ヴィーナスの家
二つのモザイク画が床に描かれています。ヴォルビリスのモザイク画の最高峰と言われる、ニンフと水浴びしている狩の女神ダイアナが人間の狩人アクテオンに見られて驚いたところ。もうひとつは、ヘラクレスとニンフでニンフ達と戦闘訓練をしているところです
サーディンの墳墓群、
サアード朝(1549〜1659年)の代々のスルタンが葬られている大墓廟群です。アラウィー朝のムーレイ・イズマイルがこの墳墓の周囲に高い塀を巡らせてしまったため、いつしか人々もその存在を忘れてしまい地図上も空間となっていた。それが飛行機により再発見されたものです。
カスバ街道(ティネリールの街)、
エルラシディアからティネリールを経てワルザザートを結ぶ東西のルートをカスバ街道と呼びます。この辺にはカスバと呼ばれる土レンガで造られた城塞で囲まれた要塞が多く残っていることから呼ばれています。オアシス(ナツメヤシの林)とともに昔はサハラ砂漠の向こうにつながる通商路としてラクダのキャラバンが通った道です。
古い塀
新しいアル・マンスール・モスクの塀
古い塀の朽ちた塔にはコウノトリの巣がありました
第3の部屋の外観。庭には墓があります。
セグマ門
正門
1日目

成田に帰国

1日目
全ての観光を終えて、今日は帰国日です。朝7:00にホテルを出発してカサブランカまで250Km、高速道路で田園地帯を見ながら移動です。
エミレーツ航空752便でドバイまで約7時間50分の空の旅です。13:10に到着して、乗り継ぎは少し忙しく14:50のエミレーツ航空318便で成田まで9時間45分の旅です。機内食では久々の日本食にお蕎麦でした。
バヒア宮殿からは歩いて街中を散策しながらマラケシュで一番美しいと言われるアグノウ門の前を通りサーディンの墳墓群へ向かいます。

マラケシュ(Marrakech)
フェズに次いで2番目に古い街で1070年頃ベルベル人による最初のイスラムイスラム国家が、この地を都と定めました。モロッコ最大のメディナ(旧市街)を持ちベルベル語で「神の国」の意味を持つマラケシュはモロッコ中の活気を集結したような熱気に包まれた”赤い街”です。

途中、オート・アトラスのティシュカ峠(2260m)でモロッコの道の最高地点を越えて、残雪の残る山並みを見ながらくねくねしたカーブを下りタデルトの街に入ります。ここでアルガン・オイルの店に立ち寄り小休止。

タウリルトのカスバ
マラケシュのグラウイ司令官が住んでいたカスバで、1990年制作の映画「シェルタリング・スカイ」の舞台にも使われた事で有名になりました。道路を挟んで反対側にはシネマ・ミュージアムもありました。
1日目

ワルザザート(Ouarzazate)
1920年代にフランス軍によりサハラ砂漠の最前線基地として建設された、何もないだだっ広い所にいきなり開ける明るい街並の町です。それ以前は街の東にあるタウリルトのカスバがあるだけの小さな村だったそうです。街の中心はアル・ムーアヒディン広場、この街の近郊で「アラビアのローレンス」の映画が撮られて以来、この地域は多くの映画の舞台に使われてきました。

ジュラバと呼ばれるフード付の上衣を着た女性、田舎では村や宗派によって色や柄が定まっているそうです。

標高3737mのアヤシ山をみながらタルゴムズ峠(1907m)を越えてエルラシディアに向かいます。ズィズ川沿いの渓谷の道です。

ミデルト(Midelt)
標高3737mのアヤシ山の山脈を背後に従えた小さく地味な街ですが、名前が示すとおりメクネスやフェズなどの都市部とエルラシディアやエルフードのある砂漠地帯の中間にある町ですが、特に観光名所があるわけではありませんが、ここのカスバ・アスマで昼食休憩です。

ヴォルビリス遺跡(Vol Bilis)
ブルーの花ヴォルビリスの名前の付いた、かってローマ都市として栄えた街でイスラム国では珍しく古代ローマ遺跡として往時の姿を伝えています。紀元前40年頃にローマ帝国の属領として人口2万人の大都市として繁栄し40ヘクタールの広大な敷地に凱旋門や神殿、公共広場などの建物が建築されました。しかし1775年のリスボン大地震によって都市は崩壊。街の発掘は1887年に開始され今日まで続いています。

メディナの中にある一般家庭のハミドさん宅でミント・ティーを頂きました。ハミドさんもお茶だけではなくドラムのパーフォーマンスも営業の一部でしょうか?

