アディスアベバ上空

5日目(10月25日)

ウォルビスベイ(Walvis Bay)
砂漠が広がる大西洋岸において随一の良港であるこの町は、1884年に南西アフリカとしてドイツ領とする以前から飛び地としてイギリスのケープ植民地でした。ウォルビスベイや、周辺のラグーン(干潟)にはフラミンゴ、ペリカンなどの水鳥が豊富でバードウォッチャーの天国となっています。黒いくちばしはレサー・フラミンゴ、白いくちばしはグレーター・フラミンゴです。その後、海岸近くにある規模は小さい砂丘の手前の湖にいるフラミンゴの群れを車窓から見ました。

トゥイフェルフォンティン(Twyfelfontein),
2400を超えるブッシュマンの壁画が彫られている、世界でも貴重なオープンエアのロックアートギャラリーで2007年にナミビア初の世界遺産に登録されました。これらの壁画にはゾウ、キリン、サイなどの動物、動物や人の足跡、その他は当時の人々の生活を描いたものなどがあります。ここの壁画は砂岩を彫った彫絵で、他所でみられる顔料によるものではありません。これらの壁画は、西暦1000年までの2000年ほどの間に作り上げたものです。この地方で狩猟採集生活を営んでいた人々が、宗教上の儀礼の一環として描いたものと考えられている。中には、有名なライオンマンのように人が動物に変身するさまを描いたものもあります。過去にブッシュマンはこの場所に雨季になると定期的に集い、乾季に離散していったと伝えられています

3日目(10月23日)

今日は、まったくの移動日です。成田空港発21:45のエチオピア航空アディスアベバ行き直行便で経由地のソウル・仁川空港に向かいます。前回エチオピアに行った2015年4月に日本初就航のエチオピア航空便は、当時中国からのアフリカへの土民工の乗客が多かった為か香港経由でしたが、今年の4月からは観光客の多いソウル経由に変わったそうです。

1日目(10月21日)

8日目(10月28日)

ウィントフック空港
ヨハネスブルク空港で南アのラグビー・チームメンバーと
アディスアベバ空港
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

エチオピア航空でソウル仁川空港から成田に向かいます。

今日は、帰国の移動日です。空路で、南アフリカ共和国のヨハネスブルク、そしてエチオピアのアディスアベバに向います。その後、経由地のソウル仁川空港へ向かう長が~い一日です。

7日目(10月27日)

宿泊したマリオット・アバニホテル

ウィントフック(Windhock),
ナミビアの首都ウィントフックは、植民地時代にドイツ領西アフリカの首都となったことから、今日でもドイツ系住民が多く、ヨーロッパ的な街並みが残されています。

