メインディッシュ
港での歓迎です
マーケット・カフェ
プールサイドのグリルではBBQが食べられます
今夜のタオル・アート作品は何の動物でしょうか??
拡張工事の基地
イギリス海軍の攻囲を凌いだ守備隊長ブラス・デ・レソの像
長さ4kmに及ぶ城壁と塔
マジェスティ・オブ・シーズ
ノルウェイジャン・スカイ
マングローブの種とカニ
サン・イグナシオ稜堡
大人の為にはもちろんカジノやバーの遊戯施設もありスロットル・マシンもありますが、生々しく現金(米ドル)チャツチャーまであります。
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イグアナ
サン・ペドロ・クラベール修道院

今回の旅行の最大の目的はパナマ運河設立100周年記念の今年に高さのある大型客船で横断する事です。太平洋と大西洋側を結ぶ運河は今世紀最大の偉業で、運河は1904年から10年の歳月をかけて1914年に開通しました。地中海と紅海を結ぶスエズ運河は海面の高度差が少ないため単純な水路式ですが、パナマ運河は太平洋と大西洋の水位にも潮流による高低差があるため閘門(こうもん)によって水位を上下させて船を通航させる方式を採用しています。閘門のロックは幅33.53m、長さ 304.8m、深さ 25.9mに作られているため、通航できる最大サイズの船は「パナマックス」と呼ばれて幅32.3m、長さ294.1m、水深12m以下の喫水の船舶に限定されています。
今回、私達が乗船するのはノルウェージャン・スター号と呼ばれるパナマ運河を通航するクルーズ用に建造された全長294m、全幅32m、乗客定員2,350名、乗員1,100名、デッキ数14階、91,740トンの最大船型シリーズです。

普通にスーパマンが歩いていたり、エルビス・プレスリーがカフェでお茶していたりと、、、、映画のエンターテインメントが街にあふれています。
カボ・サンルーカス(メキシコ)
バハカリフォルニア半島最南端に位置するリゾート地がカボサンルーカスです。隣にあるサンホセデルカボを含み、この地域一帯はロスカボスと呼ばれています。ロスから飛行機で2時間というアクセスの良さもありアカプルコと同様にハリウッドスター達のお忍びの避寒地として脚光を浴びはじめた新しいリーゾート地です。マドンナ、S・スタローン、M・ジャガー、A・シュワルツネッガーなどもこの地に豪華な別荘を持っているそうです。バハ・カリフォルニアメキシコを代表する庶民的な太平洋岸で人気の高いビーチリゾートです。赤茶けた砂漠の果てに現れるコルテス海(カリフォルニア湾)と太平洋が交わる海は、「世界でいちばん海洋生物が棲みやすい場所」と言われており、海亀の産卵、アシカやマンタの生息地としても有名です。また冬のシーズンには鯨を間近に見ることも出来るそうです。目抜き通りのマリーナ通りには、ホテル、ショッピングモール、ダイビングショップなどが軒を並べています。

前方に別の豪華客船が進んでいます、それはロイヤルカリビアン社の「リジェンド・オブザ・シーズ」という69,000トンの船でした。
パパガージョ公園、
ビーチ沿いに延びるラコステラ通沿いにあり、南国の木々や花々が植えられ、さまざまな野鳥や動物が飼育されている市民憩いの場です。

11日目(11月26日)

