ケンコー、
サクサイワマン遺跡から徒歩で約15分の所にありインカ帝国の祭礼場であったと言われます。、石を組み合わせたのではなく岩を削って造られていて、岩全体がモニュメントのようになっています。”Qenqo”とはケチュア語でジグザグというような意味です。
ピウライ湖
インカ道のある山

マチュピチュ村(アグアス・カリエンテス)
マチュピチュ遺跡は広いので、思いっきり満喫するために麓のマチュピチュ村に泊まり明日に備えます。アグアス・カリエンテスとはスペイン語で"温泉”です。そう、ここは温泉の町。温泉は少し濁ったぬるめの湯ですが、7つある露天のプールという感じで水着着用で入ってきました(一人10ペソ)。町そのものは小さく、中心にアルマス広場があり、みやげ店とレストランが並んでいる程度ですが、マチュピチュの峰が望めます。

1日目

アベントゥラ・ナウティカ(Aventura Nautica
一番人気のスピード・ボート・ツアーでイグアス川を滝の真下まで入ります。滝の水をモロにかぶりますので、外国人は、水着が多かったですが、私共はゴルフのレインウェアーを着て防水対策をしましたが、中までびっしょり濡れてしまいました。でも濡れてもスリル・スピードがあってとっても楽しかったです。料金は一人$60。この近くまではトロッコ電車でいきましたが、駅周辺には野生のハナグマがたむろしていて人に餌を求めて近づいてきます。

太陽の神殿、陵墓の上が神殿になっている
クスコの夜景、夕食ではアンデス民族音楽、フォルクローレを楽しみながらクスコの夜を過ごしました。
泊まったホテルは町外れにあるレゾート・ホテルで美しい庭、プール、海の幸がおいしいレストランなど充実した設備でした。今日は、ナスカの地上絵を見てから、イカ近郊の砂漠でサンド・バギーを楽しんでからリマにパン・アメリカン・ハイウェイで戻ります。
ナスカの地上絵
謎の地上絵で知られるナスカですが、誰が何のために、空中から見ないとわからないほどの巨大の絵を書いたのかは、未だに不明ですが、、、確実にわかることは、絵はパンパを覆った黒い石や砂をどけて白っぽい地面を出す事で描かれています。5人乗りのセスナで上空から見てみます。

全ての観光を終えてたので今夜、帰国しますが、砂漠で砂まみれになりましたのでお土産やさんのPoco a Pocoで休憩とシャワーをさせて頂き、荷物の整理も終えて準備完了です。しかし、小腹がすいたので夜食に、最近リマで流行しているリマ生まれのポジョ・ア・ラ・ブラッサ(炭焼きチキン)のファスト・フード・チェーン店のパルドス・チキンに行きました、安くておいしいチキンでした。

1日目
1日目
真夜中の1:40に、リマを出発してロスアンジェル経由にて日本に帰国です。

ワカチナ(イカ郊外)の砂漠
パン・アメリカン・ハイウエィの周辺には荒涼とした砂漠が続きますが、忽然と現れるオアシスがイカの町です。この町の郊外のワカチナ地区にサンド・バギーが乗れる場所がありましたので、一人$30で、砂漠の砂丘の上を疾走してスリルとスピードを楽しんできました。

ビスタドーム、
オリャンタイタンボ駅から15:05発の展望列車のビスタドームに乗りマチュピチュの入口にあるアグアス・カリエンテス駅に行きます。パノラマの景色を楽しみながら車内では軽食とドリンクがでました。
インカ時代から続くマラスの塩田
ウルバンバの町

サクサイワマン
サクサイワマンの遺跡は、クスコが一望できる高台にあり巨石を3層に積み上げてジグザグを描きながら360mに渡り造られています。特に内側は高さ5m、約360トンもある巨石が使われているところもあります。石組みの技術はインカらしくぴったりとかみ合っています。インカ帝国時代に造られた本来の目的は宗教的なものか要塞なのかは不明ですが、スペイン人に反逆を企てた1536年には要塞として使われました。

インカの石組みと、12角の石
「カミソリの刃一枚すら通さない」と言う評判のインカの石材建築、クスコの街中には石組みの残る通りが残っています。精緻に切り出された四角形の石は、微妙にズレながら美しいアミダ模様を造り上げて、スペイン風のコロニアル建築を支えています。特に宗教美術博物館の礎石の中には「12角の石」と呼ばれ、すべて4角で済むものを、あえて12角の複雑さにチャレンジして、ピッタリと接合している石があります。10数Km離れた所から切り出して12角の幾何学的複雑さに挑戦した本当の意味は不明ですが、、、高い技術力を示しています。、

