1989年に完成したグランド・アルシュ
海岸沿いの全長3.5Kmの大通りプロムナード・デザングレ
サクレ・クール寺院、はモンマルトの丘の上に建つ白亜の寺院
グラース
世界で活躍する調香師の大半は、ここの出身と言われる様に、グラースは一年中バラ、ラベンダー、スミレなどの花に包まれる香水の町です。ここではフラゴナールの香水工場を見学しました。
1日目
王室礼拝堂
豊穣の間
戦争の間、ルイ14世のレリーフがありますが「ヴェルサイユのばら」のオスカルの自画像のモデルとなりました。

ヴェルサイユ宮殿
かってはルイ13世の狩猟用の小さな城館であった建物は、その後ルイ14世の「有史以来、最も大きく、最も豪華な宮殿を!」の一声で1661年から50年にわたって増改築され、フランス宮廷及び政府がここに移されました。庶民の生活をかえりみず華やかな宮廷文化が花開き、ルイ王朝の象徴としてこの世の春を謳歌しました。貴族の贅沢な暮らしが、結果として1789年のフランス革命で王家破滅への道につながりました。しかし王朝が滅びた今もなお、堂々たる世界遺産として輝いています。パリからは電車で約30分料金は5.90ユーロで着きます。入場料は1日券で15.00ユーロでした。

マーク・シャガールが手がけた天井画
オペラ座(オペラ・ガルニエ)、は1862年にナポレオン3世により35歳のシャルル・ガルニエが設計して着工し1875年に完成した、高さ36m、幅15m、奥行24mの舞台を持ち450名の踊り子が壇上に上がれる劇場です。16世紀の古典様式とバロック様式が取り入れられ、細部まで施された装飾、赤のビロード張りの客席と豪華な場内は入るだけでも優雅な気分になります
マドレーヌ寺院、は1764年に着工して1842年に完成した、全部で58本のコリント式円柱に囲まれた古代ギリシアの神殿を思わせ姿です。
コンコルド広場、ではフランス革命当時ルイ16世やマリー・アントワネットは、ここでギロチンにより処刑されたが、今では皮肉にもコンコルド(調和)と名前も変えて開放的な広場になりました。中央の噴水はバチカンのサン・ピエトロ広場の物を模して造られました。オベリスクは1825年にエジプトのルクソール神殿から贈られた物です。。
カルーゼル凱旋門の中にエトワール凱旋門が見える
エトワールの凱旋門の中にグランド・アルシュが見える
カルーゼル凱旋門
凱旋門の秘話
ナポレオンは、在命中の1808年に完成したカルーゼル凱旋門が、あまりにも小さいので落胆して「世界最大の門を!」と命令して造らせたのがエトワール広場にある凱旋門ですが完成したのは死後19年も経ってからでした。 さて、第3番目の凱旋門が新都心として開発されたラ・デファンス地区と呼ばれる高層ビル街に1989年に完成してグランド・アルシュ(Grande Arche)と呼ばれています。門と言ってもガラス貼りの超高層オフィスビルとなっていて、最上階の35階に展望台があり、パリの新観光名所ともなっています。グランド・アルシュとエトワールの凱旋門、さらにはカルーゼル凱旋門とも一直線で結ばれているのですが、グランド・アルシェの展望台からは、エトワールの凱旋門は小さ過ぎてよくわかりませんが、逆にカルーゼル凱旋門からはよく見えます。カルーゼル凱旋門の中にはエトワール凱旋門が、エトワール凱旋門の中にはグランド・アルシュを見ることができます。

トゥール
ロワール川とシェール川に挟まれた町で、ルイ11世の時代には一時フランスの首都が置かれた事もあった。旧市街のプリュムロー広場には木骨組みの家が軒をつらね15世紀に織物工業で栄えていた頃の雰囲気を残していますので夕食後、町の散策をしながら訪れてみました。

