ベルリンの壁跡(イーストサイド・ギャラリー)
ベルリンが分断された直後は、東西間の往来は自由でしたが東西間の経済格差や政治体制への不満から東から西へ脱出する東ドイツ人が多くなり危機感を持った東ドイツは1961年8月13日に東西ベルリンの境界線上に壁を造り封鎖しました。東西冷戦の象徴でしたが時は流れて、外国への旅行の自由化と民主化を求める東ドイツ国民の声の高まりで、1989年11月9日に東ドイツは旅行の自由化を承認しました。歓喜した東ベルリン市民は検問所に押し寄せて壁を破壊しました。崩壊したベルリンの壁の破片はベルリン土産として大人気でした、私も当時手に入れて現在も持っています。その多くは破砕されて道路工事などにリサイクルされましたが、その一部が記念碑的存在として保存されています。シュプレー川沿いにはベルリンノ壁を利用した1.3km続く壁画ギャラリーがあり国内外の118人のアーティストの絵画が書かれています。

通称「赤の市庁舎」と呼ばれるベルリン市庁舎
森鴎外の「舞姫」の出会いの舞台になったマリエン教会
フンボルト大学
ブレジネフとホーネッカーの「兄弟のキス」
プファルツ城
フリードリヒ館
城の入口門(右)のレリーフ
ラファエロ作「システィーナのマドンナ」
フェルメール作「手紙を読む少女」
アルベルティーヌムは16世紀の兵器庫を前身とするネオ・ルネッサンス様式の建物の総称
交通博物館
カイザー・ヴィルヘルム記念教会、
1888年に死去したドイツ皇帝ヴィルヘルム1世のために1895年に建てられたネロ・ロマネスク様式の教会。1943年の空襲で破壊されたままの塔を戦争の悲惨さを伝えるモニュメントととして残されました。ちょうど補修工事中でしたので外観はシートで覆われていましたが内部見学は出来ました。
フラウエン教会、
1726〜43年に建築されたルター派の教会。1945年の空襲で廃墟と化したが2005年に再建を終えた白いドーム型の教会でルター像も前に建っています
ザクセン王国の居城ドレスデン城
カトリック旧宮廷教会(三位一体大聖堂)
紀元前6世紀頃のバビロニアのイシュタール門
ミレトスの市場門
ベルリン大聖堂、
ホーエンツォレルン王家の墓所で、ユリウス・カール・ラシュドルフが設計したネオ・バロック様式で1894〜1905年にかけて建てられた。大天蓋は114mの高さがあります。
新博物館
旧ナショナルギャラリー
ソニーセンター、
ダイナミックな外観の複合文化施設
大聖堂と州立劇場
シュヴェリーン城

シュヴェリーン(Schwerin)
7つの湖の町と呼ばれる、湖水地方にある古都、戦後はメクレンブルク地方きっての産業、文化の中心地として発展しました。小さな島にたたずむ優美なシュヴェリーン城は、フランス・ロワール地方のシャンポール城をモデルにして建てられたそうです。

イエズス教会

悠久のポルトガル8日間

地下の調理場
ルートヴィヒ2世
プレーンラインからジーパー塔、シュピタール門を経て石壁を歩いて再びプレーンラインのコボルツェラー門に戻ると目の形をした中世そのもの雰囲気の屋根の家がありました。
紀元前2世紀の「ゼウスの大祭壇」を1/3のみ高さ9.66mで再現されてます
1日目

ドレスデン(Dresden)
中世にはエルベ川の水路を利用した商業都市として発展し、「エルベのフィレンツェ」と呼ばれ16世紀以降はザクセン王国の首都として繁栄しました。バロック様式の壮麗な宮殿や教会、貴族の館が建ち並んだ町は第二次世界大戦の空襲で一夜にして破壊されましたが、東西統一後に再建作業が進み、歴代の王達のコレクションを展示する博物館や美術館も完成して、「芸術と文化の都」の姿がよみがえりました。

ハンブルク近郊の農家の佇まい、茅葺屋根の家とレンガ造りの納屋、どちらも手入れが行き届いていました。
聖ニコライ教会
北京空港のディスプレイと中国的な店舗
ホテルからのノイシュヴァンシュタイン城を望む
城のテラスからのネッカー川と街の眺め
ローレライの岩
「キリストの再臨」を表す天井画
イルカに乗った少年像
主祭壇の「鞭打たれる姿のキリスト像」
ムゼウム橋付近
ブルクトーア門
旧博物館

