ボリビア多民族国は標高6000m級の高峰が14も連なるアンデス山脈中央に位置し、海を持たない高原の国です。民族構成としてはケチュア族、アイマラ族のインディヘナ(先住民)が55%、メスティソと呼ばれる先住民とヨーロッパ人の混血が32%、ヨーロッパ系12%、その他1%を持つ国名にある様な多民族国家です。街では民族衣装をまとった先住民族が多く暮らし南米アンデスの情緒が感じられます。通貨はボリビアーノ(Boliviano)Bs.で1US$=7Bs.でしたので約15円位ですが、あらゆるところでUSドルがそのままつかえます。
(注):インディヘナとは、「Indígena、スペイン語で原住民・先住民の意味です。インディオという言葉には侮蔑的な響きがあり、差別用語であるともされるため、インディヘナが一般的な呼称のようですが「土人」「土民」的な侮蔑的意味合いが含まれていた面もあり、この語の使用に否定的な見解もあるそうですが、人をさす言葉には、そんな負の側面があるようです」。

記念の証拠写真も、、
東部平原地帯のサンタ・クルスより空路で渓谷地帯にあるスクレへ向います。
南米原産のジャガイモには多品種あります
湖面を割って取り出した塩の結晶
冠雪しているトゥヌバ火山(標高5432m)
「白の街」の代表的建物
県庁舎
自動車局
ホテル前のカルヴォ通り
塩湖の夕日の残光が、あたかもオーロラのようでした。
ポトシの街並とセロ・リコ(Cerro Rico = 富の山)と呼ばれるこの町の象徴である赤い 銀鉱山
復元された半地下宮殿には、モノリート(彫像)のほか、壁のあちこちに顔を象った石頭が突き出ています。
サント・ドミンゴ教会
サンタ・テレサ修道院
上空から見たウユニ塩湖、入口には多くの車輪の跡が見えます。
4028mの峠からの眺望、空との境の白い線がティティカカ湖
ティワナク駅(標高3870m)
ティワナク遺跡・復元想像図
復元された高さ15mのアカバナのピラミッド跡
サン・フランシス教会とセロ・リコ(銀鉱山)
顔を象った石頭
モノリート(彫像)
ビラコチャ神が彫られた太陽の門
ビラコチャ神の拡大図
ラ・パスへ向う車窓からの風景。
町中の公園でボリビア風惣菜パンの「サルデーニャ」を食べている女性達
11月10日広場とカテドラル、
町の中心は、この街で独立運動が開始された記念日から名付けた11月10日広場、この広場に面して建つカテドラルは1572年創建ですが、1800年代に修復され、今のスペイン風バロック様式になった重厚な外観が目を引きます。
エル・アルトの丘の上から眺めたラパスの町の様子。山に囲まれたすり鉢状に広がる町は、まるでミニチュアみたいに見えます。
この塔のある場所の標高は4070mです。
旧市街の中心部の拡大
カテドラル

悠久のポルトガル8日間

何故こんな所にエッフェル塔が?

ウユニ塩湖
ボリビア中央部、標高約3,660mに位置する「神秘の塩の世界」
南北100km、東西120km、日本の新潟県とほぼ同じ大きさの「ウユニ塩湖」は、アンデス山脈の急激な隆起により、この地に大量の海水が残されました。湖となった海水が流れ出る川が無く乾燥した気候から、類まれな広大な塩原が形成されたと考えられています。ウユニ塩湖は高低差がほとんどないので、乾季の6~10月には見渡す限りの真っ白で真っ平な世界ですが、雨季の12~3月には雨が溜まり、鏡のようにすべてのものを映し出し、この世のものとは思えないほどの神秘的な光景が広がります。この風景を見るために世界中から観光客がきますが、一般的に欧米人は乾季の白い塩原をワイルドに4WDで疾走するのを好み、日本人は雨季の神秘的な天空の鏡をめでるのが好きなようです。現地ガイドさんによると昨年2013年全体で約1千人の日本人観光客が来たそうです。

