チェン・フン・テン(青雲亭)寺院
1646年に中国から運んだ資材で建てられた、マレーシア最古の中国寺院。このお寺は、明の永楽帝の命を受けマラッカ大航海を支持した「鄭和」を称えて建てられた寺院です。 中国南部の建築様式を取り入れ、屋根には陶磁で出来た繊細な中国の美しい装飾が施されています。寺院の内部にも様々な装飾が施されています。
カンポン・クリン・モスク
18世紀後半創建のスマトラ様式の三層屋根をもつモスクです。ミナレツトはパゴダ(仏塔)に似た造りです。
マラッカの伝統的な「つっかけサンダル」の店
香林寺
セランゴール川のホタル観賞
ホタル観賞ポイントは、セランゴール川流域にあるカンポン・クアンタンとカンポン・ブキッ・ブリンビンの2ヶ所にあります。夕暮れから、ほとんど音のしない静かなバッテリー駆動のボートでマングローブ林の中を進むとホタルの光が点滅する幻想的な雰囲気の光景が見えてきますが、写真では紹介できないのが残念です。以前旅行したクロアチアのプリトヴィッツェ湖群公園や青森県下北半島の横浜町のげんじほたる以上の数がありました。
プトラジャヤ
KL市内から車で約30分の場所に位置する新行政都市です。2020年までにマレーシアを先進国にする」という壮大な「ビジョン2020」計画に基づいて建設中の次期首都です。KLに残る国会議事堂が移転すると首都になります。プトラジャヤはインテリジェント・ガーデンシティと呼ばれ、自然と開発が見事に調和した美しい都市ですが、広大で宿泊したマリオット・ホテルの周辺は何も無くあたかも陸の孤島のようでした。

ブキッ・メラ(Bukit Merah)
マレーシアを象徴する動物、オランウータンをたっぷり見学できるマレー半島最大の施設が「ブキッ・メラ・レイクタウン」です。ペナンのジョージタウンからペナン大橋を渡り、マレー半島を南へ1時間くらいのところに位置します。オランウータンの見学施設は「ブキッ・メラ・レイクタウンリゾート」というテーマパーク内にあり、オランウータンの住む小島へはボートを使って10分ほどです。

オランウータン保護島
熱帯雨林に住むオランウータンは、100年前と比べて約92%も減ったと言われています。ここではゲートをくぐると両サイドには立派な金網が張られて、これはあくまで見学者用です。つまり、ほぼ島全体を使ってオランウータンを自由に生活をさせているので、見学が檻の中で、オランウータンが檻の外で生活しています。
宿泊したキャメロンハイランドのヘリテージ・ホテルの部屋からの夕暮れの眺め
セント・ジョージ教会、
1818年に作られた東南アジア最古のイギリス教会で、大理石の床と尖塔をもつ優雅な白亜の建物です。入口の天蓋にはイギリス東インド会社が東南アジア進出の拠点としてペナン島を選んだ歴史的人物フランシス・ライトの初上陸を記念したメモリアルキャノピーがあります。

6日目(2月28日)

1800年代前半に建てられたペナン州庁舎

2013年2月23日〜28日

市立劇場
コロニアル様式のクアラルンプール記念図書館
チャイナタウン
マラッカ川を挟んで西側のエリアは大陸からやってきた中国人と地元マレーの女性が結婚して生まれた「混血(プラナカン-Peranakan)」の子孫が形成した文化が多く残るエリアです。当時、プラナカンの男性をババ、女性をニョニャと呼びました。マレー、中国の文化を取り入れ融合させたプラナカン文化は、他にはない、独特な文化を形成しました。
KLCC公園
クアラルンプール・シティ・センター(Kuala Lumpur City Centre)の頭文字を取ってKLCCと呼ばれる一帯は、KLのシンボル・ペトロナスツインタワーを中心にショッピングセンターやホテルやビルが立ち並ぶ市内中心部の高層ビル群に囲まれた公園で、広大な敷地には約1900種のマレーシアの原生林が植林されています。
スルタン・アブドゥル・サマド(旧連邦事務局)ビル
1897年に建てられた旧連邦事務局ビル、全長は137m、中央にある時計塔の高さは40mの完全なるレンガ造りの建物は、ムーア様式をとりいれており、当時イギリス領マラヤでの最高傑作と言われました。現在は文化省管轄の建物となっています。夜はライトアップされ、夜空に美しくその姿が浮かび上がります。ツインタワーと並ぶKLのランドマーク的存在です。ビルの向かいには、ムルデカ広場があります。
マレーシア・イスラム美術館
外観がオシマン・トルコのタイル張りで彩られた美しい美術館
国立モスク(マスジッド・ネガラ)
独特な星型のドームと天にのびる光塔が印象的な現代イスラム建築。伝統的なイスラム芸術・飾り文字・装飾を現代的にアレンジした建物は見ごたえがあります。
KL・タワー、地上276mの通信タワー
KLCC周辺
KL市内中心部に位置する開発地区・クアラルンプール・シティ・センター(Kuala Lumpur City Centre)の頭文字を取ってKLCCと呼ばれる一帯は、KLのシンボル・ペトロナスツインタワーを中心にショッピングセンターやホテルやビルが立ち並ぶ地区です。