2012年3月16日〜24日

エリザベート門(恋人門)は、王がホームシックで悲しむ英国から嫁いできた妻エリザベートを喜ばす為に加工しやすい赤色砂岩で一夜にして造らせた門
サービスエリアにある公衆トイレは70セントを機械に入れると50セントの売店で使える金券が出てきますから、物を買うと実質20セントがトイレ使用料になります。左の穴を通れるくらいの小さな子供は無料のシステムです。
聖ヤコブ教会
今宵の宿は何故かニューヨーク in ニース

予定した観光をすべて終り、ケルンからデュッセルドルフに戻り夜の便で帰国です。 飛行機の時間まで余りないので、ゆっくりとケルンの地ビールであるケルシュを飲めなかったのが唯一心残りですが、、、、次回にでも

東方三博士の聖遺物を納めた、世界最大の黄金細工の聖棺
ケルン大聖堂
157mの高さは、迫力十分で奥行き144m、幅86mもあります。1248年の着工から、途中200年余りの工事中断を経て、1880年の完成までに600年以上の年月を費やしたゴシック様式のカトリック教会で内部も見るべきものも多くあります。天井の高さも43.5mもあり、バイエルン王が奉納したバイエルン窓と呼ばれるステンドグラス、中央祭壇にある「大聖堂の絵Dombild」の祭壇画や、東方三博士の聖遺物を納めた、世界最大の黄金細工の聖棺などがあります。又ドイツで最も訪問者数が多い教会です。
ケルン(Koln)
ライン川の美しい景観が楽しめる神聖ローマ帝国時代からの古い歴史を誇る文化都市には貴重な世界文化遺産であり、街のシンボル、ケルン大聖堂があります。
中州に建つ「ネズミの塔」(白い塔)は中世に税関として建てられその後信号灯として使われました。また丘の上には関所として建てられたエーレンフェルス城跡

ライン川巡り
ライン川は神聖ローマ帝国時代には海運流通の中枢でした。全長1320Kmのスイス・アルプスの雪解け水を源に9ヶ国を流れて大西洋に注ぐ国際河川です。そのうちドイツを流れてるのは698Km、世界遺産に登録されている流域はビンゲン〜コブレンツ間の約65Km。なかでも見どころが多いのは、リューデスハイム〜ザンクト・ゴアルスハウゼン間です。ライン川に沿って両岸に鉄道と道路が走っていますが、この区間は船での観光が一般的です。しかし今回は、船の営業が4〜10月の期間なので初めてバスでこの区間を観光しました。バスは右岸をビンゲンからザンクト・ゴアールを走りました。

ハウプト通りが旧市街のメインストリートで道の両側には土産物屋やレストラン、食料品店などが並びます。また石畳の路地も多く残っています。
ハイデルベルク城、
城は13世紀頃からプファルツ伯の居城として増改築を繰り返した為に、さまざまな建築様式が混在しています。しかも三十年戦争や火災で破壊され半ば廃墟のような複雑な姿をして一部のみが再建された状態のままです。

ハイデルベルク(Heidelberg)
ライン川の支流のネッカー川沿いに街並が広がり、旧市街と駅前のビジネスビル街が対照的な雰囲気を街です。1386年に開校したドイツ最古の大学をもち、丘の上に建つハイデルベルク城は街のシンボルです。18世紀からゲーテやヘルダーリン、ショパンなどの多くの詩人や芸術家が訪れ、この街を称える作品を残しています。

城の外観の撮影スポットはマリエン橋ですので最初に行きました。橋から城までの途中の景色もすばらしく眼下にホーエンシュヴァンガウ城も望める美しいものでした。
1日目
朝食前の散歩でアスプスの山並と朝もやに包まれた幻想的なノイシュヴァンシュタイン城(山中腹左側)とホーエンシュヴァンガウ城(右隅)を望む
ヴィース教会、
世界遺産に登録されているヨーロッパで最も美しいロココ様式の教会のひとつで、のどかな草原の真中に小さく目立たない外観で建っています。内部は華麗な装飾と鮮やかな色彩で包まれています。1738年に近郊のシュタインガーデンの修道院で放置されていた「鞭打たれる姿のキリスト像」が涙を流したという「ヴィースの奇跡」がおきた信仰から、このヴィース教会が建てられ像が安置されました。

