アノ・ミリの丘の風車
マンド広場から階段を上がると、眼下にカト・ミリの「6つの風車」や街を一望できる所にある丘から眺める夕日です。かっては風の強い島では小麦をひくために沢山の風車がありましたが、今は島の観光のシンボルとして、この風車とカト・ミリにある「6つの風車」が有名です。
パナティナイコ・スタジアム(オリンピック競技場)
1896年、第一回近代オリンピックの会場となった競技場で、前年にアレキサンドリアの富豪アベロフの援助で古代の競技場に近い形に復元されたものです。座席は大理石で、トラックは現代のものとは異なり馬蹄形をしています。
アベロフの銅像

カプリ島(Capri)
ナポリ港、朝9:10出船。 SNAV社のハイドロフォイル(水中翼船)で45分、ナポリから30Km南にある温暖な気候、咲き乱れる花々、紺碧の梅、輝く大洋、美しい海岸線と古代ローマの時代から人々を魅了してやまないこの島は、今も世界中の憧れの保養地です。ソフィア・ローレンを初めとして著名人の高級別荘が多くあるそうです。前回来た時はフェリーで島に渡りましたので甲板からゆっくりと後方にカポディモンテの丘とナポリ湾を見ながらでしたが、今回の高速船では甲板にでられません。

4日目(5月20日)

悠久のポルトガル8日間

ピレウス(Pireas)
アテネから南西に約10Kmの所にあり、紀元前490年にテミストクレスにより建設されて以来、軍港として栄え、現在は商業港としてエーゲ海への船出のギリシアの海の玄関です。私達が乗船するのは総トン数37,584トン、全長215.88m、全幅28.4m、客室数724、最大乗客数1,664名、乗務員数540名のルイス・オリンピア号です。11:00出港ですが9:30頃にチェツクイン了して乗船しました。船内で使用するクレジット機能付IDカードの発行手続き、船内説明、国際海洋法に基づく避難訓練などを終えてり予定どうりミコノス島に向けて出港です。

パルテノン神殿
さすがに大きいです(横幅31m、長さ70m、石柱の高さ10m)。土台と石柱、柱頭と屋根の間のメトープ(額の意味)の一部が残っています。この方角から見る写真を良く見かけますが実際はこちらは裏面だそうです。
トゥルッリ屋根のサンタントニオ教会
デルフィ遺跡
デルフィの歴史も神話や伝説に起源を持ちますが、古代ギリシャ人は地球は平らな円盤状のものであると信じて、その中心点がデルフィの聖地、即ち世界の中心と考え「世界のヘソ(オンファロス)」と呼びました。アポロン神殿に安置されていたオンファロスとされた大理石は現在はデルフィ博物館に展示されています
アルゴス王達の記念物
遺跡解明の手がかりとなった碑文
クレタ島(Crete)
ギリシャ最南端に位置する国内、エーゲ海とも最大、地中海でもシチリア、サルディニア、キプロス、コルシカに次いで5番目に大きい横長の島です。農業が盛んで、なかでもオリーブやワインは島の重要な産物だそうです。イラクリオンに7:00に入港しました。ここにはヨーロッパ最古のミノア文明発祥の地であり、約3700年前の「迷宮」クノッソス宮殿が復元されています。
噴水と王宮
ウンベルト1世のガッレリア
船上から望むフィラの街
丘の上はアクロポリスとパルテノン神殿
洞窟教会として有名なサンタ・マリア・デ・イドリス教会
サン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会
アカデミー
アテネ大学
国立図書館
国立歴史博物館
オシオス・ルカス修道院
デルフィより35km、961年にエリコナス山の斜面に建造されたギリシャで重要なビザンチン様式を持つ修道院の一つです。ドームを持つ八角形の大聖堂を中心に北側に小さな教会、また博物館があります。内部はクレタの画家ダマスキノスが描いたイコンや11世紀頃の豪華絢爛なモザイク画で飾られています。この修道院は聖ルカの福音書を書いたルカではなく、10世紀前半のギリシャの聖者、オシオス・ ルカスに因んだものです。
テンダーボートとクルーズ船