クアラ・ルンプール(Kuala Lumpur (KL)
地元の人々には「KL(ケーエル)」の愛称で親しまれる首都・クアラルンプール。「泥川の交わるところ」という意味のマレー語を語源に持ち、1800年代に錫鉱山の発見と共に発展しました。旧中央駅を中心に広がる美しいムーア建築とKLのシンボルとも言えるペトロナスツインタワーをはじめとする近代建築と自然が見事に調和された美しい都市です。

サンチャゴ砦
1511年にポルトガルの総督によって建てられた砦。マラッカのシンボル。外からの攻撃に対抗するために作られ、当時はこの周りは高い塀で囲まれていました。防壁は19世紀にイギリスによって取り壊され、現在は石造りの門と大砲のみ残されています。
セントポール教会
マラッカの街を見渡せるベストビューポイントのセントポールの丘にある、ポルトガル時代の1521年に建てられた教会跡です。現在は外壁と内部に当時のポルトガル人の墓石が残されています。銅像は日本でもなじみの深いフランシスコ・ザビエル、彼も布教の為にマラッカを訪れています。彼の遺骨は、ここに9ヶ月安置されたのち、インドのゴアに移されました。
ムラカ・キリスト教会
1753年に完成したオランダ建築の代表例とされる木造のプロテスタント教会です。 赤色の壁に映える純白の十字架が印象的で、高さ30mの教会の天井の梁は、継ぎ目のない一本の木を使い、組み合わせにも釘を一本も使っていないという高度な建築手法が用いられています。内部は撮影禁止ですがタイル画の「最後の審判」があります。
オランダ広場周辺・スタダイス
1642年、香辛料を求めてアジアへ進出したオランダが着々と勢力を伸ばし、ついにポルトガルからマラッカを奪略します。1650年に建造されたオランダ総督邸。現在はマラッカの歴史博物館となっており、 マラッカ王国時代に始まり、ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地時代、日本軍の占領時代、そしてマレー連邦として独立するまでのマラッカの歴史を紹介しています。

マラッカ(Malacca)
1400年にイスラ−ム教を導入し、スルタンが統治するマラッカ王朝が誕生しました。季節風を利用した東西貿易の港ととしてシルクロードに四敵する海上の道の交易が王国の繁栄を支えた後、16世紀初めから400年以上の間にポルトガル、オランダ、イギリスとヨーロッパの列強国に支配され、独特の文化を形成した古都・マラッカ、街にはヨーロッパの影響を受けた街並みと、地元マレーとの融合で出来上がった特有の文化を見ることができます。

4日目(2月26日)

KLタワー
ツイン・タワーと並ぶKLのシンボル、
地上276mの通信タワー
ペトロナス・ツインタワー
クアラ・ルンプール(地元ではKLと略す)のホテルに向う途中での夜景観賞です。KLのシンボル、地上88階建て、452mのツインタワーで1998年の完成から2003年の5年間は、世界で一番高いビルでした。イスラム教の「5柱」からインスピレーションを得た近代イスラム建築でもあります。右側が日本の間組、左は韓国のサムスンに競わせて建てたタワーで41階に架けられたスカイブリッジと86階の展望デッキへの入場が可能です。ツインタワーの周りには公園やショッピングセンター、水族館などがあります。
古い王宮を再現したマラッカ・スルタン・パレス
ムラカ・イスラム博物館

クアラ・セランゴール(Kuala Selangor)
クアラ・ルンプールの北西約64Kmにあるこの街は、セランゴール州の州都としてかっては行政の中心的役割をしていましたが、現在は沿岸近くのホタルの生息地として知られています。ココナッツ、カカオ、ゴム、オイル・パームなどの林に囲まれた街の中心は小さな旧市街です。