フュッセン(Fussen)
バイエルン・アルプスが背後にそびえる小さな町で、一歩町を出ると山と湖の美しい景色が広がるロマンティック街道の南端の町ですが同時にアルペン街道の町でもあり、なによりノイシュヴァンシュタイン城の拠点としても有名です。、郊外にある世界遺産のヴィース教会も見ごたえがあります。

ガルゲン門
ローテンブルク名物のお菓子シュネーバルは、スノーボールという意味でパン生地をひも状に延ばした物をグルグル巻きにして油で揚げたサクサクしたドーナツにチョコレートや砂糖、ナッツをまぶした物です。非常に壊れやすいので日本には持ち帰れませんが現地で食べるスイーツです。

ニュルンベルク(Nurnberg)
バイエルン州ではミュンヘンに次いで2番目に大きな都市で、神聖ローマ帝国の皇帝の城カイザーブルクがそびえる、ワーグナーのオペラに登場する歴史と文化の町です。第二次世界大戦後にナチ戦犯に対するニュルンベルク国際軍事裁判が開かれた地でもあります。 第二次世界大戦では、町の殆どが破壊されましたが昔どおりの姿に復元され、中世そのままの街並がよみがえっています。

大聖堂、
ハインリヒ2世が1012年に建立したドイツ屈指の建築・彫刻の文化遺産。内陣の「バンベルクの騎士像」は見事です。

バンベルク(Bamberg)
神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ2世の時代に宮廷が置かれて発展した町で「バイエルンの真珠」と讃えられる街です。 旧市街は第二次世界大戦の戦火から免れ、1000年の歴史を持つ世界遺産に登録された美しい街並が残ります。特に「小ヴェニス地区」と呼ばれるレグニッツ川沿いの一帯には大聖堂をはじめとした歴史的建築物が多く残ります。また、スモークしたモルトで作るラオホビアー(Rauchbier)と言う香り高い珍しいビールの産地としても知られています。

行列の最後尾に作者のW.ヴァルター自身が描かれています
ザクセン選帝候フリードリヒ・アウグスト1世の絵

ブランデンブルク門
ギリシアのアクロポリスにある前門をモデルにフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命で1791年に造られた門です。ドイツ古典主義の傑作と言われ門の上の、勝利の女神アイレーネと4頭立ての馬車カドリガは、1806年にプロイセンを破ったナポレオンがパリに持っていったが1814年に返されました。

1日目

ベルリン(Berlin)
1871年プロイセン帝国の首都となり、ワイマール共和国時代には「黄金の1920年代」の舞台として欧州屈指の大都市に発展しました。当時はパリに負けないほどの芸術の都でしたが、ナチス政権の登場とともに、それらの繁栄はかげりを見せ始め、敗戦後、町は東西に分割されてしまいました。しかし1990年に東西ドイツは再統一を果たし、ベルリンは再び首都になるなど歴史の渦に翻弄され続けた都市です。

テレビ塔は旧東ドイツ建国20周年記念して1965年から4年の歳月をかけて建てられました。高さは365mでモスクワのテレビ塔(537m)に次いでヨーロッパで2番目に高い塔です。旧東ドイツ時代から人気の名所で地上203mには展望台、カフェ&レストランもあります。

1535年に建てられた由緒ある船員組合の家、今はシ−フード・レストランです。
バッハが魅せられた世界最大級の8512本のパイプをもつパイプオルガン
1日目
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旅行記を見ていただき有難うございます。何かの参考になれば幸いです。