1日目
今日は、宿泊先のリマから早朝5:20の飛行機でクスコに向い6:45には到着です。クスコ観光後に、バスでオリャンタイタンボに行きます。ここで15:05出発の展望列車のビスタドームに乗換えてマチュピチュまで行きます。

クスコ(ペルー)
昔ここはインカ帝国の首都でした。ケチュア語でクスコは”へそ”を意味し、太陽神を崇拝し大インカ帝国を築いた彼らにとっては世界の、宇宙観の中心でもありました。16世紀にはスペイン人の侵略でインカは山奥へと追いやられましたが、クスコ周辺にはインカ時代がそのまま残っています。またスペイン人達は、インカの礎石の上に教会や邸宅を建てたので、インカの名残とスペインの征服の歴史が混じりあう不思議なコントラストの街です。

1日目
地上絵の横を走るパン・アメリカン・ハイウェイ
地上に降り立つと”ナスカの地上絵”飛行証明を頂きました。
ハイウェイ横に停車中の車とミラドールに集まる人と、”木”の地上絵
ハチドリ
コンドルの手の部分
クモ
宇宙飛行士
イヌ
ミラフローレンス地区、
ラルコ・マル
と呼ばれる海岸沿いのレストランやショップが集まる繁華街近くの、晴れた日には太平洋が一望できるスポットです。海を臨む「恋人達の公園」にはキスをする巨大なモニュメントがあり大胆なラテンの国の情熱を感じます。
カテドラル,
南米きっての征服者、フランシスコ・ピサロが1535年1月18日に自らの手で礎石を置いたペルー最古のカテドラルで、その日はリマ建都の日です。真偽の程は定かではありませんが”ピサロのミイラ”がガラスケースに納められて安置されています。。

リマ
リマはチャラと呼ばれる海岸砂漠地帯にあって年間を通して雨がほとんど降りません。五月にほんのわずか”インカの涙”と呼ばれる霧雨があるだけです、又7〜8月の冬の間はガルーアという霧が空を覆い、どんよりとした曇り空の日が続く言われていますが9月末でも曇りでした。観光の中心は世界遺産登録された旧市街のセントロにあるアルマス広場のカテドラルや植民地時代に財力をつぎ込んだ政庁や市庁舎が並ぶ古い町並や、新市街のミラフローレンス地区です。

下の川沿いの麓のマチュピチュ村からミニバスで、峰につづく山道のジグザグを13回折り返して入口のマチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジに着きます。私達が着いた時は早朝でしたので一面が雲で覆われていましたが雲海が開くとともにドラマチックな対面ができました。何はともあれ、今日一日朝からマチュピチュをゆっくり観光してから再び15:55出発の展望列車のビスタドームでクスコに戻ります。

マチュピチュ
マチュピチュ遺跡は標高2940mのマチュピチュ山と2690mのワイナピチュ山を結ぶ尾根にまたがる標高2400m付近にあり麓とは約400mの標高差があります。「ハイラム・ビンガム・ロード」と呼ばれる林に囲まれた山道をミニバスで30分程登りますが何も見えません、空中からしか見ることが出来ないので”天空の都市”と呼ばれるゆえんです。1532年フランシスコ・ピサロ率いるスペイン人征服者(コンキスタドール)によりインカ帝国はあえなく崩壊し、都市はことごとく破壊されましたが、天空に造られたマチュピチュはスペイン軍に発見されることなく、ほぼ無傷で残りました。1911年にアメリカ人の歴史学者、ハイラム・ビンガムによって発見され森林の中から400年の眠りから目を覚ました.。