今日はエルヴィス・プレスリーが主演した映画「アカプルコの海 (Fun In Acapulco)」の舞台としても取り上げられ、他にも、その風光明媚な土地柄から多数の映画のロケ地として使用されてるメキシコを代表する庶民的なビーチリゾートのアカプルコに入港します。
ミラ・フローレス閘門の脇にあるビジターセンターの展望台からは運河を見学に来た人々が拍手と手を振ってノルウエージャン・スター号を迎えてくれました。ここはパナマ・シティーから6km程の場所にあるので陸路からの観光客が多く来る所だそうです。
いよいよ最後のミラ・フローレス閘門まできました。ここでは船を太平洋の高さまで約11mの高さを2段に分けて下げます。特にこの水門は太平洋の急激な水位変化に対応できるように運河の中で一番大きく頑丈に造られています。船尾から振り返って見ると通過してきたペドロ・ミゲル閘門やセンティニアル橋が見えました。
この鉄橋は、パナマ運河鉄道(パナマ地峡鉄道)の鉄橋です。パナマ運河にほぼ平行して走る鉄道で、長さ77Kmでパナマ唯一の鉄道かつ、世界最短の大陸横断鉄道です。朝と晩片道ずつ走り、1日に一往復しか走らないと言われています。その先にはパナマ運河で2番目に長い2004年に完成したセンティニアル橋が見えてきました。
ロックの許容最大幅32.3mに対して私達の船は幅32.0mの91,740トンの巨大な船がこの幅を保ちながら無傷で通過していくのですから、本当にスゴイ事です。これこそ、パナマ運河見物の「見せ場」であり「スリル」というものではないでしょうか。ロックから出ると広大な人造湖のガツン湖が広がります。船はブイに沿って自力で航行しますが時間調整のために停泊する船もあります。ガツン湖を出るとゲイラード・カット(以前はクレブラ・カット)と呼ばれる約13kmの水路に入ります。水路の名は、水路掘削に貢献したゲイラード大佐の名に由来するとのことです。この水路はアメリカ大陸の分水嶺の硬い岩盤を削ったもので工事が最も難航した場所で、まさに巨大な堀削り水路です。現在も拡張工事に伴い拡幅と浚渫(しゅんせつ)工事が行われていました。

2日目(11月17日)

朝はゆっくりとホテルで朝食を食べた後に、乗船のガイダンスを受けた後にバスでマイアミ港に向います。バスの中からでもノルウェイジャン・スターの姿が見えてきました。

今日は、まったくの移動日です。成田空港で今日から飾られたクリスマスツリーを見ながら15:30発のデルタ航空94便でアトランタ経由で出港地のマイアミに向います。マイアミは全米一の避寒地で、カリブ海や中南米地域と経済・文化的にも深い繋がりを持ち、またカリブ海クルーズの玄関口となっています。21:30にマイアミ到着、今夜は空港内にあるマイアミ・インターナショナル・エアポート・ホテルに宿泊。。

1日目(11月16日)

今日は終日航海で、長いクルーズもとうとう最終目的地のロスアンゼルスに明日の朝到着するのを残すのみです。下船説明会や船内会計のチェックと精算、荷造り準備といろいろしなければならない事がありましたが、毎朝のストレッチ・エアロビクス、ゴルフの練習そしてジャグジーと、クルーズの最後の日も、ゆったりと過ごしました。
リジェンド・オブザ・シーズ号
サンディエゴ要塞、
海賊から町を守る為に1616~1617年に建てられ、地震で崩壊後に1778~1783年に再建された断崖の上に建つ星型五角形の石造りの建物ですが現在はアカプルコ歴史博物館となっています。
アカプルコ(メキシコ)
アカプルコの正式名称はアカプルコ・デ・フアレス (Acapulco de Juárez)、主要な太平洋の港の一つであり "メキシコビーチの女王"ともされるその湾は、非常に人気があり、海岸沿いに大規模なリゾートホテルや豪華な別荘が立ち並び、年間を通じて国内外の観光客が数百万人も訪れます。従ってアカプルコは騒々しく、静かなビーチとは逆に大都市のペースに近いく、その人口はほぼ100万人に達します。原住民のカジュアルでカーニバル的な雰囲気はメキシコ国内外でも有名になっています。街はソカロを中心とした旧市街と、その8km東にある新市街(アカプルコ・ドラダ)があります。このふたつのエリアはビーチ沿いに延びるラコステラ(La Costera)と言う目抜き通りで結ばれています。港のすぐ近くが旧市街となっていてどんなところかと早速街に繰り出してみました。
サンタクルスの港前広場
広場での歓迎の踊り
カラーラ国立公園は、太平洋に流れ込むタルコレス川の水源地となっている森林地帯で、動植物層の豊かな太平洋性気候の森では、北部に広がる熱帯乾燥林と南部の熱帯雨林の中間に位置していることから、両エリアに生息する野鳥を観察できます。コンゴウインコを筆頭に野鳥の宝庫となっています。カラーラ国立公園に近いタルコレス川の河口周辺には、生物の「ゆりかご」と呼ばれる鬱蒼としたマングローブ地帯が広がっています。タルコレス川はワニがとても多いことで有名で、その大きさは大小さまざまですが、この水辺をボートを利用して観光します。
今日は、終日航海。 フィットネス、クラフトアートなどを楽しみながら、ゆっくり過ごしました。 船内の飾り付けがクリスマス・ツリーを出したのでいよいよクリスマスらしい雰囲気になりました。