今日の午前中は大移動日です。リヨンから高速道路でティエール(Thiers)、クレルモン・フェラン(Clermont-Ferrand)をへてブールジュまでの約308Kmを移動します。

1日目

ブールジュ
フランス中部にあるロワール地方は「フランスの庭」と呼ばれる美しい田園地帯です。フランス最長のロワール川流域には、中世に狩猟を楽しむ為に王侯貴族たちが優雅な城を建て、その数は80を越えて点在しています。ブールジュは、その地の利の為にロワール川流域南東部の中心都市として華やかな歴史と世界的な大聖堂をもつ町です。

サンテティエンヌ大聖堂、1195年に創建され13世紀後半に完成した壮大な大聖堂で、シャルトルの大聖堂と並ぶゴシックの代表建築です。シンプルな作りですがダイナミックなデザインです。正面の扉の上の彫刻群も見事ですが、内部にある12〜17世紀のステンドグラスもすばらしいです。

サン・ジェルマン・デ・プレ教会、542年建立のパリ最古の鐘塔をもつロマネスク様式の教会です。「デ・プレ」とは野原の意味です。
ルーヴル宮(ルーヴル美術館)
コンシェルジュリー、は旧王宮でフランス革命の時は監獄として使われルイ16世やマリー・アントワネットも最後の数ヶ月をここで過ごしギロチン台に上がったといわれます。隣は、最高裁判所
ノートルダム寺院、シテ島にある1345年に200年かけて完成した「我らの貴婦人」の意味を持つ聖母マリア教会です。ナポレオン1世が戴冠式を行ったりヴィクトル・ユーゴの小説「ノートルダムのせむし男」の舞台となったり、ゴシック建築の最高峰と称されるバラ窓のステンドグラスの美しさでも有名です。

パリ
過去に何度も来ていますが、花の都「パリ」です。フランスの政治、経済、文化の中心として栄え続ける都市、セーヌ河が街の真中を流れ、河岸には歴史的、文化的建築物が多く点在し、いつ来ても飽きる事が無い街だと思います。

サント・カロリーヌ教会
15世紀に地元の船大工達が建てたといわれるフランスで唯一の木造建築の教会です。天井は船底をひっくり返した様な独自の造りになっています。
1日目
モン・サン・ミッシェル観光後、ブルターニュ地方のサン・マロにて宿泊
人が中に入り人力で回す大滑車のクレーン

モン・サン・ミッシェル
フランス北部ノルマンディと最西端ブルターニュ地方の間にあるサンマロ湾の一番奥の孤島にそびえる修道院です。708年に対岸の町アヴァランシェの司教に大天使ミカエル(サン・ミッシェル)の夢の中でのお告げ「島の岩山の上に礼拝堂を建てよ」に従い礼拝堂を建てたの起源で、966年に修道院の建設が本格的に始まったそうです。10世紀にはベネディクト教会の修道院となり、11世紀から500年かけて増改築。14世紀には英国との百年戦争では城砦となって15世紀後半に現在の姿に成りました。1870年には島をつなぐ道路が出来て満潮時にも往来できるようになりました。フランスで最も美しい修道院とされ、数多くの巡礼者や観光客が訪れています。

チュイルリー公園、の木々の間にはマイヨール、ジャコメッティらの彫刻が置かれていて、まるで野外美術館のようです。また1805年のナポレオンの勝利を記念して1808年に完成した最初の凱旋門であるカルーゼル凱旋門があります。またコンコルド広場に近い所には、モネの「睡蓮」をはじめてとして印象派などの絵画を集めたオランジュリー美術館もあります。
ジャンヌ・ダルクの騎馬像「Follow me!!」
クリスマス・イルミナーションで飾られたコンコルド広場と、ジャンヌ・ダルクの騎馬像

