マチュピチュ村(アグアス・カリエンテス)
マチュピチュ遺跡は広いので、思いっきり満喫するために麓のマチュピチュ村に泊まり明日に備えます。アグアス・カリエンテスとはスペイン語で"温泉”です。そう、ここは温泉の町。温泉は少し濁ったぬるめの湯ですが、7つある露天のプールという感じで水着着用で入ってきました(一人10ペソ)。町そのものは小さく、中心にアルマス広場があり、みやげ店とレストランが並んでいる程度ですが、マチュピチュの峰が望めます。
アベントゥラ・ナウティカ(Aventura Nautica)
一番人気のスピード・ボート・ツアーでイグアス川を滝の真下まで入ります。滝の水をモロにかぶりますので、外国人は、水着が多かったですが、私共はゴルフのレインウェアーを着て防水対策をしましたが、中までびっしょり濡れてしまいました。でも濡れてもスリル・スピードがあってとっても楽しかったです。料金は一人$60。この近くまではトロッコ電車でいきましたが、駅周辺には野生のハナグマがたむろしていて人に餌を求めて近づいてきます。
全ての観光を終えてたので今夜、帰国しますが、砂漠で砂まみれになりましたのでお土産やさんのPoco a Pocoで休憩とシャワーをさせて頂き、荷物の整理も終えて準備完了です。しかし、小腹がすいたので夜食に、最近リマで流行しているリマ生まれのポジョ・ア・ラ・ブラッサ(炭焼きチキン)のファスト・フード・チェーン店のパルドス・チキンに行きました、安くておいしいチキンでした。
ワカチナ(イカ郊外)の砂漠
パン・アメリカン・ハイウエィの周辺には荒涼とした砂漠が続きますが、忽然と現れるオアシスがイカの町です。この町の郊外のワカチナ地区にサンド・バギーが乗れる場所がありましたので、一人$30で、砂漠の砂丘の上を疾走してスリルとスピードを楽しんできました。
サクサイワマン、
サクサイワマンの遺跡は、クスコが一望できる高台にあり巨石を3層に積み上げてジグザグを描きながら360mに渡り造られています。特に内側は高さ5m、約360トンもある巨石が使われているところもあります。石組みの技術はインカらしくぴったりとかみ合っています。インカ帝国時代に造られた本来の目的は宗教的なものか要塞なのかは不明ですが、スペイン人に反逆を企てた1536年には要塞として使われました。
インカの石組みと、12角の石、
「カミソリの刃一枚すら通さない」と言う評判のインカの石材建築、クスコの街中には石組みの残る通りが残っています。精緻に切り出された四角形の石は、微妙にズレながら美しいアミダ模様を造り上げて、スペイン風のコロニアル建築を支えています。特に宗教美術博物館の礎石の中には「12角の石」と呼ばれ、すべて4角で済むものを、あえて12角の複雑さにチャレンジして、ピッタリと接合している石があります。10数Km離れた所から切り出して12角の幾何学的複雑さに挑戦した本当の意味は不明ですが、、、高い技術力を示しています。、
クスコ(ペルー)
昔ここはインカ帝国の首都でした。ケチュア語でクスコは”へそ”を意味し、太陽神を崇拝し大インカ帝国を築いた彼らにとっては世界の、宇宙観の中心でもありました。16世紀にはスペイン人の侵略でインカは山奥へと追いやられましたが、クスコ周辺にはインカ時代がそのまま残っています。またスペイン人達は、インカの礎石の上に教会や邸宅を建てたので、インカの名残とスペインの征服の歴史が混じりあう不思議なコントラストの街です。
リマ
リマはチャラと呼ばれる海岸砂漠地帯にあって年間を通して雨がほとんど降りません。五月にほんのわずか”インカの涙”と呼ばれる霧雨があるだけです、又7〜8月の冬の間はガルーアという霧が空を覆い、どんよりとした曇り空の日が続く言われていますが9月末でも曇りでした。観光の中心は世界遺産登録された旧市街のセントロにあるアルマス広場のカテドラルや植民地時代に財力をつぎ込んだ政庁や市庁舎が並ぶ古い町並や、新市街のミラフローレンス地区です。
マチュピチュ
マチュピチュ遺跡は標高2940mのマチュピチュ山と2690mのワイナピチュ山を結ぶ尾根にまたがる標高2400m付近にあり麓とは約400mの標高差があります。「ハイラム・ビンガム・ロード」と呼ばれる林に囲まれた山道をミニバスで30分程登りますが何も見えません、空中からしか見ることが出来ないので”天空の都市”と呼ばれるゆえんです。1532年フランシスコ・ピサロ率いるスペイン人征服者(コンキスタドール)によりインカ帝国はあえなく崩壊し、都市はことごとく破壊されましたが、天空に造られたマチュピチュはスペイン軍に発見されることなく、ほぼ無傷で残りました。1911年にアメリカ人の歴史学者、ハイラム・ビンガムによって発見され森林の中から400年の眠りから目を覚ました.。
ブエノス・アイレス(アルゼンチン)
