悠久のポルトガル8日間

シディ・ブ・サイド(Sidi Bou Said)
チュニジアで最も美しいといわれるチュニジアンブルーと真っ白な壁が映える街です。南地中海に面した岬の丘の上に石畳の坂道が連なる街で、フランス植民地時代にはボーヴォワールやアンドレ・ジッドなど多くの芸術家達に愛されました。現在では街並保存地区に指定されているチュニジア有数の観光地です。
水の通り道がよくわかります
魔法のランプの形の管制塔のドバイ空港を飛び立ちます
ドバイ上空
ホテルの部屋からの眺め
1日目
カスバ広場
モロッコの後編は、
水源とザグーアン山

2012年5月13日〜25日

エル・ジェム(El Djem)
歴史的にはカルタゴを制したローマ帝国のアフリカ属州となり肥沃な土地柄から食料補給地の役割をにない穀物、果物、オリーブオイルが主要輸出品としてローマを支えた町です。砂漠化が進んだ小さな町に突如現れるローマ帝国が残した巨大な円形闘技場は大変保存状態がよく、ローマのコロッセオよりも形状を留めています。規模もローマ、ヴェローナに続く世界で三番目の大きさです。

チュニス(Tunis)
アラブの街としてのチュニスは7世紀に起源を持ち、13世紀にイスラムの都として必要な建築物が次々と完成して栄華を極めたメディナの旧市街、そして19世紀後半、フランスの保護領だった時代に建設された新市街の西洋的な街並が同居している都市です。 また最近ではジャスミン革命と呼ばれる、2010年から2011年にかけてチュニジアで起こった民主化運動の中心になった町です。一青年の焼身自殺事件に端を発する反政府デモが国内全土に拡大し、軍部の離反により大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した事件です。この民主化運動はチュニジアにとどまらず、エジプトなど他のアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こした。こうした一連の動きはアラブの春と呼ばれました。その影響か、現在も主要な政府関係の建物の周りには有刺鉄線のバリケードが残っていますが2013年秋の憲法改正と大統領選挙をめざして、新しい運気がみなぎっている印象を受けました。日本の十分の一の人口の小さな国ですが教育費に多くの国家予算をつぎ込み、人口構成も若者が多く、むしろマグレブ(日の沈む国)と言うより日の出の勢いのある国でしょうか。町歩きはメディナ(旧市街)の入口であるカスバ広場からです。

石畳の坂道の突当たりにある町のランド・マークでもあるカフェ・デ・ナットの階段です。チュニジアの昔ながらの赤と緑のモチーフのあるカフェでは定番のミント・ティーを頂きました。
カルタゴ博物館
1890年に建設されたアフリカ宣教会の神学校を改造して周辺地域から発掘された出土品等を展示しています。
建物の天井からも豪華な宮殿であった事がうかがえます。

今日は、まったくの移動日です。日本からは機内サービスが良いとの評判のエミレーツ航空でアラブ首長国連邦(UAE)を構成するペルシャ湾岸の7つの首長国のひとつのドバイ経由で目的地チュニジアの首都チュニスに向かいます。成田発22:00の最終便ですが成田空港は21:00を過ぎると店舗は閉店し照明も薄暗くなり世界のハブ空港と比べると非常に見劣りがします。飛行時間は約11時間で、ドバイ着は朝の4:15でしたが中東のハブ空港として24時間オープンの活気に満ちた不夜城のような空港です。空港サービスの一つとして朝の乗り継ぎ客には2枚の航空券をインフォメーションで見せることでマクドナルド、タイ料理店、またはローカルのピザ店で使えるセットメニューの朝食券も無料でいただけますので、ピザ店で軽めのシーザー・サラダを食べました。