1日目(5月17日)

フィラ、
海面から約300mの崖の上にある街で人々が集まる島の中心地です。海側の細い路地にはカフェやショップが軒をつらね散策を楽しむ人々で賑わっています。
イア、
北端のイアの街はフィラに比べて小さな街ですが断崖沿いに白壁・青い屋根の民家や教会が段々に並びメルヘンチックな雰囲気があります。
夜のクルーズ船のラウンジでは、エンターテインメント・チームによる楽しいショーがありましたが著作権法により撮影禁止でしたので、紹介出来ないのが残念です。船は23:00に次の寄港地に向けて出航しました。
今日の宿泊地はアテネの中心シンタグマ広場の近くにあるティタニア(Titania)に宿泊です。ホテルの屋上のオーシャン・ガーデンというカフェからはアクロポリスの丘や市内で一番高い273mのリカヴィトスの丘がよく見えました。
暑いので日傘付スタンドでの交通整理
建設ラッシュの続く新市街
サンタルチア
卵城
結婚式の参加者

2日目(5月18日)

8日目(5月24日)

黄金や象牙で作られた奉納品

イグメニッツァ(Igoumenitsa)
ギリシアのイグメニッツァ4:30着です。イタリア出国時もギリシア入国時もパスポートのチェックすらなく、本当に一国内を移動しているかのようです、通貨も同じユーロですし、まったく楽チン。今日からは旅の後半、ギリシアの旅です。今日はイグメニッツァからメテオラを経てデルフィに行きます。

救命胴衣着用の避難訓練
デッキ10
デッキ9
船上から眺めるアノ・ミリの丘
ミコノスタウン
ヌオーヴォ城
今夜のクルーズ船のドレス・コードはギリシア国旗にちなんでブルー&ホワイトの装いでラウンジの「グリーク・ナイト」エンターテインメントを楽しみます。船は21:00に次の寄港地に向けて出航しました。

アグリッパの台座

プロピレア(前門)

これですべての観光を終えて夕刻18:45の便で帰国の途に着きました。

12日目(5月28日)

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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

朝日に輝くパルテノン神殿
パルテノン神殿のライトアップ
アクロポリスの丘のパルテノン神殿
アクロポリスの丘
リカヴィトスの丘

3日目(5月19日)

昨夜はシェラトン・ローマに宿泊し、今日からは、南イタリアの観光です、最初にローマからナポリ近郊にある世界遺産のカゼルタ王宮に向います。

今回の旅行は、中東のカタール航空を利用して、カタールの首都ドーハを観光してから、イタリアのローマからアッピア街道を南下して、南イタリア、ナポリ近郊にある世界遺産のカゼルタ王宮・庭園の観光、さらに前回入口まで行って入ることができなかったカプリ島の青の洞窟を観光します。カプリ島からは、船でソレントに上陸してアマルフィ海岸を観光し、再びナポリからバスでポテンツァをへてマテーラ、アルベロベッロ観光後にブリンディジからギリシアのイグメニッツァを結ぶフェリーでアドリア海を横断します。ここまでが旅の前半・南イタリアです。
旅の後半は、いよいよ絶景のギリシア・メテオラからデルフィを経てアテネと南下して、青く輝くエーゲ海の美しき島々をめぐるクルーズに出帆します。

2013年5月17日〜28日

10日目(5月26日)

御者の像
デルフィ博物館
ここには遺跡から出土した多くの物が展示されおり御者の像、オンファロス(世界のへそ)、アポロン神殿の破風の彫刻、シフノスの宝庫の女神柱、ナクソスの有翼のスフィンクス、 遺跡から発掘された黄金や象牙で作られた奉納品など古代美術史を飾るにふさわしい作品を見ることができます。中でも青銅製の「御者の像」は、紀元前478年頃の古典時代における傑作のひとつで、この博物館の代表作です。