カサブランカ(Casablanca)
モロッコ最大の都市で、シンボルであるハッサン2世モスクが大西洋に面して佇むこの街は、もともとはアラビア語で「ダール・バイダ(白い家)」と呼ばれましたが15世紀にこの街を再建したポルトガル人が現在の名称「カサブランカ(白い家)」と呼ぶようになりました。約半世紀前に撮影された映画「カサブランカ」で一躍世界的にその名前が有名になった街です。映画に出てくる「Cafe American」に似せて造られたレストランが2004年からアメリカ人女性の経営であるそうです。

絶滅したアトラス・ライオンの像
クチ(馬車)も、こんな狭い門も通りますが楽しい1時間でした。
ホテルのランチ休憩の後は、ホテル前からクチ(馬車)で約1時間程市内観光をしながらジャマ・エル・フナ広場に再びで戻ります。
モロッコ南部にしか生育しないアルガンツリーのの実を割って種を出して石臼ですりつぶしてオイルを採っています
麓の小さな村の放牧風景です。
ギリシア青年の家
トドラ渓谷、
高さ200mもの切り立った断崖が続き、渓谷や岩山に圧倒されるますが、ここに至るまでの道の景観もなかなかのものです。
朝食を食べてゆっくりしましたら、今日の観光を終えたような気になりましたが、今日はこれからです。9:30にホテルを出発してティネリールを経由してトドラ渓谷、再びティネリールの戻ってカスバ街道を進みワルザザードに向かいます。途中でアトラスの山から地下水が通っている「カナート」と言う地下水道をみました。これは蒸発を防ぐために地下に水路を設けたもので、穴の5m位下に水が流れていて、これが長い物で数十Km短い物でも10Kmもつながっているそうです

今日の宿泊地エルフードではコテージタイプの客室になっているベレール・ホテルです。食事はテラスでチキン・タジンです。

途中、モワイヤン・アトラスのサド峠(2178m)を越えてミデルトの街に入ります。目立つ所には「アラーの為に、王国の為に、国王の為に」と国軍の標語が結構書かれています。

イフレン(Ifrane)
モワイヤン・アトラス山脈の中腹にある、およそモロッコとは思えないヨーロッパ風のアルペン・リゾートを思わせる避暑地です。雨もドライブ中に止みましたが、標高1650mのイフレンはなんと気温5度、サブ〜。でも若い娘さん達はカメラに元気で陽気な笑顔を見せてくれました。

今日はフェズからイフレン、ミデルトを経てモワイヤン・アトラス山脈を越えてエルフードまでの約460Kmの大移動です。朝食後に虹が出たかと思うと急に雨が降り始めたりと嫌な天気ですが出発です。

カラウィン・モスク
9世紀に建てられたモスクからマドラサ(神学校)になり、やがて大学として発展し各時代の学者やスルタン、政治家達が関わりました。建物は創建以来改装と増築を重ね全体的にはコルドバ風、アンダルシア様式の装飾が施されています。ここのミナレットが北アフリカ諸国のモスクのミナレットのお手本となっているそうです。ここも異教徒は入場できません。
ネジャーリン広場
メディナで一番の繁華街で、美しいモザイクの泉と18世紀に造られた高級ホテルだったネジャーリン・フンドゥークと呼ばれる宿があります。宿は現在は修復されてウード博物館になっています。
ブー・ジュルード門
1913年に建てられたメディナ入口にあるフェズ最大の門です。門のアーチの間からはシディ・ルッザース・モスクとブー・イナニア・マドラサの二つのミナレットが見えます。
羊皮の取引市場
羊皮の青空取引市場、このあとフェズ川のほとりにある、なめし革染色職人街(タンネリ)に持ち込まれて製品加工されます。
モザイク・タイル工場見学
モザイクの製作現場を見学しました。最初に色のついたタイルを必要な形に先の尖った金鎚で砕きながら形を整えて、図案のデザインに従って色のついた表面が下になるように隙間の事も考えながら並べて最後に上からセメントを流して完成させます。
1日目

メクネスから丘陵地帯をドライブしてフェズまできました。今夜の宿はホテル・ルメリニデス(Les Merinides)です。このホテルの素晴らしさは部屋のみならずホテルのテラスからフェズのメディナが眼下に一望できるのです。これは絶景です!