7日目(11月22日)

2番のロックに注水したので船が浮き、1番ロックの排水開始。
門の手前の橋は車も通行可。
1番の黒色ロックを開いて排水します。

今日は、いよいよパナマ運河を通過します。平均的な船舶が運河を通過する所要時間は約9時間かかります。近年は1日平均37隻、年13,000隻以上の船舶が運河を通航しているそうです。ブリッジからの事前の情報では6:00頃にパイロット(水先案内人)が乗船して、運河に入り7:00に最初のガツン閘門に入る予定ですが、すでに多くの船が湾内で順番待ちをしていましたので先行する船の通過の様子を見学できました。船がロックに近づくとタグボートを取り、ロックに入ってからは船はエンジンを止めて機関車にワイヤーロープで繋ぎ、船の位置を水路の中央に固定することによってバランスを取りながら曳航されますのでギリギリの幅でも通過できるのです。。この船舶牽引用の特殊な電気機関車は、船の規模によって4台から8台使用されます。

旧市街のサン・ペドロ地区には主要な歴史的建造物群が多く残っています。ボリーバル公園に面する大聖堂は1575年から1612年にかけて建造され、同じく公園に面している旧宗教裁判所は1601年の建造だが、現在残っているバロック様式の玄関やコロニアル様式のバルコニーなどを備えた建物は1770年に改築されたものです。少し離れた、サント・ドミンゴ広場には1579年に建てられ、現在は神学校になっているサント・ドミンゴ教会なども残っています。またサン・イグナシオ稜堡近くには、黒人奴隷のために活動し、のちに列聖されたペドロ・クラベールの名を冠した1603年に建てられたイエズス会のサン・ペドロ・クラベール修道院があります。

16世紀にスペイン人がインカ帝国を滅ぼして以来、アンデス山脈に眠る数々の鉱脈や財宝はヨーロッパを魅了し争いの火種となりました。とりわけスペインが手に入れたかったものは、「緑の火」と呼ばれるエメラルド。エメラルドをはじめとするアメリカ大陸の産物の輸出港となり、南米北部の奴隷貿易の中心地でもあった。その富を狙いイギリスやフランスの手先となった海賊達が押し寄せましたので1533年にカリブ海で横行する海賊から守るため、スペイン人は高さ12m、厚さ17m、長さ4kmに及ぶ城壁を建設しました。さらに、湾や潟湖の入口ごとに堅牢な要塞が築かれていきました。その要塞の中心を担ったのが1657年完成のサン・フェリペ要塞です。イギリス海軍の攻囲を凌いだ時にも重要な役割を果たしました。守備隊長ブラス・デ・レソは隻眼・隻腕となり、さらに片足まで失って奮闘した活躍をたたえ彼の像が建てられています。堅固な城壁に囲まれたこの地は新世界に黄金を求めたスペインの冒険家たちの基地として200年以上にわたって海賊達の攻撃から守られてきました。現在では中南米の商業、貿易の基地として発展しています。1985年にスペイン植民地時代の面影を残す城塞都市としてコロンビアのカルタヘナはユネスコの世界遺産に登録されたコロンビア最大のリゾート地です。