メテオラ(Meteora)
ギリシャのほぼ中央、2000m級の山々が連なるピンドス山脈から流れるピニオス川がテッサリア平原に達する所に奇岩群が現れます。ここが「空中に吊り上げられた」と言う意味のメテオラです。高さは20m位から高いもので400m位ある岩の塔が立ち並びます。しかもその頂上には修道院が建っています。20世紀始までは岩山に階段やハシゴもなく、滑車につるした綱袋で生活物資を運んでいたそうです。メテオラ観光の拠点となるのがカランバカという小さな村です。

スーク・ワキーフ(市場)
高台から望むスカラの町
ナポリ港
サンタルチア通りのプロムナード
イルカの滝
百合の王子の壁画
王座の間
船上から望むサントリーニ島の夕日
船上のデッキ
船上から望むフィラの街
ディオニソス劇場
リカヴィトスの丘
アギオス・ニコラオス修道院
カランバカからバスでメテオラに向う途中のカストラキの村を過ぎて最初に見える狭い岩にある修道院からはカストラキの町が一望できます
劇場

プラカ地区、
プラカは、アクロポリスの北側から東側にかけて広がっている歴史的な地区で19世紀頃の家並みがそのまま保存されているため、道は狭く入り組んでいますが昼夜を問わず観光客のあふれるエリアです。手頃なタベルナやカフェも多く、付近には11世紀に建立され修復されたロシア正教会や19世紀に建てられた英国教会(セントポール教会)がたたずんでいます。
アカデミー、アテネ大学、国立図書館、国立歴史博物館、
パネピスティミウ通りに並ぶ典雅な堂々たるネオクラシック様式の建物。アカデミーの入口には、右にソクラテス、左にプラトンの像が見られます。

アテネ(Athens)
アテネは、ギリシア神話に出てくる叡智の女神アテナの名にちなんで付けられ都市で、世界史の教科書にも登場するアクロポリスやパルテノン神殿などの、沢山の遺跡があり、あたかも遺跡の中に街があるような2500年の歴史を持つ都市です。

ゼウス神殿、
かっての神殿は、104本のコリント式の柱の並ぶ美しい姿でしたが現在では、そのうち15本しか残っていません。歴史的には紀元前515年に着工され、中断されたのち2世紀にローマ皇帝アドリアノスの時代に完成しました。
港から車で20分の場所にあるクノッソス宮殿に行く為に、ひとまず上陸するとタクシーの客引きが大勢待っていました。いろいろと話を聞くと、約3時間位で宮殿やイラクリオンの市内観光案内をして70ユーロなので、同船者と4人相乗りで利用する事にしました。郊外に出ると島の特産物のオリーブや葡萄畑が広がり、ローマ時代の橋なども残っていました。

ブリンディシ(Brindisi)
アッピア旧街道の最終点の港町です。特別見るべきものがある街ではありませんが、南イタリアからギリシアへの玄関口です。17:30に到着して19:00出港のGrimaldi LinesのSorrent号でアドリア海を渡りギリシアのイグメニッツア港に向います。基本的にはフェリーですがシャワー完備のキャビンでレストラン・バー・カジノ等の設備もある長さ186.4m、幅25.6m、総トン数26,000トンの船です。所要時間は約9時間

ガゼルタ(Caserta)
ナポリの北約30Km,、丘の麓に18世紀ナポリ王国・ブルボン家のカルロス7世とその息子カルロ3世が築いた壮大な宮殿レッジャ(Reggia)で有名な町です。