1日目
タマレス(Tamales)を食べてみました。トウモロコシの粉を錬り、味付けをして、トウモロコシの皮で包んで蒸した素朴な食べ物です。
リャマを生贄にした台
クスコは標高3399mありますので、多少なりとも空気の薄さを感じます。高地に慣れるためにホテルで休憩しましたが現地ガイドさんの、お薦めはコカ茶を飲むか、コカの葉を噛むと高地順応に良いとの事でしたので皆さん試みましたら、全員といっても7名ですが高山病なしでした。コカの葉そのものに覚醒作用や習慣性はありませんが、コカの葉からコカインは実際に生成可能ですので、日本国内では原料としての規制、禁止品目になっていますので国内持込ができません事に注意してください。
ボカ地区
かってボカ港は、アルゼンチン唯一の港でヨーロッパからの移民船はすべてここに停泊しました。当時のボカは造船工場や賭場があり、労働者や船乗りのたまり場であった、そんな男達を相手にする安酒場やバーも密集し、あの官能的なタンゴのステップはそんなバーの片隅から生まれました。カラフルに塗られた家が並ぶカミニート(小道)は、ボカ生まれの画家キンケラ・マルティンのアイデアと金銭的なサポートによるものです。サッカーのボカ・ジュニアーズ・スタジアムもこの地区にあります。
レコレータ墓地
墓のある場所によって階級を評価されるこの国では、1882年に開設されたここは、ブエノス・アイレス最古のかつ最も由緒ある墓地です。彫像と伝統的な装飾が施された納骨堂は見事な物で、とても墓地とは思えない。芸術的な墓地としても世界的に有名であり、歴代大統領をはじめ有名人の墓も多い。”エビータ”ことマリア・ペロン元大統領夫人の墓は今でも1年中花が絶えません。

ブエノス・アイレス(アルゼンチン)
銀の国、アルゼンチン、その財宝を求めてヨーロッパ人はラ・プラタ(銀)川をさかのぼった500年前から、移民が築いた街ブエノス・アイレスは”南米のパリ”と呼ばれる大都市になった、ラ・プラタ川の河口に広がる港町です。19世紀末からのわずか数十年の間に渡ったヨーロッパ諸国からの大量移民が、ヨーロッパ文化をよりオリジナルな形で植えつけたいのと、南米にありながらヨーロッパらしくありたいアルゼンチン人とが他の南米諸国とは異なったヨーロッパ風の街並を造り上げました。

”悪魔ののどぶえ”

プエルト・イグアス(アルゼンチン側イグアスの滝)
大小300もの滝が、虹をともなって流れ落ちるイグアスは、アルゼンチンとブラジルにまたがって、滝幅4km、最大落差80m、毎秒65,000トンの水量を誇るスケールの世界最大級の滝です。イグアス川はアルゼンチン、ブラジル、パラグアイにまたがって流れ、滝のハイライト”悪魔ののどぶえ”はアルゼンチン側にあり、ブラジル側にすさまじい勢いで流れ落ち、水しぶきをあたり一面に上げています。

事前の準備万端にして、17:20成田発の日航便でロサンジェルスに向かいます。ここでラン航空に乗り換えてペルーのリマに向かいます。

ちょうど日付が変わる頃(真夜中)にリマ到着ですが、アルゼンチンのブエノスアイレスに向けて3たび飛び立ちます。ブエノスアイレス到着後には国内線空港にバス移動して4たび目のフライトで、やっと目的地のプエルト・イグアスに到着、出発から20時間経過しています。ホテルでのチェックインを済ませて小休止。ブラジル側からのイグアスの滝を観光します。

1日目

今回の旅行は、ブラジルへ入国しますので目的に関わらずビザが必要です。観光目的で行く場合、滞在許可日数は90日間。この90日間なら、何回でもブラジルに再入国できますが、ビザ許可日より90日以内に入国することが必要です。ビザの申請は事前にブラジル総領事館(東京・五反田)で簡単に個人で取得出来ます。通常、申請から入手までは土・日曜・両国祝日を除いて8日です。必要書類はブラジル総領事館のH/Pからダウンロードもできますし、費用は3000円でした。尚、南米への直行便がないのでアメリカ経由で渡航しますが、通常のビザなしで渡米する場合、2009年より電子渡航認証システム(ESTA=エスタ)が導入されたので、事前に渡航認証を取得しなければならなくなりました。この申請は渡航の72時間前までに、ESTA専用のWebサイトで必要事項をローマ字で入力する事でOKです。

日本語で「ちっぷありがとうございます」ですって
イタリアン・アート美術館
リマ美術館
サン・フランシスコ教会・修道院,
バロックとアンダルシア風様式で1546年から100年以上かけて建てられました。特にファサード(正面装飾)はすばらしく、旧市街で最も美しい教会と言われています。
デサンパラドス駅
帰りには、マチュピチュ訪問証明書をいただきました。また列車内では、アンデスの踊りのショーとファッションショーが開かれ現地のスカーフやセーター等の衣料品販売もありましたが、観光客相手のせいか、結構高めな値段でした。
水汲み場
水は山から石の溝を伝わって流れてきており地下水路を造ったり、灌漑用水路の整備と管理が行われていた。
インティワタナ
高さ1.8mの花崗岩を削って台座をつくり、その上に高さ36cmの角柱を設けた日時計です。突起は東西南北を示し、インカは太陽暦を利用して農事や祭事を決めていました。
3つの窓の神殿
市街地への入口、本来のマチュピチュの正門だった所
段々畑、マチュピチュの総面積5千平方mの3分の2は段々畑です
カテドラル
砂漠に建つミラドール(観察やぐら)から見る、”木”の地上絵