ワインのティステイングができるワインセラー

12階のマーケット・カフェで遅めのブュッフェのランチ。もちろん船の中での食事は全て無料です。レストランでもルームサービスでも全部無料です。しかも24時間、なにかしらの食事ができるようになっているので一歩間違うと、例のトドなみの「巨漢」デブになってしまう可能性大です。昼食後の15:30から避難訓練がありましたが、前回のエーゲ海クルーズの時と異なりシアターに集合して救命胴衣の付け方の説明会といった感じでした。

私達の船も通過に2時間かけてやっと9:00にガツン湖に出ました
フレンチのレ・ビストロ
サン・フェリッペ教会とソカロを中心とした旧市街

3日目(11月18日)

マイアミ港の日没を見てから部屋に戻り18:00からメインダイニングのベルサイユにて夕食、食事の後はスターダスト・シアターでウエルカムショーがあり沢山の人で賑わっていましたが写真撮影は禁じられていましたので紹介は、あしからず。
プンタレナスの砂浜の芸術
16:00出港予定でしたが、マイアミ港は出港ラッシュです。船尾にはノルウェイジャン・スカイが停泊していましたが何故か先に出港でした。最初にカーニバル・エクスタシー、続いてロイヤルカリビアン社のマジェスティ・オブ・シーズ、そして船尾にいたノルウェイジャン・スカイの順で約1時間遅れの出港ですが長い船旅、ゆっくりのんびりと行きます。おかげでマイアミ港の日没を見ることが出来ました。
ラ・クルセシータの町から再びサンタクルスの海岸に戻り、海水浴と日光浴を楽しんだ後に出港です。
パナマ運河で太平洋側の最初の閘門であるペドロ・ミゲル閘門に到着しました。今度は下りです。この閘門は、一段のみでミラ・フローレス湖と言われる人造湖の高さまで約9.5m船を下げてゆきます。ここから前方にあるミラ・フローレス閘門までは1.7km 程度しかありません。この閘門の隣のロックには大型ヨットが停泊していましたが、小さいので、後から来る貨物船と一緒に通過しました。ちなみに、パナマ運河の通航料は、船種や船舶の積載量、トン数や全長など船舶の大きさに基づき定められています。1トンにつき1.39ドル、平均で54,000ドルです。近年は船舶の大型化による通航料の最高額更新が続いていて2008年には豪華客船ノルウエージャン・ジェイド(Norwegian Jade)号が313,000ドル以上を支払ったそうです。また、最も低額の通航料は、1928年にパナマ運河を泳いで通過した、米国の冒険作家であるリチャード・ハリバートン(Richard Halliburton) が支払った36セントでする。
サウナ、インドアプール
エステ、美容サロン

16日目(12月01日)

