ホアンキエム湖
ハノイの町のほぼ中心に位置するホアンキエム湖の周辺、特にハン・ガイには、地元の人の利用する青空市場、青空工房、青空食堂など集中し、ここを訪れる観光客も多く喧騒の中に人々の生活の一部を垣間見る事が出来ます。湖は、そんな人々の憩いの場として愛されています。

養魚場と水上マーケット、
海上の養魚場には蛤、蝦蛄、海老、その他さまざまな魚が海から上がってすぐに生簀に入れられ、主として観光客を相手に量り売りされています。ここで買った魚類は自分の乗ったクルーズ船の料理人が調理し、昼食の時に出してくれる仕組みです。私達は、蛤とエビを買い、蒸し物にして白ワインのつまみで頂きました。また観光客や水上生活者を相手に家族ぐるみでボートで野菜・果物などの移動販売をする人達も沢山居ました。

統一会堂(旧大統領官邸)
南ベトナム政権時代は独立宮殿と呼ばれていました。1962年から4年かけて建てられた物で大小100以上の部屋があり、屋上にはヘリポートもあります。官邸の中で最も豪華なのは、各国の大使が大統領に国書を呈上した部屋で、壁面は大きな漆画で飾られています。最上階の展望台からは、かって解放軍の戦車がやってきたレユアン通りが眺められます。そして、その戦車が無血入場した1975年4月30日に、ベトナム戦争が終結しました。。

サイゴン川フェリー
グエンフェ通りの最東端がサイゴン川とぶっかった所にある船乗り場から対岸まで往復しました。船上もバイクで一杯でしたが、レトロな街と近代的なビルが船上から眺める事が出来ました。

シクロに乗って
観光エリアでのシクロはトラブルが多いので、時間とルート、チップ込みの値段が定まっているシクロツアーを利用しましたが、再びチップを要求されました。もちろん払いませんが、、、、、

1日目
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

帰国
今日の午後の自由時間は、現地ガイドさんと直接交渉をして、自分達の希望をいれての観光で、フェリーやシクロに乗ったり水上人形劇を見たり、夕食も2010年に開店したばかりの開放感のある、ニャ・ハン・ゴンというベトナム各地の料理が一堂に集まる屋台形式のレストランにいきました。広い店内は地元のベトナム人で、いつも賑わっているそうです。メニューも200種類以上あり、英語も通じます。ガイドさんのお薦めもあり、食べた主な物は定番の生春巻き、野菜チャーハン、海鮮五目焼きそば、蛤のレモングラス風味蒸、蟹と海鮮春雨の土鍋、デザートにチェー・ダウ・サイン(緑豆のベトナム風あんみつ)、それにビールを適当に飲んで7人でしめて$60でした。美味しいのとリーゾナブルな価格で大満足でした。満腹で眠くなりましたが22:00ホ-チミン発の夜間飛行で帰国しました。

水上人形劇
水面を舞台にして繰り広げられる人形劇で、舞台は3〜5分の短編が何話か演じられます。ベトナム伝統楽器の音楽にしたがって民話、伝説、民族的な話が水中で操られる人形によってコミカルに演じられます。人形の巧みな動きの操作は、どのようにするのか不思議で未だに理解できませんが、企業機密だそうです。変に納得しました。

ヤックラム寺院(覚林寺)と、ティエンハウ廟(天后宮)
1744年に建立されたホーチミンでは最古のベトナム仏教寺院(覚林寺)で、内部の仏像や調度品は歴史を物語っています。白い仏像は近年新しく建てられたものです。ティエンハウ廟は1760年に建てられたベトナム最古の華人寺で福建の華僑が多く信じる航海安全の守り神、天后聖母が祀られています。天井から吊るされた巨大うずまき線香は中国そのものの雰囲気です。

ベンタイ市場
生鮮食料品から衣類、日用雑貨まで何でもそろう、ホーチミン市場最大の市場ですが、観光客も多いせいか値段は高めだそうですが値段交渉も買物の楽しみでしょうか。女性3人がベトナムの木のサンダルをお土産に交渉して買いました。

戦争証跡博物館
ベトナム戦争の歴史を、実際に使用された戦車や大砲、爆弾などの戦争遺物、写真などの展示で綴る博物館です。目を覆いたくなるような凄惨なパネルや枯葉剤による被害状況の記録、ホルマリン漬けの奇形胎児などの展示は戦争の残酷さ、傷跡を生々しく証明しています。あらためて戦争をする人間の愚かさを思いさせられます。

バンテアイ・スレイ
シェムリアップから北へ約40kmに位置する中型寺院で「女の砦」という意味を持つ紅色の上に深く刻まれた精緻な彫刻が見せる黒と紅色のコントラストが他の遺跡とは異なり、「東洋のモナリザ」と呼ばれる彫刻が有名です。また、他の寺院ではあまり使われていない紅色砂岩とラテライトで造られています。植民地時代、仏人アンドレ・マルローは、この寺院から四体の「モナリザ」を盗掘し、途中逮捕された。その後、本国に送還された後もアンコール王朝への熱は冷めず、その思いを小説「王道」につづりました。この事件がきっかけでこの寺院が注目され、一躍有名になりました。