スンガイ・パラス・ボー・ティー園
マレーシア最大のボー・ティー(BOH Tea)の紅茶農園です。このボー・ティーは、キャメロン・ハイランドを代表する紅茶メーカーで1929年にイギリス人J.A.ラッセルが創設したティ−・プランテーシュンから始まりで、以後マレーシア国民に愛される紅茶として不動のブランドとなりました。
タナ・ラタ、
キャメロン・ハイランドの中心地でメイン・ロードには徒歩圏にホテル、レストラン、みやげ物店などが集まっています。また観光スポットが並ぶ周辺には採り立て高原野菜が並ぶ朝市も開かれています。
ロング・スティ(長期滞在)
また、ここは平均気温26〜27度で湿度も高くなく年中過ごしやすい気候、生活費の安さ、英語が通じて親日的な国、医療機関の充実、距離的にも日本に近く時差も1時間で日本人コミュニティがあるので、人気のロングスティ先でもあるそうです。偶然お会いした長期滞在中の方に、お話を伺いましたが、現地の日本人コミュニティであるキャメロン会(年会費4000円)に入ると私達が宿泊したヘリテージ・ホテルでの長期滞在でも1泊朝食付の一部屋が約3500円(2人でも)で借りられますので航空券もLCCのエアー・アジア等を使うと1月滞在しても20万円位で生活出来るそうです。その方は日本が寒い冬と暑い夏には、ここに来て数ヶ月過ごすそうです、また帰国中は荷物も1年間3000円位で保管できるそうです。観光目的の90日以内の滞在であればビザは不要で、隣国のタイかシンガポールに出国し再入国する事で、更に90日延長も可能だそうです。

3日目(2月25日)

キャメロン・ハイランド(Cameron Highlands)
半島の中央部に位置し、紅茶、高原野菜、花の栽培地としても知られいますがマレーシア屈指の高原リゾートで、標高1800mで年間平均気温も20度前後の過ごしやすい避暑地です。1885年にイギリスの国土調査官ウィリアム・キャメロンによって見出された以降、イギリス統治時代から紅茶の栽培地として開拓され、彼にちなんだ地名を付けられました。

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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

カピタン・クリン・モスク、
1801年に裕福なインド人イスラーム教徒によって建てられたマレーシア最大のイスラームのモスクで、インドのムガール様式の建物で巨大なドームと両側に並ぶミナレットが印象的です。
コーンウォリス要塞、
東インド会社が建設を始めたのが、この場所だと言われています。その当時のイギリス総督コーンウォリスの名前にちなんで付けられた要塞で、当初は木造の砦でしたが1805年に囚人達を使い星型の堅剛な石造の要塞に改築されましたが、現在はマラッカ海峡に向かって並ぶ大砲が残されているだけです。

2日目(2月24日)

ペナン(Penang)島・ジョージタウン(Georgetown)
西をマラッカ海峡、東を南シナ海に挟まれたマレー半島は、ビーチやアイランド・リゾートが多くあります。アジアを代表するリゾートのひとつペナン島は南北24Km、東西15Kmのインド洋に浮かぶ島です。「ペナン」はマレー語でビンロウジュの意味です。1786年にイギリス東インド会社が東南アジア進出の拠点として以来、東西貿易の中継地として発展してきました。それにより、西洋、中国、イスラム、ヒンドゥー文化が融合する独特の雰囲気を持つ街並が形成されました。現在も街中にはイギリス統治時代からの歴史的遺産が数多く残る街です。

ヒンドゥー教のマハ・マリアマン寺院
観音寺
ロイヤル・ペナンホテルの部屋からの街並
高原野菜が並ぶ朝市
国家記念碑
レイクガーデンの北端エリアに建つ高さ約15mのブロンズ像。1990年代の共産主義ゲリラとの戦いで国を守るために戦死した勇敢な兵士たちに捧げる為に建てられました。像は硫黄島メモリアルで有名なフェリックス・デ・ウェルドンの作品です。
ムーア様式のマレー鉄道ビル
ビクトリア記念時計塔

マレーシアは、かってシンガポールを旅行した時に、国境を越えてジョホール・バルに来た事がありますが今回は半島の西海岸縦断の旅です。今日は、まったくの移動日でJALの直行便で成田空港からマレーシアの首都クアラルンプールに到着して、国内線で今回の旅の出発点であるベナン島へ移動します。

1日目(2月23日)

クアラルンプール国際空港

悠久のポルトガル8日間

突然のスコールで雨宿り中の花嫁さん
プトラモスク

5日目(2月27日)

パレス・オブ・ザ・ゴールデン・ホーシーズ
トライショーはペナン島特有の乗り物で、市内見物に適した造りの人力三輪車ですので、これに乗り市内観光をします。
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