ライブラリー
今日は、デルタ航空283便にて帰国の途に、
今夜のタオル・アート作品は昼間ジャングルで見たカニでしょうか
サント・ドミンゴ広場
シアター
フィットネスジム
今夜の宿泊は、ヒルトン・エアポートホテル。街もホテルも、すっかりクリスマス モードでした。
ボリーバル公園
旧宗教裁判所
「ジャングル・クロコダイル・サファリ」出と言うだけあってワニが沢山います。
近年の船舶の巨大化に伴い新たなパナマ運河の拡張工事が2007年に始まりパナマ運河設立100周年記念の2014年の完成を目指していましたが遅れて2015年以降になる見通しです。拡張工事は、最大幅55mの船舶の運航を可能にする従来の2つの水路に平行してより大きい水路を設けて、通航許容量を現在の2倍に引き上げる計画です。総事業費は約53億ドルを予定。今回この運河横断中に工事現場の一部を見ることが出来ました。一方、ニカラグア政府は新運河の建設を2014年12月着工、2019年完成予定の計画を発表しました。パナマ運河の総延長の3倍以上で、中国系の香港ニカラグア運河開発投資有限公司(HKND社)によると建設費は400億ドル規模だそうです。遂にパナマ運河拡張工事が2016年6月26日に完成しましたので紹介の新聞記事をページの最後に添付しました。
船のガラスに写っているジャグジーの写真拡大しましたが、、、、、
ラ・クルセシータの町と、ヨハネ・パウロ2世も訪れたグアダルーペ教会
1番のロックと水位が同じになったので私達の船がロックに入ります。
港のドックに戻り、いよいよパナマに向けて出港です。要塞都市カルタヘナには港を見下ろす丘の上にも湾の入り口のも要塞が築かれていました。
船内ショップのギャラリエ
アート・ギャラリー
今夜のタオル・アート作品はアヒルでしょうか
カーニバル・エクスタシー
バビロンコートのゲートの間からはハリウッド・サインがきれいに見えます
現地ガイドさんの説明によるとマングローブは、木から垂れ下がっている紐のような棒(ガイドさんが手にもっている物)がマングローブの種で、木から地面に刺さるように落ちて若木の芽になるそううです。
サン・フェリペ要塞
パンプキン・スープ
ティーンの談話室の横には、沢山お金を使ってもらうためかゲーム・センターがあります。
ゲーム・センター
サント・ドミンゴ教会

悠久のポルトガル8日間

今朝6:30にロサンゼルス南の小さな半島に位置するサンペドロ港に入港しました。サンペドロは、すぐ隣のロングビーチ港と共にアメリカ西海岸の海の玄関口で、ロサンゼルス港ワールドクルーズセンターの拠点であり、豪華客船がバハカリフォルニア、ハワイ、アラスカなどへの発着港です。前方を進んでいる船はアラスカ航路から帰船したゴールデン・プリンセスです。今回は船のなかでアメリカ入国審査が行われたので、スムーズに船を降りることが出来ました。

ロサンゼルス(アメリカ)
ロサンゼルスはニューヨークに次ぐ第2の大都市で郡内には、ビバリーヒルズ、サンタモニカ、ロングビーチなどが含まれます。郡の面積12,308km²で、人口は北米ではニューヨークに次ぐ第2位で市内にはハリウッドやザ・バレーなどがあり、ユニバーサルスタジオなど世界有数のテーマパークが揃う国際都市です。

前菜
外のデッキやプールの紹介です。

旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

2016年6月28日付け朝日新聞記事より添付

成田に帰国

ハリウッド
映画関連の施設やエンターテインメントが街中にあふれるハリウッド。その中心がハリウッド&ハイランド。ハリウッドBlvd.とハイランドAve.を囲む約6万平方メートルの広大な敷地に、アカデミー賞授賞式会場となるドルビー・シアターをはじめ、ハリウッド・サインがきれいに見えるバビロンコートや、各国レストラン、シネマコンプレックス、ホテル、専門店街などが集合した複合型アミューズメント・パーク です。その一角には映画スターの手形足形が印されたグローマンズ・ チャイニーズ・シアターをはじめ、ハリウッドの象徴であるハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムなどがあります。今日は、偶然にもハリウッドのクリスマス・パレードが午後にあるので、その準備で道路にレッドカーペットが敷かれていました。

15日目(11月30日)

14日目(11月29日)

13日目(11月28日)

今日は、いよいよクルーズの最後の寄港地メキシコのカボ・サンルーカスに入港します。
パンプキン・パイ
少しおしゃれしてディナーを

12日目(11月27日)