オンフルール
イギリス海峡に注ぐセーヌの河口にある北フランス最古の港町で、15世紀の英仏百年戦争には要塞の拠点として歴史に名をとどめましたが16世紀以降に海運業で繁栄しました。フランスの詩人ボードレールが、この街の風情を称賛し、モネやコローなど19世紀の印象派の芸術家達も集まりました。港にはカラフルなヨットが並んで海の明るさが漂う街です。

聖ミカエル騎士団の像
回廊の隣にある聖職者の食堂
教会北側の修道院部分はラ・メルヴェイユ(驚異)とよばれるゴシック建築の傑作です。回廊は最上階にあり、陽射のふりそそぐ中庭は天国を意味すると言われています。
西テラスに面して建つ修道院付属教会、ここが最上部で、壁にはサン・ミッシェルの小像があります。
90段の大階段(左)を登り切ると海抜80mの西のテラスと呼ばれる教会正面の広場(下)に出ます。内部の見学は、ここから下りながら見て行きます。
「王の門」より城内に入ります
「グランド・リュ」は石畳の参道で先に行くほど狭く傾斜がきつくなります。

リヨン
フランス南東部のスイス、イタリアと国境を接するローヌ・アルプ地方の中心都市です。その地の利とローヌ川の豊かな水の恵みにより古くから繁栄してきた街には昔のままの町並が残り、豊かな自然に恵まれた世界的に有名な美食の都でもあります。今夜はこの町に宿泊ですので食事が楽しみで〜す。

フルヴィエールの丘、1896年建立のノートルダム・ドゥ・フルヴィエール寺院が立ち、ルネッサンスを偲ばせる世界遺産の街並が一望できますが、夜だけだったのは残念でしたが、美しかったです。
サン・ベネゼ橋、12世紀完成当時は全長900mでしたが、度重なるローヌ川の氾濫で半壊し4本の橋げたとサン・ニコラ礼拝堂を残すだけです。

アヴィニョン
1309年にローマ法王クレメンス5世がローマでの派閥争いを嫌って、ここアヴィニョンに法王庁を置いて移って着て以来、70年間はカトリックの中心地となりました。旧市街は全体が城壁に囲まれ、ゆったり流れるローヌ川に架かるサン・ベネゼ橋は「アヴィニョンの橋」の童謡でも有名です。

朝市
1日目

アルル
ローマ帝国時代の遺跡を残す町で、紀元前にカエサルのガリア遠征以来ローマの植民都市として栄えました。ビゼーの「アルルの女」で有名になりましたが、ゴッホの「夜のカフェテラス」や「アルルの跳ね橋」の舞台としても知られる、ひまわり畑や果樹園が広がる郷土色豊かなところです。

ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院
19世紀中頃に建てられたビザンチン様式の寺院。海を見下ろす高台にあり町のシンボル的存在で、港に船で入ろうとする時、一番最初に目に留まります。
1日目

アンボワーズ城
ロワール川を見下ろす高台にそびえるアンボワーズ城は古代ローマ時代の砦をもとに、15世紀末にイタリア遠征から帰ったシャルル8世によって、ルネッサンスの粋を集めた華麗な城に改築されました。

三階のホールには、ピエール・ジュスタン・ウーヴリエの作品「シュノンソー城」が展示されていました。
長が〜いアプローチを進むと城が見えてきましたが修復中でネットが掛っていたのは残念
昼間でしたら、こんな景色でしょうか
法王庁宮殿、ヨーロッパ最大のゴシック宮殿で壁の高さ50m、厚さ4m。壁で囲まれた法王庁全体の面積は1万5千平方mと広いです。聖像などはフランス革命で破壊された為に内部はがらんとしています。
古代劇場、
紀元前1世紀に建てられた半円形の階段式座席の劇場で現在もコンサートやオペラに使用されているそうです。
円形闘技場、
紀元1世紀に建てられた2層60のアーチからなる世界遺産登録されているローマ時代の闘技場、直径は最も広い所で136mとフランス最大です。
カフェ・ラ・ニュイ、
ゴッホがよく通った場所で、当時のままに復元された彼が描いた「夜のカフェテラス」のカフェ
サン・トロフィーム教会、
古代遺跡が多いアルルの中でも中世の香りを漂わせるのが、このロマネスク教会です。中世にはサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう巡礼路にある教会として多くの巡礼者が訪れたことで知られています。
1日目

