2日目(11月8日)

3日目(11月9日)

三仙台(サンシェンタイ)
三仙台はもとは細長く真っ直ぐ海に伸びる岬でしたが、海水による侵食で岬の一部が削られ島となりました。島は独立し人が滅多に立ち入らなかったため、豊かな海浜植物の景観を残しており、自然保護区に指定されています。ここには有名な八拱跨海歩道橋があり、太平洋の日の出を眺めるのに絶好の地点だそうです。

寶覺寺(宝覚寺),
1928年建立の台中では数少ない仏教寺院なので日本統治時代に亡くなった日本人や日本軍として戦った台湾人の慰霊碑もありますが、台中大仏こと高さ33mの金ピカの大仏様(弥勒菩薩)で有名です。集集大地震の後、本殿を補修して内部に木造の本殿を入れました。

女王頭(クイーンズ・ヘッド)
地球儀石

台中(タイチョン),
台北、高雄に次ぐ台湾第三の都市。年間を通して雨が少なく平均気温も23度と台湾でいちばん気候に恵まれた都市です。台北と比べると落ち着いた雰囲気のする街で、バイクも思った程多くは走っていませんでした。タピオカ・ミルクティー(珍珠茶)の発祥地で、東京にも進出した春水堂の創業店があります。また茶芸館も、台中発と言われて喫茶の文化の盛んな所です。

今日は、まったくの移動日。成田空港からトランスアジア航空(復興航空)の直行便で台北(台湾桃園国際空港)に到着後、150km離れた台中までカラフルなバスで向いました。

1日目(11月7日)

野柳地質公園入口
海蝕壺穴(ポットホール)
三鳳宮(サンフォンコン)
中国北方宮殿造りの様式を備える台湾屈指の寺院で台湾南部の道教の聖地とも称されています。創建は清代康熙年間(1622~1722年)。道教の太子爺(哪咤太子)を主神に釈迦や観音菩薩など様々な神を祀る複合寺院です。
キノコ岩
燭台石(ロウソク岩)
象石
日本人慰霊碑
圓山大飯店
高さ508mの台北のシンボルタワー TAIPEI 101、夜のライトアップの色は曜日ごとに色が異なり昨夜は緑(木曜日)です。
入口に戻る

海外旅行記の一覧へ

旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

台湾鉄道「台南」駅前

北門
清時代に築かれた台北府城の北門で、承恩門とも呼ばれる当時の姿そのままで残されている唯一の門です。

台北(タイペイ)
年間100万人を超える日本人旅行者が訪れる台湾の大都市です。歴史的には1885年に台湾が清国の台湾省となったと同時に、行政の中心地を台南から台北に移して以来台湾の首都です。世界屈指の博物館や超高層ビル、レトロな街並みなど色々な楽しみが出来る場所です。
国立台湾文学館(日本統治時代の台南州庁舎)
オランダ軍を追い出した鄭成功の銅像
甲羅に石碑をのせた「御贔屓碑」
学問の神様が祀られる文昌閣
オランダ統治時代の正門を守る石の馬
反り返った屋根の先端の「鯉の装飾」
檳榔(ビンロウ)。他のヤシと異なり、ビンロウの実(檳榔子)は約5cm程度にしかならず、現地では石灰などを混ぜて噛みタバコに似た使われ方をされしばらくすると軽い興奮・酩酊感が得られる嗜好品ですが、煙草と同じように慣れてしまうと感覚は鈍るそうです。かって台湾では、露出度の高い服装をした若い女性(檳榔西施)が檳榔子を販売している光景がよく見られましたが、風紀上の問題から2002年に規制法が制定され、台北市内から規制が始まり今では大都市から姿を消しました。
精緻な彫刻を施した春秋閣
龍虎塔から望む春秋閣
龍虎塔から望む高雄物産館
美麗島駅(サンフォンコン)
高雄にある地下鉄のMRT紅線と橘線の乗り換え駅駅「美麗島駅」。ここの地下1階にある穹頂広場は、ステンドグラスで構成された天井と柱が光のドームとなっていてアメリカの大手旅行サイト「Bootsn All」が発表した 「世界で最も美しい地下鉄駅トップ15」の2位にランクインした有名な場所だそうですが、中には、入らずじまいでした。外側は、ルーヴル美術館にあるガラスのピラミッドのような入口になっていました。
高雄市内の夜景
今日は、宿泊した高雄から台東を観光して、花蓮まで向かいます。
昨夜見た美麗島駅
花蓮(ホアーリエン)
海と山に囲まれた台湾東部最大の都市で、歩道にまで太魯閣から切り出した大理石が敷かれるなど大理石の町として有名です。また景勝地、太魯閣峡谷の観光拠点として訪れる観光客も多く市内には目抜き通りの中華路や中正路、東大門夜市などがあります。街歩きのあとは南国台湾の旬の珍しいフルーツでリフレッシュです。色々ありましたが、蓮霧(リエンウ)写真左側一番前の赤いピーマンの様な形のワックス・アップル、あっさりとした甘酸っぱさで、シャキシャキした歯触りです。写真右側は、釈迦頭(シイジャー)お釈迦様の頭に似ていることからこの名前です。独特の甘い香りがして果肉は柔らかく滑らかで非常に美味でお勧めです。大きさによりますが1個80元位でした