サントリーニ島(Santorini)
古代アトランティス大陸伝説が残る三日月型で、断崖絶壁の上に町があり、エーゲ海で最も美しくロマンチックな島です。北端のイアの街には絵葉書でよく見る青いドームの教会が、中心のフィラの街では白壁の家々が断崖絶壁に立ち並び、この島を象徴する美しい風景です。 小さい島なのでクルーズ船からでテンダーボートに乗って島に上陸です。クルーズ船主催のツアー参加でニューポートからバスで最初にイア(Oia)、フィラ(Fira)の順に周りケーブルカーでオールドポートに下るコースで観光します。
クノッソス宮殿
長い間、神話の中の宮殿と考えられてきましたが、1900年に始められたイギリスの考古学者アーサー・エヴァンズの発掘により実在した宮殿であることが判明しました。最初に建てられたのは紀元前2000年頃といわれていますが、その後の地震での倒壊、再建、火災などを経て残っています。入場料は6ユーロ。
聖ヨハネ修道院、
島の高台には1088年に聖ヨハネを記念して建てられた聖ヨハネ修道院があり世界遺産です。今日でも学問的、宗教的な場所としてギリシャ正教世界の中心地となっています。港のあるスカラの町から約2Kmの道のりを蛇行する車道を突っ切って、高台からの景色を眺めながら石畳のロバ道を歩く事40分で到着します。入場料は6ユーロ
ルイス・オリンピア号
IDカード
アポロン神殿から南東に2kmほど離れて道路から少し下った所にアテナの聖域があります。カスタリアの泉、アテナの神殿などが残っており一部復元された有名なトロス(円形神殿)があります。これは大地の女神ガイヤの記念物だったと考えられています。
アギア・トリアダ修道院
垂直壁の美しい高さ565mの岩の上まで130段の階段であがるしかない所にあります。正面からの風景は”007”の映画に使われてから有名になり絵葉書にも利用されているそうです。
メガロ・メテオロン修道院
メテオラ最大の修道院で高さ613mの幅広の岩の上にあります。内部には16世紀中頃に建てられた教会やイコンの部屋、博物館などもあります。
アギオス・エレフテリオス教会
国会議事堂と無名戦士の碑
ネオクラシック様式の建物で、無名戦士の碑を前にして建っています。近代ギリシャの初代王オットーの宮殿でしたが、1933年に国会議事堂となりました。無名戦士の碑の両脇には民族衣装の衛兵が立ち、1時間ごとに交代があります。

アルベロベッロ(Alberobello)
イタリア語で「美しい樹」という意味の街です。緑の木々が茂る街に「トゥルッリ」というトンガリ屋根に白壁の、おとぎ話の世界のような家々が旧市街にビッシリ並んでいますが町全体が、もうすっかり観光地化してしまい、モンティ地区には1000軒ものトゥルッリが並びお土産店・レストランが多い所です。屋根にはシンボル化した魚、鳥、とかギリシャ語の神を表す文字が描かれています。

イロド・アティコス音楽堂

プーレの門

聖人ヨハネが暮らしたとされるアポカリプスの洞窟と黙示録教会 入場料2ユーロ

カタール半島東海岸のペルシア湾に面した港町で国民の半分以上が住んでいるカタールの首都です。国内の大部分は不毛な砂漠の平野で、最も高い山地でも海抜103mですが、この山地の下にドゥカン油田が存在し、一方世界最大級のガス田はカタール半島北東からイラン方向の海底に広がっています。この豊富なオイルマネーにより国民には所得税がかからず、さらに、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることができ、10年後には自分のものとなるそうです。

パトモス島(Patmos)
「エーゲ海のエルサレム」と呼ばれる島で、この島が有名なのはローマから追放され流刑にされたキリストの十二使徒のひとりである聖人ヨハネが洞窟で暮らしている間に神の啓示を受けて紀元95年に黙示録を書いたとされる場所と伝えられているからです。クルーズ船は島に直接接岸できないのでテンダーボートと呼ばれる小船に乗り移って島にピストン輸送されます。下船の順番はクルーズ船主催のツアー参加者が優先されます。従って、超大型船よりは4−5万トン級のクルーズ船のほうが下船時間がかからないようです。