成田に帰国

シュターレック城
コルンマルクト広場からはハイデルベルク城の姿が良く見えますが、たまたまツム逆光でしたのでシルエットの写真になってしまいました。
ツム・リッター・ザンクト・ゲオルグは1705年に建てられた騎士の家。ゲオルグ像が屋根の上にあり、現在はホテルレストランになっています。
街の中心マルクト広場には市庁舎聖霊教会があります。聖霊教会は歴代のプファルツ選帝候の墓がありましたが破壊されルプレヒト3世の墓が残るだけです。塔の高さは82mあります。中世の教会には人が集まるので外壁には商店を併設して市場が立つた状態を現在も継続しています。
カール・テオドール橋(アルテ橋)はネッカー川に架かる石組みの橋で1788年建造でアルテ・ブリュッケ(古い橋)とも呼ばれ旧市街側には2つの塔を持つ門を持っています。橋の上には対岸の「哲学者の道」を望む彫刻像が、橋のたもとには鏡を持ったヒヒの像が,“人間を真実の姿を見よ”と鏡を差し出しています。
ワインの大樽、領内より税として収められるワイン を収めるために造られ、一番大きい樽は 22万L入ります。 樽上には宴会が催せる舞台もあります
ワインの大樽のそばには道化師ペルケオの像と仕掛け時計があり、時計のひもを引くと中から白い縫い包みが飛び出すビックリ箱になっています。
1日目
フッセンから、ウルム、シュトゥットガルトをへて古城街道に入りハイデルベルクに向かいます。
城から下る途中のノイシュバンシュタイン城レストランで昼食
ノイシュバンシュタイン城、
1869年、第4代バイエルン国王ルートヴィヒ2世が、フランスのヴェルサイユ宮殿に触発されて17年の歳月と巨万の富をつぎ込んで自分の夢を実現しようと造営した城です。標高1000mの崖に建つ白亜の城は優美な外観で知られ、作曲家リヒャルト・ワーグナーのパトロンとして異常なまでにオペラに取りつかれた王は「ローエングリン」「パルシファル」など数多くのオペラの名場面を場内の壁画に描かせています。城の名前も「ローエングリン」の白鳥伝説からです。
ホーエンシュヴァンガウ城、
ノイシュバンシュタイン城に向き合うようにして建つこの城は12世紀に建てられてから荒れ果てていたのをルートヴィヒ2世の父マクシミリアン2世が改築してルートヴィヒ2世が少年時代をすごした場所です。ノイシュバンシュタイン城建築中は、この城から建築状況を見ていたといわれます。
ロマンチック街道のはヴュルツブルグからフッセンまでの350Kmですが一部をローテンブルクからフッセンまでの287Kmをバスで通ります。この街道は元々は「ローマへの巡礼の道」として整備されましたが1987年から観光街道になり、写真の様な日本語の街道標識も付けられました。
白い塔
マルクス塔
マルクス塔の外側
プレーンライン
小さな場所という意味のプレーンラインは左側のジーパー塔と右側のコボルツェラー門のを含めて中世の面影が残るローテンブルクの代表的な美しいスポットです。
市庁舎の塔に登ると街並が見えますが、今回は時期的に開いてなかったので、前回登った時の写真を参考までに掲載しました。
マルクト広場と市庁舎、
町の中心マルクト広場に面して60mの鐘楼をもつ市庁舎、隣の市議宴会館の切妻の壁面には、仕掛け時計マイスタートルンクがあり、時間になるとジョッキを手にした市長像がビールを飲み干します。この建物の裏奥には13世紀に建立された聖ヤコブ教会があります。

ローテンブルク(Rothenburg ob der Tauber)
町の正式な名称は、”タウバー川の上方にあるローテンブルク”と言うその位置を表す長い名です。町の起源は9世紀頃で、最初の城壁は12世紀に出来上がりました。1618年に起こった30年戦争の際に、当時の市長の機転で敵からの破壊を免れた為に今でも中世の建物が多く残り、中世の面影を、ほぼ完璧に残している町です。

1日目
古城街道の一部を通りローテンブルクへ向かいます。
Rauchbier(ラオホビーア)
バンベルクの御当地ビールで、煙でいぶした麦芽で作った珍しいビール。黒ビールに近い色で飲んだ後にスモーキーな香りが残ります。地元のSchlenkerlaが人気の店です。
旧市庁舎、
15世紀建造の街のシンボル。川にせり出す木組みの建物で、外壁にはフレスコ画が描かれています。
ツヴィンガー宮殿、
1710〜28年に王室の野外祭典のために造られた後期バロック様式の宮殿です。裏手には王冠の門もあります。アルテ・マイスターと呼ばれる絵画館には15〜18世紀の名画が所蔵されています。
ゼンパーオペラ、
設計者ゴットフリード・ゼンパーの名前を冠した19世紀に建てられたヨーロッパ屈指のザクセン州立歌劇場。正面の広場にそびえる騎士像は、この劇場の発注者のザクセン王ヨハンです。
ブリュールのテラス、
エルベ川の川岸のプロムナードからはアウグストゥス橋や対岸にザクセン州首相府等の建物も見えます。
フィルハーモニー、
ベルリン・フィルの本拠地、独特の外観からカラヤン・サーカスの異名が
ゼウスの大祭壇」にあるアテネとゼウスの戦いの彫刻
メニューは肉団子のスープとドイツ名物マウルタッシェンです

