青瓦台(チョンワデ),
名称の由来は官邸の屋根に青い瓦が張られていることに因みます。もともと高麗時代に王族が住んだ地域であり、その後、李氏朝鮮王朝の太祖李成桂により作られた景福宮の一部です。日本統治下の1939年には朝鮮総督官邸が日本により建設された。朝鮮総督府官邸は1948年に大韓民国が成立すると、大統領官邸及び公邸として使用され、当時は「景武台」(キョンムデ)と呼ばれた。1960年に当時の大統領が青瓦台と名称を変更し、1991年には隣に現在の建物を新築し、1993年に朝鮮総督府官邸は解体されました。
景福宮へは、青瓦台から近い裏の神武門から入ります
香遠亭
峨媚山は一旦入内するとなかなか外の世界に出られない后のために整えられた庭園です。
交泰殿は后が生活していた建物です
康寧殿は王の生活していた建物です
政務を執った思政殿
慶会楼は池に中島を作って建てた大きな楼閣で、1万ウォン札にも登場しています。
興礼門
光化門
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

大雄殿の前には斬新な形の多宝塔と三層石塔の釈迦塔が対であります。
高麗時代初期に建てられたとされる舎利塔は1905年に日本に持ち出されたものを1933年に返還され、現在の位置に安置された。

すべての観光を終えましたので、ロッテ免税店(本店)での買物とミレニアム・ソウル・ヒルトンに併設されているセブン・ラック・カジノで時間をつぶしてソウル金浦空港19:40発の大韓航空の直行便で、21:45羽田空港着で帰国しました。羽田は近くて本当に便利でした。

冬のソナタのロケ地: 中央中・高等学校
北村韓屋村
ブクチョン(北村)は世界遺産チャンドックン(昌徳宮)とギョンボックン(景福宮)の間にある町々のことで、両宮殿の間にある地域と言う理由から朝鮮時代の高級官僚が沢山住んでいたと言われていて、ソウルの中では韓国の伝統家屋が多く残っていて昔情緒あふれる場所です。
勤政殿の庭には臣下が地位に従って立てる様に品階石があります。玉座と、その天井の龍の装飾

景福宮(キョンボックン)
古宮の中でも代表的な李氏朝鮮王宮の景福宮は、ソウル5大王宮の中でも最大で建築美に優れた建造物です。李朝朝鮮王朝を興した李成桂(太祖)が1394年に建てた王宮殿です。内部の勤政殿は、現存する韓国最大の木造建築で王の即位や大礼が行われた所で、玉座も残っています。韓国最大の楼閣と言われるのが慶会楼で、48本の花崗岩の石柱が使われています。また王朝時代の衛兵交代を再現する王宮守門将交代式が毎日行われています。

南大門市場(ナムデムン・シジャン)、
夕食後に8:00からのナンタを見ることにしましたが、時間があるので南大門の昔ながらの狭いエリアに店がひしめく雰囲気を楽しみに出かけました。世界各地で高い評価を受けているナンタ(乱打)は、料理がテーマのダンスを韓国民族音楽「サムルノリ」をベースにした独特のリズムで踊る意外性ウケています。料金は5万ウォン位ですが、現地ガイドさんに入場券手配と送迎もお願いしましたので日本円で6千円でしたが、納得のいく本場のステージ・パフォーマンスでした。
仁政殿の正面階段

昌徳宮(チャンドックン)
昌徳宮は李朝3代国王の太宗が1405年に建てた宮殿で、景福宮が正宮とすれば昌徳宮は離宮にあたります。正門の敦化門は韓国最古の門です、この門をくぐると直ぐに錦川橋がある。これは1411年に造られた韓国最古の橋と言われています。中には正殿の仁政殿や日本の梨本宮家から嫁いで大韓帝国最後の皇太子妃となった方子女史が晩年暮らした楽善斎という建物もあります。

宣陵
519年の歴史を持つ朝鮮王朝は儒教を統治理念とし、先祖への尊崇に重きを置き歴代の王と王妃の陵を厳格に管理したために、42基の陵はどれも損壊することなく、すべて造営当時の場所に保存されています。この宣陵は第9代王・成宗と貞顕王后の陵墓です。

ソウル
「ソウル」とは韓国語で「みやこ」を表します。1394年李氏朝鮮を建てた李成桂(イ・ソンケ)が都をここに移してから漢陽、漢城、京城、ソウルと名前を変えつつも600年間首都です。三方を山に囲まれ、漢江という水にも恵まれ、古くから発展してきたのは王宮を中心にした漢江の北側を意味する江北エリア(明洞、鐘路など)です。

1日目
温陽温泉駅前を東西に、KORAILの線路と並行して通る「温陽温泉大路」と呼ばれる道です、右側に見える瓦屋根の建物は温陽観光ホテル。ここにかつての温宮(王室専用の休養施設)の跡があるそうです。左側が宿泊した温湯パレス

温陽温泉(オニャン・オンチョン)
韓国中西部の温陽温泉は、忠清南道(チュンチョンナムド)北部の牙山市(アサンシ)にある温泉街で、人口約24万人の牙山市の中心街でもあります。百済時代から1300年の歴史を持つ韓国最古の温泉で、世宗大王も眼病の治療のために訪れたと言われています。またこの地は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(壬辰倭乱)を打ち破った英雄、李舜臣(イ・スンシン)が、幼年期を過ごした場所でもあります。韓国式の温泉を気軽に楽しめるエリアですので私も宿泊したホテルでサウナや打たせ湯などを楽しみました。