エディム広場
メディナの中心にある広場で、周りには雑貨屋、タジン鍋の陶器屋、ピーナツ売り、大道芸人のへび使い、水売りのおじさん等が営業に励んでいます。
ムーレイ・イスマイル廟
17〜18世紀に壮大な王都建設をめざしたが完成する前に世を去った君主ムーレイ・イスマイルが眠る廟で、イスラム教徒でなくても入場できる唯一の廟です。壁から天井にかけてのモザイクや漆喰彫刻はイスラム建築の最高峰と讃えられています。

メクネス(Meknes)
1000年の歴史がある古都で、最盛期の君主ムーレイ・イスマイルはヴェルサイユ宮殿に劣らない王都をめざして長さ40kmもの城壁で街を囲いました。現在も残る三重の壁の長さはモロッコ一を誇ります。またイスラム圏では珍しいメクネス・ワインの産地としても有名な街です。

ハッサン2世モスク
1986年から8年がかりで完成したモロッコ最大、世界でも5番目に大きいモスクで20世紀最高の芸術作品のひとつとされています。敷地が9ヘクタールあり、敷地に8万人建物内部に2万5千人、計10万5千人が収容可能だそうです。ミナレットの高さ200mは世界最高です。神学校、図書館、博物館が併設されていますが信仰の為に、これだけの施設が国民の寄付と税金で建てられたそうです。宗教の力は洋の東西を問わずすごいものです。
スーク、(市場)
ジャマ・エル・フナ広場の北側のベン・ユーセフ・モスクにかけて迷路のような細い通りが広がるスークを散策して、ホテルにランチ休憩で戻ります。
第2の部屋は「12円柱の間」とも呼ばれ中央の墓が黄金王アフメド・アル・マンスールの墓です。
第1の部屋はミフラーブ(メッカの方向を示す窪み)の間で礼拝堂です。
第3の部屋は「3つのミフラーブの間」、マンスール王の子供達や母親の墓です。
クトゥビアの塔、
マラケシュのシンボル、クトゥビア・モスクの高さ65mの質実剛健なアンダルシアスタイルの美しい装飾のミナレットです。このミナレットは4面とも異なった装飾を持ち、西側イスラム世界で最も美しく均衡がとれた塔として、スペイン・セビリアのヒラルダの塔と並びムーア様式の傑作と言われています。
王宮
フェズ・エル・ジェディド(新フェズ)の中心部にあり、かってのスルタンの居城でしたがり何世紀にもわたって増改築が重ねられて、現在はモロッコ国王がフェズに滞在される時に使用されます。王宮の正面に構えているのが7つの門で美しい装飾に飾られていますが一般客には開放されていませんでした。
(西) 王宮
ヌーヴェル・ヴィル(新市街)
フェズ・エル・ジェディド(新フェズ)
(南) ヌアール・カスバ
フェズ・エル・バリ(旧市街)
(東) ジャメイ門

エルラシディア(Er Rachidia
ズィズ渓谷周辺に広がるオアシス地域でフランス軍によりサハラ砂漠防衛の為に開かれた街です。軍の施設も多くあるので途中には検問所もありました。現在は多くのサハラ民族が住みオリ−ブ栽培とナツメヤシの木々の豊富さは有名な所です。

検問所

フェズ(Fez)
モロッコ最初のイスラム王朝の都として最も歴史のある街で、9世紀建設の「フェズ・エル・バリ(旧市街)」、13世紀建設の「フェズ・エル・ジェディド(新フェズ)」、20世紀フランス保護領時代に出来た「ヌーヴェル・ヴィル(新市街)」の3つの地区に区分されます。旧市街は細い路地が網目の様にひしめき、スーク(広場)には人と物があふれる巨大迷路のような街です。街全体を東から南、西へと180度パノラマしてみました。

チュニジア航空711便が約2時間遅れの出発のためカサブランカのムハンマド5世空港を出たのが朝11:30、これから旅の後半、モロッコ周遊の旅です。

オリ−ブ圧搾製油所
ファティマの手
メディナの中を歩くと手の形をしたドアノッカーが目に付きます。これはイスラム教の預言者モハメッドの娘ファティマが、理想の女性として死後に尊敬された事に由来して彼女の手をかたどったとされる護符です。ドアに付けると魔除けとして家を守ると信じられいるとか、、、、これをモチーフにしたアクセサリーも沢山ありました。特に彼女の夫アリーを預言者として奉じるシーア派世界では愛用されているそうです。