観光を終えて、途中のレホホフス(Rehdboth)と言う、19世紀に主としてドイツ系白人と黒人の混血の人々が、どちらの部族やコミュニティーに入れず造って、そのままアパルトヘイト政策に組み込まれた町を通りウィントフックに戻ります。
デューン33(Dune33)、
ナウクルフト・ナショナルパークのセスリムゲートから33キロ地点に位置ある大きな砂丘です。
デューン45(Dune45)、
デューン45は、砂漠の中で登頂が許されている数少ない砂丘の一つです。ナウクルフト・ナショナルパークのセスリムゲートから45キロ地点に位置します。 このデューン45は限りなくある砂丘群の中でも特に美しい形をしています。 ナミブ砂漠は赤褐色の美しい砂漠として有名ですが、このエリアの砂丘群は美しい色の砂で、ナミブ砂漠で一番の観光名所になっています。細かい粒子の砂は、朝日や夕日に照らされてより一層赤く染まり、照らされた赤色の砂浜と陰になる部分とのコントラストでさらに美しさが際立つそうです。 登頂しましたが時間によって砂の温度がかなり変わりますので朝方か夕方に登頂すると砂が熱くなく良いでしょう。スニーカーは内部に砂が入って歩きづらいのでストラップなどがあり脱げずらいサンダルが良かと思います。   
ビッグダディ(Big Daddy)
ソーサスフレイで最大の砂丘ビッグダディは、最高峰の325mの標高を持つ砂丘でデッドフレイの背後にありますので砂丘を登頂してきました。 本来はデッドフレイの駐車場から尾根道を登りますが30度位の傾斜を直登しましたので、新雪の雪山をラッセルしていると言うか、底なし沼の様に足が砂の中にめり込み大変でしたが頂に着くことが出来ました。
ビッグダディのここを登っています ------
ソッサスフレイ(Sossusvlei)
ソッサスフレイはアフリカーンス語で「The end of the river(河の終わり)」という意味を持つ地です。ナミブ砂漠を保護しているナウクラフト・ナショナルパーク内にあり、巨大な砂丘が果てしなく続くナミブ砂漠の核心部ともいえる場所です。ソッサスフレイは砂丘の谷間を指す地名で、若干ながらアカシアが繁り、雨季には水が溜まりオアシスになることもあります。周囲の砂丘で一番高いものは400mを超えるものもあります。特に朝日、夕日の砂丘は柔らかな曲線のシルエットを描き、息を飲む美しさです。なお、近年は日没後の走行は禁止されており、早朝日の出前の出発の方が良い写真がとれます。ごく近くには「まるで絵画のような不思議な景色」として紹介されて、世界で有名になったデッドフレイ(Deadvlei)と呼ばれる過去にオアシスであったものが、砂丘に囲まれて全て涸れた窪地があります。
今日は、昨日遊覧飛行したナミブ砂漠観光の拠点を4WD車で観光します。セスリウム・キャンプサイトを夜明け前の4:45に出発し、ソッサスフレイ、デッドフレイ、ビックダディー、デューン45、デューン33、フェアリーサークルなどを周ります。
デッドフレイ(Deadvlei)
デッドフレイ(=死の沼)と名付けられた場所には約1,000年前には水がありましたが、気候変動で干上がってその跡だけが残り、白くひび割れた大地と枯れてしまったアカシアの木が微生物によって分解されることなく立ち不思議な景色をつくりだします。そして、ここでは朝日が昇るほんの15分〜20分の間だけ砂丘によって出来る影と朝日で赤く染められた砂漠によって芸術的な絵画のような光景が見られる絶景として知られていますが、、、、、、朝日が反対側の砂丘に当たると、暗かった世界が一気に鮮やかなオレンジ色に変わります。上から下に徐々に日が差すため、日が当たっていない大地と枯れ木は海の底のような暗さですが、日がどんどん上がると、光と影が作り出すコントラストの絶景が見れますので朝日が上がり地面が白くなるのをひたすら待ちます。砂丘に囲まれているせいか、何も音のしない神秘的な空間に、枯れ木と砂丘が特異な風景をつくる、なかなか面白い場所です。
ああ~太陽が上り始めてしまいました
ベースのセスリウム・キャンプサイトを夜明け前の4:40に出発しましたが、4WD車の調子が悪く途中で車を変更しましたので予定では日の出前の5:55頃にはデッドフレイ駐車場に着くはずでしたが遅れて6:20到着、ここから徒歩約15分でデッドフレイに6:45着きました。(日の出は6:20頃です)
キリンと有名なライオンマン
セスリム(Sesriem)
有名な赤い砂漠のナミブ砂漠への玄関口の街。規模は小さくガソリンスタンドや小さな売店、レストランがある程度の町。デューン45やソッサスフレイ、枯れ木が林立するデッド・フレイなど早朝の美しい時間帯に訪れるために今夜は国立公園内にキャンプ泊します。ここから約60kmでソッサスフレイの中心部へ着きますが最後の10km程度は4WDのみ運転可能な道路となるそうでが明日が楽しみです。今宵はサンセット・シャンパンを飲みながらBBQディナーです。ナミブ砂漠は南回帰線に近い為、天の川や南十字星も比較的見えやすい場所なので、南半球の美しい星空を見ることができました。