ポトシ(Potosi),
1545年にポトシ山に銀の鉱脈が発見されてから始まる栄枯盛衰をたどった町で、鉱山からは銀のほかにスズ、タングステンが次々と発見されて、16世紀半ばスペイン入植者が増え、17世紀には人口20万人を数え、南北アメリカ大陸最大の都市だったと言われます。銀を掘らされたのは奴隷化された先住民で、過酷な労働と劣悪な環境の中で数百万人が死んだと言われています。銀鉱脈が尽きると人々は去り、枯れ果てた町だけが残りましたが、南米の中で植民地時代の面影が最も色濃く残る街のひとつとして、1987年に世界文化遺産に登録されました。標高約は4090mで、人が住む都市としては世界最高地点です。

ボリビア多民族国は標高6000m級の高峰が14も連なるアンデス山脈中央に位置し、海を持たない高原の国です。民族構成としてはケチュア族、アイマラ族のインディヘナ(先住民)が55%、メスティソと呼ばれる先住民とヨーロッパ人の混血が32%、ヨーロッパ系12%、その他1%を持つ国名にある様な多民族国家です。街では民族衣装をまとった先住民族が多く暮らし南米アンデスの情緒が感じられます。通貨はボリビアーノ(Boliviano)Bs.で1US$=7Bs.でしたので約15円位ですが、あらゆるところでUSドルがそのままつかえます。

(注):インディヘナとは、「Indígena、スペイン語で原住民・先住民の意味です。インディオという言葉には侮蔑的な響きがあり、差別用語であるともされるため、インディヘナが一般的な呼称のようですが「土人」「土民」的な侮蔑的意味合いが含まれていた面もあり、この語の使用に否定的な見解もあるそうですが、人をさす言葉には、そんな負の側面があるようです」。

5日目(1月18日)


2014年1月14日~22日

造幣局の中庭には、何故か不思議な大きなお面が壁に架けられていました。
ポンセの石像
ティワナク博物館

手玉にとられそ~

写真撮影の様子は、こんな感じの台に寝そべって行います。

左と同じ眺め
ユーモラスなガイドさんのパフォーマンス
塩湖では塩の採取も行われている。三角に盛ってまずは乾燥、その後トラックに載せて工場へ運んで精製されます。
昨日見ることが出来なかった塩湖の夕日観賞ショーです。
ラ・レコレータ修道院
高台に美しいパティオで囲まれた女子修道院は、現在では博物館として公開され16~19世紀の絵画や金銀細工、刺繍、彫像などが展示されています。聖堂内にあるバロック様式の聖歌隊席は、長崎で殉教した日本人キリシタンを記念して約300年前に造られたものだそうです。パティオの一辺にある回廊からは市内の眺望が素晴らしいです。。
モノリート(彫像)
モノリート(彫像)
意外とイケてる私達のツーショット

ウユニ(Uyuni)
標高3660mに位置するウユニは、人口2万人弱の町で昔から近郊で採れる塩や鉱物を、チリやアルゼンチンに輸出する貿易拠点です。人口のほとんどがインディヘナです。 ウユニから先は4WDに乗換えてウユニ塩湖の縁に位置するコルチャニ村ヘ向います。ここでは、塩のホテルに宿泊します。