大理石に刻まれた公衆浴場の平面図
中庭の雨水を地下に貯める設備

チュニジアの旅行を終え、早朝にホテルを出発して7:30のチュニス航空711便にてモロッコのカサブランカに向かいます。

トフェ(タニト神の聖域)
ローマ以前のカルタゴの面影を残す数少ない遺跡です。ボエニ時代の墓場でタニト神が祀られていました。アーチの天井をもつ地下室は4世紀のローマ時代のもので穀物庫として使われていました。ボエニ時代のものは、すべてローマ時代の物の下に埋もれています。
「タニトの印し」と呼ばれるカルタゴで人気を集めた天と豊穣の女神でカルタゴの守護神でした。現在の女子トイレのマークに似ています。
ビュルサの丘、
古代カルタゴの中心があった丘で、現在は丘の頂上にはカルタゴ博物館と、1270年の第8回十字軍遠征に参加しチュニス包囲作戦中に没したフランス国王ルイ9世に捧げるために1890年にフランスによって建てられたサン・ルイ教会があります。
今夜はビーチ・サイドに立つオリエント・パレスに宿泊です。プールサイドで語らう二人、ホテルの庭から海岸に出ると鮮やかなブルーをたたえた地中海の白砂のビーチを散歩をする人と、、時間がゆっくり流れています。
エル・ジェム鉄道駅
1日目
今朝も、出発までの間にホテルから周辺の散策や朝市を見に行きました。その後エル・ジェムの円形闘技場を観光してからスースに向かいます。
シディ・サハブ廟
7世紀にムハマンドの同志の聖者アブ・ザマ・エル・ベラウィの霊廟として建てられ、その後改築・増築をくりかえしましたがマグレブで最も美しい霊廟といわれ各所に色彩豊かなアラベスク模様が見られる建物です。その美しさからか女性の参拝者が多いモスクとしても知られているそうです。
グランド・モスク
四方を日干し煉瓦で強化された要塞を思わせる外壁の建物ですが、門をくぐると大理石が一面に敷き詰められた中庭には雨水を地下に貯める仕組みになっています。中庭を囲む回廊はローマ・ビザンチンの遺跡から流用された列柱がならびます。ここのミナレットの基部は728年に造られたイスラム世界で最古の物だそうです。

ケロアン(Kairouan)
ビザンチン支配の街をアラブ化目的で7世紀に建設されて、北アフリカにおけるイスラム発祥の聖地となりました。イスラムの世界ではメッカ、メディナ、エルサレムに次いで4番目に重要な聖都で北アフリカ最古のモスク、グランド・モスクには、マグレブ(アラブ)諸国から巡礼者が訪れます。

タクルーナ(Takrouna)
畑の広がる原野の山の上に牙城のごとく作られた「タクルーナ」という集落は、14世紀アラブ人の侵入から先住民族のベルベル人が逃げ延びた安住の地です。 彼らは今も700 年前と変わらぬ生活を続け、石と粘土で作られた家に住み、この村は「天上の窓」と称されています。

ザグーアン(Zaghouan)
水源のあるザグーアン山(標高1295m)から地中海に面したカルタゴまで、全長132Kmの世界最長の長さのローマ水道橋があり、その多くは地下水路を流れますが水道橋の部分は現在残るだけでも約20Kmあります。創建は2世紀のローマ時代、その後ビザンチン時代に再建され、アラブ時代にもたびたび補修され使用されてきました.。水道はわずかな高低差を利用して自然に流れるように設計されています。