ラバト(Rabat)
商業都市カサブランカに比べると、小さいが静かで落ちついた町ですがモロッコの首都です。旧市街のメディナは12世紀と17世紀に建造された塁壁で囲まれた地区ですがマラケシュやフェズに比べると規模は小さいです。

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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

チュニジアの前編に
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バヒア宮殿、
スペインの建築家とフェズの大工1000人が7年の歳月をかけて建てた宮殿で、スペインのアルハンブラ宮殿にも負けない程の芸術作品です。奥の中庭周辺の建物は4人の妃と24人の側女の部屋ですが公開はされていません。いまでも国王が時々宿泊するそうです。
YASMINAという岩が落ちてきそうなホテル・レストランでミ−ト・ダジンの昼食です。
ダデス谷の村エル・ケラア・ムグラ、
エル・ケラア・ムグナから、この先のスコーラまでの一帯をダデス谷と呼ばれています。この村はバラ栽培で有名な村です。お土産やさんにもバラの香水やらバラ水、ポプリなどバラづくしでしたが、ここでは砂の中のミネラル成分が結晶しバラの花のような形状になった自然の芸術品である「砂漠のバラ」を1ドルで買いました。スコーラでは500DH紙幣の写真にあるベンムロ・カスバに立ち寄りました
アイト・ベン・ハッドゥ
7世紀に先住民のベルベル人がアラブ人の支配から逃れる為に築いた土造りの城塞、その現実離れした不思議な赤褐色の建物群がそびえ立つ村は「アラビアのロレンス」をはじめ、「ハムナプトラ2」や「グラディエーター」のロケ地として有名です。現在でも数世帯のベルベル人が居住しているそうです。丘の上のティグレムトと呼ばれる穀物倉からは360度のパノラマが開けます。
ホテルのテラスからの眺望
カスバ・アスマ
ゴルディニアス帝の宮殿
ディオニソスと四季の家
ベンムロ・カスバ
砂漠のバラ
バラの花輪
ティグレムトと呼ばれる穀物倉
マリーン朝の墓地
宿泊したホテルのすぐ近くにある旧市街の北、城壁の外の小高い丘の上にあるスルタン達の墓地で、フェズで一番高い場所です。かっては、大理石の墓碑が並んでいましたが今は壁の一部が残るだけの遺跡ですが、ここからは街の全体が見下ろせる観光スポットです。
対岸のサレから見たラバトのカスバ
ウダイヤのカスバ
バジリカとキャピトル
遺跡の中では最も大きなモニュメントのバジリカはローマ時代に裁判や公的な会議、集会に使われました。隣のキャピトルはジュピター(ゼウス)が祀られた神殿です。修復された柱の上にはコウノトリの巣もあります。
今日の宿は南部モロッコ唯一の5つ星、ワルザザードで撮影があると俳優や映画関係者も多く泊まることで有名なベルベルパレスです。ブラット・ピットも「バベル」撮影時には滞在したそうです。部屋・食事・サービースも満足のいくホテルでした。映画で使用された小道具やポスター等もディスプレーされていました。 モロッコのビールはカサブランカとフラッグがありますが、ハッキリ言ってフラッグは非常にまずいです。お薦めはカサブランカです。イスラムの国ですから飲酒は基本的には禁じられていますがスーパーでも売っています17DH(約¥170)
カラカラ帝の凱旋門
1日目
ジャマ・エル・フナ広場、
ジャマ・エル・フナとは、「死者たちの広場」という意味で、かつてここは公開死刑場だったそうですが、現在の賑わいぶりは、その意味からは想像も付かないぐらいで、果物や香辛料などが並ぶ露天、ヘビ使いや大道芸人が繰り広げる路上パーフォーマンス、内外の観光客で、あふれています。今ではジャマ・エル・ファナール「芸術家たちの広場」とも呼ばれています。

2012年5月13日〜25日(モロッコは18日〜25日)

チュニジアの前編に
ティシュカ峠(2260m)

イスラム圏西の果てに位置するモロッコは、地図で見ると良く分かるようにジブラル海峡を隔ててわずか14km北にスペインです。南はアトラス山脈を越え、広大なサハラ砂漠の先にはアフリカ大陸が続き、紀元前3000年前に先住民のベルベル人が住み着いてから今日までアラブ・ヨーロッパ・アフリカの文化の影響を受け、永い時をかけてその独自の文化が築かれた国ですが、現在、西サハラの帰属をめぐってアルジェリアとの間に領土問題を抱えています。