マテーラ(Matera)
世界遺産登録されている洞窟住宅「サッシ(Sassi)」が残る街です。前回は2011年1月の冬に訪れましたが、初夏でも荒々しい岩山に重なり合い、乾燥した砂漠のような奇妙な色合いの住居は、寂しげな景観ですが、南イタリアの青空がせめてもの救いでしょうか。

5日目(5月21日)

今日はナポリからマテーラ観光のあとアルベロベッロ観光をして、ギリシアに向かいます。南イタリアの玄関口の港町ブリンディジからフェリーに乗りギリシア北部のイオニア海に面したイグメニッツァに渡ります。

ドーハ(Doha)

9日目(5月25日)

パラポルティアニ教会
ナクソスの有翼のスフィンクス
シフノスの宝庫の女神柱
アンディノス

デルフィ(Delphi)
町の中心は山の斜面にあるといった感じで、通りの所々に上と下に抜ける階段の道があります。狭い両側に土産物店やレストラン、ホテルが並びます。デルフィ遺跡は町から600m程東にあり、古代ギリシャの宗教の中心地として栄えた街で、かっては個人はもとより国家の大事もアポロンの神託(神のお告げ)により決めていました。紀元前6世紀頃のデルフィの最盛期には国内はもとより当時の植民地からも多くの巡礼者が訪れ、奉納物や祈願料で潤っていました。ここには神託が行われたアポロン神殿をはじめとする遺跡が残っています。

7日目(5月23日)

ロシア正教会
英国教会
今日の宿泊地はデルフィ近郊のIteaという海岸リゾート地です。
ルサヌ修道院付近のポイントから、3つの修道院が一望できます。中央下にアギオス・ニコラオス修道院、右の岩の左上にヴァルラーム修道院、右上頂上にメガロ・メテオロン修道院です。
駅前のガリバルディ広場
旧市街を囲む城壁
聖ミナス大聖堂
イラクリオンの市内
マリーナ・グランデ
カフェからの眺め
シンタグマ広場
船頭さん
民家や教会が
青の洞窟
カプリ随一の名所には船がマリーナ・グランデ港に着いてから小型ボートに乗換て洞窟の入口で再び手漕ぎボートに乗換え、全員が仰向けの体勢になり順番を待ちます、船頭さんが波の高さのタイミングを見計らってチェーンをたぐり寄せて中に入ります。入口の高さは1m、内部は長さ54m高さ15m水深14〜22mほどでボートが洞窟内を一周するのはたったの数分ですが、再チャレンジで入る事が出来たためか感動する美しさです。船頭さんへのチップは一周でも1ユーロは要求されます、スペシャル・チップで数周するようです。
サン・フランチェスコ・ダッシジ教会
ドーハのアルアリ・ スタジアム、
ここで行われた日本代表とイラク代表のサッカーの国際試合(1994年FIFAアメリカワールドカップ・アジア地区最終予選の日本代表最終戦)において、試合終了間際のロスタイムの同点ゴールにより日本対イラクは2-2の引分けに終わった。これにより、日本はW杯初出場を逃しました。日本人の間ではドーハの悲劇と知られているが、設備も古くなり現在では、わざわざここを訪れるのは日本人観光客くらいらしいですが行ってきました。
テンダーボートに乗り移る
聖ヨハネ修道院
セント・ニコラス教会
女王の間

ポジターノ(Positano)
小説や映画の舞台となった華やかなイタリア屈指の高級リゾートの街で、白い家々が重なるように断崖に建つ典型的な地中海式の町、白い細い路地が印象的な絵葉書の様な景観です。

海面から約300mの崖の上にある街まではケーブルカー(4ユーロ)かロバに乗るか、またはロバの落し物で悪臭のする石畳の階段を歩くしかありません。
劇場
スタジアム
ホテル前のパネピスティミウ通り
アクロポリスの丘からの眺望
フィロパポスの丘
ゼウス神殿とアドリアノスの門

11日目(5月27日)