石畳の町並みはキレイですが、意外と坂道が多く、しかも4000mの高地なので坂をちょっと上るだけでも激しく息切れしてしまいます。

ラ・コンパニーア・デ・ヘススの塔
ヘスス教会の塔は1707年に建てられた物でイエズス会を象徴する鐘楼や独自の構造で造られています。
旧国立造幣局、
銀山で採掘された銀を貨幣にする為に1572年に建てられた造幣局。当時ここで膨大な量のスペイン銀貨に造り変えられてから、海を渡ってヨーロッパに運ばれたそうです。現在は博物館となっています。
搾り立てジュースを売るインディヘナ(先住民)のオバチャン、この町の住民の大半はインディヘナです。
ホテルに戻ると有名な女優さんの写真撮影をロビーで行っていましたので私も参加(?)しました。夕食はホテル最上階のレストランで360度、美しく輝く夜景を眺めながらの食事でボリビア最後の夜を楽しみました。
「ミラドール・キリキリ」と呼ばれる丘の上の展望場
丘の上からは、雪をかぶったイリマニ山(標高6402m)の下に、すり鉢状に広がるラパスの町を一望することができます。山の斜面に粒のように密集して見えるのは民家。 すり鉢の底の部分には高所得者たちが住み、そこに住めない低所得者たちがどんどん斜面上に住居を構えていった結果、このような景観ができあがったそうです。 暗闇が覆い隠す夜には、宝石を散りばめたような夜景になります.。
サン・フランシスコ寺院
1549年創建ですが、現在の建物は17世紀に再建されたバロック様式の聖堂です。教会の前は人々が語らうラ・パスで最も活気があるエリアです。大道芸人、靴磨き、露店など何かしら行われています。
ティワナク遺跡
空港に到着後、ラ・パスから72Km、ティティカカ湖畔の南側にあるティワナク遺跡に最初に訪問します。ティワナク文化は、紀元前200年から紀元後1200年頃までアンデス地方の先スペイン期社会において最も長く続いた都市や文化の一つです。そしてここは多くの神々を崇拝する宗教都市だったと推測されますが、標高3900mの高地に誰が何の目的で、この壮大な都市を築いたのか。そして、人間の形をした立像は何を意味するのかなど、遺跡はまだまだ謎に包まれたままのようです。遺跡はすべて巨大な石で造られていますが、石は少なくとも40Km以上離れたところから運ばれたそうです。インカに勝るとも劣らない見事な石造り技術から、ティワナク文化がインカに大きな影響を及ぼした文化ではないかと考えられているそうです。
今日はウユニ塩湖から空路でラパスヘ移動します。近年、ウユニ塩湖の下には大量のリチウムが存在することがわかり、その量は世界の埋蔵量の約半分とも言われていますので日本を含む各国が資源開発のプロジェクトに手を上げています。その為か2011年にウユニ~ラ・パス間のフライトが始まり、陸上でも道路の改良・開発工事が進んでいました。

6日目(1月19日)

標高約3,600mに位置するウユニ塩湖は天然のプラネタリウム、遮るもののない360度パノラマの星空はまるで宇宙の中に迷い込んだようです。天の川もくっきり、月も湖面に反射していました.、、、、、。

フミちゃん踏み潰されそ~

恐竜出現 !

まずは、夕日観賞です。重い雲が立ち込めていますが自然現象なので見れるときに見ておかないと、と言うわけで早速ウユニ塩湖へ、しかし結果は下の様な期待はずれなので明日に期待します。
夕食には、スープ、塩湖の塩に漬け込んだチキンを使用した郷土料理の他に、リャマ肉のロースト・ステーキ、ポテトなどの野菜の付け合せとデザート3種類でした。
昼食後に再びポトシからバスでウユニに向います。
ロビーや廊下の柱、床、階段、イスやテーブルは塩のブロックですので擦ると塩が付きます
部屋の壁、天井、ベッドも塩です
天井はエスキモーの氷の家の屋根の様な構造で塩ブロックです
スペイン統治時代に建てられたカトリックの聖堂や教会などもたくさん存在します。

4日目(1月17日)

ホテルの屋上からのカテドラルのライト・アップ
カテドラル、
5月25日広場に面して1580~1633年にかけて建てられ、時計の付いた高い塔はスクレのシンボルです。
ロス・ポソス市場、
サンタ・クルス最大の市場であらゆる物が売られています。主に野菜・果物コーナーを見学して、マンゴーを4個、5Bs(約75円)で買って食べましたが種は薄く、実が多く日本で食べる物とは別物の様に格段に美味しかったです。ちなみにトマトは1Kg、2.5Bs(約38円)でした