エズ
中世の混乱の中で安全を守る為に山の頂上や中腹に築かれたこの地方特有の村を「鷲の巣村」と呼び、エズは代表的な村です。標高427mの岩山の頂に作られ、まるで路地裏のような細い町並に石造りの家が美しいまま残されています。かっての高台の城跡は、現在熱帯植物園になり、地中海を一望できます。ニーチェが「ツァラトゥストラはかく語りき」の着想を得たニーチェの道と呼ばれる山道も残されています。

大公宮殿、
1215年、ジェノバ人が築いた要塞跡に建てられたモンテカルロの大公宮殿、毎日11:55に衛兵交替が広場であります。
モナコ大聖堂、
1875年に建てられたローマ・ビザンチン様式の白亜の教会で歴代の大公・妃の墓があり、王妃グレース・ケリーも眠っています。

ニース
映画祭で有名なカンヌから、ニース、モナコを経てイタリアに続く地中海海岸がコート・ダジュールです。「紺碧の海岸」の意味のとおりの別天地で、特にニースは、南仏プロヴァンス地方の中心で、1860年まではイタリア・サルデーニャ王国の一部でした。その後第二次世界大戦前まではヨーロッパ中の王侯貴族が避寒に訪れる高級社交場でした。カーニバルで有名ですが、一年中気候が温暖で、冬でも10度以下にはならない、この地方の美しい海やきらめく太陽に魅せられた芸術家は数多く、ピカソ、マティス、ルノワール、シャガールなどがこの地で過ごしていました。私達は朝の散歩、そしてサレヤ広場周辺の朝市、海岸沿いの全長3.5Kmの大通りプロムナード・デザングレに行きました。

ノルマンディー橋
1995年に完成したオン・フルールのセーヌ河口にかかる巨大吊り橋、斜張橋としては当時世界一で日本のしまなみ海道にある多々羅大橋は姉妹橋です。

モナコ公国
”リヴィエラの真珠”と称えられるモナコは、面積1.95キロ平方mとバチカン市国に次ぐ世界第二の小国だが立憲君主国です。言葉はフランス語、通貨はユーロで、国境も石の境界石があるだけなので国境越えの気分がしません。19世紀よりカジノ、F1,,タラソテラピーや高級ホテルなど、ヨーロッパの最高級リゾートとしての憧れの場所になっています。

王の寝室
王妃の寝室
エスパス・ヴァン・ゴッホ、
ゴッホが、かって入院していた精神病院で、今は文化センターになっています。ゴッホが絵に描いた中庭に入ることができます。
ゴッホが描いた「跳ね橋」が復元されています
市庁舎、サン・トロフィーム教会に囲まれたレピュブリック広場
セザンヌ像
サン・ソーヴィール大聖堂と内部(右)
市庁舎
エクス・アン・プロヴァンスの名物菓子カリソン(Callison) は、アーモンドとメロンのシロップを混ぜてペースト状にした物を小さな菱形の型で抜いて砂糖コーティングした上品な甘さの御菓子です。

エクス・アン・プロヴァンス
紀元前2世紀頃に造られた、ローマ帝国の要塞が街の起源です。帝国滅亡後も15世紀からこの地方の都で、17から18世紀にはプロヴァンス伯爵領の首都として栄えました。町にはローマ時代の遺跡はほとんど残っていませんが、噴水は今も健在で、小さなたたずまいの町に全部で100以上あります。ロトンドの噴水のあるド・ゴール広場から東に続く目抜き通りがミラボー通りで季節がらクリスマスマーケットの店が出ていました。今夜はこの町に宿泊ですので噴水のライトアップも、ゆっくり楽しめました。画家のセザンヌは、この地に生まれ、没した、ゆかりの地です。