ホッペナーハウス、町で一番美しいと言われる木組みの家(右側)

ボーマン博物館、この地方の農民、市民生活を再現した民族博物館

城の中で見かけた民族衣装の少女

マルクト教会
14世紀に建てられた高さ97mの塔を持つレンガ造りの教会です。マルチン・ルターの宗教改革の影響を受けたプロテスタント教会なので内部は、いたってシンプルですが祭壇の金屏風画はすばらしい物です。教会の広場の前にはハンザ同盟時代の趣を残すライネ城(州庁舎)があります。

ジョルジョーネ作「まどろみのヴィーナス」
フラウエン教会もひときわ目立ちます
君主の行列、
ドレスデン城の北東側の中庭にはヨーロッパ最古の武芸競技場だったシュタールホーフは中世のオリジナルのままに再建され、その外壁にはマイセン磁器タイルに描かれた長さ101mの壮大な壁画が「君主の行列」です。1123年から1904年までのザクセン君主の騎馬像などが描かれたタイルは奇跡的にも戦災を免れたものです。

博物館島ぺルガモン博物館
シュプレー川の中州に5つの博物館が集まり、全部見ると先史時代から19世紀までの約6000年間の西洋史をたどる事ができます。現在も修復と再建工事の途上で2015年の完成を目指しています。中でもペルガモン博物館は1930年に開館し、トルコの旅行記で述べましたように、古代ギリシアのペルガモン(現在のトルコ、ベルガマ遺跡)で発掘された「ゼウスの大祭壇」などの巨大遺跡がそっくりそのまま移築・展示されています。

クーダム、老舗、高級ブランドやデパートKaDeWe(カーデーヴェー)が建ち並ぶ旧西ベルリンの目抜き通りです
ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)、
1864〜71年の戦争(対デンマーク、オーストリア、フランス)に勝利した記念塔で女神ヴィクトリアが街を見下ろしています。

今回のドイツ旅行は、かって仕事や観光で、いわゆるゴールデン・ルートと呼ばれるフランクフルトを中心に南部の、マインツ、シュトゥツトガルト、フュッセン、ミュンヘン等は何度か訪れた事がありますので、デュッセルドルフを起点に今までに訪ねた事がない北部の町を主に回りながら本場の珍しい地ビールを楽しみながら周遊する旅にしました。飲んだ地ビールの紹介は独ビール紀行にありますので、よろしければのぞいて見て下さい。

ベルリン動物園、
1844年に開園したドイツ最古の動物園で水族館も併設していますが、中国風の像の門がユニークです。また水族館の外壁には動物の絵や彫刻が施されています。
リューベック名物はマジパン(アーモンドの粉で作った砂糖菓子)です。市庁舎の近くのニーダーエッガー(Niederegger)は有名で混んでいました。人形や動物、野菜などの形のさまざまな種類があります、ちょうどイースターが近いので兎や卵の形の物が良く売れていましたので、つられて両方とも土産にゲットしました。右の写真は果物屋さんと見間違うほどですが全部マジパンです。
ヤコビ教会
貿易で栄えた頃に建てた船員の為の教会
教会の尖塔を眺める悪魔像
マリエン教会
1250年から1350年にかけて造られたゴシック様式の巨大な教会で、バルト海沿いの都市には、この教会のを手本として造られた物が多くあります。パイプオルガンは世界最大級の8512本のパイプをもち当時のオルガニスト、ブクステフーデの奏でる音色に魅せられたバッハは無断で休暇を延長して、この教会に通いつめた逸話が残っています。
市庁舎
ハンザ同盟の盟主であった当時の扉が今も残る、リューベック特有の黒レンガ造りで、その上に釉薬がかけられているためいっそう重厚な感じを受ける建物です。13世紀に建てられた南側の破風や、通風のために大きな丸穴の開いた壁も特徴的な建物です。

リューベック(Lubeck)
12〜16世紀にヨーロッパ北部一帯の交易を支配したハンザ同盟の中心として最も繁栄を極めた町です。バルト海や北海で荷揚げされたニシンなどの海産物の取引場だったこの町へ、ここから南へ約80km離れた塩の産地リューネブルクから海産物を運搬する為の塩が運ばれ、そしてロシアや北欧へと輸出された。”バルト海の女王”と呼ばれた古都リューベックの旧市街はトラヴェ川とトラヴェ運河に囲まれた中ノ島にあり、中世商業都市の面影を残し、市庁舎、ホルステン門などの建物から、往時の繁栄をしのぶことが出来る世界遺産の町です。