宮廷舞踊「アプサラダンス」
カンボジアが誇るクメール文化の華がアプサラダンス。9世紀頃に生まれた宮廷舞踊は王室古典舞踊学院で養成されていましたが、ポルポト政権時代には迫害、処刑の対象となり難を逃れた数名の先生によって1989年から伝統舞踊の復活が始まり、現在ではショーとしてレストランやホテルで行われるようになりました。本来アプサラは天女・天使とみなされ、踊りは神への祈りとしてささげられる物でありました。

タ・プローム
東西1000m、南北650m程あるラテライトの壁に囲まれた広大な敷地にあり、ガジュマルの一種であるスポアン(榕樹)の巨木が遺跡の至る所に絡み付き、寺院が発見された当時をおもわせ、訪れた人に忘れられない印象を与える為、アンコール・ワット、バイヨンに次いで有名です。映画「トゥーム・レイダー」の舞台になった場所でもあります。スポアンの種子は鳥の糞により屋根の上に運ばれ、水と土を求めて石の間に根を伸ばし今のようになりました。

バイヨン
アンコール・トムの中心にあって、古代インドの宇宙観による神々の住む聖域をあらわすメール山(須弥山)を象徴化しており、この宇宙観を具現化するのが王の使命であったとされています。

南大門
アンコール・ワットからバイヨンへと続く道上に建つ南大門の四面塔は顔の長さだけでも3mあります。門の前の濠に架かる橋の両側には、蛇神ナーガの胴体(一部は欠損)を抱えて並ぶ神々と阿修羅たちが(54体ずつ計108体)並びます。

アンコール・トム
アンコール・トム(大きな町の意味)は高さ約8mの城壁に囲まれた一辺3km、ほぼ正方形のクメール時代最大の都城であったとされます。中心にあるバイヨン寺院、王宮からまっすぐな道が伸び、四方にある5つの大きな門へと続き、周壁外には環壕があります

シェムリアップ
シェムリアップはトレンサップ湖の北側にある小さな町ですが、アンコール遺跡群の観光拠点となる町で、南北に流れるシェムリアップ川を挟んで両側に開けています。西側には公共機関等が集中し、メインストリートのシヴォタ通り沿いにはレストランやホテルが並び、旅行者も多く見られます。川の東側は民家が多く、細い道が張り巡らされている、のどかな風景が広がります。

1日目
夕刻には、シェムリアップ発18:30のVN828便でホーチミンに向かいます。
ロリュオス遺跡群の中では最古のプリア・コー
中央の小島に建設されたロレイ
「東洋のモナリザ」と呼ばれるデバターの彫刻

プノン・バケンからアンコール・ワットの夕日観賞
プノン・バケンはプノン・クロム、プノン・ボックとともにアンコール3聖山のひとつで、高さ60mの丘陵を利用した丘上ピラミッド式の遺跡です。夕日観賞のベスト・ポイントとして知られていて、樹海に浮かぶアンコール・ワットを一望できる場所です。しかし、雲が低く垂れ込めていましたので夕日は、樹海の上の雲の中に消えてしまいました。

歯を見せて笑う愛嬌たっぷりな女神デバター

アンコール・ワット
アンコール・ワット(お寺の町の意味)は東西約1.5Km、南北約1.3Kmの環濠に囲まれた幅約190m、長さ600m程もある大規模な寺院です。周囲の尖塔はヒマラヤ連峰、そこへ続く真っ直ぐな参道は、現世と天界を結ぶ虹だといわれています。そして外側の環濠は大海、その周囲には深い密林が広がり、3つの回廊には長編叙事詩が壁面を埋め尽くしています。中央の塔内には、優雅な女神デバターなどのレリーフが豪華かつ緻密に施され、圧倒されます。神が降臨するとされた中央の尖塔内は王と神々が一体化する聖域とされ、クメール独特の宇宙観が表現されています。

「クリスタルの古老」と言う意味のタ・ケウ寺院

王のテラス

ライ王のテラス

象のテラス

バプーオン

アンコール・ワットの朝日観賞を終えてからホテルに戻ると、宿泊したパシフィック・ホテル&スパのロビーでは、カンボジアの伝統的打楽器のロニアット・アエクが奏でられ、宿泊客の心を和ませてくれました。朝食を食べてから本格的にアンコール遺跡群の観光を始めます。

アンコール・ワットの朝日観賞
早朝5:40にアンコール・ワットに着くと、多くの観光客がすでに集まり始めていますし、それを目当てにお土産の売り子も多くいました。西の空には満月の明るい夜明けで、しかも雲が低い位置にありましたので、ご来光が見られたのは雲の上に少し明るくなってからでした。

ハロン湾観光の後に、ベトナム刺繍の工房で若い職人さんが手刺繍で作品を制作販売をしている工藝店を見てから、夕方の17:10ハノイ発のベトナム航空便で、隣国カンボジアのシェムリアップに18:50着で向かいました。