ナミブ・ナウクルフト公園(Namib Naukluft Park)
2013年に世界遺産に登録されましたナミブ砂漠は、世界で一番古く、美しい砂漠と言われ、ナミビアの大西洋側に幅50~140km、長さ1,500km以上細長く続く砂漠です。アプリコット色の赤い砂漠として知られています。高さ200~300mにも達する砂丘群が連なる様は圧巻です。南極からの冷たいベンゲラ海流の影響で、年間の降雨量が25mm以下という厳しい気象条件のなかで8000万年の間、南西の風を受けた大地は乾燥し尽くし、大きな砂丘の砂漠へと変化しました。公園内へと入り、最奥のソッサスフレイを目指します。

午後には小型機に乗って約1時間の遊覧飛行"ナミブ・デザート・フライト"を満喫。ナミブ砂漠観光の拠点・セスリウムを出発し、デューン45、ソッサスフレイ砂丘、デッドフレイ、デューン33、フェアリーサークルなどを眺めながらナミブ砂漠を横断。眼下に広がる赤褐色の大地、大西洋とナミブ砂漠が出合う景観、地上からは計りしれない絶景のフライトでした。
南回帰線
南緯23度27分の場所。 冬至の日の一番太陽が高くのぼる時、この線の真上から照らします。 C14道路脇にTropic of Capricorn(南回帰線)の標識が建てられています。
ソッサスフレイ
デューン33
デューン45
ビッグダディ(公園内最大の砂丘)と、デッドフレイ(白い所)
先発のセスナ機が離陸
上空から離陸した空港を見る
クイセブ峠(Kuiseb Pass)
クイセブ峠付近は、コンゴ・プレートとカラハリ・プレートがぶつかり合い土地が隆起し、その後に大西洋からの風、クセイブ川とその上流の今は干上がった川の流れで浸食されて谷になりました。特にクイセブ峠はソーサスフレイからの砂漠化を止める重要な役割をもった地形といわれており、ここから風景は一変して黒い岩砂漠に変貌する風景はとても印象に残る。
15年位の新株は双葉
手前が雄株、奥が雌株

ムーンランドスケープ
ナミビアに広がる岩砂漠の一角にある、まるで月面のように見えることからその名がついたムーンランドスケープ(Moon Landscape 月面大地)。火山爆発によってマグマが地中で固まった跡地にスワコプ川の浸食で柔らかい土地が削られて花崗岩などの硬い岩が残って出来ました。ビューポイントからの広大な景色は、ナミビアの自然活動のダイナミックさを感じることが出来ます。映画の「猿の惑星」でも使われた場所ですが、私たちが訪れた時にも映画のロケ中でした。

ウェルウィッチア(Welwitschia mirabilis)
「砂漠おもと」または、「奇想天外」という和名で、世界で最も醜い巨大植物ウェルウィッチア(Welwitschia)は、ナミブ砂漠に自生する固有種の植物で、1億年ほど前に出現したと考えられています。大きな物では直径4m以上になり、また、寿命が長いことでも知られており、最も長寿なものは千年以上生きていると考えられています。花は咲かないが、葉の気孔から大気中の水分をとり入れたり、長さ3~4mの根で地下水を吸い上げます。雌雄異株(しゆういしゅ)の植物で雌株は、受粉後に種を落とし風に運ばせます。水分があれば地中下で25年育ち芽を出し25~30年でやっと受粉出来るようになる。2枚の葉は、茎の末端の溝にある分裂組織から成長するに従い、木部の捻れや風、乾燥、動物に噛まれるなどの外的要因によって擦り切れて裂け始め、一見何枚もあるように見えて、やがて葉先は次第に枯れていきます。名前の「ウィッチ」から魔女 を連想する人も多いですが、実は発見者である探検家・植物学者フリードリッヒ・ウェルウィッチにちなんで命名されたものです。

デューン7
海岸近くには規模は小さいが、大きな砂丘(デューン Dune)もあり、特にデューン7と言う砂丘は有名でコンサートやパーティーなどが開かれるそうです。ヴォルビスベイから7Km離れている事による命名だそうです。
夕刻海岸近くの散歩
牡蠣を食べた水上レストラン
海岸近くにいるのはフラミンゴ