1日目

エルフード(Erfoud)
ついに来ましたサハラ砂漠への入り口の町、「パリ・ダカール」ラリーも、かってはこの街の背後を通過していましたが砂漠への道路の舗装化と開発が進み街はさびれつつありますが、アフリカ大陸の約3分の1をしめるサハラ砂漠の神秘的な日の出が観賞できるメルズーガ大砂丘や、砂漠ツアーへの宿泊地としての役割は残しています。眠〜いです!。朝3:30起床、4:15出発で、5台の4WD(トヨタ・ランドクルーザーに)分乗してメルズーガまで夜空の下をドライブです。ドライバーさんも前を行く車の砂ホコリを避ける為に、砂漠の中を縦横無尽に走りまくりますので、車をしっかりつかみ上下左右に揺られながら5:10頃に到着。ここでサハラ砂漠のシェビ大砂丘の丘の上まで、歩く人とラクダに乗る人に分かれます。ラクダは一人300DH+20DHのチップ(約¥3200)です。懐中電灯を頼りにガイドについて約30分程で到着。ラクダが運んできた毛布を敷いて日の出を待ちます。6:10に朝日来光です。

ザウィア・ムーレイ・イドリス廟
9世紀初頭にフェズのメディナを建造したフェズの守護聖人ムーレイ・イドリス2世の墓所で、ムスリムの駆け込み寺的な存在ですが異教徒は入口で見れるだけです。
アッタリーン・マドラサ
14世紀に建てられた神学校です。中庭にある噴水、壁面の彫刻は当時の建築芸術の傑作と言われていますが、礼拝中でしたので見学は出来ませんでした。

アーモンドの実です

ジャカランダの花は春と秋の2回咲くそうです

1日目
今日の観光を終えてフェズの街に戻ります。
マンスール門
キリスト教からイスラム教に改宗したマンスールが設計した事に由来して「改宗者の勝利の門」という意味のマンスール・エルアルージュ門ですが、青と緑のモザイクが印象的な北アフリカで最も美しく有名な門です。
オアシス内を案内するラクダの客待ち
ブー・イナニア・マドラサ
14世紀に建てられたマリーン朝の最大の神学校です。中に入ると風格のある美しい壁面に彫刻された繊細な幾何学模様やタイルのモザイクが目に入ります。
ご来光を見た後にベルベル人のテントでミント・ティーのティー・タイムを過ごしてからホテルに戻り朝食です。
フェズ・エル・バリ
美しいタイル装飾のブー・ジュルード門が旧市街への入口で中に入ると、9世紀に出来たフェズ・エル・バリまさに1000年前の世界が広がります。車が通れない細い道では、狭いながらも店がずらりと並び、荷を積んだロバや、あふれんばかりの人が行き来しています。袋小路や狭く暗い路地が迷路のように入り組み現地ガイドなしでは迷子になりそうです。世界最大の迷路と呼ばれている町全体が世界遺産登録されています。
1日目
ティフルトゥトのカスバ
ワルザザートの西8Kmにあるカスバで、映画「アラビアのローレンス」のロケに使われ、映画の中にもこの建物が登場しています。ヘビ使いのおじさんの路上パーフォーマンスもありました。
キャピトル
1日目
緑と赤い建物が沢山あるマラケシュに着きました。宿泊はパーム・プラザ ホテル&スパ。すぐ近くにショッピング・センターがある便利な所です。
ローマ都市として栄えたヴォルビリス遺跡までの80Kmを小麦、オリーブ畑等が広がる美しい緑の絨毯の平原をバスで進みます。

悠久のポルトガル8日間

スーク・ダッバーギーン(タンネリ)
なめし革染色職人街(フランス語でタンネリ)の染色桶が並ぶ作業場です。前出の青空羊皮取引市場から搬入した皮を昔のままの手作業で染め付けて屋上に干していますが、その匂いの強烈さに驚かされます。女性でも冗談でふざけた様な姿をしていますが、入口でミントの葉をいただき鼻の穴に入れないと我慢できない程強烈です。夏はもっと大変だと思いますが、、、、これも有名なフェズの風物詩でしょうか、、、、、
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