ハンブルク港、
ザンクト・パウリ桟橋のそばには、旧エルベトンネルがあり、車も人もエレベーターで地下に下りて渡る珍しいトンネルです。桟橋沿いの遊歩道にそって歩くと海の博物館や大型帆船リックマー・リックマース号や大道芸人などが次々と現れてくる楽しい道歩きです。

ハンブルク(Luneburg)
ドイツ第二の都市、エルベ川に臨むドイツ最大の港町ですが海までは110kmもある河川港として活気に満ちています。12世紀頃から交易の中心として急速に発展し14世紀にはハンザ同盟の有力都市として更に発展・繁栄しました。第二次世界大戦による破壊により古い町並みはほとんど残っていません。夏には赤紫色の絨毯のようにエリカの花が咲き乱れることから「エリカ街道」という名前が付いた観光ルートには、リューネブルク、ツェレ、リューベックなど北ドイツの10都市が連なります。

リューネブルク(Luneburg)
エリカ街道を通り、千年の昔から塩の産地として栄えたリューネブルクはイルメナウ川沿いにある美しい街並です。
(注)エリカは、ツツジ科の植物で多くの種は高さ20-150cmほどの低木です。エリカの群生地としては、ここ北ドイツの自然保護地区、リューネブルガーハイデが有名で、また小説『嵐が丘』の館の周囲に生えていたのもエリカですが、ドイツ語ではハイデ、英語ではヒース(heath)と呼ばれています。

ネコ城

17世紀に建てられたがルネッサンスの原型に戻そうと行った改修工事が中断したために右の塔がルネッサンス、左がバロックと異なった様式になった城

市教会と市庁舎

聖セバルドゥス教会

市庁舎
1901〜13年に建てられたルネッサンス様式の壮大な建物です。

ハノーバー(Hannover)
18世紀にはイギリス国王も兼ねたハノーバー王家ゆかりの町です。現在はニーダーザクセン州の州都で、ハノーバー・メッセ(見本市)として世界中から人々が集まる国際的な都市でもあります。

フラウエン教会、
14世紀中頃に建てられたホール様式の建物です。正面にカール4世と7人の選帝候の仕掛け時計があり、毎日正午には仕掛けが動きます。中央広場の一角には「美しの泉」があり40対の彫像が飾られています。

ツェレ(Celle)
ツェレの旧市街には、ドイツでは良く見かける木組みの家ですが、その色のカラフルな美しさと、その数の多さで他の町を圧倒し、どの通りにもズラリと並んで、あたかも童話の中から抜け出してきたような街で、”北ドイツの真珠”とも呼ばれています。

ホルステン門
重厚な二つの塔から成る市城門で1464〜78年に建てられた街のシンボル、最大の厚さが3.5mにもなる部分がある壁の重さで建築中から塔が傾いてしまいました。内部は市歴史博物館になっています。
1日目
聖ローレンツ教会
ラインシュタイン城
市庁舎
ノーベル賞作家トーマス・マンが兄ハインリッヒと頻繁に訪れた祖父母の家(今はマン兄弟記念館)
聖ミヒャエル教会
ハンブルクで最も有名なバロック様式のプロテスタント教会で、塔の高さは132m、82mの所にある展望台まではエレベータで登れるそうです。
ジーパー塔の外側
最南端にあるシュピタール門
街を守る為の城壁の石壁の上を歩けます
ホテル・アドロンは迎賓館的名門ホテルで、多くの映画の舞台になったり、最近ではマイケル・ジャクソンが自分の子を窓がらぶら下げて見せた奇行が話題になったりしました。
ドイツ連邦議会議事堂は1894年に完成したネオ・バロック様式の旧帝国議会議事堂
1日目

今日は、まったくの移動日です。CA(中華航空)便にて北京経由で目的地ハノーバーに到着します。

1日目
聖ヨハニス教会
広場の隅にある噴水も凍結防止のため覆われていましたので、前回の写真も掲載しました
カタリーネン教会の外壁にはバーラッハの美しい彫刻(拡大図を参照)が見られます
ネコ城
ブルク門とブルク公園からの眺め
市議宴会館の仕掛け時計の窓が開いたところ
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