パイプオルガンの岩
オルガン パイプスは玄武岩の柱状節理の岩石が続いており、約1億2千年前に火山活動で地上に出たマグマが急速に冷却され形成されたマグマの跡です。

やっと大西洋に面したヘンティスベイ(Hentiesbaai)に到着。海岸線を今夜の宿泊地ヴォルビスベイこ向かう途中にはスペインの難破船もあり、砂丘もありの雄大な景色を見ながらマリオット・プロテアヴォルビスベイに到着です。
右奥の一番高い山
砂漠を大西洋に向かって走ります
ブランドベルグ(Brandberg)
標高2573m でナミビアで一番高い山です。険しい岩山で、西面の岩壁に夕日があたると赤く燃えるようになることから、「火の山(Fire Mountain)」と呼ばれますが、見たのは昼間でしたので、、、、、残念ながら。
トゥイフェルフォンティン・ロッジで昼食を取り先に進むと、路肩に大きな花崗岩の塊がありました。途中の木陰からは、ヒンバ族のjの女性たちが写真撮影のチップ欲しさに客引きで手を振って勧誘していました。
キリン、サイなどの動物
木の根が柱状節理の岩をつたって上に伸びています
化石の森公園の入口

化石の森
太古の木々が約2億6千年前に砂岩に埋められ、そのまま化石化(珪化木)*している「化石の森」です。むしろ「森の化石」と言った方が分かり易いかな。現在見られる50余りの樹木は部分的に埋め込まれているものと、完全に埋め込まれているものとあります。大昔におきた洪水などで流れ着いてきた木々がそのままこのナミビアの過酷な気候にさらされ、砂岩に植えつけられ化石化したという説が有力である。長い物では40m位ありました。

(*) 珪化木とは木材が土砂に埋められ、周囲の地層へ水素や酸素などを溶失して、次第に珪酸に置き換えられ、その断層に年輪がそのままの姿を残して石となった木の化石の事です。さらに化学変化すると瑪瑙、もしくはオパールにもなり、宝石の世界ではそれを指すそうです。

ダマラランド((Damaraland)
ナミビア北西部内陸のエリアで、標高約 1000mの高地から成り岩山と岩石が散らばる中に潅木が点在する荒涼とした風景が広がっています。僅かに涸れた河川沿いに緑が繁り、そこに人や家畜、さらに野生動物も集まります。農業と牧畜が主産業。地名は、この地に最初に居住したのがダマラ族であったことに由来します。

髪にもオカンを塗り込み手入れします
彼らの日常生活を垣間見てみますと・・・・世間話や、家の雑事、化粧の為の「オカン」作り、髪の手入れ等々 私達の生活と余り変わりません。
途中で見かけた高さ4m位の巨大な蟻塚は、ナミビアでもかなり珍しいそうです。今夜はコリハス(Khorixas)のロッジに宿泊です。
下部で香を焚いて上に衣類をのせて香りをつけるザル
「オカン」や香の保存容器(化粧箱)

カオコランド (ヒンバ族の村
ナミビア北部に暮らすヒンバ族は、もともと17世紀にザンビアから移民したヘレロ族の流れをくんでいます。文明社会を拒絶し、牛の糞と土を混ぜて作られた家に暮らし、現在も牛、羊やヤギにすべてを頼る伝統的な遊牧生活を営んでいます。男性は村の中心にある円の柵の中の家畜を連れて2~3週間放牧に行く事が多く、村は女性のみの場合が多いそうです。ヒンバ族の女性の衣装は独特で、「オカン」と呼ばれる鉄分を含む赤い石を砕いた粉土やバター、灰を混ぜたものを体や髪に塗ります。これは強い日射しや虫から肌を守るためと、臭い消し(生涯お風呂に入らないから)です。衣類もお香を焚いて香りを付けした布や羊の革でできたスカートに貝や革の装身具で身を飾っています。髪飾りやベルトで婚姻や子供の有無が分かるそうです。1990年のナミビア独立以降、ヒンバ族は政府の保護政策の下で放牧のほか、野生生物の保護や観光客向けに自然保護で生計を立てて生活しています。ヒンバ村へはガイドの同行が必要で見学することができ、観光客がアクセサリーなどを購入することもできます。