野柳(ジォウフェン)
野柳は、九份から約30Kmほど離れた萬里郷にあり、北海岸に突出した細長い岬の根元にある町です。特に目立ったものは、奇怪な岩石が奇抜な海岸景観を展開した野柳風景区があり台北からも近く、多くの観光客が近年訪れるようになりました。

台湾5日間
豎崎路、石段の狭い坂の両側にレストランや店がひしめく路地です
水往上流
都蘭漁橋付近の曲りくねった山道を少し上ると、「奇観」の二文字が刻まれた石塊が路傍に立っています。その横には小さな水路がありますが、その中の水は、なんと地球の引力に逆らって高い方へ向って流れているので非常に不思議な光景です。この「水往上流(水の逆流)」の奇観の理由は、路傍の景色の傾斜角度が路面より大きいので見る角度の違いにより生じる目の錯覚によるものなのですが、、、、、チョツト驚きます。
台湾には過去に十数度も訪れていますが、仕事の関係で台北や新竹がほとんどでしたので今回は、台湾島を周遊する観光に行って来ました。
阿妹茶酒館、映画「悲情城市」のロケで有名になりました。

5日目(11月11日)


2016年11月7日~11日

野柳地質公園
1000万年におよぶ地殻運動、海蝕、風蝕の影響を受けて、キノコ岩・壺穴・豆腐岩など奇抜な海岸景観が展開しています。全長1.7Kmの長さの岬は、大自然の石彫芸術の展示場の様です。見る者を圧倒し、台湾の代表的な景勝地の一つでもあります。キノコ岩とも言われる蕈状石が野柳の中でもっとも多く目を引きますが、これは岩層の割れ目が海水の浸蝕を受けて、長い時間をかけて流れ出していき、砂岩の中の硬い部分だけが次第に露出していったものです。さらに日射、雨、波浪、強い季節風にさらされ、現在のように様々な形のキノコ岩ができました。

西周後期の内部に500文字の銘文を刻んだ青銅器 「毛公鼎」
豆腐岩
マリーン・バード岩
長春祠
不動明王廟
台北発 15:30のトランスアジア航空機で帰国の途につきました。
これで、全ての観光を終えて台北市内を車窓から見ながら空港に向かいます
宿泊したBoutix Resort & Hotel(泊逸渡暇酒店)
野柳オーシャン・ワールド
映画「悲情城市」のロケ地

中正紀念堂
中華民国の初代総統の蒋介石(1887~1975)を記念して建てられた公園です。高さ70mの八角形の青い瑠璃瓦の屋根と白の大理石の紀念堂の階段は死亡した蔣介石の年齢と同数の89段です。

長春祠、東西横貫通公路建設の難工事で殉職した212名の霊を祀った中国宮殿様式の祠で道路から奥まった所にあります。その上の階段を登った崖の上には不動明王廟があります。

4日目(11月10日)

今日は、太魯閣峡谷の散策観光をしてから、台湾鉄道の特急列車で花蓮駅から台北駅に向かいます。台北では市内を車窓観光しながら故宮博物院を見学して、夕暮れの九份の観光をします。
台東(タイドォン)
もともと原住民族の村があった所につくられた町なので原住民族が約半数と人口比率が高く、自然の風情の中に阿美(アミ)族、卑南(プユマ)族、魯凱(ルカイ)族、布農(ブヌン)族、排湾(パイワン)族、達悟(タオ)族の文化が息づいている文化的にも多様な顔を持つ都市です。

赤嵌楼(チィカンロウ),
台南市街で一番歴史の古い史跡で1653年に台湾南部を占領したオランダ軍によって建てられプロビデンシャ城(紅毛城)とも呼ばれました。1661年に鄭成功がオランダ軍を追い出し承天府と改め台湾の政治の中心としました。1862年の地震で全懐しましたが、レンガ造りの城門と基礎部分はオランダ統治時代のものです。また乾隆帝の時代に造られた石碑が周囲に並んでいます。