外岩里民族村(ウェアムリ・ミンソクマウル)
牙山市松嶽面の雪華山のふもとに位置する外岩里民俗村は国の重要民俗資料に指定されて保護されている村です。ここには、約500年前にこの村に定着した 安李氏一族が現在でも多く住んでいます。 一族の中からは多くの優れた人物が輩出されたため、豪勢な家が今でも昔の姿を保ったまま多くあります。 ここはテーマパークとして作られた民俗村と違い、伝統的なわらぶき屋根の家屋が並ぶホントの村で、住民もちゃんと住んでいます。村の片隅には、展示物として作られた家屋も建てられていますが、コケの生えた石垣を一周しながら、この村の歴史を垣間見ることができます。石垣越しにある各住居の庭にある果物の木や村の入り口に立つジャンスン ( 村の守りの男女一の木像 ) を始め、朝鮮時代の生活様式が残っています。踏み臼、ヨンジャバンア ( 牛馬に引かせて回す 穀物をひく 臼 ) 、水車、草葺きの屋根など多くの民俗遺物が保存されています。
極楽殿は新羅時代の堅牢な石壇の上に1925年に建て直した建物
極楽殿に至る"安良門"に登る階段が"蓮華橋・七宝橋"で、"青雲橋・白雲橋"より少し規模が小さいです。

慶州(キョンジュ)
慶州は紀元前57年頃にパク・ヒョコセが新羅の前身にあたるソラボルの国を建てた時に都となり、以降992年間、新羅の政治、文化の中心となった。古都慶州は、町全体が多数の文化財を保有する遺跡地です。仏国寺と石窟庵に加えて、石仏で有名な南山地区を含めた慶州全体が世界遺産登録されています。

石窟庵(ソックラム)
一柱門を越えて参道の最初の坂道を登ると左手に観えて来たのが大きな鐘を韓国式につるした"鐘閣"です。1km程の参道は途中から殆ど平らで、山の中腹に"石窟庵"を覆う建物が観えてきます。昔は"石窟庵"の仏像がこの辺りからも望めたと云うが、日本統治時代にコンクリートの建物で覆ってしまったと言われています。現在は石仏の前室までの入場で、石窟内部はのぞくだけです。しかも撮影禁止でした。

水原華城(スウォン・ファソン)
水原は美しい城郭を残す町です。李朝22代国王・正祖が遷都を計画し1794年に着工し2年9ヵ月後に完工したが、遷都の直前に正祖が病死してしまい城郭を残したまま遷都は中止されました。城郭は周囲5.7Km、城の施設は48ヶ所あり、41ヵ所まで復元されていますが、現在城郭内は市街地化しています。

大韓帝国最後の皇太子妃・方子女史が晩年暮らした楽善斎
三神堂神木、樹齢600年を越えるケヤキで村の中央にある子授・子育の村のご神木
和敬堂(北村家住宅)、規模も大きく雄壮な名門家としての格式を備えた家屋です。
仁政殿の王座は復元ではなく本物です
仁政殿の王座の天井
大雄殿の裏には回廊で結ばれて、仏法寺最古の無説殿があります。
大雄殿の正面に向かい大きな階段があり、踊り場までの下の18段が"青雲橋"で、踊り場から上の16段が"白雲橋"です。この階段を上がって紫霞門を通ると本堂の大雄殿に入れます。
典型的な両班(りゃんばん)家屋
安東河回村には現在も約120戸約300人が実際に居住していますし藁葦屋根の民泊(みんばく)という民宿もあります
安東の特産といえば安東焼酎

安東河回村(アンドン・ハフェ・マウル)
韓国では安東といえば両班(やんばん)と呼ばれる王朝時代の支配階層の文化が残っています。この村は豊川・柳氏が600年余り、代々暮らしてきた姓を同じくする一族で固められた同姓村で、瓦屋と藁葦屋が長い歴史の中でも良好な状態で保存されてきました。特に朝鮮時代の大儒学者である柳雲竜と文禄の役の際に宰相を歴任した柳成竜兄弟が生まれた所としても有名です。河回という村の名前は洛東江がS字型に村を囲むように流れている事に由来します。村の入口の案内所から歩き出したら、道路脇に"チャンスン"と呼ばれる木彫りのユニークな人形が沢山置かれていました、日本の道祖神的なもので、村の守護神として災難が村に入って来ない様にしてくれるお守りです。村内の案内板に従い観光します。

1日目

仏国寺(プルグッサ)
新羅により三国が統一された後の751年に創建されましたが、焼失や荒廃が続いたが1972年の復元事業で新たに建てられました。境内は大きく3つの領域に分かれ、釈迦如来の彼岸の世界を現す大雄殿、阿弥陀仏の極楽殿、毘慮舎那如来の毘慮殿がその中心的建物となっています。

悠久のポルトガル8日間


光化門広場(クァンファムンクァンジャン)、
光化門は日本占領時代に道路拡張に邪魔だったので3.5度移動させました。たった3.5度ですが光化門から景福宮まで一直線に並んでいたはずの歴史的建造物であり、風水も考慮してあるため、本来の位置に戻す工事を長きに渡って行い2010年8月15日に公開されました。門の前にある光化門広場には、シンボルとしては救国の英雄・李舜臣(イ・スンシン)将軍像と世宗大王の像もあります。ドラマ「IRIS(アイリス)」のロケ地にもなった所です。

1日目

2010年11月21日〜24日

ミレニアム・ソウル・ヒルトンのロビーのクリスマスツリーと飾付け
1日目

今回は便利な、羽田-金浦の便を利用して駈け足韓国周遊をしてきました。9:45羽田発の大韓航空の直行便で、12:05ソウル金浦空港着、このまま韓国南東部の慶尚道エリアにある安東河回村観光に行きます。

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