ドーハ着は早朝の4:20ですが気温はすでに29度C。飛行機の乗り継ぎ時間を利用しての市内観光です。

クシャダシ(Kusadasi)@トルコ
エーゲ海クルーズでは唯一寄港するトルコの有数のリゾート地で、観光客相手に沢山の土産物店やブティク、ブランド品の店があります。また、ここはクレオパトラが歩いた大理石の道路や、神殿のある「エフェソスの古代遺跡」への海からの玄関口でもあります。タクシーでも50ユーロで行けるようですが私達は2009年に既に訪れていますので今回はクシャダシの町の散策です。船は7:00に着岸しましたので朝のうちにクシャダシ湾が一望できるトルコ建国の父アタチュルクの銅像が建つ丘の上に登ると眼下に乗船してきたルイス・オリンピアやギュヴェルジン島が見えました。
朝の散歩でホテル近くのシンタグマ広場にきました。昨夜はデモがここであったようですが整然としていました。大きな通りをへだててパルテノン神殿が朝日に輝いていました。今日からいよいよエーゲ海クルーズです。

リラを奏でるアポロン

ドゥオーモ
スカッパ・ナポリのパンツ通り
新しいナポリ的な洗濯の干し方(日本と同じ)
ベニゼル広場
モロシニの噴水

ピレウス港には、5:30頃到着、すぐ近くの桟橋に日本の「飛鳥IT」が寄航していました。7:30に下船開始して今日はアテネの観光です。

今日は、まったくの移動日です。カタール航空便の夜間飛行で経由地の中東カタールの首都ドーハに向います。

11日目(5月27日)

ガゼルタ王宮
フランスのベルサイユ宮殿を参考に造られ、縦247m、横184mの5階建て箱型の簡素な宮殿です。内部は入口左右にライオン像を置いた大階段・パラティーナ礼拝堂以外は撮影禁止でした。
アタチュルクの銅像が建つ丘の上
乗船してきたクルーズ船
ヴァルラーム修道院
14世紀に隠遁者ヴァルラームが岩壁を削って建てた隠遁所の後に建てた修道院です。中央にドームをもち、三ヶ所の張り出し部分が十字架の形をとっています。

ナポリ(Napoli)
世界三大美港のひとつで「ナポリを見ずして死ぬ無かれ」と言われていますが、カプリ島の「青の洞窟」に入りたいが故に3度目のナポリです。ナポリは小高い丘に囲まれた坂の町。南にはティレニア海、東にはヴェスーヴィオス火山、南にはナポリ湾、北方3Kmにはナポリを見下ろすカポディモンテの丘がそびえています。ナポリ中央駅前の宿泊したラマダ・ホテルから最初にスカッパ・ナポリ周辺の散策・観光です。

イラクリオン
ギリシアで最も裕福な都市といわれる島の中心地で、空港と港があります。街は824年にアラブ人に占領されてから、防衛の為に街は壁で囲まれました。その後、ビザンティン帝国、ヴェネチアに支配主が変わったが壁は補修され使い続けられて現在でも残っています。その壁の内側が旧市街で主な見どころはこの中にあります。

6日目(5月22日)