台南(タイナン),
嘉義郊外を横切る北回帰線を越えると熱帯圏。台湾で最初に開発され、200年以上首府として栄えた南国の古都で寺、廟等の史跡が多く点在して”台湾の京都”と称される文化の町です。台南小吃(シャオチー)と呼ばれる、おやつ代わりに食べられる少量の料理など独自の食文化も有名です

八仙洞(バーシェンドォン)
長濱村にある、波に侵食されて出来た不思議な形をした洞窟です。石器時代の居住跡が発掘された台湾の第一級古墳に指定されています。性器を想わせるそのユニークな形と近くにある突き出た「男人の石」との組合せから夫婦和合・安産祈願の信仰の場所になっていて神社までありました。
宿泊したホテル

台湾最大の島である台湾島は、南北の最長距離が約394Km、東西の最長距離が約144Km、面積は35,980平方Kmと日本の九州と同程度です。しかし、3000mを超える高山は166座もあります(日本は21座)。気候的には北部が亜熱帯、南部が熱帯に属しています。歴史的には台湾を「発見」してここをイリヤ・フォルモサ(「美麗島」)と命名したのはポルトガルでした、つづいてオランダの植民地であった台湾が、清国の版図として正式に組み込まれたのは1684年のことであり、福建省や広東省から移ってきた漢族が原住民を追い払ってここに定住を開始したのはその後の事でした。清国政府がその経営に積極的な姿勢を示すようになったのは、台湾島南部の牡丹社に漂着した琉球宮古島の漁民が台湾住民によって殺害されるという事件に端を発した1873年の日本の台湾出兵以降のことでした。しかし、台湾出兵の20年後に日清戦争が勃発、これに日本が勝利して1895年に下関で日清講話条約が締結され、台湾の日本への割譲がされました。太平洋戦争における敗北により、日本の台湾支配は1945年9月に終わり、以降、台湾は国民党政権の支配下に入りました。

九戸茶語、金鉱の街当時を思い出させるレトロな食事した台湾料理店
昇平戯院、1934年に出来た台湾最古の劇場

故宮博物院、
歴史に翻弄されたお宝の数々が並ぶ世界一の中国美術工芸コレクションとして名高いここ故宮博物院には、およそ70万点近くの収蔵品があると言われています。中華民国は、建国13年目に清朝を退位した溥儀皇帝を紫禁城から追放して、1925年10月10日に紫禁城を故宮博物院として正式に設立させました。この時から、歴代皇室と宮廷が所蔵していた貴重な文物は、中華文化遺産として国民が至宝を鑑賞できるようになりました。日本軍の中国侵略が激化したので、1937年11月戦火を逃れるため財宝を北京より上海、南京、さらにより西の重慶へ移され、1939年には昆明、楽山にそれぞれ運ばれた後、四川省南渓の李荘に安置されました。1945年8月、日本が降伏すると、奥地に移されていた中華文物は、再び全てが南京へ運ばれました。しかし1948年の秋、国共内戦の形勢が逆転したことで、蒋介石率いる国民党中央政府は、故宮博物院および中央博物院籌備処の優れた文物を台湾へ移すことを決定し、海路により2972箱が台湾に運ばれました。しかし、これらは北京から南遷した文物の22%に過ぎませんでしたが1965年に台北で再公開されました。その中の至玉のお宝を紹介します。

台湾鉄道
花蓮から11:14発樹林行き特急列車217号に乗車して約2時間で台北駅に到着です。昼食は車内で台鉄便當(駅弁)、80元(約275円)安いです。
燕子口、急流や地下水で岩肌に無数の穴があき、イワツバメが穴に巣を作った事からこの名が付きました。
首長岩、アメリカ先住民を連想させる鼻の高い横顔の様な形の岩が突き出た崖です。
花蓮から台東を結ぶ花東公路のうち、海岸に沿って走る全長約170Kmの路線を海線といいます。交通の便が悪く開発から取り残されていたぶん、土地も海も汚染を免れる美しい姿を保っています。付近一帯は1988年に東部海岸国家風景区に指定されました。
高雄(ガオション)
台湾南部最大の都市であり、天然の良港として知られ、別名「港都」と呼ばれる台湾第二の大都市です。香港、シンガポール、上海に次ぐ国際貿易港で巨大コンテナ船が行き交います。古き良き港町の風情、熱帯気候らしい自然景観が混在し、明・清時代から日本統治時代の歴史的見所も点在しています。