今日は終日航海日ですが、Thanks Giving Day(感謝祭)です。感謝祭はアメリカでは11月の第四木曜日に、遠く離れた家族・親戚が再会して絆を深め1年間の神の恵みや作物の豊作などに感謝するアメリカの伝統として根付いている休日です。その由来については、移民者とインデアンでは立場が異なるようで事実とは異なった話が一般になっていますが、カボチャのランタンなどで飾りをして、それぞれの家庭で伝統的なサンクス・ギビンググ・ディナーを楽みます。一般的にメインディッシュとなるのは、詰め物をした大きな七面鳥の丸焼きを切り分けた肉にグレービーソース(肉汁)とクランベリーソースを添えて、副菜には、マッシュポテトやオレンジ色のヤムイモ(サツマイモの一種)の料理、さやいんげんのキャセロールなどが一般的です。デザートには、パンプキンパイが供されることが多いです。飲物もオレンジ色のカクテルであるスクリュードライバーやオレンジジュースなどパンプキンの色の物がテーブルにのります。今宵はパンプキンなどで飾り付けされ船内のメイン・ダイニングで伝統的なサンクス・ギビンググ・ディナーをいただきました。
日本広場(支倉常長記念碑)
1609年(慶長14年)にフィリピン総督 ドン・ロドリゴ一行が、マニラからアカプルコへ向かう航海中台風に遭い房総半島の御宿海岸で遭難し地元民に救出された一行に、徳川家康がウィリアム・アダムスの建造した船を贈りメキシコへ送還したことがあり、その後、1614年(慶長19年)1月にはローマへ向かう伊達藩士、支倉常長一行がサン・ファン・バウティスタ号に乗り経由地としてアカプルコに日本人として初めて上陸するなど、日本とも縁が深い場所で、千葉県御宿町や宮城県仙台市の姉妹都市です。この広場は日本・メキシコ親交400周年を記念して2010年に造られました。日本の観光案内書に書かれている様に、地元の人々に「支倉常長像」の場所について聞いても誰も知りませんでした。よくあることですが人名ではなく日本広場が地元での呼称でした。今年は日本からの最初の支倉常長・通商外交使節団の到着400周年とパナマ運河開通100周年のダブリュ記念の年でした。
リジェンド・オブザ・シーズ号と並んで
沖に停泊中の船に、テンダーボートで戻ります
ウアトルコ(メキシコ)
2度目のメキシコです。初めてきたのは30年前に、しかも子ずれの家族旅行でした。。。。。。今日はウアトルコとラ・クルセシータの街の観光です。ここはアカプルコの南東約500Kmにあるオアハカ州の海岸沿いの素朴なリゾート地、船は8:00に着岸、下船して桟橋を歩きサンタクルスの街の教会前広場へ。小さい街なのであっという間にまわれるのですが、めっちゃくちゃ暑い!!太陽じりじりでした。何軒かのレストランやBarがあったりミニ市場やおみやげ物やさんがいくつか並ぶとてものどかな街です。港から1.5Km程離れたラ・クルセシータを目指して歩きました。ラ・クルセシータの町では、ヨハネ・パウロ2世も訪れた小さな教会には、メキシコの守護聖人グアダルーペのマリア様や鮮やかな色使いの壁、美しい天井のフレスコ画がありました。午後は海岸で海水浴を楽しみました。

10日目(11月25日)

今日は、終日航海。 フィットネス、クラフトアート、ダンス講習会などを楽しみながら過ごしました。 。

9日目(11月24日)

今夜のタオル・アート作品はゾウでしょうか
プンタレナスの日の出
ミラ・フローレス閘門を過ぎ、左手に高層ビル街のパナマ・シティーの街並みを見ながらバルボア港を経て1962年完成のラス・アメリカ橋を15:20に通過。この橋が出来たことでアラスカからウシュアイアまでを繋ぐパン・アメリカン・ハイウェイが南北アメリカを結ぶ事が出来ました。予定時間より早く、感動の中、無事パナマ運河を完航して太平洋出ました。自然遺産もすごいけれど人間はすごいものを作り出したのだなあ、というまさに人類の叡智。建設に携わった人たちの偉大さとその努力に脱帽です。
今日は、コスタリカのプンタレナスに7:00に船が到着。舩会社主催の観光ツアーでカラーラ国立公園に「ジャングル・サファリ」出かけます。