成田に帰国

入口に戻る

旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

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2日目(1月15日)

サンタ・クルス(Santa Cruz),
正式名称はサンタ・クルス・デ・ラ・シエラ。セルバ(森林地帯)に属する海抜400m程度の高原にあり、年中温暖で年間の平均気温は28度程度あります。首都ラ・パスより標高が低くて気候が良い事などからボリビアの商業の中心地となりつつあります。私達も高山病対策の高地順化のために最初に、ここに降り立ちました。街の形状からも指輪の都市などと呼ばれることがあるボリビア第二の都市です。
塩のホテル
塩のレンガ・ブロックでつくられた建物に、イスやテーブル、ベッドなどの家具まで塩でできています。まるでおとぎの世界のような、塩のホテル「パレシオ・デル・サル(Palacio del Sal)=塩の城)」は湖畔にあり、お洒落な内装が人気ですので内部を紹介します。2階にある展望サロンからは湖や山々、砂漠ビューを満喫できます。到着時には塩湖に虹の歓迎と、塩湖の塩を使用した郷土料理も味わえましたのでウユニ塩湖ならではの貴重な体験ができました。
国会議事堂
大統領官邸
カテドラル
独立の英雄ムリリョの像
今夜の宿はは旧市街の中心部にある5つ星のホテル・プレジデンテ
部屋からの眺め(昼間)
部屋からの左と同じ眺め(夜間)
ウユニの街
ムリリョ広場
ラ・パスの中心にある広場で、東に国会議事堂、南にイタリア・ルネッサンス様式の大統領官邸とカテドラルが建ち、ボリビアの政治中枢となっています。広場の中央には独立の英雄ムリリョの像が建っています。
ラパス(La Paz)
標高3650m、世界最高度の所にある首都です。憲法上では最高裁判所があるスクレが首都ですが、1900年に行政機関が移ってからは、ラパスが実質上の首都となっています。すり鉢状の地形で、最も低い中心部の標高でも約3600mと富士山の頂上とさほど変わらない高さにありますので、ゆっくり動かないと息切れがします。なだらかな傾斜の上にアドベ(日干し煉瓦)の家々、コロニアルの教会建築、底の中心には高層ビルが立並び住宅密度は相当なものです。上に行くほど貧しい人々の家となりますが、暗闇が覆い隠す夜には、宝石を散りばめたような夜景になりますので、夜景見物にも行ってきました。
サン・ロレンソ教会
バロック様式の傑作といわれる教会で1728年に建立され1744年まで教会として使われましたが閉鎖され、近年修復されたものです。屋根には十字架と正面のファサードには5体の聖人像が立ち、扉周りの彫刻も見事な物です。
今日はスクレ(標高2750m)から高地順化を兼ねるためにバスで現地の医師同行の上でポトシ(標高4090m)に向います。途中の有料道路の料金所付近には旅行客目当てに近所の女性達が、現金収入を得るために食べ物や民芸品の物売りに大勢出てきますが、何故か男性は一人もいません。
ホテルの屋上の展望台から5月25日広場・カテドラルを望む。
ラ・メルセー教会
バロックスタイルの教会で、金をふんだんに使用した祭壇はボリビアで最も美しいといわれています。
サン・フェリペ教会・修道院
1795年建立のパティオを囲むように回廊が巡る教会は、元はすべて自然の石で造られていましたが現在は、塔の部分は漆喰で塗られています。フランス・ロココ調の影響を受けた建築で、植民地時代のスクレを代表する建物のひとつです。
インデヘナ(先住民)芸術博物館
主として先住民の部族に伝統的に伝わる手織り織物の収集と展示を行っていますが、内部の作品は撮影禁止でした。