大公宮殿のある丘の上からの眺めは、すばらしくF1のコースやヨットハーバーを一望できます。
1日目
サレヤ広場周辺の朝市
モナコ海洋博物館
国境の境界石
今宵の宿は何故かニューヨーク in ニース
鏡の間、最も壮麗な空間で長さ73mの回廊の壁一面に、当時は非常に高価だったガラスを貼込む贅沢さであった
庭園、ル・ノートルの設計により100万平方m以上の敷地に2つの泉、十字型の大運河、左右対称の幾何学模様の植栽で構成されています。
王妃グレース・ケリーの墓

今日は、まったくの移動日です。目的地ニースに到着するとコート・ダジュールの「紺碧」のイルミネーションでホテルや町全体が電飾されていました。

1日目
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

護衛兵の間(左)とルイ14世のサロンのクリスマス・ツリー(右)
1989年6月20日撮影

悠久のポルトガル8日間

1日目
今日は、公務員ストが少なくとも午前中予定されていますので、影響の無い所から地下鉄を利用して市内観光をします。
エッフェル塔
1889年のパリ万国博覧会にフランス革命(1789年)100周年を記念して造られたパリのシンボル塔です。今年は120周年のカラー・イルミネーションで国旗の赤・白・青の3色で、キラキラと輝やかしたり、いろいろなパターンの電飾をしました。100周年の時(1989年)に訪れた時は、単にタワーに”100ans”の灯りがともった単純なものでした。時代と技術の進歩ですね。これらの写真はアルマ橋たもとのポール・ド・コンフェランスの船着場から乗船したセーヌ河ナイト・クルーズ船上から撮影しました。

シュノンソー城
ロワールの古城の中でも、城内にロワール川の支流、シェール川が流れ、川をまたぐように白亜の城がたたずむ外観の美しさから人気の高い城です。1513年に着工して21年に完成した城で、創建以来19世紀まで代々の城主が女性だった事から「6人の女の城」とも呼ばれています。特に時の王アンリ2世の愛人だったディアーヌ・ド・ポワチェと正妻のカトリーヌ・ド・メディシスとの熾烈な確執が繰り広げられた城としても有名です。城を囲む二つの庭園には、かっての愛憎劇を偲ばせるかのようにカトリーヌとディアーヌの名が付けられているのも皮肉ですね。

ポン・デュ・ガール
紀元前19年に建造され5世紀頃まで使われていたローマ時代の水道橋です。高さは48m、全長は約50Km、そのうち現在残っているのは275mですが2千年以上も前に造られた事が信じられないほどの巨大さには本当に驚かされます。世界遺産にも登録されており、この橋を渡った証明書も頂きました。


2009年11月25日〜12月04日

優美な円柱や天井のアーチが美しい迎賓の間

マルセイユ
フランスの南東部、地中海に面したプロヴァンス地方の中心地で紀元前に開かれたフランス最大の港町です。船で旅をした時代にはフランスの表玄関、現在でもフランス第二の都市。ここの名物はブイヤベースとマルセイユ石鹸です。「マルセイユ石鹸」は17世紀にルイ14世がヨーロッパでの石鹸製造の独占権を、当時豊富なオリーブ栽培とその気候風土を持ったマルセイユに与え、製造業社には厳しい製造基準を課し、その基準をクリアーした石鹸にオリーブ油の最低含有量を示す「72%」の刻印を押すことが許可されたものです。

プロムナード・デザングレ沿いにあるマセナ美術館
夜のシャンゼリゼ大通り散策
旧港
開港は紀元前600年頃までにさかのぼると言われています、以来地中海の貿易の中心地ですが新港ができてからは、港の主な機能は、そちらに移りヨットや遊覧船が停泊するだけになりました。
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