトガル8日間

イスタンブール(Istanbul
トルコ最大の街、奥深い歴史を持ち、2回呼び名を変えた都市です。紀元前からビザンティウムと呼ばれていたが、紀元後4世紀に東ローマ帝国の都と定められてから呼び名がコンスタンチノーブルに変わり、1453年にオスマントルコ軍によって陥落されてからは、イスタンブールと呼ばれるようになりました。「ヨーロッパとアジアの架け橋」と地球上でただひとつイスタンブールにだけ許された言葉です。東西文明の接点イスタンブールは長さ約30kmのボスポラス海峡でヨーロッパとアジアに分かれています。

宮殿のハーレムへの入口
ガラタ塔 

トロイ(Troy)の遺跡
遺跡の入口にはトロイ戦争の「トロイの木馬」にちなんだ巨大な観光客向けのレプリカ木馬が置いてありますが、別段ど〜ってことも無い代物です。トロイの集落は紀元前3000年頃から始まり、エーゲ海貿易の中心地として繁栄しましたが、栄えては滅びる歴史を繰り返し、その結果トロイは全部で9層にわたる都市遺跡を形成しているそうです。従って見た目には、ぐちゃぐちゃで非常にわかりにくい遺跡ですが、ギリシャの有名な英雄叙事詩ホメロスのイリオスに語られているトロイ戦争の舞台です。


2009年5月25日〜6月01日

グランド・バザール
トルコ語では"カパル・チャルシュ"と言い、屋根付き市場という意味だそうです。屋根付き市場では中東最大で出入り口だけでも20数箇所ありバザールの中はまるで迷路のようです、店の数は約4400軒。日本語でのさまざまな客引きの呼び声がかかります。

アルカディアン通りは、港から大劇場を結んだ大理石の道路で幅11m、長さ500mの道路沿いには商店が並び、街灯も灯されていたそうです。道路を改修した皇帝アルカディウスにちなんで名付けられました。

エフェソス(Ephesus)遺跡
トルコ最大の遺跡で紀元前12世紀に建設された都市国家跡で、イオニア地方に位置しています。最盛期をローマ帝国時代に迎え小アジア属州の首都でもありました。この遺跡の保存状態は良く図書館、大理石通り、神殿、音楽堂、大劇場は見事です。結構広いので見学した順番に、、、南入口から入ると、すぐあるのが上のアゴラと呼ばれる集会などに使われる73mx160mの広場、1400人収容できる音楽堂(オデオン)があります。

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