ティエン・クン(天空)島の鍾乳洞、
ハロン湾の島々には大なり小なり鍾乳洞があります。この島にはすでに多くのクルーズ船が到着していますが、船と船のあるかないかの隙間に強引に割り込んで停泊します。うまくコントロール出来なくて舳先が他船に当たったりするのも日常茶飯事のようです。目の前で当たる所を見ましたが木造船なので簡単に壊れますが、修理も簡単な様で、船員同士も苦笑いで終わりでした。無事接岸または接船が出来たら、よその船の甲板はあとから接船した船の通路になります。私達の船も、最初は接岸は到底無理だろうと思っていましたが、こんな方法で上陸して鍾乳洞へいきました。鍾乳洞は高さ20m、幅10m程で小規模ですが一般公開されており、ブルーやグリーンにライトアップされ幻想的な世界です。
1日目
闘鶏島、ハロン湾を象徴する有名な岩らしく、2つ岩が鶏が闘うように見えるため闘鶏島と呼ばれるそうですが、よく絵葉書その他に登場しています。この岩の周りには遊覧船が順番待ちしながら待機して、至近距離まで近づいて見せてくれます。
ハロン湾クルーズ
ベトナムきっての景勝地で、大小2000の奇岩が海面に姿を現す幻想的な光景から”海の桂林”とよばれています。無数のジャンクと呼ばれる木造船が、ここの船溜まりに係留され、観光客の乗船を待ち受けています。その光景は壮観で、それほどハロン湾クル−ズの観光客が多いということでしょう。船内キャビンは窓が大きく、6人掛けのテ−ブルが両サイドに分かれて配置され、しゃれた雰囲気になっています。ここで海鮮料理の昼食を食べながらハロン湾を巡る贅沢な船旅です。
1日目
イメージ的には数十年前の台湾と言った所でしょうか、交通手段としてのバイクがものすごく多く、街は雑多でゴタゴタしていますが、活気にはあふれています、歩いて楽しい旧市街です。
建都1000年記念のモニュメントえた
1902年完成の北爆にも耐えたロンビエン橋

ハノイ
ベトナム社会主義共和国の首都、ハノイは政治、文化の中心都市で、11世紀に首都タンロン(昇龍)が置かれて以来2010年で建都1000年目を迎えた古都です。ドイモイ政策にともなう経済改革ではホーチミン市に一歩リードされているが、街には古刹やフランス統治時代に建てられた洋館や教会も多く残されています。美しい並木の道路、点在する湖や公園、道行く人々の表情にもどこか穏やかな感じで、町全体が落着いた濃密な生活の匂いが染み込んでいる雰囲気があります。

11:00成田発のベトナム航空の直行便で、15:25ハノイ着、このままハノイの市内観光をします。

悠久のポルトガル8日間

ホーチミン・シティ(HCMT)
ベトナム戦争が終結し、開放される1975年まではサイゴンと呼ばれていたベトナム最大の商業都市です。かってはプチパリと呼ばれていた頃の美しい街並は、経済発展に伴う急激な変貌をとげて、街路樹やコロニアル様式の中央郵便局、大教会などに面影を残すだけになりました。通りやロータリーは一日中車やバイクであふれ返っています。一方、市場に行くとフルーツや野菜が山積みされ、威勢の良いおばさん達が行き来していたり普段着の生活が垣間見えます。

中央郵便局
サイゴン大教会の横にある一見駅の様な建物ですが、19世紀末のフランス統治時代に建てられました。内部天井はクラシックなアーチ状になっており、右側には1892年当時のサイゴンと付近の地図が、左側には1936年の南ベトナムとカンボジアの電信網が描かれています。

遺跡への入場券は、顔写真入りなので料金所で、カメラの前に立って撮影し数分で出来上がりです。3日間有効な3Daysパスは$40です。入口には象の乗り物が客待ちをしていました。料金は入口からバイヨンまで午前は$15、午後は$20なのは暑さのせいでしょうか。

サイゴン大教会(聖母マリア教会)
19世紀末に建てられた赤レンガ造りの教会で、ドンコイ通りの北西の端に美しい二つの尖塔を見せています。

王都ハリハラーラヤの中心寺院のバコン
1日目

今回の旅行は、カンボジアへ入国しますので観光ビザが必要です。ビザは発行日より3ヶ月有効。有効期間内の1回限りの入国(Single Entry)で、1ヶ月間の滞在が可能です。ビザの申請は事前に領事館(東京・赤坂)で簡単に個人で取得出来ます。通常、申請から入手までは土・日曜・両国祝日を除いて3日です。必要書類は領事館のH/Pからダウンロードもできますし、費用は2500円でした。

アプサラダンスの動画
1日目

2011年2月17日〜22日

ロリュオス遺跡群
シェムリアップから南東へ約15kmにあるこの遺跡群は、8世紀末から9世紀にかけて栄えていた王都ハリハラーラヤです。クーレン山で独立を宣言したジャヤバルマン2世が地を決定し、インドラバルマン1世が都を拡大したとされるが、ロレイ建造後に治水問題で現在のアンコール地域に遷都しました

ハスの花の像

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