オカクェージョ(Okakuejo)のロッジで水飲み場に来る動物を見ながらランチ・ボックスを広げて、ゆったりとした気分で食事をしました。
オジワロンゴ(Otjiwarongo)から途中のオージョ(Outjo)を経てエトーシャ国立公園のアンダーソン・ゲート国立公園のアンダーソン・ゲートに向かいます。
ダチョウ、オリックス、スプリングボック
スプリングボック
水場では、スプリングボック、ダチョウ、オリックス、シマウマが仲良く水を飲んでいました。
ヌーの群れ
シマウマの群れと、イボイノシシ
ジャッカル
国立公園のアンダーソン・ゲート
上空から見たフェアリーサークル
クリストゥス教会
ウィントフック中心部の丘に建つクリストゥスキルヒェは、ドイツ語で「キリスト教会」の意。ナミビアがドイツの植民地だった南西アフリカ時代の1907~10年ごろに建設された、ドイツ様式の福音(ルーテル)派教会で内部はシンプルなデザインです。今日ではウィントフックの街のシンボルとなっています。隣りの国立博物館は、北朝鮮の援助で建てられて、初代大統領のヌマヨ氏の銅像が立っています。
下から撮影していますが30度位の傾斜を登っています
やった~ぜ! 頂に到着、
ビッグダディの峰(標高325m)から見たデッドフレイの全景
ウイントフック空港
デッドフレイの全体
エチオピアのアディスアベバ到着7:40、再び8:40発のエチオピア航空便であわただしくナミビアのウィントフックに向います。13:15やっと到着、これまでの搭乗時間は合計22時間、長~い旅です。更に追い打ちをかけるように、ナミビアの入国審査の非効率的な上に、某C国人団体の横入りなどで2時間近く審査に時間がかかってやっと入国です。15:30にバスでウイントフックの街に向かいます。

2日目(10月22日)

ナミビア共和国(Republic of Namibia)、通称ナミビアは、アフリカ南西部に位置する共和制国家で、北にアンゴラ、北東にザンビア、東にボツワナ、南に南アフリカ共和国と国境を接し、西は大西洋に面し、首都はウィントフック。面積は82.4万平方Km(日本の約2.2倍)で国の真ん中付近で南回帰線をまたぎます。公用語は英語で、主として鉱山資源と水産資源の輸出で成り立っています。 先住民が暮らしていた土地にヨーロッパからの外来者が来たのはキリスト教宣教師たちが布教活動を始めた19世紀半ば、当初ドイツ(一部イギリス)が植民地とし、植民地時代の名称は南西アフリカ。第一次世界大戦で敗退したドイツに代わって隣国南アフリカが治めるようになり1990年まで占領支配し、自国と同じアパルトヘイトをナミビアにも持ち込みました。この影響か、ナミビアでは自国の通貨ナミビア・ドルに加えて南アフリカ・ランドも一対一の等価で使用できますので南ア・ランドの使用が便利だと思います。物価は我国並みの値段ですから収入や生活水準を考えるとかなり高いですね。国名のナミビアの由来であるナミブ砂漠、「ナミブ」は現地語で「広い所」「何も無い所」を意味しています。南極からのベンゲラ海流の影響で非常に乾燥した地域が大半を占めて、特に海岸線はナミブ砂漠、スケルトンコースト等の砂漠の美しい自然が続き、.国土の殆どは砂漠に覆われた最後の秘境でしょうか。世界最古の大砂丘が果てしなく広がる真っ赤なナミブ砂漠と月面のような景観が広がるムーンランドスケープなど、一度見たら忘れることのできない光景が広がります。
砂丘によって出来る影と朝日で赤く染められた砂漠の色の変化をインターバル撮影しました
断層に年輪を残して石となった珪素化木
さらに化学変化した瑪瑙、もしくはオパール原石
ナミビア8日間
500年位の雄株
400年位の雌株
ドライブサファリの途中では、ライオンがシマウマを狙って近ずく場面や、水場に近ずく獲物を待ち構えている場面に遭遇しました。
セスリムキャニオン(Sesriem Canyon)
セスリムキャニオンは、大自然の素晴らしさを肌で感じることの出来る場所のひとつですが、日本の観光本では掲載されていない穴場スポットです。セスリムゲートを入って4.5Kmほどの場所にあります。セスリムキャニオン内では大きく切り開かれた荒々しい渓谷の谷底を歩いて、奥地の泉まで散策することができます。両サイドに迫る岩壁は、まるでアドベンチャー映画の世界のよう。人工的な整備は行われていないので案内標識などもないのですが、一本の川筋なので迷わずに歩きやすいです。
マリオット・プロテアヴォルビスベイ