サン・カルロ劇場
ギュヴェルジン島
ギュヴェルジン島
サンタルチア・王宮の周辺
市場が並ぶ1866通り
ヴェネチア時代の要塞
ミコノス島(Mykonos)
「エーゲ海の島」を最も連想させるほどに観光的にポピュラーな島です。真っ白い家々、紺碧の海の景色、カト・ミリと呼ばれる丘には粉引き風車の景色があり、ここから眺める夕日は感動的です。中心部のミコノスタウンは、まるで白い迷路のような街です。船はトゥーロスにあるニュー・ポートに18:30に着き、港から中心市街までシャトル・バス(8ユーロ)で行き、小さな島なので歩いて十分散策が出来ます。
カト・ミリの風車
リトル・ヴェニスと呼ばれる地区
ガゼルタ庭園
宮殿の裏手には3Kmに渡る遊歩道を中心に広大な庭園が広がっています。庭園に水を得るために40Kmに渡って水道が引かれ、階段状に続く池の水は小高い丘の洞窟の大滝から流れ出し「ディアナの泉」、「ヴィーナスとアドニスの泉」など彫像で飾られたいくつもの泉を流れ落ちる水の美しさには圧倒されるほどですが、頂上の噴水までは往復6Kmあります。自由時間が1時間程でした私達は歩いていきましたので中間地点の「イルカの滝」までしか行きませんでしたが、自転車のレンタル(4ユーロ)や馬車(5人乗りで60ユーロ)を利用する事で1時間内で大滝まで見学可能だと思います。
アマルフィ海岸(Costiera Amalfitana)
ナポリから南へ50Km、ティレニア海に延びる半島のアマルフィ海岸は世界で最も美しい海岸線のひとつと言われています。ナポリ湾を望む西側のソレントから中世の海洋王国サレルノまでの約50Kmの道のりが南国情緒そのままに山間にレモンやオレンジがたわわに実り、オリ−ブの木々の葉が風に揺れ、太陽に反射して白く輝く家並みが重なり合う光景は絵画的な美しさです。この美しさは交通が不便な分、遠い過去から変る事無く保たれているようです。
大聖堂
エレクティオン、
アクロポリスの丘の北側ぎりぎりに立つ神殿で、一番目を引くのは柱として屋根を支える6体のコレー(乙女)像が張り出ています。カリアティディスと呼ばれ、高さは2.3m。1体はパルテノン神殿の彫像と一緒に大英博物館に、残り5体も近年空気汚染のため破損がひどくなったので複製と置き換えられ、現在アクロポリス博物館で展示されています。
こちらが正面
アテネ人の宝庫
アポロン神殿
山の斜面に広がる遺跡

ソレント(Sorrento)
カプリ島から船でソレントのマリーナ・ピッコラ港に入ります。ナポリ民謡「帰れソレントヘ」で有名なリゾート地で、夏は海水浴場、冬は温暖な避寒地としてこの町には、おしゃれなカフェが多く目に付きます。街の中心はタッソ広場です。

カフェからクルーズ船を望む
マリーナ・ピッコラ港
オールドポート
マリーナ・グランデ港
ナポリ港
広場の教会
ドゥオーモ
アクロポリス遺跡・パルテノン神殿、
「上の都市」を意味するアクロポリスは高さ約70m、全周約800mの石灰岩の丘の上にある古代ギリシャの聖域です。紀元前12世紀初頭に最初の神殿が建てられましたが、紀元前480年にはペルシャ軍により完全に破壊されました。現在残る遺跡が建設されたのは紀元前5世紀頃にパルテノン神殿をはじめとする神殿や劇場が完成しました。その後は他宗教国家の浸入により荒廃が進み廃虚と化しましたが19世紀に復元され、現在も修復作業が続けられています。
丘の下に見えるのは高さ18mのアドリアノス門
アギオス・ステファノス修道院
唯一階段を上がらずに行ける女子修道院です。
国立庭園、
もとはオットー国王の妃アマリアの設計で、古代の庭園を改造した王宮付属庭園でした。今は一般に開放され週末には多くの家族連れで賑わう国立庭園は、ちょうどジャカランダ(火焔木)の花が満開でした。また南側には1874〜78年に建てられたザピオン展示場があります。
ザピオン展示場
ザピオン展示場内部

アマルフィ(Amalfi)
ローマ帝国滅亡後も、地中海に君臨したアマルフィ共和国の古都、今はリゾートでありアマルフィ海岸観光の拠点です。街の中心はドゥオーモ広場周辺でさまざまな店が並び観光地の楽しい風情にあふれています。

最終日の夜のエンターテインメントを楽しみます。船は21:00に次の寄港地ピレウスに向けて出航しました。
オンファロス(世界のへそ)
アポロン神殿の破風の彫刻
海側船室
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