8日目(11月23日)

夕食後にシアターでグラミー賞ノミネートのドイツ人クラシック・ギターリスト、フアビオ・ジニ(Fabio Zini)の演奏を聞いて部屋に戻ると運河の通過証明書とともに部屋係の方がタオル・アートで、犬の様な動物を作って置いてありました。
日本(東洋電機製造)製のラック・ピニオン式の機関車が船を牽引する様子
2番目の閘門(ロック)が完全に閉じました。
隣のコンテナ貨物船を牽引開始
左の船は2番目の白色の閘門(ロック)を閉じようとしています。
パナマ運河クルージング(パナマ)

太平洋と大西洋側を結ぶ運河は今世紀最大の偉業、運河は1914年に開通しましたが1999年までは運河とその両岸の地域はアメリカの支配化にありました。 パナマ運河の船は巨大な閘門(こうもん)を越えて長さ80kmの運河を通り抜けるためにパナマ運河の中央部海抜26mに位置する世界最大の人口湖のひとつガツン湖を渡り、深緑のジャングルの間をクルーズします。太平洋と大西洋の水位にも高低差があるため、閘門(ロック)によって水位を上下させて船を通航させる方式を採用しています。つまり、カリブ海から太平洋へ向かう場合、船は、ガツン・ロックでの水位調整によって海抜26mまで持ち上げられてガツン湖に入ります。続いてペドロ・ミゲル・ロックで海抜17mまで、次にミラフロレス・ロックで海水面と同じ高さに下げられて太平洋に至ります。

現地観光の常ですが、エメラルド博物館にも行ってきました。かってスペインが手に入れたかった、「緑の火」と呼ばれるエメラルドはコロンビア産が最高品質だそうです。
クルーズ最初の寄港地、コロンビアのカルタヘナに時間どうり入港です。ターミナルビルはトロピカルアイランドの様、、、、、、フラミンゴや鳥がいましたが、外に一歩出るとクルーズ船の着く港でよく見られる光景ですが、タクシーや観光ツアーのバスの客引きが大勢たむろしていました。その中から現地観光ツアーを購入して、いよいよ市内観光に出発です。

5日目(11月20日)

新市街はカリブ海に面して近代的な高層ビルが建ち並ぶ美しい町でした。
今夜のタオル・アート作品はネズミでしょうか??
カルタヘナ(コロンビア)
無事に乗船手続きを終えて船に乗り込みました。14階建ての船で屋上にはプールはもちろん、フィットネスジム、サウナやエステ、美容サロンのほか、いろんな趣向の9のバーやラウンジ、13のレストラン、映画館や1000人収容の大きなスターダスト・シアターがあって、毎晩いろんなアトラクションが催されるのです。乗ってる人はアメリカ人が多い感じ。そしてほとんどの皆さんがトドのような「巨漢」です。、、、、乗船はメインロビーのある7階から入ると吹き抜けのロビー、透明のエレベーターなどがありちょっとしたホテルの様です。
イタリアンのラ・クッチーナ
和食・寿司・鉄板焼の銀座レストラン

4日目(11月19日)