バーント マウンテン(Burnt Mountain),
バーント マウンテンは名前の通り火山であり、数億年前に活動していた火山活動もので、12Km の長い火山の尾根が続いています。

牛の糞と土を混ぜた材料で家の壁を補修しています。
国立博物館と初代大統領のヌマヨ氏の銅像
観光後に、今夜の宿泊地オジワロンゴ(Otjiwarongo)に向かいます。

ウィントフック(Windhock),
ナミビアの首都であり、ナミビア国内で一番発展している都市。独立前のドイツ領であった名残りが建築物や道路の名前などに残っています。ナミビア国際空港からは車で30分程で、政府関係機関、各国の大使館、独立に関連する記念碑やミュージアムが集約する街です。Independence Ave.(インディペンデンス通り)が一番長い通りで、土産物屋などたくさんの商店が並んでいる街のを中心です。植民地時代の1892年にドイツ領西アフリカの首都となったことから、今日でもドイツ系住民が多く、ヨーロッパ的な街並みが残されています。他方で、タウンシップと呼ばれる昔からのスラム地域もあるなど、南部アフリカの多くの国と同様に植民地時代の影響も垣間見られます。

フェアリーサークル
フェアリーサークル
トゥイフェルフォンティン・ロッジ

4日目(10月24日)

コリハスロッジでの夕日
最後の水場で出会ったのは、発情期のライオンです。牡は牝の気を引き交尾へ、1回終わると牝はゴロンとなり、そして少し離れて牡がついてくるの待ち再び気を引いて交尾しました。ライオンの世界では牡は、たてがみが長いのが邪魔になり実際には狩猟にはあまり適さず、猟は主として牝が行い家族を支えています。従ってライオンの牡は、縄張りを守りながら、いわゆる人間社会における”ヒモ”のような生活を送っているようです。
エトーシャ国立公園(Etosha National Park)
アフリカ最大級の動物保護区エトーシャ国立公園は日本の四国ほどの広さがあり、アフリカゾウ、クロサイ、ライオン、チーター、キリン、スプリングボック、クドゥなど114種類の動物、340種類の鳥類が棲息しています。中央部にはエトーシャ・パン(乾いた湖)と呼ばれる敷地の3分の1を占めるほどの長さ120Km、幅70Kmと巨大な窪地があり、このエトーシャ・パンの南部を東西に結ぶ道路を自由にドライブし、動物を観測することができます。「Etosha」はブッシュマンの言葉で「Great White Place」、つまり広大な白い場所であり、名前の通り地面は白い砂と岩に覆われています。最初の水場でダチョウ、オリックス、スプリングボックなど、やがてキリンの親子連れ、シマウマの群れ、ジャッカル、イボイノシシなどに出会いました。
フェアリー・サークル、
植物が輪になって生える不思議な場所です。3~4年前、日本人学者が訪れて研究を始めたそうです。一説では、白アリが地下で、この辺りの土のミネラル分を食べて何かを出し植物がこれを求めて生えるそうですが、何故サークルの中心にいかないかは不明です。大きい物は10m位の物もあるそうです。

6日目(10月26日)

野に広がる蟻塚
上空から見たデューン33
オージョの町

2018年10月21日~28日

今日は、コリハス(Khorixas)からダマラランド地方の観光をしながら大西洋に面した街ヴォルビスベイに向かいます。道は、相変わらずのアフリカン・マッサージと呼ばれるガタガタ道が続きます。
「オカン」と呼ばれる赤い石を砕いてる所
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