蓮池潭(リエンチ-タン)風景区,
市街地から北に約10Kmにある面積約7ヘクタールの淡水湖です。バスを降りるとすぐに龍虎塔が、そして、その北側の湖面には3階建て東屋の五里亭と北極玄天上帝像の後ろ姿など極彩色の建造物が湖畔に点在し、不思議な風景を生み出す高雄随一の観光スポットです。台湾の人は十二支の中でも「龍が最良で、虎が最悪の動物」と信じていますので、龍虎塔には龍の口から入り、虎の口から出ると御利益があると言われています。龍虎塔は七重の塔で上まで登ることが出来ました。春秋閣は精緻な彫刻を施した道教寺院です。

日月潭(リーユエタン)
日月潭は台湾八景の一つです。台中の南東約40Kmの地にあるダム湖で、山と湖面が水墨画のような景色を織りなす風光明媚な景勝地でもあり原住民族サオ族の居住エリアです。湖を上から見ると浮かぶ拉魯(ラル)島を境にして月と太陽の形になる事から日月潭という名前が付きました。

彩虹誉村(さいこうけんそん),
香港出身の90歳を超える黄さんが2008年から描き始めて、今では映画のロケ地になるほど注目されている台中郊外にある小さな村です。 彩虹とは中国語で”虹”のことです。その名の通り、小さな路地内が虹のようにカラフルな独創的な絵で壁や道路が埋め尽くされています。

太魯閣峡谷(タイルーガーシアグー)、
3000m級の山々を縫ってながれる立霧渓が、かってサンゴ礁の海底が隆起して出来た大理石を浸食を繰り返し造られた渓谷です。峡谷沿いの東西横貫通公路は、すべて手作業によって1960年に完成したそうです。

九份(ジォウフェン)
基隆から南に約10Kmの山間にある坂道や階段の多い小さな町です。山の斜面にあるレトロな街で昼は高台から望む海景色やサンセット、夜は赤い提灯に照らされた昔ながらの街と表情を変える不思議な場所です。もともと9戸のみの小さな集落で、交通が不便なため品物を補充する時に毎回全戸分の9つ(九人分=九份)調達していたため名付けられたそうです。1890年に金鉱が発見されゴールドラッシュが起こりましたが、閉山と共に急速に衰退しましたが1989年に公開された映画「悲情城市」のロケ地に使用されたことで、風光明媚な風景が注目され台湾を代表する一大観光地になりました。

清代の置物 「肉形石」
北回帰線標誌(豊濱郷)、
北回帰線は台湾の嘉義県水上郷から花蓮県瑞穗郷、豊濱郷へと通過し、それぞれに北回帰線記念碑が建てられています。北回帰線は北緯23.5度にあって、太陽が垂直に北半球を照らす場所であって、亜熱帯と熱帯の境界線でもあります。毎年の夏至になると、太陽は白い塔に沿って東から昇って、西へ落ちて、その現象を観察するため、標識には細いラインが作られて、夏至の真昼になったら、太陽はちょうどそのラインに移って、塔の傍で立ったら、影がない珍しい体験ができるそうです。

文武廟,
1938年に日月潭のダム工事で水没する村の竜鳳宮と益化堂を現在の場所に移転して文武廟とし、1969年に再建する時に北朝様式の壮麗な廟にして文の神「孔子」と武の神「関羽・岳飛」を祀りました。高さ8mもの一対の赤獅子の狛犬は台湾一を誇ります。階段の龍の彫刻も素晴らしいです。

男人の石
鯉魚石(鯉岩)
国立故宮博物院を代表する二代秘宝。 「翠玉白菜」は白菜(清廉潔白の象徴)の上にキリギリス(子孫繁栄の象徴)を巧みに彫り上げた置物です。「肉形石」はメノウの天然石に彩色と加工が施され豚角煮そっくりに仕上げられた傑作です。
清代中期の翡翠細工 「翠玉白菜」
清代後期の象牙多層球細工 「雕象牙透花雲龍紋套球」
書聖と言われた東晋の王義之 作「快雪時晴帖」
宋時代の定窯 「赤子枕」の陶磁器

台湾総統府
1919年の日本統治時代に旧台湾総督府はルネッサンス様式で建てられました。戦後、改装して現在は中華民国の総統府とし使われています。

台北駅
中身は排骨・煮卵・魚フライなど
台鉄便當(駅弁)
九曲洞、東西横貫通公路建設の最大の難所と言われた場所で、くねくねと素彫りのトンネルが幾重にも曲がっています。
錐麗大断崖、高さ600mの断崖が続く場所で下から見上げると断崖に囲まれた空間が台湾本島の形に見えます。
inserted by FC2 system