グラン・アベントゥラ(Gran Aventura
オープントップの4WDでジャングル内約8Kmをドライブしながら、ガイドがジャングル内の動植物について説明しますが、動物はサル、鳥くらいで、殆どが樹木の説明でした。

モンセラート地区
5月広場を中心に、1810年5月25日に独立宣言が行われたスペイン植民地時代の行政府だったカビルド、カサ・ローダ(ピンクの家)とも呼ばれる大統領府、広場の中央には5月革命1周年を記念して建てられた5月の塔、そして1827年に完成したネオ・クラシック様式の大聖堂があります。
観光後に、ブエノス・アイレスから夜間飛行でペルーのリマへ向かいます。

サント・ドミンゴ教会
インカ帝国時代にはコリカンチャ(太陽の神殿)と呼ばれ、神殿内は広場を囲む月、太陽、星などの部屋からなっており部屋は石組みで囲まれ、壁には台形の凹みを作り金銀の像や装飾で飾られていたと言われます。16世紀にスペイン人が征服した時に、この宮殿にあった黄金はすべて鋳造して本国に持ち去った。そのためヨーロッパでは大量の金が一時的に流れ込んだためにインフレになったと記録されているそうです。その後、上部を壊して残った土台の上にチュリゲレス様式のカトリック教会を建てました。

悠久のポルトガル8日間

カテドラル正面の装飾や彫像もすばらしですが、左隣にある建物のバルコニー付きのファサードの彫刻も豪華なセビリア風です。。
”エビータ”ことマリア・ペロン元大統領夫人の墓

フォス・ド・イグアス(ブラジル側イグアスの滝)
イグアスの滝の迫力ではアルゼンチン川に引けを取りますが、イグアスの全景が見渡せるのはブラジル側です。またエレベーターを使えば、ほぼ歩かずに”悪魔ののどぶえ”のビューポイントへも行く事も出来ます。国境を越えてブラジル側に入り、イグアス国立公園入口で専用2階建てバスに乗り換えてピンク色の建物のホテル・ダス・カタラタス前から、約1.2kmの滝への遊歩道をあるきます。

アルゼンチン側の遊歩道をハイキングして”悪魔ののどぶえ”に行きます、またダウンコースでは滝を下から見上げられる所にもいきます。
1日目

2009年9月24日〜10月03日

1日目
1日目
マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジ近くにあるハイラム・ビンガムの発見記念プレート
コンドルの神殿と牢獄
自然石で造られたコンドルの神殿の半地下の部分は牢獄になっていますが、斜めの自然石の上に石組みをする技術の高さに驚かれます。集団生活の規律維持のために刑罰はみせしめとして頻繁に行われたようですが、コンドルの石は、そんな刑罰に関わる儀式に使われたようです。
今日は、宿泊先のクスコから朝7:20の飛行機でリマに向い8:30には到着です。リマ観光後に、バスでイカを経由してナスカに行きます。
大統領府(上),
1587年建築の大統領府もアルマス(マヨール)広場(右に面していまが、周辺の警備は厳重であまり近くには近づけない雰囲気でした。広場の噴水は17世紀に造られた物です。
黄色い建物はリマ市の市役所で、黄色はリマ市の色です。
急斜面に造られた遺跡の階段
パチャママの神殿、の前で地元高校生のグループと
三国国境地点展望台、
イグアス川を境にアルゼンチン、ブラジル、パラグアイの三国の国境地点にはモニュメントが建っています。

アルマス広場
スペイン式の街づくりは中心に広場をおきますが、偶然にもインカ帝国の街づくりも広場が中心でした。広場に面して北側に建つカテドラルはインカ時代のビラコチャ神殿跡に1550年から建設を始めて完成したのは100年後ですから、いかに凝っているかがわかりますが南半球の北側は写真を撮る時は逆光で、きれいな写真がとれませんでした。広場の東側にはインカの第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿跡に建てられたラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会があります。

ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会

クスコの眺望
クスコ周辺は、6000m級の山々に囲まれたインカの谷ですので高台に上ると、クスコの眺望が開けます。アルマス広場やカテドラルもハッキリ見えます。ここには観光客相手に1ペソでリャマといっしょに写真を撮らせる人もいました。

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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

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