スクレ(Sucre)
今も植民地時代の銀の財力で16世紀に建造されたコロニアル様式の古い町並みが残っているスクレは、白く美しい建物が多いため「白の街」と呼ばれることもあり、憲法上ではボリビアの首都となっている標高約2750mに位置する高原都市です。昨日のサンタ・クルスに比べて標高が2300m以上高く、その上すり鉢状の街なので坂の登りでは速く歩くと結構息切れがします。1545年にポトシに銀山が発見されたあとスペイン入植者が増え、やがて、このあたりの気候の過ごしやすさから次第に銀山の管理と行政上の重要な場所となった。1825年2月9日に、この地で独立宣言が行われ、英雄シモン・ボリーバルの名前から国名をボリビアとし、初代大統領ホセ・デ・スクレの名前から、この町をスクレと名付けたそうです。

3日目(1月16日)

南米の肉料理を食べるならここ、と地元でも評判のレストラン、Casa del CambaでのBBQグリル料理、チキンの炊き込みご飯マハオ、サラダ、チキン、ビーフ、ソーセージ(チョリソー)、白身魚やユカと呼ばれる長芋に似たイモ等など、これでもかと言うくらい大量の料理がでてきました。ちなみに店名のCamba(カンバ)とはサンタ・クルスの人々を指し何故か「怠け者」の意味だそうです。
カテドラル、
赤レンガの堂々たる建物で、内部も銀細工の祭壇や天井画などが見事です。宿泊したホテルが9月24日広場近くでしたので、夜のライトアップも見物しました。
早朝、夜明けが近くなり、ウユニ塩湖の地平線がほんのりと明るくなりはじめたので日の出を期待しましたが昨夜の暗雲が立ち込めたままでした。 朝食後の出発時には、暗雲も消え去り青空に、遠方の山と、それを鏡のように映し出すウユニ塩湖。今日はその絶景が期待できそうです。
かなり不便そうな塩湖の中心にある、塩のホテル「プラヤ・ブラン」

7日目(1月20日)

8日目(1月21日)

今日は、まったくの移動日です。ラ・パスから空路でサンタクルスを経由して、アメリカのマイアミに向います。さらにマイアミで飛行機を乗り継いでダラスに到着後、ダラスで一泊します。
今日も、移動日でダラスから日本に帰ります。
9月24日広場
町の中心は、この街で独立運動が開始された記念日から名付けた9月24日広場です。ここにはヤシや草花が植えられ正面にはカテドラルが立ち、広場を囲むように伝統的建築様式オルコンの市庁舎、近代的な州立銀行やアルゼンチン国営銀行などの対照的な建築様式が並んでいます。
5月25日広場と自由の家、
町の中心は、この街で独立運動が開始された記念日から名付けた5月25日広場、この正面に建つ白壁の建物。独立宣言文の調印が行われた場所でもあり、その後幾度と無く起きたクーデターの舞台となった歴史を刻む建物です。現在は歴史図書館となっています。
見渡す限り六角形のタイルを敷き詰めたような結晶化した塩の奇観がどこまでも続きます

今日は、まったくの移動日です。アメリカン航空便で成田空港からダラス経由でマイアミに到着後、乗り継ぎ便でボリビアのラ・パス経由でサンタ・クルスにやっと到着です。飛行機に乗っていた時間だけでも約23時間半の長旅で~す。

9日目(1月22日)

ウユニ塩湖(正式には塩原)の入口から湖面に入り4WD車に乗って塩湖の中心部のほうへと向かいます。見渡す限り真っ白な純白の世界、湖面と空が一体化しています。
というわけで、お決まりの遠近法を使ったトリック写真撮影会スタート
大学博物館
サン・フランシスコ教会
ユカと呼ばれる長芋に似たイモ
ウユニ塩湖の上にテーブルと椅子を並べれは、そこは絶景を独り占めできる最高のレストラン。風の匂いも味わいながら、ランチを楽しみます。
小さな屋台が並ぶショップ街、ラ・レコバ・ウナルクルスは9月24日広場近くの宿泊したホテルから数分のところにあります。

1日目(1月14日)

Comercio通り
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