先行する船は3番目のロックからガツン湖に出ました
天井のフレスコ画
メキシコの守護聖人グアダルーペのマリア様
先行する船は3番目の赤色のロックを閉じようとしています
水門の上は人が通行できます
パイロット船に見送られて出港
アカデミー賞授賞式会場となるドルビー・シアター、前の階段には赤いカーペットが敷き詰められて、周りはバラの花がこぼれんばかりに飾られるそうです。そしてかつてのアカデミー賞受賞作品がこうやって会場の柱に刻まれています。
カラーラ国立公園の観光を終えてからは、プンタレナスの海岸と街中散策です。
コンゴウインコ。
クルーズ・スタッフのオランダ人のトムさん(ベトナム生まれで6ヶ国語を話せる)の案内で船内ツアーを今回のツアー参加者17名の全員で見学です。
イングリッシュパブ・レッドライオン
アカプルコのマーメイド像
プンタレナス沖の夕陽
カルタヘナ大聖堂
大聖堂の内部
終日航海の日ですが、朝飯前にフィツトネス・センターで人汗流してからメインダイニングで、ゆったりと朝食をいただき、午前中はいろいろな船内の催物に参加して、午後は船内の探検です。いろいろなレストランやカフェテリアがありますので紹介を、、、、、
次に向かったのは、手形のある「チャイニーズシアター」
ステーキハウスのカグニー
メインダイニングのベルサイユ
今日から、いよいよクルーズ・ライフが始まります。朝7:00-8:00はフィットネス・センターでのストレッチ・エアロビをこれから毎日続けます。終日航海の日は食べて、寝っころがって、プール・ジャグジーに浸かって、また食べて、寝るという、ブロイラー生活が続くんです。13階のデッキを一周しても、たったの400m、、、日本の日常生活を考えても、これではトドになりかねません、ひえーっ。トドの話ついでに乗客の国籍別一覧が発表されましたので見てみると2381人中1496人がアメリカ国籍(約63%)、日本人は24名でたったの1%なのでトド、いや巨漢のアメリカ人が目立つわけです。ついでに船内新聞に乗員の国籍別一覧がありましたので紹介しますと60カ国以上の国から来ていますがフィリピン435名、インド127名、インドネシア113名がベスト3です。
次に向かったのは、時代の最先端やセンスの良さを売り物にしているLAの観光地の中で、一番素朴で気取りのないファーマーズマーケット。同じ敷地内には、地元で人気のショッピングモールのザ・グローブ(The Grove)もあります。昼食はファーマーズマーケットの2Fにあるロバート・デ・ニーロの経営するプラネット・ディリーズ(Planet Dailies)で、なかなか美味でした。
歓迎の楽団
浜辺の魚市場
ここでは沖に船を停めて「テンダーボート」(要するに救命艇ライフボート)に乗って港に向かい上陸します。

2014年11月16日~12月02日

17日目(12月02日)

サボテンの歓迎
プンタレナスの桟橋
プンタレナス(コスタリカ)
スペイン人探検家は、黄金と豊かな富が噂される中米のこの一帯を、コスタリカ(豊かな海岸)と呼びました。米州のスイスといわれるコスタリカは、二つの大洋と二つの大陸に挟まれた独特の地形にあります。両岸は熱帯雨林、内陸は山となり、その多くは標高4000メートル以上になります。西の太平洋岸には、茶色い砂浜が果てしなく続いています。熱帯雨林や数多くの国立公園、生物保護区、透き通った青い海と砂浜のあるコスタリカには九州と四国を足したくらいの大きさの国に850
種の鳥類が住み、数千種類もの野生蘭があり全地球上の4%の動植物が生息するというユニークな国です。その豊かな自然を守りながら観光業も発展させていこうということで、「エコツーリズム」が注目を浴びてきているそうです。コーヒーとバナナはもう昔の話で、これからと内戦の反省から永世中立国を宣言して森林の保護や教育に力を入れて観光立国で国を支えていくようです。コスタリカは中米のなかにあって、1949年に唯一常備軍を持たない国となり、国家予算の20%位を教育費に当てているそうです。また中南米の3C(コスタリカ、コロンビア、チリ)の一つとして美人の多い国です。白人と先住民の混血が多い国なので、美しい傑作を作り上げるのでしょうか?

プンタレナスとは、砂の岬と言う意味で実際に、5kmに渡り細長い砂州が太平洋岸のニコヤ湾に突き出た港湾都市でコスタリカの海の玄関口です。大きな街ではないけど、ビーチには 海水浴を楽しむ人で賑わっている、ちょっとしたリゾート地のようでした。

6日目(11月21日)

今夜のタオル・アート作品はペンギンです
イグアナ
1番のロックの扉が開きました
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