スペイン階段の上から見た広場
スペイン広場の船の噴水
スペイン広場の階段
ナヴォーナ広場、四大河の噴水
ナヴォーナ広場、四大河の噴水
ナヴォーナ広場
サンタンジェロ城
最高裁判所
ナポリ中央駅前にあるガリバルデ広場横のホテル・プラザに宿泊
ヴェスーヴィオ火山も昨日の雪で山頂が白くなりました
今日はナポリからポンペイの古代遺跡跡を観光してからローマに向かいます。このルートは以前(2006年)に来た時と同じルートです。
メッシーナ(Messina)
34本中25本の柱が残るジュノーネ・ラチニア(ヘラ)神殿
街のシンボル「女ケンタウロス像」
モンレアーレ(Monreale)
パレルモから南西8Kmのカプート山の中腹にある、ノルマン・アラブ様式の見事なドゥオーモで有名な街です。
今日は宿泊地のパレルモを観光してから、モンレアーレ、チェファールとシチリア島の北側海岸線を横断をしてシャルディーニナクソスに行きます。
パレルモ(Palermo)
「パレルモ」とは良い港の意味で、紀元前8世紀からフェニキア人によって開港された港町、アラブ・アフリカなどの異民族から支配された歴史を物語るエキゾチックな建物が並び、異文化の香りが今にも残る街です。街を見たゲーテが「世界で一番美しいイスラムの都市」と賞賛したほどです。
サン・ニコラ教会
アーモンドの花
4月9日広場
ギリシア劇場から望むエトナ山
シチリア島で二番目に大きいギリシア劇場
ローマ(Roma)
再びのローマですが、前回ゆっくり見られなかった場所などを今回は中心に見物して「ローマの休日」を楽しみました。
チェファルー(Cefalu)
「神殿の谷」とアグリジェントのシンボル コンコルディア宮殿、白はアーモンドの花
タオルミーナ城塞(カステッロ)
イオニア海
トゥルッリ屋根のサンタントニオ教会
屋根にはシンボル化した模様や文字が
洞窟住居内部の台所
洞窟教会として有名なサンタ・マリア・デ・イドリス教会
この日はアルベロベッロ観光のあとマテーラ観光をしてからシチリア島に向かいます。イタリア半島の先端にあるヴィラ・サン・ジョバンニからフェリーに乗りシチリア島に渡りメッシーナで宿泊です。
サン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会
アルベロベッロ(Alberobello)
「トゥルッリ」というトンガリ屋根に白い壁の、おとぎ話の世界のような家々が並ぶ「美しい樹」という意味の街です。ただ町全体が、もうすっかり観光地化してしまい、モンティ地区にはお土産やさんが立ち並んでいます。石灰岩を薄く切った瓦の屋根にはシンボル化した魚、鳥、とかギリシャ語の神を表す文字が描かれています。
パンテオン・オベリスクの噴水
今日は宿泊地のジャルディーニナクソスを出て再びメッシーナから9:20のフェリーに乗ってイタリア本土のヴィラ・サン・ジョバンニに着後ナポリまでの約490Kmの大移動をします。
街の入口 メッシーナ門
2011年1月18日〜25日
成田を11:10のスイス国際航空便でスイス・チューリッヒ経由にてイタリアの南部プーリア州のバーリに19:550到着です。その後アルベロベッロのホテルに移動します。
今日は9:35ローマ発のスイス航空便で帰国です。途中の上空からアスプス山並やマッターフォーンの雄姿が見られました。
アグリジェント(Agrigento)
ギリシアの植民地として紀元前6〜5世紀に栄え、当時築かれた神殿が20あまり立ち並ぶ「神殿の谷」があります。特に原型をほぼと完全に残したコンコルディア神殿などが過去の栄華を伝えています。
タオルミーナ(Taormina)
イオニア海に面して標高400mのタウロ山の中腹にあるシチリアで最も知られた高級リゾートの街です。紀元前4世紀に誕生した街で神話の舞台にもなってきた。前にイオニア海、後ろにエトナ山を望めるすばらしいパノラマが広がる所です。
トリニタ・ディ・モンテ教会とスペイン階段
トリニタ・ディ・モンテ教会の内部
パンテオン内部
ミケランジェロが「天使の設計」と称したパンテオン
ローマのランド・マーク、ヴィットリア・エマヌエーレ2世記念堂
教会とナヴォーナ広場、ムーア人の噴水
昨日はヴィラ・サン・ジョバンニから19:20のフェリーに乗りメッシーナ海峡を渡りシチリア島のメッシーナ19:40着で、メッシーナ宿泊でした。今日はメッシーナからタオルミーナ、アグリジェントを経てシチリア島横断をしてパレルモに行きます。
ポンペイ(Pompei)
紀元1世紀のある日、一瞬にしてヴェスーヴィオ火山の噴火による火山灰で覆われてしまった古代ギリシャの植民都市です。前回と異なり冬の季節の為か観光客は少なく、おかげでゆっくり見学できました。
マテーラ(Matera)
岩山をくり抜いた洞窟住宅「サッシSassi」が残る街で、ベルヴェデーレ展望台からは、荒々しい大地に重なり合うように並ぶ住居跡が一望できます。戦後の農地解放前の小作民が住んでいた当時は電気も水道も無い貧しく厳しい、生活がしのばせる所です。