銀の国、アルゼンチン、その財宝を求めてヨーロッパ人はラ・プラタ(銀)川をさかのぼった500年前から、移民が築いた街ブエノス・アイレスは”南米のパリ”と呼ばれる大都市になった、ラ・プラタ川の河口に広がる港町です。19世紀末からのわずか数十年の間に渡ったヨーロッパ諸国からの大量移民が、ヨーロッパ文化をよりオリジナルな形で植えつけたいのと、南米にありながらヨーロッパらしくありたいアルゼンチン人とが他の南米諸国とは異なったヨーロッパ風の街並を造り上げました。
プエルト・イグアス(アルゼンチン側イグアスの滝)
大小300もの滝が、虹をともなって流れ落ちるイグアスは、アルゼンチンとブラジルにまたがって、滝幅4km、最大落差80m、毎秒65,000トンの水量を誇るスケールの世界最大級の滝です。イグアス川はアルゼンチン、ブラジル、パラグアイにまたがって流れ、滝のハイライト”悪魔ののどぶえ”はアルゼンチン側にあり、ブラジル側にすさまじい勢いで流れ落ち、水しぶきをあたり一面に上げています。
事前の準備万端にして、17:20成田発の日航便でロサンジェルスに向かいます。ここでラン航空に乗り換えてペルーのリマに向かいます。
ちょうど日付が変わる頃(真夜中)にリマ到着ですが、アルゼンチンのブエノスアイレスに向けて3たび飛び立ちます。ブエノスアイレス到着後には国内線空港にバス移動して4たび目のフライトで、やっと目的地のプエルト・イグアスに到着、出発から20時間経過しています。ホテルでのチェックインを済ませて小休止。ブラジル側からのイグアスの滝を観光します。
今回の旅行は、ブラジルへ入国しますので目的に関わらずビザが必要です。観光目的で行く場合、滞在許可日数は90日間。この90日間なら、何回でもブラジルに再入国できますが、ビザ許可日より90日以内に入国することが必要です。ビザの申請は事前にブラジル総領事館(東京・五反田)で簡単に個人で取得出来ます。通常、申請から入手までは土・日曜・両国祝日を除いて8日です。必要書類はブラジル総領事館のH/Pからダウンロードもできますし、費用は3000円でした。尚、南米への直行便がないのでアメリカ経由で渡航しますが、通常のビザなしで渡米する場合、2009年より電子渡航認証システム(ESTA=エスタ)が導入されたので、事前に渡航認証を取得しなければならなくなりました。この申請は渡航の72時間前までに、ESTA専用のWebサイトで必要事項をローマ字で入力する事でOKです。
グラン・アベントゥラ(Gran Aventura)
オープントップの4WDでジャングル内約8Kmをドライブしながら、ガイドがジャングル内の動植物について説明しますが、動物はサル、鳥くらいで、殆どが樹木の説明でした。
サント・ドミンゴ教会、
インカ帝国時代にはコリカンチャ(太陽の神殿)と呼ばれ、神殿内は広場を囲む月、太陽、星などの部屋からなっており部屋は石組みで囲まれ、壁には台形の凹みを作り金銀の像や装飾で飾られていたと言われます。16世紀にスペイン人が征服した時に、この宮殿にあった黄金はすべて鋳造して本国に持ち去った。そのためヨーロッパでは大量の金が一時的に流れ込んだためにインフレになったと記録されているそうです。その後、上部を壊して残った土台の上にチュリゲレス様式のカトリック教会を建てました。
フォス・ド・イグアス(ブラジル側イグアスの滝)
イグアスの滝の迫力ではアルゼンチン川に引けを取りますが、イグアスの全景が見渡せるのはブラジル側です。またエレベーターを使えば、ほぼ歩かずに”悪魔ののどぶえ”のビューポイントへも行く事も出来ます。国境を越えてブラジル側に入り、イグアス国立公園入口で専用2階建てバスに乗り換えてピンク色の建物のホテル・ダス・カタラタス前から、約1.2kmの滝への遊歩道をあるきます。
2009年9月24日〜10月03日
アルマス広場、
スペイン式の街づくりは中心に広場をおきますが、偶然にもインカ帝国の街づくりも広場が中心でした。広場に面して北側に建つカテドラルはインカ時代のビラコチャ神殿跡に1550年から建設を始めて完成したのは100年後ですから、いかに凝っているかがわかりますが南半球の北側は写真を撮る時は逆光で、きれいな写真がとれませんでした。広場の東側にはインカの第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿跡に建てられたラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会があります。
クスコの眺望、
クスコ周辺は、6000m級の山々に囲まれたインカの谷ですので高台に上ると、クスコの眺望が開けます。アルマス広場やカテドラルもハッキリ見えます。ここには観光客相手に1ペソでリャマといっしょに写真を撮らせる人もいました。