チュニジアらしい食事では、ピーマン、魚介類をトマトソースで煮込んでハリッサと呼ばれる辛い調味料で味付けし卵をおとしたオジャです。またハリッサはオリーブ・オイルに混ぜてパンにもつけて食べます。
チュニジア政府の迎賓館
ホテル カルタゴ・パレス
宿泊したホテルの部屋からの眺め
ガマルト(Gammarth)
特に観光的な目玉がある町ではありませんが、古くからオスマン帝国のチュニジアにおける最高権力者の宮殿が建てられ、別荘地として栄え大型リゾートホテルや高級レストランが集まるエリアです。今日の宿は、この街にあるカルタゴ・パレス。ちょうどホテルの前が政府の迎賓館で今朝バルドー博物館の見学中に会ったイタリア大統領夫妻の歓迎式典が終了して車で出られるところに再び遭遇しました。
アントニヌスの共同浴場、
海を背景に建てられた広大な公衆浴場で2世紀にローマのアントニヌス・ピウスにより建設され大理石をふんだんに使った巨大なレリーフが残っています。
カルタゴ(Carthago)
伝説によるとフェニキアの王女エリッサにより町が建設されたのが紀元前814年なので2800年の歴史を持ちます。海上貿易や農業で大いに栄えましたが、度重なるローマとの戦いで没落し、再興を恐れたローマ軍により徹底的に破壊されました。 ローマの植民地として再び復興しローマ、アレキサンドリアに次ぐローマ帝国第三の都市になりました。7世紀のアラブ浸入後は北アフリカの中心はケロアン、チュニスに移り再び没落してしまいました。従ってかっての栄華を物語るカルタゴ遺跡のほとんどはローマ時代のものです。
バルドー博物館、
チュニジアのルーブルと言われる考古館で、中でもローマ時代のモザイク・コレクションは世界最大規模で見ごたえがあります。カルタゴ、エル・ジェム、スース、ドゥッガなどの各地のローマ遺跡から収集されたモザイクが展示されています。建物もオスマン帝国時代のチュニジア地方長官の宮殿がオリジナルの建物ですのでイスラムの化粧漆喰やオスマン様式の天井なども残っています。
まったくの偶然ですが、ちょうど訪れていたイタリアの大統領ジョルジョ・ナポリターノ夫妻と遭遇しました。随行していた方から「どこの国から来ましたか?」「観光ですか?」等と2,3の質問を受けたのをTVのCrewが撮影しましたが、どこで放送されたか否かは不明ですが、、、、こんなハプニングもありました。
今日は、再びチュニスに戻りバルドー博物館を見学してからカルタゴ、シディ・ブ・サイドを経てガマルトに向かいます。
1日目
リバト
8世紀に建てられたメディナ(旧市街)で最古の建物でグランド・モスクの広場をはさんで向かいにあります。当時は侵攻の前線基地として、また外敵から守る為の要塞として築かれました。
グランド・モスク
北アフリカの古代モスクを代表する建物でオリジナルは851年に建てられ、隣のリバトとともに港や兵器庫を守る要塞であったので町のはずれに建ち、飾り気のない壁には銃眼も施されています。イスラム教徒でない人が入れるのは中庭だけですのでリバトの塔からのぞいてみました。
アーモンドと蜂蜜でつくったチュニジア菓子
スース(Sousse)
「サヘル地方の真珠」と呼ばれる白い砂がきれいな地中海に面したビーチリゾートとしても知られるチュニジア第3の都市です。港エリアのすぐ隣に展開する異国情緒あふれる旧市街には巨大なカスバ(城塞)が立ち、白壁の民家がひしめきあい高さ8mの堅牢な壁に囲まれ数多くの攻撃にも守られ、街が出来た9世紀からは、ほとんどその姿をかえず現在に至っています。
今夜はチュニス広場からすぐのメディナの一角にあるカスバをケロアン随一の5つ星のホテルにしてしまった、その名もラ・カスバ。史跡の中に宿泊という意味では国内ではこのホテルだけだそうです。
旧市街(メディナ)、
白壁の民家がひしめきあう旧市街は高さ8m、厚さ2mの堅牢な壁に囲まれ数多くの攻撃にも守られ、街が出来た頃からは、ほとんどその姿をかえず現在に至っています。ショハダ門から入って11月7日通りをチュニス広場のあるチュニス門に向かって歩きます。
アグラブ朝の貯水池
9世紀に造られた中世世界では最高技術の貯水池です。当時は14の貯水池がありましたが、現在は4つ残っているだけですが1969年に修復されて今もケロアン市民の水源の役割をしています。
ザグーアンの町外れの水源近くには水の神殿があります。紀元130年にハドリアヌス帝が泉のニンフを奉ったもので、カルタゴへ水が着実に供給される事を願ったものです。
1日目
今朝は、時差もあり早く目覚めましたので近くの中央市場へ見学と買物を兼ねて行きました。マグロの解体も行われたり、果物市場にいろいろな美味しい果物が豊富にあり、見ているだけでも楽しい場所です。ここではナツメヤシを入手しました。その後ザグーアンを経てケロアンに向かいます。
今夜はハビブ・ブルギバ通りに面したホテル・アフリカに宿泊,、左の2つの写真は21階の部屋から見たチュニス市街です。
国立劇場
新市街
フランス門のあるヴィクトワール広場で旧市街は終り新市街に、東西に走るハビブ・ブルギバ通りは街路樹が続く大通りで、大きな時計塔が建つ11月7日広場まで続きます、通り沿いには大聖堂、フランス大使館や国立劇場が並び植民地時代の面影を残しています。。

グランド・モスク、9世紀のアグラブ朝時代に完成したマグレブでも最も古いモスクのひとつです。

メディナ(旧市街)
フランス門に続くジャマー・エズ・ジトゥナ通りがメインストリートなので、この通りを進むと両脇にカフェ、貴金属店、土産物屋が並び中央の一段高くなった所に9世紀に完成したグランド・モスクがあります。この前の広場にも店が開いています。
地中海に浮かぶマルタ島
チュニス上空

朝9:35の予定の飛行機が1時間30分遅れの出発になりました。機内サービスが良いエミレーツ航空ですが、運行スケジュールはアラブ時間のようで往復ともに遅れました。チュニスまでの飛行時間は約6時間です。眼下には地中海に浮かぶマルタ島が見えると直ぐにアフリカ北部の西に位置するマグレブ諸国(日の沈む国々と称されるチュニジア、アルジェリア、モロッコの3国)のひとつであるチュニジアの首都チュニスに到着し、北アフリカの旅が始まります。

1日目
朝食券
ショハダ門
「オデッセイアとセイレーン」ドゥッガ遺跡から
「ユリウス卿のモザイク」スース遺跡から

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1日目
ドバイ空港のエミレーツ航空機
チュニス門
イタリアの大統領ナポリターノ夫妻
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